アニメコラム

【すずめの戸締まり】進化し続けるアニメ監督・新海誠【アニメコラム】

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どうもみなさん、笠希々です。
実はこのアニメコラム自体を書き始めたのは去年の12月くらいで、
本当ならば1月、新年一発目の記事にしようかと考えていたのですが、
なぜか4月になっています。
どうしてなんでしょうか(苦笑)

新海誠監督LOVE

2010年1月からスタートした当ブログも今年で12年目を迎えました。
ありがたいことに多くの方に見ていただき、
TwitterやYouTubeなどもフォロー、チャンネル登録していただき、
12年も続けることができました。
今年も変わらずにアニメレビューを続けていきます。

当ブログを普段からご覧頂いてる方は、
私が「新海誠」監督のファンであることをご存知かもしれません。
今回はそんな新海誠監督にフィーチャーしつつ、
新海誠監督とは?新海誠監督作品とはなんなのかというのを
私なりにまとめあげたコラムになっております。

いつも通り長い記事になりますので、
お時間のあるときにご覧いただければと思います。

ゲームメーカー

君の名はの大ヒット以降、「新海誠」監督は注目の的になりました。
世間も、そしてTV局業界も「第二の宮崎駿」を求め、
その結果、細田守監督が推されていたのですが、
ダークホース的に「君の名は」がとんでもないヒットをしたことによって、
一時は「ポスト宮崎駿」という名目で注目されたこともありました。

個人的には宮崎駿監督が手掛ける作品のテイストと、
新海誠監督が手掛ける作品のテイストはだいぶ違うと感じていたのですが、
「すずめの戸締まり」では、どこかジブリを意識した部分も感じ、
もしかしたら今後、本当にポスト宮崎駿の位置になる監督になるかもしれません。

そんな今後を期待したい新海誠監督ではありますが、
彼はもともとゲームメーカーであるファルコムに所属し、
退職後に「minori」というアダルトゲーム会社のOPを手掛けていました。
当時から彼の名前は知る人ぞ知るものでした。

当時の作品から彼らしいテイストを前回に感じる部分が多く、
これは実際に見てもらうとわかりやすいのですが、
「背景」、特に空の描写は「あー新海誠監督だなー」と
20年近く前の映像にもかかわらず感じることができます。

背景の描写だけでなく、ぐいんと動くカメラワークなどの演出も
新海誠テイストにあふれるものであり、
彼が手掛けた数々のアダルトゲームのOPの数々は
見れば見るほど今の新海誠監督作品につながるものが多く、
「これは本当にアダルトゲームのOPなのか?」と思うような作品ばかりです。

とにかく、よく動きます。
普通のアニメのOPと遜色がない、いや、それ以上といっても
過言ではないクォリティで描かれるオープニングの数々は
新海誠監督の才能をひしひしと感じることができます。

彼の作品はストーリーに関しては賛否両論を生むものも多いのですが、
映像表現に関しては「君の名は」以降、
明らかにアニメ映画の背景は彼の影響を受けたものが多く生まれており、
この映像表現の魅力に、当時のオタクたちは惹かれていたのです。

この頃から感じられる背景へのこだわり、
そしてカメラワークによる「空間」の演出は
「すずめの戸締まり」まで受け継がれる新海誠監督らしさの1つです。

一人制作時代

新海誠監督がすごいのは最初は
「たった一人」でアニメを作り上げていたところです。
アニメというのはとんでもない作画の数だけでなく、音や、声など、
本来は多くの人が関わって成り立つものです。
しかし、彼は一人でそれを成し遂げています。

一作目である「彼女と彼女の猫」
4分46秒しかないこの作品は新海誠監督の原点です。
作品はモノクロで構成されており、非常に淡々とした作品ではあるのですが、
新海誠監督らしい背景の描写、そして「音」へのこだわりが
個人制作とは思えないほどのクォリティになっています。

ちなみにナレーション兼猫のCVは「新海誠監督」自身(笑)
ポエミーなテイストあふれる作品は
初制作らしい「初々しさ」すら感じます。

さらにもう一作「ほしのこえ」も
ほぼ新海誠監督一人で制作したものです。
ロボット要素があり、ロボットによる戦闘シーンは
「新世紀エヴァンゲリオン」の影響を強く感じさせ、
同時にエヴァ以降の作品のブームであり、新海誠監督らしさの1つである
「セカイ系」の要素がこの頃から見え始めます。

協力体制

そんな一人制作時代を過ごした新海誠監督は
一人制作から多くのスタッフを雇う形式の
本来のアニメ制作スタイルに変化していきます。

インディーズでありながらプロと同じようにスタッフを集めて
アニメを制作するというスタイルは、
今現在ならばともかく当時は簡単に真似できるものではありません。
そんな中で制作した「雲のむこう、約束の場所」。

新海誠監督らしいモノローグの多さ、SF要素を強めた作品は
いわゆる「一般受け」はしない作品ではありました。
世界観もややこしく、設定も複雑であり、
基盤は恋愛と「セカイ系」ストーリーではあるものの、
万人受けするとはお世辞にも言えない作品です。

前作もそうでしたが、この作品も「新世紀エヴァンゲリオン」の
影響を強く感じる部分が大きく、
2000年代前半の作品における「エヴァ」の呪縛を
新海誠監督自身で感じられるような作品であり、
本作はある種の「新海誠版エヴァンゲリオン」的なニュアンスすら感じます。

特に今作は初の長編作品ということもあり、
尺の使い方やストーリー構成がイマイチに感じる部分もありました。
しかし、そんなエヴァの呪縛に長年囚われ続けることなく、
新海誠監督自身は次に手掛けた「秒速5センチメートル」で
その名を世に一気に知らしめたと言っても過言ではありません。

新海誠監督自身が得意とする「短編」を3つつなげることで
長編にするというストーリー構成の変化、
「セカイ系」やSF要素を一旦排除し、新海誠監督作品らしい
「悲恋」を描いた初恋のストーリーは多くの人の心掴みました。

10年以上も引きずり続けた初恋。
新海誠作品らしさの象徴の1つともいえる
「童貞臭さ」がこの作品には溢れかえっており、
美しい背景とともに描かれる初恋の物語がキレイに描かれ、
見る人の「初恋の思い出」を蘇らせてくれるような作品は高い評価を受けました。

長編が得意ではないなら短編をつなげてしまえば良い。
難解なSFが受け入れられないならなくしてしまえば良い。
新海誠監督の作品ごとの「試行錯誤」が1作品ごとに見えるのが
新海誠作品の面白さでもあります。

挑戦作

そんな高い評価を受け、世に名前が知れ渡り始めた新海誠監督が
次に手掛けたのが「星を追う子ども」でした。

尺はなんと116分と雲の向こう、約束の場所よりも20分も長い
長編映画に改めて挑戦した形になりました。
しかし、この作品はあまりにも挑戦作過ぎたといっても過言ではありません。
一言で言えば「ジブリがいっぱい」な作品です(苦笑)

キャラクターデザインから世界観まで色々なジブリ作品を
彷彿とさせる要素があまりにも多く、監督自身も自覚的に
それをやっていることを明らかにしているものの、
あまりにも露骨すぎたがゆえに従来の新海誠監督ファンからも
賛否両論の作品になってしまいました。

エヴァの呪いから解き放たれた新海誠監督が
今度はジブリの呪縛にかかってしまった。
そんな印象を受けるような作品です。

初の製作委員会制度方式の採用や、各作業を専門のスタッフに任せるなど
一人制作時代をへて多くのスタッフの協力を得た監督が、
更に本格的なアニメ制作スタイルをしようとした結果の
失敗だったと言えるかもしれません。
興行収入的にも新海誠監督作品としては唯一の赤字でした。

しかし、このある種の「失敗」があったからこそ、
新海誠監督自身はアニメーション監督としてやっていくことを決意します。
新海誠監督作品は試行錯誤の人です、
失敗した部分、受け入れられなかった部分をどう改善するか。
そして「改善」できるからこそ、今の新海誠監督自身につながっています。

原点のその先へ

そんな長編映画の不評から一変して、新海誠監督は
「言の葉の庭」を手掛けます。
この作品は初期の新海誠監督作品と同様に46分と尺が短い作品です。

あくまでも個人的な感覚として
初期の名作が「秒速5センチメートル」ならば、
中期の名作の1つとして上げたいのが「言の葉の庭」です。

この作品はそれまでも感じていた新海誠監督の背景へのこだわりを
更に進化させた描写になっており、
都会の描写、そして、そこに降りしきる「雨」の描写は
恐ろしいまでのこだわりを感じさせるものになっています。

そして、もはやお約束とも言える「恋愛」ストーリー。
この作品はいわゆる年の差恋愛を描いています。
ヒロインは社会人であり教師、主人公は未成年の高校生。
本来は交わることのない二人が「雨の日」だけ会い、心を重ねていく。

そんなしっとりとしたストーリー展開を
圧倒的な背景描写で魅せています。
いつもの新海誠監督作品ならばこの二人の恋愛は成就しないまま、
年の差恋愛は成立しないみたいな展開に終わりそうなところ、
この作品は一歩進んでいます。

悲恋ではなく、過去の出来事ではなく、未来がある二人の描写。
「ハッピーエンド」が素直に描かれています。
悲恋というのは万人受けしないものがあります、
ビターなエンドではなく、ハッピーエンドのほうが作品を見たあとの
「カタルシス」を感じやすくヒットにも繋がりやすい。

この作品まで、どこかビターなエンドの多かった新海誠監督ですが、
この作品ではじめてハッピーエンドを
描いているといっても過言ではありません。

新海誠監督の「フェチズム」要素を感じる作品でもあり、
「お姉さん」属性や「足」にたいする変態的なこだわりなど、
この作品はハッピーエンドなストーリーを描きつつも、
新海誠監督自身のフェチズムを感じる作品になっており、
バランスのいい作品でした。

そんな作品だからこそ、当初は3週間の期間限定上映だったはずが
4ヶ月以上も上映期間が伸び、最終的に1億5000万円の興行収入を
たたき出しました。

ある種の「大衆受け」を意識したきっかけともいえる作品であり、
この作品から「新海誠監督」の興行収入は伸び続けることになります。

ターニングポイント

「新海誠」という名を最も世に知らしめたのは
「君の名は」で間違いないでしょう。
入れ替わり、TS要素のあるフェチズム的な要素を入れつつ、
新海誠監督らしいSF要素と恋愛要素を混ぜ込み、
更に「大衆受け」を意識した王道なストーリーが爆発的なヒットを生みました。

男女の入れ替わりという要素自体は
「転校生 」という映画が有名ですが、そんなある種、
古典的な要素を入れつつ、そこに新海誠監督らしい男女の入れ替わりという
性的なフェチズムを盛り込みつつ、口噛み酒などという
マニアックな要素も入れ込みました。

前作の「言の葉の庭」で大衆受けを意識し、
更にビターエンドではないハッピーエンドを意識したからこそ、
この作品ではそこを曲げずに、過去作のセカイ系要素を入れつつ、
男女の恋愛における「すれ違い」をSF要素で描きつつ、
最後にはハッピーエンドで物語を締めています。

かなり「狙った」作品と言えるでしょう。
ここまでの新海誠監督作品総決算といえる要素の数々、
背景の美麗さ、ストーリー構成、大衆受け、キャッチーな音楽と、
新海誠監督自身が意識的にヒットを狙った作品であり、
その結果、250億を超える興行収入を叩き出しました。

日本のアニメ映画の流れ、「オタク文化」の成長も
この作品のヒットに貢献していると私は感じています。
アニメ映画だけでいうならジブリ映画の数々、ドラえもんや
名探偵コナン、クレヨンしんちゃんという様々なアニメ映画を
子供の頃から日本人である私たちは見続けてきました。

更に2000年代からアニメ、オタク文化が一気に成長し、
TVアニメを多くの人が楽しみつつ、
ジブリ、宮崎駿監督だけではなく「細田守監督作品」などの影響もあり、
多くの人が「アニメ」というものに触れてきました。

そんな成長した日本におけるオタク文化、
アニメを子供だけではなく「大人」も楽しむという文化が成長したからこそ、
この「君の名は」という作品のヒットに繋がり、
過去作から試行錯誤し、失敗すらも糧にした新海誠監督が
そんな人達を意識的にターゲットにしたからこそのヒットだったと感じます。

このあたりから新海誠監督は自作のセルフオマージュ、
セルフリメイクのような作品作りをしており、
この作品も男女のすれ違い、そして会えない距離という
「秒速5センチメートル」的な要素が作品には含まれていました。

原点回帰

そんな「君の名は」のヒットから3年がたち、
「天気の子」が公開されました。
天気の子は君の名はが大ヒットしたこともあって注目度合いも凄まじく、
私個人としても新海誠監督がヒットを受けてどう
作品を作るのかというのが気になっていた作品ではありました。

そんな天気の子はゴリゴリのセカイ系でした(笑)
ある種の原点回帰ともいえる部分があります。
本作品における主人公とヒロインは恋愛関係になり、
最終的に二人が離ればなれになることはありません。
その部分だけ見ればハッピーエンドではあります。

しかし、その代償として東京が滅びています(苦笑)
セカイ系はセカイを救う代わりにキミが犠牲になるか、
キミを救う代わりにセカイが犠牲になる、
そんな選択を主人公が迫られるジャンルを指す言葉でもあります。

本作において主人公はかなりモラルが崩壊しています。
高校生でありながら家出をし東京に一人出てきたかと思えば、
拾った拳銃で一人の女の子を救うために警察から逃げ戦います。
そんな無鉄砲な彼が導き出した結末はセカイよりもキミでした。

主人公とヒロインは無事でおそらく共犯者という意味でも
二人は結ばれるのでしょう。
しかし、その代償に東京は滅びている。

「セカイなんてもともと狂っている」

作中でのキャラクターのセリフが見ている我々の罪悪感を濁すかのようですが、
「君の名は」ほどヒットはしませんでした。
ただ、それでも興行収入は142億円というとんでもない数字です。

過去の新海誠監督にありがちなセカイ系でありながら、
バッドエンドではない、ハッピーエンドとも素直に言えない
ビターなエンドは、大衆受けというエンタメ性を出しつつも、
「雲のむこう、約束の場所」をうまくセルフリメイクしたような
作品に仕上がっていました。

ただ、今作では前作が大ヒットしたことにより
スポンサーの数が増えてしまい、
作中でもそれがかなり目立っているのは若干欠点でもありました。

自己投影からの卒業

また、個人的な主観ではありますが、
「天気の子」から新海誠監督が
主人公に「自己投影」することをやめたように感じます。
作品のキャラに自己を投影するのは庵野秀明しかり、
多くのアニメ監督がやっている手法ではあります。

そんな中で新海誠監督は今作では主人公ではなく、
どちらかといえば、彼を見つめる「須賀 圭介」に
自己投影している部分があります。
新海誠監督自身がすでに50歳、もう若者に自己投影するのではなく、
それを「俯瞰」する大人に自己投影することで物語の視点も変わったように感じます。

「言の葉の庭」での年上お姉さんヒロイン属性へのこだわりをかんじ、
「君の名は」では時空を曲げてヒロインを年上に仕上げるということをした
新海誠監督ですが、今作では主人公に相対するのは年上どころか年下です。

フェチズム的なこだわりは鳴りを潜めており、
その分、主人公は「若さ」を象徴するような無鉄砲さを見せつけています。
主人公に自己投影することをやめたからこその
「若さ」の描き方が天気の子の象徴とも言えるかもしれません。

そして同時に「災害」という要素も前作から生まれています。
前作は災害といっても「隕石の落下」という
確率的にもかなり低い災害でしたが、今作は豪雨。
豪雨による被害は日本でも数多く起こっており、
かなり「現実的」な災害を描いていました。

それが最新作である「すずめの戸締まり」へと繋がります。

タブーへ

最新作である「すずめの戸締まり」はある種のタブーに踏み込んでいます。
君の名は、天気の子で描いた災害という要素に更に踏み込み
「東日本大震災」を作品に中に取り込みました。
作中での地震警報に関して警告や注意が出るほど
日本人に刷り込まれたあの震災の「トラウマ」を呼び起こすものになっています。

東日本大震災を描いたことによる「賛否両論」が巻き起こりました。
その是非についてはここでコメントすることは控えますが、
もしかしたら新海誠監督は「君の名は」から災害を描いた時点で、
いつか「東日本大震災」を作品の中で描くことを決めていたのかもしれません。

そんなタブーを描きつつも、SF要素は忘れていません。
新海誠監督はSFといっても、君の名は以降、
どこか日本の「伝奇」的なものを
モチーフにしていることが多く、この作品も
日本の地震の原因が本来は目に見えない巨大な「ミミズ」が
起こしているものという設定をもとに物語が展開していきます。

しかも、主人公は女の子です。
基本的に主人公が男性であることが多かった新海誠監督ですが、
前作で主人公に自己投影することをやめた結果、
主人公は10代の女の子になりました。

私がこの作品を見て感じたのはジブリイズムです。
どこか「もののけ姫」を想像させるようなミミズの描写や、
気まぐれな神の存在、マスコットキャラ的な存在を含めて、
ジブリ的な雰囲気に溢れています。

それと同時に思い起こさせるのが「星を追う子ども」でしょう。
星を追う子どもは新海誠版ジブリと言っても過言ではないほど
ジブリを匂わせるようが多かったものの、
それがあまりにも露骨であるがゆえに賛否両論の作品になってしまいました。
ある種の新海誠監督のタブーです。

そんな作品をセルフリメイクするかのように、
本作ではあくまでもジブリイズムを感じさせるだけにとどめつつ、
そこに新海誠監督らしい伝奇的SF要素と、ボーイ・ミーツ・ガール、
そして「セカイ系」要素を盛り込んで物語が展開していきます。

圧倒的な背景描写、そんな背景が崩れ去ることの恐怖は
我々日本人が味わった「トラウマ」を呼び起こさせます。
この作品は「地震」というものにたいする恐怖を、
トラウマに置き換えることで物語を描いており、
そんなトラウマを乗り越える過程を描いている物語でもありました。

前作で主人公はたったひとりのために東京を犠牲にする選択をしました。
彼の無鉄砲な行動やその選択は賛否が分かれた部分でしたが、
しかし、今作では「100万人」の命を救うために「一人」を犠牲にしています。
セカイかキミかという選択で少女は「セカイ」を選択しました。

今までの新海誠監督ならここで終わりだったかもしれません。
しかし、それを「乗り越える」ことがこの作品で描きたかったことだったのかもしれません。
セカイを選び、そして、そこに存在するキミがいてこそ、
セカイも自分も存在する。

震災というトラウマの中で自分の命を低くみていた主人公が
「生きたい、生きていたい、生きていこう。」と
感じる物語ががっつりと描かれている作品でもありました。

自作のアンチテーゼを続ける新海誠監督

ここまで述べてきたように新海誠監督は試行錯誤の鬼です。
1つの作品を作るたびに、その作品の何がだめだったのか、
何が良かったのかを考え、次の作品活かす。
この試行錯誤の連続が今の新海誠監督作品につながっています。

初期はいわゆる「五里霧中」「暗中模索」状態で、
新海誠監督自身が様々な手法、要素を試行錯誤している感があり、
新海誠監督ファンとしても手放しに評価しにくい作品や、
逆に思わずファンになってしまう作品も多くありました。

個人制作から多くの人を雇って制作する形になり、
環境や自身の変化が作品に如実に現れています。
そんな中で「君の名は」で世間一般にも多大なる評価を受けたことで、
新海誠監督自身の方向性がビシっと決まり、
天気の子、すずめの戸締まりという名作を作り上げました。

特に君の名は以降の作品は自身の作品に対する
「アンチテーゼ」のようなものを強く感じます。
自身の過去の作品とは逆の展開だったり、中には否定したり。
そんなアンチテーゼを自身の中で繰り返し続け、作品へと反映させる。
その繰り返しの果てに作品を作り続けるのが新海誠監督といえるでしょう。

最新作では「東日本大震災」というタブーに踏み込みました。
強烈なメッセージ性と日本人のトラウマを刺激する内容は
過去作とは違った意味で人を選びます。
そのタブーに踏み込んだからこその批判もあります。

ならば、次回作がどうなるのか。
新海誠監督作品の面白さは「新海誠監督」らしさが毎作品ありながらも、
同時に過去作とは違った角度で作品を描いていることです。

だからこそ見続けてきた一人のファンとして、毎回新作を心待ちにし、
次はどんな作品を見せてくれるのだろうという
ワクワクとした気持ちを毎回感じさせてくれます。
それこそが新海誠監督作品の魅力なのかもしれません。

制作ペースを考えると新作が公開されるのは
おそらく2025年。
次回作は一体どんな内容で、どんな角度で描いてくれるのか。
1ファンとして心待ちにしております。

「」は面白い?つまらない?

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