映画

98分の無感動「未来のミライ」レビュー

未来のミライ 映画
(C)2018 スタジオ地図
スポンサーリンク

評価 ★★☆☆☆(28点) 全98分

未来のミライ 予告

あらすじ 。甘えん坊の4歳の男児くんちゃんと、未来からやってきた成長した妹ミライの2人が繰り広げる不思議な冒険を通して、さまざまな家族の愛のかたちを描く。 引用- Wikipedia

98分の無感動

本作品は細田守監督によるオリジナルアニメ映画作品。
前作に続き、細田監督自身が脚本を手掛けている。
制作はスタジオ地図。

映画冒頭から山下達郎氏によるOPが流れ、スタッフロールが流れる。
その中でまるで家族のアルバムでもめくるかのように
夫婦の様子が1枚1枚映し出され、主人公がうまれ、
育つ様子が1枚1枚描かれる。

一般の家としてはでかすぎる家を俯瞰で映されるのだが、
この家、ものすごい高級住宅だ(笑)
舞台は神奈川県横浜市のようだが、土地代だけでも相当だ。
「建築家」な父だからこそのこだわりの家なのはわかるが、
バリアフリークソ喰らえな家はこだわりが強すぎて
一般家庭で過ごした我々には「共感」とぃうのを覚えにくい。

これまででてきた細田監督作品の中での「家」や「家族」と
比較しても明らかな富裕層だ。
家の建築費だけでも3億円はかかってそうな感じに強烈な違和感を感じ、
物語への没入感というのが生まれない。

クンちゃん

本作の主人公は4歳の男の子だ、そんな彼のもとに妹がやってくる。
生まれたばかりの女の子、そんな女の子に両親は夢中だ。
両親も新しい環境にいらだちを感じている、
ふたりとも働いてはいるものの、父は在宅、母は外で働く予定だ。

二人の子供を抱えた状態での生活の変化に、
両親も対応しきれておらず、クンちゃん自身も変化に慣れない。
「赤ちゃん」というものへの扱い方、自分に対する注目度の変化。
その変化に4歳の子供が対応しきれるわけもない。

理不尽に怒られることで彼自身も泣いてしまい、
母親は苛立ちをマックスにし、父親は戸惑うばかりだ。
ある意味でリアルでは有るものの、それを見ていて「面白い」とは感じにくい。
色々な過程でよくある光景でしかない。

だが、それだけで終わらないのは、この作品が映画だからだ。
唐突に主人公が「王子様」と出会う。この王子様が擬人化した「犬」だ。
擬人化した犬が謎空間で、主人公を説教しだす。
主人公の妄想にしては生々しく、ファンタジーとしてはよくわからない。

王子様の尻尾を引っ張ったかと思えば、主人公であるクンちゃんが
唐突に自らのケツにぶっさし、犬になる。
あまりにも唐突で意味不明すぎるケモショタ要素のぶち込み具合は、
監督の悪い癖しか感じず、犬になった主人公を両親も犬として扱ったかと思えば、
唐突に元の姿に戻る。

いったいなにがどうなってそうなったのか、展開が理路整然としていない。
映画の4分の1を使ってやったことといえば、
クンちゃんがケツに犬の尻尾をぶっ刺したくらいだ。

声優

ストーリー展開の荒唐無稽さもそうだが、
主人公であるクンちゃんにいい印象をもてない。
4歳の子供が妹に嫉妬し、子供らしく暴れまわる様自体も好みが分かれそうだが、
なにより演技が微妙すぎる。

棒演技とまではいかないが、無理やり4歳の子供の声を出そうと
必死な感じが強く、それがキャラクターとしてのキツさを余計に
後押ししている感じが強い。
物語としてやりたいことはわかる、
「クンちゃん」が兄として自覚するまでの成長を描いている。

だが、その過程がぶっ飛んでいる。
序盤で犬が擬人化したかとおもえば、中盤では妹である「ミライ」が
未来からやってくる、未来からやってくる妹は婚期が遅れないように
「雛飾り」をしまうためだ。あまりにもくだらない。

繰り返し

そういった「ドタバタ」の中でクンちゃんが成長していく様を
見せたいのはわかるのだが、そのドタバタさの唐突感、
無意味さが凄まじく、その無意味な過程の末の結果を
いまいち飲み込めない。

お雛様を未来のミライと犬とともにしまう、
その共同作業で仲間意識が生まれ「好き」になることもあると
ミライは言うのだが、クンちゃんにとって「嫌い」な妹は
0歳の何もできない妹であり、中学生になった妹ではない。
いくら共同作業をしようと、変わることはないのにかわったと
脚本では位置づけてしまう。

基本はこの繰り返しだ、クンちゃんが苛立ちを大爆発させると
犬が擬人化したり、妹が未来からやってきたり、
過去にいきなり飛んで幼い母に会ったりする。
この荒唐無稽な繰り返しをひたすらに見せられる。

家族

家族関係というのは複雑だ、家族だから好きにならなければならない。
そういうわけでもない、家族同士の相性というものもある。
誰しも自分勝手だ、それは両親も変わらない。
親である前に一人の人だからこそ「自分のやりたいこと」を優先させる。
それはクンちゃんも両親も変わらない。

母は仕事を優先し、父は家のことはやりつつも仕事を優先するときもある。
4歳の男の子、自分だけがチヤホヤされていたのに、
その環境が変化したことにたいする彼の感情の変化を
両親は理解しきれず、母はすぐに怒り、父は慌てふためくだけ。
そんな溜め込んだ感情をクンちゃんは思わず妹にぶつけようとする。

全員が全員、成長途中であり、それを描きたいのはわかるのだが、
見てて楽しいものにはなってない、一言で言えばエンタメになりきれていない。
だから世間的に「他人のホームビデオ」なんて揶揄されてしまう。

自分の子供の泣き声なら不快感は感じないが、
他人の家の子供の泣き声、しかもヒステリックな泣き声なら
ストレスを感じる人も多いだろう。
この作品はそれをほぼ全編で聞かされる。

ひいおじいちゃん

終盤になるとクンちゃんの「ひいおじいちゃん」が若い頃にタイムスリップする。
タイトルの未来のミライはどこへいった?と思うほど、
未来のミライのでてくるシーンが少ないうえに、
物語の中で必要なキャラクターとも感じない。

そもそも「ひいおじいちゃん」とのエピソードも謎だ。
ひいおじいちゃんの時代にタイムスリップするきっかけは父親のことを
「好きくない」と言ったことが原因だ。
ここまでのストーリーでは犬、未来の妹、過去の母と
クンちゃんの身近な人物と交流することで彼が変わる展開が描かれている。

しかし、「ひいおじいちゃん」だけが異質だ。
お父さんとの問題を抱えてたはずなのにクンちゃんは唐突に
関係ないどころか接点も薄い「ひいおじいちゃん」の若い頃に行く。

妹にかまってばかりで自転車の乗り方を教えてくれないお父さん、
そんなお父さんではなく、おじいちゃんの若い頃の姿に「父親像」を
見出すという展開は意味がわからず、お父さんの過去はろくに描かれない。
終盤でちょっと「自転車に乗る練習」をしているくらいだ。

終盤

ラストでクンちゃんは「未来の自分」と対峙する。
未来のミライはいったいどこにいったんだ?と思うほどでてこないが、
ふわっとした未来にクンちゃんは訪れる。

この未来の描写は細田守監督らしい世界観の描写であり、
それまで単調だったアニメーションにも変化が生まれ、
「演出家」としての細田守監督らしさが際立つ。

その中で迷子になり、引き取り手がいなくなったクンちゃんは
「ひとりぼっちの国」へと連れて行かれそうになる。
もうこの終盤のシーンは完全にホラーである。
子供が見たら「迷子」に対してトラウマになりそうなほどだ。

自分自身がなにものなのか、自分とは何のか。
物語の積み重ねの中でクンちゃんが出した答えを出させるための
展開なのはわかる、兄としての自覚を得るための物語なのはわかるが、
結局「なんだったんだ?」と思うことがあまりにも多い。

未来の人物が来る過程、過去に行く過程、そのあたりのロジックが
「ご想像におまかせします」になっているため納得できず、
クンちゃんという子供が不思議な体験を積み重ね、一人成長した物語だ。
本来は「両親」の教育とともにそうなっていかねばならないはずなのだが、
この作品の両親は基本的に何もしない。

見終わったあとに山下達郎氏の曲が流れても
「?」マークで頭が一杯で終わってしまう作品だった。

総評:98分の無感動

全体的に見て何の感情も動かされない作品だ。
4歳の男の子が兄ということを自覚するまでの成長物語を描きたいのはわかるが、
その過程が未来から妹がきたり、犬が擬人化したり、過去にいったり、
未来に行って迷子になったりと、唐突な展開の繰り返しで、
そんな家族の未来や過去を見せられているだけだ。

それをきっかけに主人公が変わるのも話として弱く、説得力がない。
最終的に「兄」の自覚をするあたりで感動を誘いたいのはわかるが、
そこに至るまでの90分、1時間半くらいかけても
主人公に対して何の感情もいだけず、兄としての自覚をしたところで
見ている側の心が揺さぶられるものが何も無い。

あまりにも話が支離滅裂だ。
1つ1つの話のつながりが弱く、同じような展開を繰り返す感じは
幼児向けの絵本のようでは有るものの、その繰り返しが面白いわけでもなく、
何の脈絡もなく犬の尻尾を引きちぎり、自分のケツにぶっ刺す序盤の
あのシーンから意味不明の連続だ。

細田監督自身の価値観のズレも気になる。
イクメンで在宅で家事をする父という部分だけは新しいかもしれないが、
結局、主人公であるクンちゃんは「長男」だから「兄」だからという
枠組みに縛り付けてしまっており、まるで呪いのようだ。

横浜に豪華な一戸建てをたてる家族の4歳の子供の物語というものに
「感情移入」や「共感」は覚えづらく、
もしクンちゃん自身がこの不思議な体験をしていなくても、
兄の自覚はうまれ、彼は何の問題もなく成長していくんだろうなと感じる部分もあり、
この映画のストーリー自体の無意味さを感じてしまう。

ジブリのようなメッセージ性やテーマ性が有るわけでも、
クレヨンしんちゃんのような家族の物語が描かれているわけでもない。
散漫なエピソードが積み重なっているようで積み重なっておらず、
細田監督自身の作家性の弱さを如実に感じてしまう作品だった。

個人的な感想:価値観

細田監督作品と私自身の相性は非常に悪く、
世間的に面白いと言われている細田監督作品でさえ、
私はあまりしっくりとこなかった事が多い。

おそらくは価値観が違うのだろう。
それが何かを言語化するのはやや難しいが、
根本的な部分のズレを作品を見るたびに思い、
新しい作品が生まれるたびにそのズレはひどくなってくる。

このズレはいつか無くなる日が果たしてくるのか…..

「未来のミライ」に似てるアニメレビュー