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「思い出のマーニー」レビュー

2.0
映画
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評価 ★★☆☆☆(25点) 全103分

あらすじ 幼いころに孤児となったアンナは、養女として育てられている。内気で友達ができないアンナは、自分が目に見えない「魔法の輪」の外側にいるのだと感じており、母や祖母が自分を残して死んだことも憎んでいる引用- Wikipedia

陰鬱

本作品は借りぐらしのアリエッティの「米林宏昌」監督による映画作品。
ジブリのプロデューサーいわく
「スタジオジブリの次代を担うことになる最初の作品になる」らしい。

監督は「もう一度、子どものためのスタジオジブリ作品を作りたい。
この映画を観に来てくれる「杏奈」や「マーニー」の横に座り、
そっと寄りそうような映画を、僕は作りたいと思っています」
と述べている。

映画を見終わった直後の感想としては「どこが?」の一言だが(苦笑)

圧倒的な作画

映画冒頭から圧倒的なジブリの作画能力の素晴らしさを見せつけられる。
冒頭で公園で遊ぶ子どもたちが描写されるのだが、
ジブリの潤沢な予算とスケジュールを感じさせる子供達の動きと
人数の多さには圧巻される。

恐らく他のアニメ制作会社ならば止め絵でごまかすであろうシーンを
余すこと無く描いているのは流石ジブリという印象を受ける。
だが、それが別に面白いわけではない。

ジブリというよりも「宮﨑駿」監督を彷彿とさせる「車」で
田舎のガタガタ道を走るシーンなど宮﨑駿監督を彷彿とさせるだけで
動きや演出が尽くつまらない。
ガタガタ道を走って車の中のダンボールからかぼちゃが飛び出す。
言葉にすると面白そうであり、宮﨑駿監督なら面白く仕上げるのだろうが、
この監督は酷くつまらないシーンに仕上げてしまっている

一言で言えば物凄く動いてはいるのだが、
動いているだけで、そこにアニメーションとしての面白みがない。
圧倒的な作画能力をアニメーションとしての面白さに
昇華しきれていないのを序盤から感じてしまう。

暗い

米林監督は「借りぐらしのアリエッティ」のときも感じたが、
作風が異様なまでに暗い。
本作品では「暗い」というよりは「陰鬱」とまで感じるほどだ。
特に主人公の陰鬱は尋常じゃない。

彼女は喘息という持病と家庭環境から酷くひねくれている。
冒頭から謎のポエミーなセリフをモノローグではきちらかし、
自分が社会の輪からはみだしてしまっている存在に感じている。

「この世には目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、
私は外側の人間。でもそんなのはどうでもいいの。私は、私が嫌い」

と嘆く、ちなみに彼女は中学生だ。
ライトノベルの中二的な主人公がこのセリフをこぼすならまだ納得できるが
この第一声で彼女に感情移入するのは不可能に近く、
その感情移入するのが難しいヒロインの心理描写を
「永遠」と見せられるのがこの作品だ。

彼女は両親をなくしており、養母のもとで暮らしているものの
喘息の治療がてら、主人公は療養のために
おじさんとおばさんの住む田舎に預けられる。

養母は彼女のことを本気で心配している。
しかし彼女はひねくりまくっており、
「メーメーうるさいヤギみたい」と養母の心配の声すらも
斜に構えて受け止めている始末だ。

異様なまでに斜に構え、異様なまでに暗い。
そんな主人公に好感ももてず、感情移入も出来ず
ひたすら暗い彼女の物語を見るハメになる。

退屈

舞台が田舎に移り変わると退屈なシーンが永遠と続く。
丁寧といえば聞こえがいいが冗長でグダグダなシーンを
「田舎」という背景の描写を繊細にすることでごまかしている。

確かに田舎の背景の描写は凄い。
他のアニメ制作会社ならば真似できないような
描き込み具合は流石ジブリと言いたいところなのだが、
ただ綺麗なだけなのだ。表面的な美しさはあるものの、
そこからシーンの「圧」をまったくもって感じない

もっと幻想的な演出を効かせてもいい、もっと大胆な演出にしてもいいと
感じるシーンの数々がどれも「地味」な演出で終わってしまい、
綺麗な絵だけを淡々と見せられているような気分になってしまう。

始まってから30分~40分は感情移入できない主人公の退屈な心理描写と
田舎を風景をただ見せられているだけだ。
退屈なだけならまだ我慢できるが
話が進めば進むほどヒロインの性格の悪さが際立つ。

少し太った田舎の女の子に対して
「いい加減ほうっておいてよ!太っちょブタ!」
と言い放つ始末だ。

そんなウジウジな主人公の性格の悪さと日常をみせられつつ、
見ている側がいい加減、話を進めろと感じてしばらくして、
ようやく「マーニー」がヒロインの目の前に唐突に現れる。

マーニー

そんな、いきなり現れたマーニーに対して
露骨に顔を赤らめたりする描写には違和感しか感じない
オタクならば頭のなかで「キマシタワー」と叫ぶかもしれないが、
なぜそういう反応になるのか?というのが描かれておらず、
主人公のマーニーに対する反応がいまいち理解できない。
無類の美少女好きでレズビアンという裏設定でもなければ納得できないほどだ。

更に視聴者を置いてけぼりで勝手に盛り上がる登場人物たち。
登場人物たちはいかにもなセリフを言って、それをBGMが後押しするのだが
そもそも、そのセリフが突拍子もないセリフばかりで意味が理解できない
登場人物たちは勝手に盛り上がっているのだが、
なぜ盛り上がっているのかが見ている側にいまいち伝わっていない

マーニーが唐突に現れて主人公と急激に仲良くなったかと思えば
互いに自己紹介し、マーニーが唐突に消えたり主人公が消えたり、
そうかと思えば謎のパーティーに参加したりと展開が唐突すぎる。
唐突な展開がたまに訪れるならまだついていけるのだが、
この作品はすべての展開が唐突だ

唐突

それまでの流れや空気感を無視して展開をどんどんと切り替えていくため
その展開についていけないうえに主人公の性格も急激に変わる。
ヒロインは序盤から中盤までは暗すぎるひねくれた女の子だ。
だが、マーニーに会った途端、急にいい子になる。

なぜいい子になったのか、なぜあそこまで変化したのか
マーニーと会話しただけで主人公の性格がどんどんと変わっていくのだが、
その変化に見ている此方側は納得出来ない。
その会話自体も大したことがなさすぎる。

互いの自己紹介をしてパーティーに強制参加させられたぐらいだ
明るくなるキッカケがどこにもない。
マーニーに出会っただけで明るくなるならば、
マーニーはセラピストとして相当に優秀だ。
ヒロインが二重人格でしたと言われたほうがまだ納得できるような急な変化だ

寝すぎ

そして道端で寝過ぎな主人公。
マーニーと出会い、急に場面が切り替わると
主人公はどこかで寝ていることが多い。

彼女は「喘息持ち」で田舎に療養にきている女の子だ。
それなのに夜に出歩いても、なかなか帰ってこなくても
親戚の夫婦は一切心配しない。
映画の中で主人公を心配する描写は全くない、ものすごい違和感だ。

年頃の女の子が遅くなって帰ってこなくとも、
喘息持ちで大雨が降っていて帰ってこなくても
親戚夫婦は探さないし心配もしない。
せめて1度位は帰ってこない主人公を探すような描写がほしいと感じるほどだ

終盤は「マーニー」の秘密に迫るストーリーになっていく。
主人公の性格はマーニーセラピーで一気に改善したため、
あとはマーニー問題だけだ。

屋敷に住んでいるはずのマーニーだが、屋敷に普通に行っても会えない
会えないどころかその屋敷には新しい住人が引っ越してきている。
そんな中で「マーニーは空想の中の女の子だったのか?」と主人公は思い始める。

それが原因なの…?

この終盤になってようやく物語が面白くなってきたという感覚だ。
ただ、その感覚は全く持続しない。ほんの一瞬だ。
唐突にマーニーセラピーで治ったはずの性格の悪さが
再発してしまうせいもあるが、
主人公の感情の変化にまったくもってついていけない

主人公は自分がひねくれている原因をマーニーに話すのだが、
それがもう「?」となるような事ばかりだ。

「自分の両親が勝手に死んだ事を許せない(両親は事故)」
「自分の義両親がお金をもらっていることが許せない(市の手当)」

と、この2つが彼女の中でひねくれた大きな要因になっているらしいが、
この2つは仕方ないことじゃないだろうか。
両親が死んでしまった事を恨むのはまだ納得できなくもないが、
お金をもらっている事に関しては一切納得出来ない。

これが両親の遺産を義両親がもらっていい暮らしをしているとかならば
まだ理解できなくもないが、
子供を育てるための「手当」にいちいちムカつかれても仕方ないだろう。
主人公には手当を貰っていることを黙っていることが本当はムカついているらしいが、
自分の子供に「あ、子ども手当もらったよ。」とか言うだろうか。

義理の両親でなく、血の繋がりのある本当の両親でさえ
子ども手当はもらっているだろうし、
それをわざわざ実の子供には言わないだろう。

「同じ団地の子供はもらっているのに、うちはもらってるのよ。
親は金を貰って私を育てている、それが耐えられない。」

と彼女は言う。
お金をもらえるから自分を引き取ったのではないか?
それが義理の両親との不仲につながっているようなのだが、
複雑な思春期の子供心のせいもあるが、
「原因がそれなのか…?」と引っかかってしまう。

百合

そして唐突な百合発言。
「今までに出会った女の子の中で1番好き」
「愛してる」などと主人公に対して百合発言をかますマーニー。

なぜ、そこまで好きになったのかも理解できないうえに
そんな壮大な百合発言が必要な感じのシーンでもない。
友情ではなく、愛情をどんどんと互いにぶつける2人に全然ついていけない。

更に極めつけはマーニーにまでブチ切れる主人公。
物凄いブチ切れて「絶対に許さない」と息巻いたかとおもえば、
マーニーに「許して」と言われたらあっさりと許す始末。
情緒不安定過ぎて、感情の変化、
心理描写の流れに見ている側が常に置いてけぼりだ。

「あなたが好きよ!永久に!」とマーニーとの別れのセリフを吐くが、
彼女はそこまでマーニーに依存する理由も納得できなければ、
マーニーが彼女を出会った女の子の中で1番好きと
告白し合う流れもよくわからない感じなんだよね

真実

結局、マーニーの正体は
通りがかりのおばさんが全て説明してくれる。
マーニーの真実に関しても大人ならば
だいたい想像がついていた事実で何の意外性もない。

更に映画のラストでも萎えさせる。
マーニーの正体に関しては終盤になって現れたおばさんが
主人公にも説明してくれたシーンのおかげで見てる側も「納得」できる。
見ている側もなるほどねーと感じるはずだ、
そしてその話を聞いたアンナも当然のごとく
「マーニーの正体」に気づいたのだと感じた。

事実、マーニーの正体をおばさんが説明した後に、
主人公は急激にいい子になりすぎて、義母との関係も急激に良くなったため、
マーニーの正体に気づいたからこそ「いい子」になったのだと見ている側も納得しかけていた。
だが、アンナは気づいていなかった(苦笑)

見ている側は「おばさん」の説明で全てを理解しているのに、
それからしばらくして主人公が古い写真を見て、
今更「え!?マーニーの正体そうだったの?!」と
衝撃を受けて気づく。

自動車事故で夫婦が二人して亡くなった事実、
母親の名前、このあたりをおばさんが説明しているのにもかかわらず、
主人公は気づかない。

この終盤の時点で私はこの作品全体の「大きな溝」を感じた
監督と見ている側でキャラクターの心理描写、
考えていることに感じる大きすぎる溝がある。

見ている側は理解していないことを監督は理解していると思い込んでおり、
見ている側が理解していることを監督は理解していないと思い込んでいる。
大きな、大きなズレが生じてしまっている。

総評:すごいぞ!マーニーセラピー

全体的に見てどこが「子どものためのスタジオジブリ作品」だろうか。
ストーリーも回りくどい展開や分かりづらい描写があまりにも多く、
大人でも頭のなかでストーリーを整理するのが
大変なのに子供に理解できるとは到底思えない。

派手なシーン、アニメーションとして面白いシーンはほとんど無く
ただ綺麗な絵を見せられているだけだ。
はっきり言って「ジブリの作画能力」の無駄遣いをこれほどまでに感じた作品はない。
前作のアリエッティはまだ小人の描写が面白かったが、
この作品での描写はただ綺麗なだけだ。
私が見たいのは「アニメーション」であって「絵」ではない。

そもそもストーリー的には1時間くらいでまとめられる内容だ。
それを強引に回りくどい表現や田舎描写、余計なシーンや冗長なシーンで
尺のかさ増しをしているせいで
余計にキャラクターの心理描写についていけなくなってしまっている
繊細で丁寧な描写といえば聞こえはいいが、
繊細で丁寧な描写が尽く裏目に出ている作品だ

「借りぐらしのアリエッティ」のときからこの監督は何も成長していない。
むしろ酷くなっていると感じるほど映画としての完成度が低い。
アリエッティもキャラクターの言動や心理描写についていけなかったが、
面白いと感じる部分は多かった。
だが、この作品は「面白い」と感じる部分が殆ど無い。

退屈なシーンの連続や、情緒不安定なヒロインの心理描写は
子供には伝わりづらい部分がある。
私が行った映画館ではお子様が中盤で「つまんないー」と嘆いていた。
アンナよりもお子様のほうに強い感情移入をしてしまったのは言うまでもない。

両親を失い、愛を見失っていた少女が
自己対話とマーニーの思い出と空想空間により、
それを思い出し、愛されているということを自覚していく流れ自体は
悪くないものの、結局、最後まで主人公に感情移入も好感も
持てない作品だった。

個人的な感想:米林宏昌

「米林宏昌」監督は一度ジブリを離れたほうがいいのではないだろうか?
と、上映当時は感じていたのだが、
ジブリを出て作り上げたのが「メアリと魔女の花」であり、
結局、ジブリの呪いから抜け出せていなかった。

「レッドタートル ある島の物語」レビュー
評価 ★★★☆☆(50点) 全80分 あらすじ 嵐で大荒れになった海に放り出され、今にも溺れそうな1人の男がいた。男は近くにあった小舟につかまり、九死に一生を得る。引用- Wikipedia

「思い出のマーニー」は面白い?つまらない?

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