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「劇場版 メイドインアビス -深き魂の黎明-」レビュー

4.0
映画
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評価 ★★★★☆(66点) 全105分

劇場版「メイドインアビス 深き魂の黎明」本予告

あらすじ ナナチを仲間に加え、ボンドルドの待つ深界五層へと三人は冒険を進める。そこで、プルシュカと名乗る女の子に出会い…引用- Wikipedia

ようこそ!狂愛の園へ!

本作品は「メイドインアビス」の劇場アニメ作品。
監督小島正幸は、制作はキネマシトラス。
TVアニメからの続きとなっており、内容の都合上「R-15」に指定された。

んなぁ

メイドインアビスの初劇場アニメ、そんな作品の一言目は
「ナナチ」のうめき声から始まる(笑)
TVアニメ1期でリコ、レグの仲間になったナナチ、
そんなナナチとともにさらに深い層を潜る3人。

アビスの複雑で人を拒むような作りをじっくり、たっぷりと
冒頭から見せており、「アビス」の世界観を魅せている。
特に「カメラワーク」に関してはズームや動かし方などが
よりスクリーンを意識した立体的なものになっている。

アビスの美しさと不気味さが同居した人を魅了した世界、
白く美しい花が咲き誇る花園でさえ、
人に寄生する生物が存在する場所だ。

最悪な見た目のものが美味しく、
葉っぱのような見た目のものが人に救う。
美しさと残酷さが同居するアビスの中、
リコ、レグ、ナナチの3人が新たに足を踏み入れる第5層。

何が待ち受けているのか、どんな事が起こるのか。
「探検」という名の好奇心に囚われた幼きものたちに
せめて小さな祝福あれと願いたくなる。

「ちきしょう、本当に楽しいな」

ナナチが夢見てた冒険、あんなに残酷な、度し難い目にあっても
ナナチも歩みは止めない。

出会い

アビスの中でリグにもレコにも出会いがった。
オーゼンやナナチ、そしてナナチ、アビスの中でレコたちに「敵」とよべる人物は居なかった。
子どもである彼女達にどこか優しく、彼女達の助けになってきた。
同じ探窟家として、アビスの深淵を求めるものとして
子どもである彼女達の背中を押してくれる存在だった。

第5層でも出会いがある。1人は「プルシュカ」だ。
リコたちと同じくらいの年頃である彼女は
無邪気にリコたちを迎え、同じ年頃の彼女達との仲を深めようとしている。
アビスで生まれ育った彼女は外を知らない、
知識でしか地上を知らず、それゆえに強い好奇心がある、

アビスに深く潜れば潜るほど登るときに負荷がかかる。
第5層ともなれば地上に帰れるものののほうが少ない。
それはプルシュカが地上を見ることなど不可能に近いことを表している、
何も知らないプルシュカだからこそ父と呼ぶ
「ボンドルド」が何をしているか知らない。

同じ年代の子どもと出会い、好奇心を震わせたからかこそ
彼女達と冒険に行きたいと心の底から願う。

ボンドルド

ボンドルドは好奇心の塊だ。
自らの好奇心、アビスの深淵に行くためならばどんな犠牲も厭わない。
自らの命も、他者の命でさえも同じだ。
自らの「肉体」と呼べるものはすでにない、好奇心の根源ともいえる
「魂」だけがそこには存在している。

アビスにおいて肉体は邪魔だ。
アビスに囚われ、アビスに魅了されたものは人としての「価値観」が狂う。
アビスにおける価値観を体現したものがボンドルドといってもいい。
地上の、普通の価値観ならば彼は「悪」だ。
しかし、彼自身は悪とは感じていない。むしろ善行とすら考えている。

リコやレグもアビスに囚われている。
いきているかどうかもわからぬ母のために、取り戻せるかもわからぬ記憶のために、
幼い身でありながらアビスの底へ行こうとしている。
ボンドルドと同じく、リコ達もまた狂っている。

目的にためならば手段をいとわない。
アビスの中にいる時間が増えれば増えるほど人としての価値観が狂い、
「未知への憧れ」が全てになっていく。
ボンドルドの未知への憧れ、それはリコとレグとナナチが深淵を求めるように
誰かに止めることは出来ない。

そのためならば自らを父と呼び、愛を与えてくれた存在でさえ
何の躊躇もなく「犠牲」にする。その犠牲が自らの歩みになり、希望になる。
自分への犠牲は、犠牲になったものにとっての「幸せ」であるとすら思っている部分がある。
彼なりの狂った「愛」がそこにはある。
犠牲にした子どもたちの名前、そして夢も彼は忘れていない。

故に、どんなことでもする。
幼い見た目のレグの体を切り刻み、幼いリコに攻撃し、
自らの身体でさえ生贄に捧げている。
その先に有る「なにか」をボンドルドも求めている。

そのためならば「幼い子」を切り刻み道具に仕立て上げる。
あまりにも残酷な彼の手段。
だが、彼だけではない、多くの探窟家たちも下層に潜るために
多かれ少なかれ「人」を犠牲にしている。

リコの母でさえ、リコの手助けをしてくれたオーウェンでさえ
人を犠牲にしている。犠牲の上に発展はなりえない、
アビスの中にある遺物によって支えられている世界では必要な犠牲だ。

この世界の、アビスに至ろうとするものは狂っている。

価値観

少し狂った価値観と狂った価値観のぶつかりあい。
それがこの作品のテーマといってもいい。
そこに「正義」と呼べるものはない、「悪」と呼べるものはない。
ただただ深淵へと至るまで、ただただより深く潜るために。

狂った探窟家たちの価値観のぶつかり合いだ。
どちらがより好奇心が強く、どちらがより強く何かを求めているのか。
ボンドルドはただただ深淵を、リコにはそこに「母」に会うという目的も有る。

キャラクターたちの狂った価値観に見ている側も魅入られる。
この度し難く残酷な現実というアビスで
希望と夢を求め好奇心と止められない探窟家たちの物語。
好奇心の奴隷となった彼女達はどんな現実を味わっても
絶望することなく歩みだけは止めない。

「私はロマンはわかるのよ、あなたはこれっぽちも許せないけど」

リコは一歩間違えばボンドルドになり得ることを示唆するような台詞。
価値観が「まだ」少しだけ常識的なだけだ。
少し前に知り合った「プルシュカ」、そんなプルシュカが
犠牲になった姿を見て、まだ彼女達は涙を流せる。

だが、ボンドルドは涙を流せる感情がないだけだ。
彼は彼なりの「愛」を持ってプルシュカに接していた。
愛があったからこそプルシュカも彼を父と慕い、信じていた。
彼女は最後までボンドルドをしたい、父を愛している。
無垢なる、純粋なる彼女の「願い」に思わず涙腺を刺激されてしまう。

ボンドルドを憎んでいた「ナナチ」でさえ、
どこかボンドルドを憎みきれていない。
彼の狂い歪んだ愛を分かっているからこそだ。

ボンドルドの、プルシュカの願いは「形」になり、
彼女達はさらなる深淵へと足を踏み入れる。
何があっても彼女達は止まらない、歩みを止めることは死ぬことと同じだ。
さらなる深淵へ、さらなる深みへ、好奇心と憧れは止められない。

「奈落の闇がどんなに暗くても大丈夫、あんた、とっても明るいから」

総評:これがメイドインアビスだ

全体的に見てTVアニメ1期以上に人を選ぶ作品になっている。
R15指定されるのも納得するほどの過激な描写の数々は目を背けたくなり、
そんな描写だけでなく「ボンドルド」という存在の行動すべてがエグい。
自らのあこがれと好奇心が全てであり、そのためならばどんな犠牲もいとわず、
彼はただただ深淵を求めている。

そこには彼なりの価値観があり、理由があり、
そして厄介なことに「愛」もある。
圧倒的存在感を醸し出すボンドルドというキャラクターを、
ナナチと同じように見ている側もどこか憎みきれない。

1期の段階で出会った大人たちの価値観はそれほど歪んでいなかった。
だが、アビスに好奇心と希望と夢だけで挑む子どもたちに
現実を叩きつけるように「ボンドルド」という存在が立ちはだかる。
それでも彼女達はボンドルドを打ち破り、さらなる深淵へと
何の迷いもなく足を運び入れる。

容赦なく描かれる描写の数々は目を背けたくなる部分がある、
だが、制作側がその描写から逃げず、
リコたちの「現実」を叩きつける数数の描写は見事であり、
戦闘シーンのクォリティも流石だ。

誰も彼もが「好奇心」という名の狂気に囚われている。
そんなメイドインアビスの世界を劇場版でよりぐっと深く
覗き込んだような気分になるような作品だった。

個人的な感想:えぐい

思わずラストらへんは「えぐい」と言葉が漏れてしまうほど
色々とエグい作品だった。

プルシュカというキャラをきちんと見せ、リコたちと仲良くさせた上での
あの仕打ち、それだけならむごい展開というだけだが、
あの姿になってもなお「父を愛し」「リコたちと冒険がしたい」という
願いを描写することでまさにこの作品らしいエグさが生まれており、
そのせいでボンドルドという狂気の沙汰なキャラクターを憎みきれない。

TVアニメの2期も2022年から開始するようで、
2期でどんな「エグみ」を見せてくれるのか、
今から見るのが楽しみな作品だ。

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  1. 祈手 より:

    金ローで3週連続アビスの映画をやって欲しいと祈っています。
    鬱漫画と言われてますが、過酷な環境で強かに生きていく素晴らしさを見てほしいですね。

  2. 匿名 より:

    パパ棒って····どういうこと?