「ミラベルと魔法だらけの家」レビュー

2.0
ファンタジー
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評価 ★★☆☆☆(37点) 全109分

あらすじ 舞台は南米コロンビアの奥地にある、エンカントと呼ばれる集落。そこには魔法の力を備えたカシータと呼ばれる家が建っており、その住人であるマドリガル家も魔法使いの一族で、それぞれ個室を持って暮らしている。しかし、一家の中でひとりだけ魔法を使えない少女がいた。引用- Wikipedia

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歌いすぎ

本作品はディズニーによるオリジナルアニメ映画作品。
監督は ジャレド・ブッシュ、バイロン・ハワード、
制作は ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ

カシータ

映画冒頭、説明から入る。
主人公の祖父と祖母が3人の娘と故郷からなぜか逃げていた所、
祖父は捕まり死に絶体絶命の中で、
なぜか祖母は奇跡を授かり、持っていたロウソクに魔法の力が宿り、
魔法の家「カシータ」というものが作られた。

その結果、一族は代々5歳になると「魔法」の力という名のギフトを授かる。
しかし、主人公である三女のミラベルだけはなぜか力を授からなかった
というところから物語が始まる。

この時点で色々と謎だ。
なぜ祖母は奇跡を授かってロウソクに魔法の力が宿ったのか。
なぜミラベルだけに魔法が宿らないのか。

この物語の中で謎は殆ど明らかにならない。

長い…

ディズニー映画といえばミュージカル映画の側面もあり、
キャラクターたちが自らの心情を歌い、踊るのはお約束だ。
そんなお約束がこの作品にもある。
映画の冒頭からミラベルが家族の紹介とそれぞれのギフトの紹介を行うのだが、
当然のごとく歌う。

それが長い。
5分近くミラベルが街を駆け回りながら家族を紹介する歌を歌っており、
同じ歌詞を繰り返すような部分も多く、そのせいで余計に歌が長く感じてしまう。

一言で言えばくどい。
作品全体として歌うシーンがやや異常に感じるほど多く、長い上にくどい。
映画というよりはどちらかといえば「MV」でもみているかのような
気分になるほど1曲1曲の長さとくどさが目立ってしまっている。

更に「日本語訳」の難しさもある。
同じ曲を使い英語と日本語で歌い分けているディズニー映画だが、
同じ曲だからこそ日本語にしたときの歌詞の早口加減や、
日本語にしたことによる調整が気になってしまい、
そのせいもあり歌詞が頭に入ってきづらい曲も多い。

物語の舞台が南米ということもあり、曲はすべてラテン調だ。
その曲調のせいもあるのかもしれないが、
キャッチーなフレーズがなく、全部似たような曲に聞こえてしまう。

1曲終わるとストーリーが進み、また曲が流れる。
その間隔が短く、すぐ歌い、踊る。
中盤くらいから歌うたびに「また歌うのか…」と
ちょっと疲れてきてしまう。

特別ではない

物語的にはわかりやすい。
主人公であるミラベルだけが家族の中で魔法を使えない。
才能があり、特別で、街の人達から頼りにされている中で、
彼女だけがなんの才能もなく、特別でもない、普通の人だ。

これが同じ街で暮らす人たちの中ならば気にならないが、
彼女は魔法を使える一族の一人だ。
特別な家族の中だからこそ、何も持たない、
「持たざるものではない」自分に疎外感を感じている。

その原因は「家族」たちの態度もある。
特に祖母は自らが魔法で街を盛り上げ家族を守ってきたからこそ、
「魔法こそ絶対」という考えを持っている。
それでも彼女の母は彼女を肯定してくれる。
魔法がなくとも、ミラベルは広い心を頭脳を持っていると。

だが、ミラベル自身はそれを納得しない。
特別なものに囲まれているからこそ、特別ではない自分に
「劣等感」を感じてしまう。
自分の存在意義はなんなのか、ディズニー映画にありがちな
「アイデンティティ」がテーマの1つでもある。

そんな中で魔法の力がなぜか弱まり、
魔法の家「カシータ」がひび割れ、
永遠に灯るはずのロウソクが消える予言どおりになりそうになる。
なぜ魔法の力が消えかけているのか。

何も能力の持たないミラベルが「奇跡」を取り戻そうとする話だ。

キャラの多さ

ストーリー自体はわかりやすいものの、
それに対するキャラの多さがかなり気になるところだ。
魔法を使えるキャラクターだけでも、9人もいる。
一人ひとりの活躍を描くにしても尺が足りず、
それぞれのキャラが歌うシーンも有るため余計に尺が足りない。

そんなキャラが多いせいも合って一部のキャラ以外の印象が薄い。
キャラクターは多いのにそのキャラクターを使いこなせていない感じが強い。
別にいらないのでは?というキャラが多く、
曲の多さとキャラの多さに尺が使われすぎており、
そのわりには間延びしているシーンも多い。

「魔法の家」が壊れそうになっている、魔法の力が失われそうという
危機感はありつつも、そんな危機感を匂わせつつ、
なかなか魔法の家も壊れず魔法の力も失われないため、
中盤くらいになっても話が盛り上がらない。

簡単に言えば起伏がない。
序盤から中盤まで物凄く淡々と物語が進み、
何かが起こりそうで起こらない。
ミラベルが魔法の家の中で冒険をしたりするものの、
その冒険も盛り上がるわけでもない。

基本的に「家の中」で物語が始まり、
家の中で何かが起こり、家の中で物語が終わるため、
どうしても物語がこじんまりとしてしまう。

作品としてはぜんぜん違うのだが、
どことなくジブリの「借りぐらしのアリエッティ」を思い起こす部分がある。

ブルーノ

ミラベルにとっての「叔父」にあたるブルーノは
「未来を見る魔法」が使える。
しかし、そんな魔法を使えるがゆえに悪い未来も見えてしまう。
そのせいで家族や街の人達からの評判も悪く、
「居場所」がない叔父さんだ。

ある意味、ミラベルに近い存在だ。
自らの能力を否定し、逃げ、引きこもっている。
家族からも「ブルーノ」の存在はタブー扱いされ、
街の人の、家族の役に立たなければならないという使命に追われている
一族にとっての「異分子」だ。

もしかしたら、彼の存在が魔法の力が失われ始めた原因なのかもしれない。
魔法の力は「家族の絆」そのものだ。
魔法が使えないミラベルの存在が家族の絆にほころびを生んでいる。
ミラベルのヴィジョンを見たブルーノは家出をし、
祖母はミラベルに強く当たり、
家族の中にはミラベルをよく思わない人もいる。

家族を守るため、家族の居場所を作るためにミラベルの祖母は
「ギフト」を授かった。
それが神からのものなのかなんなのかは分からないが、
ギフトは家族を守り、居場所を作り、家族の絆を作るものだ。
だからこそ、そんな家族の絆が綻ぶことで魔法の力も破綻していく。

明確には描写されていないが、
中盤からストーリーが進むことで描きたいことも明確になっていく

イザベラ

イザベラは長女だ、ミラベルにとっての姉であり、
長女だからこそ、より、家族を思い、完璧であろうとしている。
だからこそ逆に完璧ではないミラベルには辛くあたり、
彼女を毛嫌いしているような雰囲気すらある。

しかし、魔法の力を取り戻すためには
ミラベルとイザベラが仲が良くないといけない。
仲が悪ければ結果的に「家」は崩壊する。
このあたりは家族だから仲良くないといけないみたいな
やや説教じみたものは感じるもののロジックは理解できる。

そんなイザベラもまた「我慢」をしている。
完璧でないといけない、完璧こそが自分だ。
特別な家に生まれ、特別な力を持つ、長女の自分は
「完璧」でないといけない。
美しい花を咲かせる彼女は花のように美しく、完璧あろうとした。

だが、そんな彼女の思いをミラベルに思わず吐露してしまう。
本当は結婚したくはないということを、
「完璧じゃなくあるがままでいいならばどんなに自由なのだろうか」と。

ミラベルとの口喧嘩の中で自分自身の本心に気づき、
新しい可能性を見出した彼女は自由だ。
私は私でいい、あなたはあなたでいい、
「アナと雪の女王」とやったテーマを「イザベラ」というキャラで描いている。

祖母

だが、そんな家族との仲を取り戻そうとするなかで
じゃまをするのは祖母だ。
叔父さんが家を出たのも、魔法の力が消えていっているのも、
家がメチャクチャなのも全部「ミラベル」のせいなのだと。

どんなに彼女が家族のために必死になろうとも、
魔法の力がない彼女を祖母は否定する。
そんな祖母をミラベルもまた否定する。

「奇跡が消えかけているのはおばあちゃんのせいだ」

と。
家族を拒絶し、否定したことで魔法の力も家も消えてしまう。
家族の絆が決定的に失われた瞬間であると同時に、
この作品の最大の盛り上がりどころでもある。

ここからどう、家族の絆を取り戻すのか、
どう祖母と和解するのか。
家の中だけで、まるで引きこもりのように描かれていたストーリーが、
家が壊れたことでどうなるのか。

アルマ

祖母は必死の思いで家を守ってきた。
だが、時代故に迫害され、逃げるしかなく、その旅の中で夫も失った。
本来は魔法の力なんて持つ必要はなかった、
ただただ夫と子どもたちと幸せに暮らしたかっただけだ。
犠牲の果に手に入れた魔法の力、それにすがることしか彼女はできなかった。

強くならねばならない、魔法で守らなければならない、
家を、絆を、家族を保つために。
それが自らの「使命」であり、失わないためにも
彼女はより「奇跡」そのものにすがってしまった。
その結果がミラベルへの態度だ。

家を失ってはじめて祖母は自覚する。
そんな祖母の思いをミラベルも知ることで、祖母と和解する。
特別でなくてもいい、もう、役割にとらわれる必要はない。
そんな対話の果てに家族の絆も取り戻す。

ん?

ただ疑問に思うのはラストの展開だ。
ラストまでで、魔法そのものにとらわれる必要はなく、
家族の絆を取り戻す展開になるのは納得できる。
壊れた家もみんなが力を合わせ、魔法の力なんて
特別なものを使わずとも直す。

その結果、魔法の力まで戻ってきてしまう。ちょっと謎だ。
確かに魔法の力は家族の絆そのものであり、
それを取り戻したことで魔法の力を取り戻すのは納得できるが、
せっかく魔法の力がなくとも居場所と家族の絆を手に入れたのに、
最後の最後で謎の奇跡が起こり魔法の力を取り戻す展開に
「ん?」となってしまう。

結局、ミラベルには特別な力は宿っていない。
考察するならばいくらもできる余韻はあるものの、
特別な力なんてなくてもいい、それぞれ役割にとらわれることなく
ありのままに生きようみたいなテーマだったはずなのに、
最後の最後で特別な力をミラベル以外の家族が取り戻す展開には
いまいち腑に落ちない。

街の人達は彼女たちの力に頼っており、
イザベラは美しい花を求められ続ける、
ルイーサは怪力を求められ続ける、
ミラベルも特別な家族の中で特別な力がないままだ。
それでいいのか…?と疑問に感じてしまうもやもやが残ってしまう作品だった。

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総評:引きこもり系ディズニー映画

全体的にみて描きたいことはわかるものの引っかかりの多い作品だった。
作品全体がキャラの多さ、歌の多さで間延びしており、
そのせいで掘り下げ不足のキャラや居ても居なくてもいいキャラも多い。
ストーリー的にはディズニー映画にありがちなテーマであり、
新鮮味のあるものでもなく、オチにもイマイチ納得いかない。

曲自体はいい曲はあるものの、ちょっと使われすぎているせいで
1つ1つの曲の印象が薄くなってしまっており、もったいない感じだ。
「家」をテーマにした作品なだけにほぼ引きこもりのごとく、
家かその周辺でしか物語が進まず、そのせいか物語が平坦になっており、
盛り上がりそうで盛り上がらない。

映像面では華やかかつ豊かなミュージカル映画をみているような感じであり、
それ自体は良いもの、作品全体としてどうもしっくりとこない感じが生まれており、
手放しで名作と褒め称えるわけでもなく、駄作と切り捨てるわけでもない。
それなりに面白さはあるけど…というような中途半端な印象を
持ってしまう作品だった。

個人的な感想:ぱっとしない

最近のディズニー関連映画は配信オンリーなものも多いが、
この作品はきちんと劇場公開されたものの、
2,3週間後にはすぐにDisyny+で配信され驚いた記憶がある。

そういう影響もあるかもしれないが、
どうにもパッとしない作品が増えてしまった印象だ。
ピクサー作品の多くもディズニー+限定の作品が増えてしまい、
そのせいで知名度のない作品も多い。

2022年は「バズ・ライトイヤー」の公開も控えているが、
果たしてどうなるか…

「ミラベルと魔法だらけの家」は面白い?つまらない?

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