実写映画

「シン・ウルトラマン」レビュー

3.0
実写映画
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評価 ★★★☆☆(59点) 全113分

映画『シン・ウルトラマン』予告【2022年5月13日(金)公開】

あらすじ 次々と巨大不明生物【禍威獣(カイジュウ)】があらわれ、その存在が日常となった日本。引用- Wikipedia

庵野流空想科学読本

本作品は1966年に放送された特撮テレビドラマ『ウルトラマン』を現在の時代に置き換えた「リブート」映画作品。
監督は進撃の巨人の実写化などでおなじみの「樋口真嗣」、
脚本はエヴァでおなじみの「庵野秀明」

ダイジェスト

映画冒頭から怒涛のカットを見せられる。
この作品の世界の日本では何故か以前から巨大生物が
突如として出現し、甚大なる被害を起こしている。
そんな巨大な生物を「禍威獣」と呼称し、
政府は禍威獣対策に「禍特対」という組織を作り上げた。

こういったバックボーンが絵と文字で一気に語られる。
ナレーションすらない(笑)
かなり割り切ったストーリー構成でグダグダになりそうな
世界観の説明を一気に済ませる手法は大胆ではあるものの、
こういう作品に慣れていなければついていきづらい部分もある。

本来、この作品は「3部作」で演る予定があったという話があるが、
そう感じるほど全体的にかなりストーリーのテンポが早い。
サクサクと進み、どんどんと場面が変わっていくストーリー構成は
「グダグダ」なシーンが一切ない。

本来はもっと細かい人間ドラマやエピソードがあったのかもしれない。
そう感じさせる「余地」がそこには生まれている。
ただぶっちゃけていってしまえば「総集編映画」っぽい雰囲気がある。
映画を見終わったあとに、Netflixあたりで1クールくらいの
ドラマ版が実はありますと言われても納得できるほどだ。

このあたりのストーリー構成はやや好みが分かれる部分ではある。
見る側の脳内で「補完」させる部分や、
見る側のウルトラマンの知識を要求している部分があり、
そういった意味でも人を選ぶ作品だ。

カメラワーク

序盤から気になるのは構図だ。
この作品は実写の作品だ、実在する俳優さんたちが
役を演じており、それを撮影している。
しかし、この作品の構図は「アニメ」の構図だ。
あえて実写の作品でアニメ的な構図を用いている。

特にわかりやすいのは序盤のシーンだ。
「禍威獣」が現れ、「禍特対」が現場のそばで対策を練る。
彼らの前にはそれぞれのノートパソコンがおいてあるようなシーンだ。
そのシーンでは誰かが喋るたびに基本的に、
喋っている人物の「ノートパソコン」からの視線になっている。

机に置かれたノートパソコンの視線はは角度を調整しない限り、
眼の前の人物を下から映し出されるものになる。
実写の映画ではあまりお見かけしない、
やたらローアングルな構図はかなり独特な構図であり、
喋るたびにカットが変わるシーン構成はアニメ的だ。

ただ、このシーンに関しては斬新であるもののかなり気になる部分がある。
「二重あご」である(苦笑)
アニメならば太っているキャラでない限りローアングルで映しても
二重顎にはならないが、この作品は実写だ。
痩せていなければ下を向けば人は二重あごになりやすい。

演じている役者さんのなかにややムチっとした女優さんがいるせいもあるのだが、
その女優さんの二重顎がやたらに気になってしまう。
これが監督の指示なのか、脚本を務めている庵野監督の指示なのかは分からないが、
この構図は独特ではあるものの、アニメだから許されるアングルだと感じてしまった。

ただ、それ以外のシーンでも独特な構図はあり、
あえて「椅子の肘掛け」の隙間ごしに人物を見せたりと、
作品全体としてかなりカメラのアングルにこだわりを感じるシーンが多い。
効果的になっている場合もあれば、二重あごのように気になる部分も生まれている。

かなり挑戦的なことをしている点は賛否が分かれる部分だろう。

ウルトラマン

この作品における「ウルトラマン」は最初に現れたときは
どこかホラーのような雰囲気を感じさせる。
言い方は悪いが全身タイツのようなものを身にまとい、
我々が知っているあのウルトラマンと違い「カラータイマー」がないせいか、
独特の存在感を感じさせてくれる。

何も言わず、敵か味方かもわからない。
黙々とまるで何か仕事をするようにウルトラマンは
現れた「禍威獣」を倒し、どこかに飛び去ってしまう。

人間の目線で見るからこそ、どこか道の存在に対する恐怖心を煽る演出だ。
CGを使っているからこそ、余計に恐怖感が募る。
過去のウルトラマンでは人間は全身スーツをきることで
ウルトラマンを演じていたが、今作ではCGだ。
CGだからこそ「未知の存在」であることをより感じさせてくれる。

ウルトラマンは敵なのか、味方なのか。
なぜ彼は「禍威獣」を倒すのか。
人類は「禍威獣」の正体はおろか、ウルトラマンも未知の存在だ。

空想科学読本

この作品は庵野監督が脚本を手掛けているだけあって、
ある種、彼のウルトラマンに対する考えや
「答え」のようなものをリアルに描いていると言ってもいい。

ウルトラマンの必殺技である「スペシウム光線」とはなんなのか。
なぜウルトラマンには活動限界があるのか、
ウルトラマンが「飛ぶ仕組み」はどうなっているのか。
そして、ウルトラマンはどうして人類の味方をしてくれるのか、

ウルトラマンという作品は本来は子供向けの作品だ。
ヒーローが現れて怪獣をかっこよく倒す、
そこに本来は深い理由はいらない。
正義の味方だから悪い怪獣をやっつけてくれるだけでいいはずだ。

しかし、この作品は「大人」向けに作られたウルトラマンだ。
決して子供だましではない「リアル」さを追求していると言ってもいい。
ウルトラマンがいきなりどこからともなく巨大化して登場する理由、
飛ぶ仕組み、ウルトラマンのエネルギー源、
そして「禍威獣」の正体に至るまで、きちんとした裏付けがある。

まるで子供の頃に呼んだ「空想科学読本」のような作品だ(笑)
あの作品はアニメやマンガ、ゲームや特撮などの空想の作品を、
リアルな科学で説明している本だが、
この作品はそんな「空想科学読本」そのもののような作品と言ってもいい。

リアルに裏付けされた理由があるからこそ、大人も納得してしまう。
そして、そんな「理由」の中で1番重要なのが、
「ウルトラマンはどうして地球を護るのか」だ。

光の国

ウルトラマンは宇宙人だ。地球人ではない。
地球人がいきなり神様から特別な力を得て変身しているわけではない。
あくまでもウルトラマンは「光の国」からやってきた異星人でしかない。
そんな異星人がなぜ地球をまもるのか。

正義の味方が正義を執行する理由。それがウルトラマンにはない。
この作品の設定で言うならば、ただの「仕事」だ。
宇宙を警備し、守る。人類はまだ未熟な知的生命体でしかない。
それを管理し守っているに過ぎない。

同時に光の国には掟が存在する。
「他の知的生命体に関与しない」ということだ。
未熟な知的生命体である人類に行動な知的生命体である
光の国の住人が関与してしまえば、多大なる影響が生まれる。
どちらかというとウルトラマンは本来は「神様」のような存在だ。

本来は干渉しない存在が「なぜ」人類を守り、
そして人類の一人の姿として「禍特対」の入っているのか。
それは1つの好奇心だ。

知的好奇心

ウルトラマン以外にもこの星には「異星人」、
この作品の言葉を借りるなら「外星人」が存在している。
その一人が「メフィラス星人」だ。

彼が人間の姿で名刺をつきだし、あくまでも好意的にかつ、
人類の味方のように接する姿はどこか怪しさを含みつつも、
「山本耕史」さんの演技力もあってどこか憎めないキャラに仕上がっている。
ある意味、この作品における黒幕なのだが(笑)

光の国の住人と違ってメフィラス星人や他の異性人に
「他の知的生命体に関与しない」という掟は存在しない。
むしろ自分たちの利益のために関与しようとしているくらいだ。

そんな彼らの目的も知った「ウルトラマン」に迷いはない。
彼は「掟」を破った存在だ。
人類に、人の心に彼は興味を持ち、知りたいと思ってしまった。
それゆえに彼は掟を破り、人類に関与し始めてしまう。

最初は人類の基本的な知識すらない。
彼らがどうして「群れ」をなしているのか、
どうして自分の命を顧みずに誰かを助けようとするのか。

この作品は戦闘シーンよりも「対話」しているシーンが多い。
ウルトラマンと人類、人類同士、ウルトラマンと異星人、
異星人と人類、そんな彼らが「対話」し、相互理解しようとしている。

ウルトラマンは彼らの中にある未知の可能性を信じている。
だが、それはあくまで「ウルトラマン」個人の考えだ。
同じ光の国の住人である「ゾフィー」とは正反対とも言える。

ウルトラマンが地球人と融合してしまったがゆえに、
そのおかげで地球は守られている反面で、
同時に「危機」も生まれてしまった。
だからこそ、そんな驚異を振り払うために「ゾフィー」は
宇宙全体のことを考え、この星を亡き者にしようとしている。

ウルトラマンとウルトラマンゾフィーの対立だ(笑)
本来なら仲間のはずの存在、本来なら一緒に人類を守ってくれるはずの
「ゾフィー」が敵対するという展開は大人でもわくわくさせてくれる。

ゼットン

そんなゾフィーが送り込むのが「ゼットン」だ。
もはやウルトラマンを知っている人にとって、
ここで「ゼットン」が出てくるのか!?とにやりとしてしまう。
ウルトラマンの天敵であり、ウルトラマンにとって最大の脅威であり、
彼が「かなわない」存在だ。

それでも彼は人類を守るために戦う。
たとえ自らの命を犠牲にしようとも、人類を守りたい。
それが彼が人類と融合したことで得た「正義」だ。
圧倒的な存在であるゼットンの描写も素晴らしく、
ちょっと笑ってしまうほどの力の差を描くことで絶望が生まれる。

このままでは人類が滅亡してしまう。ウルトラマンも負けてしまった。
「どうすればいいんだ」という絶望感だ。
だが、ウルトラマンは死んでは居ない。
人類にはウルトラマンが信じた「可能性」がある。

ウルトラマンに頼るのではなく、ウルトラマンが信じた人類が
自らの力でゼットンに立ち向かわなければ意味がない。
人類とウルトラマンがともに手を取り合うことで、
初めてゼットンに立ち向かうことができる。

最後の戦いは思わず童心に帰ってしまう。
「がんばれ、ウルトラマン」
私の中の未だ残る少年心が思わずそう叫ばさせてくれる作品だった。

総評:これぞ庵野秀明流ウルトラマン

全体的に見て「庵野秀明」だなーと感じる作品だ。
彼が「新世紀エヴァンゲリオン」や「シン・ゴジラ」で描いてきたことは、
この作品をやるためのものだったのでは?と感じるほど、
過去の作品を彷彿とさせるような要素もありつつ、
ウルトラマンという作品を彼なりの新解釈でリアルに描いている。

映像的にも面白い部分がある反面でかなり好みは分かれる。
実写映画というよりはアニメ的なカメラアングルや演出が多く、
斬新である反面で二重顎など気になる部分も生まれてしまっている。
ただCGで描いた怪獣やウルトラマンは好みは分かれるところだが、
CGで描いたからこそのアクションシーンや不気味さも生まれている。

気になるのはストーリー構成だ。
本来は三部作構成だったというのも伝わるほど、
ダイジェスト的になっている部分もあり、
作品全体として映画というよりはドラマの総集編感がでてしまっている。

見る側のSF的な知識やウルトラマンの知識を求める部分も多く、
いい意味でも悪い意味でもオタク向けの作品だ。

個人的な感想:面白かった…けど

見ている最中は面白かったと思えるのだが、
見終わったあとにやはり色々と気になる部分が多かった作品だ。
特にダイジェスト的なストーリー構成は本当にもったいない。

この作品が映画ではなく、Netflixオリジナルドラマなどで
全10話くらいで描かれていれば、
もっと細かい部分も描かれ、人間ドラマにももっと深みが生まれ、
もっと面白い作品だったのにと感じてしまう部分があまりにも多い。

面白いドラマの総集編映画を見たという感想が
1番しっくりとくる感じだった。

「シン・ウルトラマン」は面白い?つまらない?

この作品をどう思いましたか?あなたのご感想をお聞かせください

  1. ななしのバロッサ星人 より:

    気になる部分は多々ありましたが、私にとってはウルトラマンを好きでよかったと思えた素晴らしい作品でした。管理人さんと同じく自分も己の少年心が「がんばれ、ウルトラマン」と叫んでいました。

  2. 匿名 より:

    何処でもよく言われているようにメフィラスが良かった

    ただゾフィーとゾーフィどっちやねん、と
    多分ゼットンけしかけているときが敵役という事でゾーフィで
    ウルトラマンと会話していているときが同胞ということでゾフィーなんだろうと勝手に脳内補完しいます

  3. 匿名 より:

    ありがとうウルトラマン!
    一本のウルトラマンのテレビシリーズを見たような作品でした!