評価 ☆☆☆☆☆(0点) 全93分
あらすじ 世紀末を無事に乗り越えたイエスとブッダは、日本の四季折々を感じながら、福引を楽しんだり、お笑いコンビ「パンチとロン毛」を結成したりと、ゆるい日常を過ごしていた。 引用- Wikipedia
限界を超えた不愉快作品
本作品は聖☆おにいさんの実写映画化作品。
3期にわたるドラマを経ての映画化となった。
監督は福田雄一。
ドラマ
映画冒頭、ドラマから続く雰囲気がしっかりとある。
まるで1期1話を思い返すような涅槃からのWikipedia引用、
そしてジョニー・デップネタをもう1度映画で描いている。
そこから二人の聖人が立川で慎ましく二人暮らしをしている設定を描いており、
もし、ドラマも原作も見ずにいきなり映画を見てもわかりやすい導入になっている。
ドラマを見ているともう1回同じネタをやっている感もあり、
序盤はドラマでもやったエピソードをもう1回やっているだけの手抜きが目立ち、
この時点で少し嫌な予感はつきまとう。
せっかくの映画化、ドラマから同じキャストと監督なのに
あえてもう1度同じエピソードを映画で描いているのは謎でしかない。
もちろん、初見の人への配慮としては分かる。
だが、映画として新しいものを見に来た側からすると、
「またこれか」という感覚が早い段階で出てしまう。
序盤は二人のいつもの日常を、いつものノリと空気感で描いているのだが、
その空気が徐々に壊れ始める。
ホーリーメン
ドラマでは基本的にイエスとブッダの二人だけで物語を描いていた。
しかし、映画では違う。大量のキャラクターが序盤を過ぎると
一気にドバドバドバと出始める。
梵天、帝釈天、ミカエルたちが
イエスとブッダに「ホーリーメン」というドラマ(走馬灯)の
主人公をやってほしいと依頼に来て、その撮影をするという流れになる。
彼らのいつもの日常が一気に崩れ去る。
このあたりから一気に福田イズムが溢れ出す。
ドラマ撮影に挑む前に発声練習をするというシーンがあるのだが、
弁天とミカエルがやってきて「お手本」を見せてくれる。
これをグダグダグダグダ、面白くないダンスと歌とともに流す。
ここで嫌な予感は確信に変わる。
福田監督が大好きな「面白くない」ことを「しつこく」やることで
笑いになると思い込んでいるパターンだ。
間延びしまくりで、長いうえに笑えない。
原作のネタもあるものの、その原作のネタも
間延びしまくりの要素を加えまくっており、原作の良さが消えている。
アドリブで会話を伸ばしまくり、それをカットするわけでもなく長回しする。
原作の持つゆるさと、単なる間延びは違う。
この映画はその違いを分かっていないように見える。
自我
ドラマでは抑えていた監督の自我がどんどん出てくる。
中盤でドラマの脚本を試行錯誤するというシーンがある。
追加戦士をどうするのかという話し合いの中で、
「女子ーズ」というものが出てくる。
この「女子ーズ」は福田監督によるオリジナル作品だ。
その監督のオリジナルキャラを全く違う作品に出している。
ここで、この映画は明確に一線を越えてしまう。
最悪なんてものじゃない。
他人の作品を私物化するという、
もはや創作者としてありえないことをしている。
オリジナル作品で好きにやるなら分かる。
自分の作った世界で、自分の好きなキャラクターを好きに動かすのは自由だ。
しかし、これは聖☆おにいさんの実写映画だ。
福田雄一オールスター映画ではない。
女子ーズが出たことで一線を越えてしまっており、
しかも長い。誰も知らない作品の誰も知らないキャラを、
自分が手掛けた作品のキャラだからと出して長々と描く。
笑いも一切なく、面白さもない。
女子ーズ以外にも色々なヒーローが出てくるのだが、
もう本当につまらず、呆れを通り越し、怒りを通り越し、
解脱しそうな勢いになる。
ここまでつまらない作品が存在して良いのか、
存在価値すら疑ってしまうほどだ。
俳優陣
次々と豪華な俳優が出てくるのだが、出てくるのだが、
出てきただけで掘り下げられることもなく、
見た目とその俳優の印象頼りだ。
その一人ひとりが出るたびに長々といろいろなことをしているのだが、
どれも印象が残らず、残らないのに長い。
監督はオモシロイと思っているのだろう。
だが、全て滑り散らかしている。
有名な俳優を出せばそれでいいと思っているのだろう。
だが、どんな俳優もこの脚本、この演出の前では輝けない。
藤原竜也さんや神木隆之介さんなど多くの俳優を出し、
ただただ無駄に使っている。
その無駄遣いが面白いと思っているのかもしれないが、
「センスがない」という言葉がここまで似合う作品はない。
豪華キャストを並べれば映画になるわけではない。
むしろ、その豪華さが作品の空虚さを際立たせている。
終末
終盤、唐突にマーラがこの世界の人々に呪いをかけてゾンビにしてしまう。
そんなマーラを止めるためにイエスとブッダが立ち上がる。
あくまでホーリーメンの撮影という設定のうえでだが。
映画としての盛り上がりどころが欲しかったのは分かる。
だからこそ、オリジナルストーリーとして
マーラが人々に呪いをかけるという展開をやりたかったのだろう。
しかし、聖☆おにいさんはそういう作品ではない。
この作品の魅力は、神や仏が世界を救うところではない。
世界を救える存在が、立川で慎ましく暮らしているところにある。
壮大な設定を日常の小さな笑いに落とし込むからこそ面白いのだ。
そこを履き違えて、無理やり映画的な大事件を起こしても、
作品の魅力にはつながらない。
むしろ、原作の持っていた空気を壊している。
マーラとの戦いが始まったかと思ったら負けてしまい天に召され、
「神」のもとに訪れた二人、ちなみに神は佐藤二朗である。
神と二人の長々とした会話という名の寸劇が始まる。
福田監督お得意のいつものアレだ。
引き出し
本当に引き出しが少ない、スッカスカだ。
小学生男子の筆箱なみに入っているものが少なく、
過去にやったようなことを同じようにやることでしか作品が作れていない。
昔はそれが面白かったが、今はその面白さすらない。
過去の栄光にすがるように佐藤二朗にすがり、
佐藤二朗さんも必死にやるものの、滑り散らかしている。
いわゆるメタネタのようなものもあり、
原作そのものをいじったり、映画の撮影中の状況そのものをいじったり、
画面に映る「ガンマイク」をいじったりと、
喋りまくりのシーンが「10分」近くある。
これを映画館で見ていたら、つまらなさで私は気絶していただろう。
神様のパートが終わったと思ったら、
マーラを倒すために二人を修行させる仙人が出てくる。
この仙人は佐藤二朗である。引き出しの少なさも限界だ。
せめてムロツヨシあたりにしていれば違ったかもしれないが、
もう佐藤二朗でお腹いっぱいだ。
つまらないパロディもあり、最後はロボットバトルにまでなる。
これが本気で面白いと思っているのだろうか?
センスをここまで疑う作品はなかなかない。
何よりつらいのは、これらの要素が
聖☆おにいさんである必要性をほとんど感じさせないことだ。
キャラクターを借りて、監督のいつものノリをやっているだけに見えてしまう。
だからこそ、つまらないだけでなく、不愉快なのだ。
総評:気絶するほどつまらない
全体的に見て、酷いという言葉では収まりがつかないほどの作品だ。
見ている間に思わず宇宙の真理に目覚め解脱して、
魂が抜けてしまう感覚になるほど「空虚」なものであり、
ただただつまらない茶番を繰り広げている。
それだけなら、いつもの福田監督作品とも言える。
だが、今作はそこにさらに「私物化」という要素が入ってきている。
オリジナルの作品で好きにやるのは勝手だが、
原作のある作品、他者の作品に「自分の作品の登場人物」を
登場させるのは私物化でしかなく、不愉快だ。
聖☆おにいさんの実写映画を見に来たはずなのに、
気づけば福田雄一監督の内輪ノリと過去作ネタを延々と見せられている。
これは原作ファンにとって、かなりきつい。
つまらない、酷いというレベルではない。
この作品はシンプルに不愉快な作品だった。
個人的な感想:下回る
サカモトデイズ、アンダーニンジャ、そして聖☆おにいさんと
福田監督の実写化作品を連続して見てみたが本当に酷い。
しかし、年々良くなっていっているともいえる。
最新作のサカモトデイズは聖☆おにいさんと比べればたしかにだいぶマシだ。
もしかしたら、あと2本くらい作れば福田監督らしさが消え、
まともな実写化映画作品も生まれるかもしれない。
もっとも、その間に犠牲になる作品が生まれてしまうのだが…
本当に見れば見るほど酷い、想定を下回る作品を生み出すのは
ある意味ですごいのかもしれない。



