評価 ★★★★★(82点) 全106分
あらすじ トガシは生まれつき足が速かった。他には何も持っていなかったが、速く走ることで友達も居場所も得ることができた。引用- Wikipedia
トレースと原作改変から生まれた名作
原作は漫画な本作品。
監督は岩井澤健治、制作はロックンロール・マウンテン
陸上
本作品タイトルである「ひゃくえむ」とは100mのことだ。
短距離陸上における100M、そんな100mの世界を描いている作品だ。
この作品、物語的にはベタともいえる。
主人公はかつて天才といわれた少年だ。
小学生時代から誰よりも早く走る才能があった、
だが、中学生でタイムが伸び悩む。
その中で走ることの意味を見失い、高校は特に
陸上で有名ではないところに行っている
そんな彼が廃部寸前の陸上部に誘われ、久しぶりに100M全開で走る。
忘れていた走ることの楽しさ、自分はだれよりも早く走れるんだという自信、
自分を自分たらしめること、自己証明をこの100Mでできることを
彼は実感してしまう。
陸上に復活した彼はかつて天才と呼ばれていた先輩や、
同じ陸上部とともに大会に挑む。
この部分だけ見るとベタすぎる部活ものだ。
だが、この作品は違う。
ただ陸上を描いているわけではない、ただ青春を描いているわけではない。
この作品は天才という名の凡人の物語だ。
小学生
小学生の時は自分が天才のように思える。
勉強ができたり、体育ができたり、何か1つ得意なことがあり、
そんな得意なことではだれにも負けない自信がある。
主人公もそうだ、特に努力せずとも彼は誰よりも早かった。
全国大会で優勝するほどの実力だ。間違いなく天才といえる。
そんな彼の前に「小宮」という転校生が現れる。
彼は何事にも自信が持てなかった。
転校の多い家庭環境ゆえか、小学生ながらに多くのストレスを抱えている。
そんな小宮の趣味は走ることだ。
ただただがむしゃらに走ることで嫌なことを忘れられる。
そんな小宮に主人公は「走り方」を教えてしまった。
「100mだけ誰よりも速ければ全部解決する。 」
誰よりも早ければ賞賛を、地位を、名誉を、大金を手に入れられる。
これは事実だ、そんな言葉をうけ小宮という少年は
誰よりも早い男になろうとした。
この時、小宮に走り方を教えていなければ主人公である
「トガシ」の人生は違ったはずだ。
すぐにまた転校してしまう小宮とトガシ、
二人は最後に一騎打ちの勝負をしトガシは勝利をつかむ。
高校生
高校生になり陸上に復活した主人公、そんな彼の前に現れる
「ライバル」が小宮だ。
かつて自分が走り方を教えた同級生、親友と呼べるほどではない。
友達と呼べるほど長い期間を過ごしたわけでもない。
ただ走り方をおしえて、一緒に走った仲だ。
1度は負けてしまった相手との再戦、
100M、たった10秒で勝負はつく。この一瞬の描写がすさまじい。
この作品はロトスコープで撮影されている、
それは見ていてすぐにわかることだ。
ロトスコープは人間の動きをそのままアニメーションとして取り入れる、
普通の手書きのアニメやフルCGのアニメでは
取り除かれる「人間の動き」の細かい部分まで取り込んでおり、
それが独特のぬるぬる感を生む。
私はこのロトスコープによる表現はあまり好きではない。
想像により描かれるアニメーションの中で、
ロトスコープを取り入れてしまうと、
余計な描写が細かく増えるせいで違和感が生まれることもある。
だが、この作品は違う。
ロトスコープだからこその生々しさが競技のシーンで如実に表れている。
走る際のフォーム、それぞれの足や手の動きの違いはもちろんのこと、
その手や足の動きにあわせて引っ張られる「服」まで
詳細に描かれることで、とてつもない臨場感が生まれている。
この臨場感が100Mの勝負、10秒の世界を、1フレーム1フレームに至るまで
繊細に描くことで「ひゃくえむ」という作品の、映画としての
迫力と見ごたえが生まれている。
そんな100Mの世界でまた主人公は小宮に敗北する。
決して主人公に才能がないわけではない、
だが、小宮という男は本当の天才だ。
小宮
中学生までの彼はただの凡人だった。
ただ走ることでがむしゃらになれる、それだけで走っていた。
しかし、走り方を覚え、ただ走っていただけの彼に目標が生まれる。
誰よりも早く走る、それが彼の目標だ。
それをずっとずっとずっと維持し続けている。
一方で主人公、トガシという男は才能におぼれていた。
小学生時代の彼は間違いなく天才だった。
ただ走ればいい。そうすれば楽に自分の存在証明ができる。
だが、中学生時代にタイムで伸び悩み、ライバルがいたわけでもない。
だからこそ「先」が見えなくなる。
ずっと同じ目標を追い続けるということはシンプルだが、
それを維持し続けることは難しい。
小宮はその才能があった、自分の体を壊しても、
フォームがおかしくても、早く走ることを追い求めている。
しかし、主人公の場合は違う。目標を見失い、挫折する。
自分が特別ではないことを、自覚してしまう。
小学生の時代に勉強が得意で成績が優秀だったものが
中学生、高校生になり成績が優秀で無くなるものもいる。
いわゆる「神童」というやつだ。
神童と呼ばれた子供は全国に何万人もいる、
だが、大人になって、それが「天才」足り得たものはごくわずかだ。
小宮は神童ではなかった、だが、天才だった。
トガシは神童ではあったが、天才ではなかった。
自らの才能にトガシという男は何度もくじかれる。
絶対でいたいのに、誰よりも早くいたいのに、
1度味わったあの瞬間が「呪い」のように
トガシという男にのしかかる。
物語は5年、10年と残酷なまでに時間が流れていく。
天才
この作品には1度は天才と呼ばれた者たちが集まっている。
小学生の頃より誰よりも早かった天才、
天才の子供と生まれ期待された天才、
高校生からいきなり頭角を現した天才、
永遠の二番手と呼ばれた天才、ずっと天才呼ばれ続けている天才。
才能のある者たちが集い競い合うのが勝負の世界だ。
それは陸上競技に限らず、なにごとにもそうだ。
私たちは成長するに従い、自らの中にある才能を常に
「誰か」と比べられている。
比較され続ける中で自分というものを自覚し、
自分の居場所を多くのものが見出していく。
だが、1度、天才と呼ばれた過去が、神童だった自分が、
好きなもので「1番になれなかった」という後悔はずっと付きまとう。
そういう意味ではトガシという主人公はまだ恵まれている。
高校生でもいい記録を残し、社会人になっても陸上選手を続けている。
ただ1番になれなくなっただけだ。
その結果に甘んじるならば、走ることでお金を稼ぎ続けることもできる。
だが、トガシという男はそれで納得できなかった。
何度も何度も悩みながら、自分の立ち位置を変えながら、
時に走ることをやめながらも、陸上というものに
「100Mの世界」にしがみつづけた。
しかし、それは自らの才能を犠牲にし続けた結果だ。
どんどんどんとすり減らし、ついには選手生命も危ぶまれる。
すべてを
主人公は選択を迫られる。選手として引退するか、
それとも「たった3回」全力で走ってすべて終わるか。
この作品では幾度もメインキャラクターたちに同じようなことを問う
「あなたは何のために走っているんですか?」
なぜ走るのか、それは栄光なのか、金のためか、自己満足なのか。
それは一人一人によって違う。
主人公であるトガシは何度も何度もそれを考えている。
怪我をして無理をして走ってでも残り3回を走りたい。
その結果、日常生活にも影響がある後遺症が残るかもしれない。
選手生命ももちろん終わりだろう、だが、そんなすべてを犠牲にしても
トガシという男は走りたかった。
数々の天才たちが彼の前に現れた。
がむしゃらに目標を追い求めるもの、 自分よりも先に天才といわれ挫折し、
復活したものの引退したもの、1度もライバルに勝てなかった天才、
そんな天才たちの姿を目にしてきたからこそ、
彼も陸上の世界にしがみついた。
最後の彼の相手はもちろん「小宮」だ。
「久しぶり、小宮くん」
二人が交わした会話はこの長い人生において一瞬ともいえる時間だ。
10年ぶりの再会、10年ぶりの勝負。
小宮もまた悩んでいる、この先に何があるのか、
目標に挑み続けた結果、どこか焦燥感のようなものも感じている。
だが、そんな「ライバル」をトガシという男がたきつける。
15年前と同じように、二人は走る。
トガシにとっては最後の走りだ、がむしゃらに、涙を流しながら、
すべてを犠牲にしてでもつかんだ「天才」と同じ場所。
その果ての結末はぜひ劇場でお確かめいただきたい。
総評:かつて天才だった俺たちへ
全体的に見てすさまじい圧を感じた作品だった。
原作は全5巻ほどの作品であり、本来は106分という映画でおさめられる作品ではない。
映画を見ている間にも明らかに「モノローグ」をカットしている印象があり、
それゆえに各キャラの心理描写がややわかりづらい部分がある。
しかし、それがキャラクターの不穏な魅力にもつながっている。
天才という存在の感情など凡人には理解できるものではない、
そういわれているような拒絶がキャラの魅力をいい意味で押し出しており、
レース中の心理描写などもほとんどない。
だからこそ、アニメーションとしての見ごたえが生まれている。
100M、10秒の世界、それを極力崩さないようにレースを描き、
ロトスコープによる鬼気迫る勝負を一瞬に込めている。
カメラワークもあえて「揺らす」ことでより臨場感を高めている。
106分という尺の中で「天才」の物語が描かれている。
その天才には今、天才であり続けようとするものたち、
そして「かつて天才だった」私たちも含まれている。
だからこそ多くの人に刺さる作品だ。
キャラクターから飛び出る言葉は名言ばかりで、
10代くらいに見てしまうと、ある種の自己啓発本として
刺さりまくる要素もある。
特に終盤に出てくる海道という男の言葉の重みはすさまじい。
彼は財津という天才にかなわない、ずっと勝てていない。
そんな彼が思い悩むトガシにこんなことをいう。
「俺は 次こそ俺が勝つと信じ切れてるなぜかわかるか
現実は逃避できるからだ。現実ごときが俺の意志には追い付けない、
たとえどんな正論 洞察 真理 啓蒙をふりかざそうと俺は俺を認める」
勝てないという現実を受け止めつつも、その現実から逃避し
勝利をつかもうとする。
すべてを失いそうになるトガシの言葉、小宮の言葉、
財津という天才の言葉、どのキャラも名言しか出ない。
1セリフ1セリフのインパクトがあまりにも強烈だ。
モノローグをあえて描かずとも、飛び出る言葉がキャラ描写につながり、
表情や試合の結果が言葉にしない心理描写、
アニメーションによる演技になっている。
ストーリー自体は王道でまっすぐな作品ではあるものの、
その王道さの中にいる天才たちと映像表現がすさまじい作品だった。
個人的な感想:原作改変
漫画とアニメという媒体の違いをきちんと考えた演出は
非常に面白く、原作と比較すると様々な部分での違いを感じることができる。
昨今はこういった原作改変ともいえるやり方は好まれるものではない、
だが、そんな世論という現実を受け止めつつも、あえて逃避し、
がむしゃらに「アニメ映画」としての面白さを走り切った作品だ。
原作通りにアニメ化する、セリフはもちろん、構図に至るまで
原作通りにしている作品は多い。だが、この作品は違う。
原作のテーマ、意図、メッセージをきちんとくみ取りつつ、
原作を改変することで極上のアニメ映画に仕上げている。
淡々と物語は進む、だが、その淡々さが残酷なまでの時間経過を
主人公とを通して感じさせてくれる。
その残酷な時間経過、人生の果てにトガシという男がつかんだもの。
勝利だったのか、敗北だったのか。それはあまり関係がないのだろう。
あの舞台に立つこと、小宮の隣に立つこと、
走ることにこだわり、あきらめなかった男の物語が106分で描かれている作品だ。
ぜひ、この物語を劇場でご覧いただきたい。