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狂気と知性に浸る名作「チ。 ―地球の運動について―」アニメレビュー

4.0
チ。 ―地球の運動について― サスペンスアニメ一覧
画像引用元:©魚豊/小学館/チ。 ―地球の運動について―製作委員会
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評価 ★★★★☆(70点) 全25話

5分でわかるアニメ『チ。 ―地球の運動について―』第二章

あらすじ 地動説を証明することに自らの信念と命を懸けた者たちの物語。 引用- Wikipedia

狂気と知性に浸る名作

原作は漫画な本作品。
監督は清水健一 、制作はマッドハウス

冒頭から作品の世界観に取り込まれる。
人は対価を支払うことで生きている
硬貨を捧げれば食べ物を、労働を捧げれば報酬をえられる。
何かを捧げることで人は何かを手に入れる。それが世の常だ。
そんな世の中で、この世のすべてを知るためには何を捧げればいいのだろうか。

ナレーションによる世界観への導入が素晴らしく、
この作品が「この世の全てを知る」という漠然としたもの、
「知識」を巡る物語であることを感じさせてくれる。

物語の舞台は15世紀のヨーロッパだ。
「教会」が支配する国、神による考えが蔓延っている中で、
「異端」とされる知識がある。

「宇宙」の中心は地球。
りんごが地面に落ちるのは宇宙において地球が下に有るから、
地球は「静止」して動かないもの、それがこの時代の当たり前だ。

主人公はそんな世界において天才と呼ばれている存在だ。
わずか12歳で大学に決まるほどの神童であり、
合理的な考えを元にかしこく生きている。
世界のすべてを分かったような主人公だ。

彼と違って「異端者」と呼ばれる者たちは
裁かれるかもしれないリスクを負ってでも、求めるものが有る。
決して賢い生き方ではない、だが命をかけてまで
求めるものが有るからこそ、賢くない生き方を選んでいる。

そんな異端者と主人公は出会ってしまう。
火に飛び込んででも「知識」を求めるものに。
火に見せられたものは、光に魅せられた虫のように止まることが出来ない。
美しいものに、完璧なものに、真実に人は吸い寄せられる。

ラファウという少年もまた魅入られてしまう。
太陽も星も動いていない「地球」が動いているという事実、
地動説の魅力に彼は魅入られる。

序盤の会話劇は美しい。
賢く生きてきた少年が賢くない生き方を選ぶ。
そこに至るまでの会話劇、知識に魅入られていくまでの過程は快感すら覚えるほどだ。
美しい空を見て、動く空をみて、地球は動いていないと感じる。

だが、ちょっところんだ瞬間に賢い少年は感じてしまう。
観測していたものが動けば観測した対象も動いているように見える、
少しのきっかけが、真実を追い求める魔力が、
彼を「知識への探求」への道に落としていく。

何枚も何枚も何枚も自己対話というなの知識の探求を書き殴る。
彼の前には異端者という名の先駆者がいる。
何年も何年も、いくつもの命が失われながらも、
知識は積み重なっていく。

それがたとえ異端と裁かれることを知っていても、
知識の探求を辞めることは出来ない。
もし、自分が裁かれることになっても誰かに自らの研究が
受け継がれれば「知識」は積み重なり、真実へとたどり着く。

ラファウという少年は魅入られてしまった、
知ってしまった、受け継いでしまった。
誰かの知識という名の人生を受け継ぎ、ラファウは
異端の道へ足を踏み入れる。

その「環境」が彼にはあった。
彼の義理の父は神を重んじ、教会の考えに従おうとしている。
彼が天文学を学ぼうとするのを否定しているくらいだ。
だが、義理の父もまた「異端者」だった過去がある。

かつて知識を追い求めたもの。
異端と断じられ魂も体も燃え尽き無になろうとも
「知識」だけは受け継ごうとしている。

知識を追い求めなければ生きていたはずだ。
ラファウも優秀な人物としてかしこく生きていけたはずだ。
だが、魅入られてしまった。探究心とは呪いだ。
多くの人が知識を求めた、その果の真理に人は抗うことが出来ない。
かしこく生きていきていたラファウは抗う。

大学に行く道もあった、研究を諦める道もあった。
だが、12歳の少年はそれを選ばなかった。
全ては「地動説」を証明するためだ。

人がもつ好奇心は誰もとめることは出来ない、
自分自身の未来にとっては不正解の選択でも、真実のために彼は自ら命を捨てる。
異端審問官すらもドン引きするほどの選択だ(笑)

これはもはや「狂気」だ。
知のために、探究心のために、自らの命よりも
「知識」を受継ぐことを選択する。

物語の主人公が「3話」であっさり死亡する。
敵にやられたわけでも、寿命で死んだわけでも、
病気で死んだわけでもない。知識のために死を選ぶ。
常人には到底出来ない狂った選択をする主人公の姿に思わず虜になり、
作品の世界観に一気に見る側も取り込まれる。

彼の選択は受け継がれる。
物語は何年も、何十年も続いていく。
人の血に探究心というものが染み込んでいる限り。

第二章では「代闘志」が主人公となる。
決闘がまかり通っていた時代に、そんな決闘に代わりに参加する。
いつ死ぬかはわからない、そんな刹那的な暮らしをしている。
現世というものに希望を持てていない。

時代は進んでいる、ラファウという少年が生きた時代から
10年の月日が進み学者以外にも天文学というものに
魅入られているものが生まれることで、疑問も生まれる。
教会が正しいとしている天動説、それが「偽り」だとすれば、
「神」はいるのか、「救い」はあるのか。

宗教に天国という世界に希望を見出すものはこの時代には多い。
だからこそ、それを「疑う」ことは罪であり、
疑うこと自体があり得ない。
異端たちはその疑いを広めていく、疑念という感情は伝染病のように広がり、
その病にかかったものは疑うことをやめられなくなる。

この世に希望なんてなかった者たち。
死ねば天国か地獄に行く、そんな考えを持つ者たちに
3つ目の選択である「託す」道が開かれる。

自分の人生に、命に、それまでなかった「価値」が生まれる。
生きる手段が少なく、女性であるだけで差別される。
そんな時代に見つけた新たな価値観は世界の概念を変えるかもしれない。

その価値を見出したものが、探究心に狂ったもののの
「知識」が受け継がれていく。

自らの人生を費やした仮説、それが間違っていることを
ときに認めないといけない。
間違っていることを証明することも真実にたどり着くためには必要なことだ。

真理のために自ら命をたつもの、真理のために受け継ごうとするもの、
真理のために自らの人生を否定するもの。
真理という地動説を、絶対的な価値を彼らは信仰している。
だからこそ命をかけられる。

少しずつ、受け継がれながら、間違いと認めながら、
彼らの知は積み重なっていき、真理という太陽に届きそうになる。
時に羽を焼かれても、羽をもがれても、何度でも
人は太陽に挑み続ける。

中盤、知識の伝達が失われる。
せっかく真理にたどり着きそうになったのに、
ラファウから引き継がれた知識の集合体は散ってしまう。
散る必要のない命も「権力争い」の中で散っていく。
自らの信念すらも散っていく。

だが、それでも「思い」は受け継がれる。
真理にたどり着いた感動、天動説に魅入られた感動。
そんな思いだけは受け継がれる。
何の担保も裏付けもない、ただ自らの知恵と意思がつながることを信じる。
それもまた信仰だ。

「チ。」
彼らが信じたものは確実に受け継がれる。
たとえ散り散りになろうとも、集合知となり1つになる。
それもまた「知」だ。

そして知は積み重なる、天文学者だけでなく市民たちにも。

協会に対して疑問を持つものも多く現れる。

「隣人を愛せ」

それが神の教えであり、平等こそ全てだ。
だが、そんな教会が私腹を肥やしている。
ラファウの時代から何十年もたっている、
だからこそ行動に起こすことが出来る。

意思を託されたのは移動民族 の少女だ。
金を稼ぐ、そんな信念をもとに「地動説」と出会う。
時代が変わり知識は拡散され、知恵はより収束していく。

だからこそキャラクターたちの会話の密度もえげつないものになっていく。
禅問答のようにキャラクターたちが己の持つ信念を
哲学を、処世術をぶつけあっていく。

各キャラに信念があり、信じるものが有る。
教会は信じずとも神は信じるもの、神の存在をも否定するもの、
金を信じるもの。己の信念のもとに彼らは真理に手を伸ばす、
それが自らの信念を守るために、貫くために出来ると思っているからこそだ。

終盤、天地はひっくり返る。
異端審問官は「司教」が異端的な危険な考えだからと地動説を否定してきた。
だからこそ多くのものが裁かれていた。ただ地動説はあくまで「仮説」だ。
天動説もまた人が考えたものであり、解釈次第によっては地動説を
聖書で肯定的に解釈することも出来る。全ては人次第だ。

ラファウを捕まえた「ノヴァク」という異端審問官は
ずっと物語の中にいる。地動説を研究するものが変わっても、
ノヴァクだけは教会のもとで異端者をさばき続けてきた。
その結果、自らの娘が「異端」と判定されて燃やされ、
地動説に対しての固執が生まれている。

この作品はノヴァクの物語でも有る。
彼が信じなかったもの、さばき続けてきたもの、
それは潰えること無く、最後には芽吹きそうになる。
それを受け入れることは決して出来ない、死の直前で彼の前に
「ラファウ」が現れる。

ラファウが受け継ぎ、多くの異端者が受け継いだペンダント。
それは最後にはノヴァクのもとに有る。
異端者のものを彼は捨てきれず、ずっと持ち続けている。
それは自分が裁いた異端者への思いか、
異端者だった異端者への思いなのかはわからない。

ノヴァクはラファウという12歳の少年の死をずっと抱え続けている。
彼もまた受け継いだものだ。
だが、ここに到るまでの23話の登場人物たちは「史実」には残っていない。
15世紀の人の中のひとりでしかなく、歴史の記憶には残らない。

ラファウも、フベルトも、オクジーも、
バデーニも、ヨレンタも、ノヴァクも、ドゥラカも。
彼らの名前は我々の歴史の教科書には残っていない。
15世紀の、P国で起こったことかもしれないが、
なかったかもしれない、物語だ。

終盤、物語の舞台はポーランドへと到る。
それまでP国という表記が使われていたのだが、終盤だけは違う。
そこにはもう彼らはいない、まるで別の世界線でも移ったかのように
物語の舞台は代わり、物語の主人公は
「アルベルト・ブルゼフスキ」という実在の人物に変わる。

彼が幼少期に出会った家庭教師「ラファウ」。
あのラファウと同一人物なのか、それともただ同姓同名なのかはわからない。
虚構と史実が曖昧になり、交差していく。

この終盤、困惑する部分があるのだが、
やりたいことが見えてくると本当に見事だ。
虚構と現実を交差させる、そのために23話のラファウの言葉であり、
完全に虚構で終わらせない要素が最終話には描かれている。

歴史には名前の残らない人物の言葉や行動、それは「私達」でもある。
多くの人は有名なスポーツ選手になるわけでも、漫画家になるわけでも、
政治家になるわけでもない、ほとんどの人が後世に名の残ることはしていない。
だが、そんな歴史に名前の残らない人物たちの知と血が
後世の人達の世界を作り上げている。

それが集合知だ。
「?」と思う感覚が生み出す知識、そこに至るまでの
虚構の物語が現実に交差して物語が終わる。

総評:ぶん殴られるような名作…だが…

全体的に見て凄まじい作品だ。
3話の衝撃がずっと残り続けるような感覚で、
ラファウという一人の少年の狂気が多くの人の中に残り続け、
その狂気が「知識の探求」という誰に求められない欲求につながる。

誰も彼もが持つ信念、それは時に信仰のようにもなりながら
一人ひとりの物語が描かれては死んでいく。
受け継がれる知識も途絶えることも有る、だが、その思いだけは残り続け、
後世に伝わっていく。

だが、それも歴史の教科書に名前の残らない物語でしかない。
それを「虚構」でえがきつつ、同時に私達として描きながら、
そんな名もなき者たちの血と知があったからこその
集合知の物語が2クールに綺麗に描かれている作品だ。

その物語を支えるのはキャラクターだ。
ラファウという少年、オクジー という男、ドゥラカ という少女。
この3人の主人公による高度な会話劇が聞いているだけで知識欲をそそり、
ワクワクしてしまう。

ただ、その一方でこの作品は会話劇だ。
時代背景的に電気がなく、暗い部屋での会話が多いせいも有るのだが、
アニメーションとしての面白さという意味ではやや薄い。
しかし、それが気にならないほどストーリーの面白さがあり、
キャラクターの魅力がある作品だ。

3話で主人公が死ぬからこそ、物語にも緊張感が生まれ、
各時代の主人公のそばにいる「ノヴァク」という男の物語にも
思わず感動してしまうものがあった。

試しにぜひ3話まで観てほしい、きっとこの狂気のチ。の世界に
ハマってしまうはずだ。

個人的な感想:知性に浸る

面白い面白いとは聞いていたが、
ぶん殴られるような名作だった。

アニメーションとしての面白さはやや薄い部分は有るものの、
高度な会話劇は知性を味わうことができ、一人ひとりの哲学の
ぶつかりあいからの、暴力の圧倒的な支配の交差が素晴らしく、
「知性に浸る」ことを味わえた。

原作をまだ読んでないだけに、そっちでも楽しんでみたいと
思わせてくれる作品だった。

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