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「劇場版 アーヤと魔女」レビュー

1.0
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評価 ★☆☆☆☆(17点) 全82分

あらすじ 幼少期から孤児として育ってきた10歳の少女アーヤは、誰もが自分の思い通りにしてくれる孤児院での生活に快感を覚えていた引用- Wikipedia

監督不行届

原作は小説作品。
制作はジブリ、監督は宮崎吾朗。
制作発表当時はジブリ初のフル3DCG作品として話題になったものの、
肝心の本放送のときはいまいち話題にならなかった。

現在は劇場版として公開中

ジブリCG


画像引用元:アーヤと魔女本編より
(C)2020 NHK, NEP, Studio Ghibli

物語の冒頭、赤ん坊の主人公である「アーヤ」が母親の手で
孤児院に預けられるところから始まる。
ジブリらしい「車」からの逃走シーンが描かれるものの
なんの疾走感もなく、迫力もない。

キャラクターデザイン自体がジブリというよりは
どこかディズニーやピクサーを意識したようなデザインだ。
日本らしいアニメ的なセルルックCGではなく、どちらかといえば
STAND BY MEドラえもんなどを手掛ける白組のような
「フィギュア」が動いているような質感だ。

一言で言えばジブリが長年作り上げてきた「ジブリらしさ」というのを
この作品からまるで感じない。
ジブリと言われなければジブリと感じない雰囲気は違和感があり、
どこか「ディズニー」や「ピクサー」の真似事をしているだけのような
そんな雰囲気すら感じる。

劇伴、BGMはバンドミュージックであり、
今までのジブリでは無かった雰囲気の曲ばかりだ。
「宮崎吾朗」という監督がいい意味でも悪い意味でも
ジブリからの脱却、父親の呪縛からの脱却を目指しているような
そんな片鱗を感じてしまう。

そんな片鱗を最も感じるのは「アーヤ」という主人公だ

大人をアヤツル少女


画像引用元:アーヤと魔女本編より
(C)2020 NHK, NEP, Studio Ghibli

彼女は幼いながらに自分の立場と魅力を分かっている、賢い子だ。
大人たちの前では良い子を演じ、同世代の子の前では素でいる。
そういった使い分けをすることで「孤児院」という場所で良い思いをし、
快適な暮らしを送っている。

言い換えればずる賢さのある主人公だ。孤児院にいながら
彼女は誰かの家に養子として引き取られることを望んでいない。
誰かが養子を探しにくれば、彼女はわざと変な顔をして
嫌われようとするくらいだ。

彼女は「ジブリ」という作品に出てくる女の子の
主人公の中では例のないタイプだ。決して清廉潔白な良い子ではない、
強さと美しさを感じさせる少女でもない。
わかりやすい二面性を秘めた少女はジブリという中では初といってもいい。

無垢なる少女の魅力を描いてきた「宮崎駿」に対し、
「宮崎吾朗」は決して無垢ではない少女を描こうとしている。
彼女は自分の出生すら知らず、魔女に引き取られてしまい、
彼女は魔女の助手として日々を送ることになってしまう。

致命的な起伏の無さ


画像引用元:アーヤと魔女本編より
(C)2020 NHK, NEP, Studio Ghibli

しかし、そういった「宮崎駿」が築いてきたジブリらしさからの
脱却を感じると同時に、相変わらず「宮崎吾朗」監督の
欠点とも言える部分が如実に現れている。

それが起伏の無さだ。
ゲド戦記もコクリコ坂からもそうだが、宮崎吾朗という監督は
物語の中での起伏を描くことが出来ない監督だ。
面白くなりそうで面白くならない、盛り上がらそうで盛り上がらない。
淡々とひたすらに物語が進み、いつのまにか終わっている。

今作でもそこは変わっていない。
魔女に引き取られたアーヤが魔女の家で暮らすものの、
なにか大きな事件が起きるわけでもない。
魔法を使いたいと思う彼女だが、なかなか魔女は魔法を教えてくれず、
かと言って家から出れるわけでもない。

同じ場所で同じようなシーンを繰り返すだけで、
「記憶残る」ようなシーンがない。
いつ物語が転換するのだろうかと思いつつも、中々転換せず
淡々と、ひたすらに平坦な道のりを突き進んでいるだけだ。

同じようなシーンを繰り返す前にもっと描くべき部分があるはずだ。
特に主人公の母親関連の物語や情報がほぼ描かれておらず、
彼女がなぜ魔女に追われていたのかという根本的な部分すら
明かされないため消化不良になってしまっている。

あっさり終わる


画像引用元:アーヤと魔女本編より
(C)2020 NHK, NEP, Studio Ghibli

ストーリーの中で「アーヤ」という少女の成長も変化も見えない。
彼女は序盤と終盤で全く変わらず二面性を持った少女のままだ。
大人たちが彼女に良いように操られただけだ。

なぜか終盤でアーヤを引き取った魔女と大男は過去にアーヤの
母親とバンドを組んでいたということが明らかになるのだが、
特に意味はない。

バンドシーンは特にアニメーションとしての面白みもなく、
知り合いでしたというだけだ。
そもそも魔女と大男はアーヤを同じバンドメンバーだった女性の
娘と知って引き取ったのかも定かではなく、
ふわふわしてしまっている。

ラストで彼女の母親が唐突に帰ってくるのだが、
なぜ帰ってきたのかすらもよくわからないまま、投げっぱなしで終わる。
恐ろしいほどの消化不良で、思わず「は?」と
言いたくなってしまう作品だ。

続編を想定しているのかもしれないが、続編を見たいと思わず、
いろいろな部分の見せ方が未熟すぎると感じてしまう作品だった。

総評:3DCGにしたところで…


画像引用元:アーヤと魔女本編より
(C)2020 NHK, NEP, Studio Ghibli

全体的に見てジブリがフルCGで作品を作るという試み自体は面白く、
作品自体が「ジブリらしさ」からの脱却を試みており、
その挑戦心を感じる部分は面白いものの、それだけだ。

フルCGのアニメーションとしての面白さは薄く、
ディズニー、ピクサーの真似事のようなキャラクターデザインと
動きの面白みの無さは致命的だ。
ストーリー的にも80分ほどの尺の中で物語の起伏がほぼなく、
淡々と物語が進み、何もワクワクせず、記憶残るようなシーンがない。

明かされていない謎が多く、伏線と言えば聞こえは良いが
そんな伏線も全て投げっぱなしになってしまっており、
続編を想定したストーリー構成で消化不良が残る。
続きが見たい!と思わせるラストではなく、
物語の続きがどうでもいいと感じてしまう作品だ。

結局、アーヤという主人公に大人たちが操られて終わってしまい、
彼女のそんなしたたかさや小ずるさのようなものが
叱られたり、彼女自身が反省することもない。
80分という尺の中での変化が薄く、何かが起こりそうで起こらない、
盛り上がりそうで盛り上がらないまま終わる話でしか無い。

宮崎吾朗監督がジブリらしさや「宮崎駿」監督らしさから
脱却しようとしてるのはわかるが、
結局はジブリ自体から出なければそれ変わらないのだろう。

個人的な感想:思想性


画像引用元:アーヤと魔女本編より
(C)2020 NHK, NEP, Studio Ghibli

この物語で何を描きたかったのか。
創り手として、監督として、それが宮崎吾朗監督の中にはない。
思想性にかける作品だ。

ジブリの初フルCG作品ということで期待していた部分もあったが、
放送時に盛り上がらなかったのも分かってしまうほど、
盛り上がりに欠ける作品だった。
ラストの展開的に続編を狙っているのかもしれないが、
続編をやるまでにこの作品の内容をすっかりと忘れていそうだ。

原作がハウルの動く城と同じ作者であり、
更には遺作であり、原作でも明かされてない部分が多いらしく、
そういった明かされていない部分や未完成の部分を膨らませようと
オリジナルのバンド要素を入れているのかもしれないが、
結局は膨らましきれていない。

劇場版では新規カットがあるというニュースを見かけたのだが、
わたしは新規カットがどこか気づけなかった。
ほぼ間違い探しレベルの新規カットが一体何処だったのか…
分かる人が居たら教えていただきたい。

「」は面白い?つまらない?

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