「トイ・ストーリー」レビュー

映画

評価 ★★★★★(81点) 全81分

あらすじ カウボーイ人形のウッディは、古めかしいおしゃべり人形。背中の紐を引っぱると、パンチの効いた「カウボーイトーク」を聞かせてくれる引用- Wikipedia

おもちゃは大切に。

本作品は劇場オリジナルアニメ作品。
制作はピクサー、ジョン・ラセター

おもちゃたちのルール

映画冒頭、子どもが「おもちゃ」で遊ぶシーンから始まる。
自分が持ってる様々なおもちゃで保安官であるウッディを主人公に
彼は楽しそうに遊んでいる。

この作品は19995年に制作された3DCGアニメだ。
約25年前に制作されたとは思えないほどクォリティの高い
CGの質は見るたびに「これが25年前の技術…?」と驚いてしまう。

人間に関してはアメリカ的なキャラクターデザインで
妙にリアルで不気味を感じる部分はあるものの、
おもちゃの質感は本当にすばらしい。
窓から入る太陽の光から生まれる影、おもちゃの質感。
見ていて思わず画面に手が伸び触りたくなってしまう。

そんなCGで描かれた「おもちゃ」。
本来、彼らは自らの意思で動くことが
できないものだと認識している。だが、この世界では違う。
いや、もしかしたら私達の世界でもこうなのかもしれない。

「おもちゃ」には意思があり、
人間が見ていないところでは動き喋ることができる。
子どもが見たならば、こんなにワクワクする設定はない。
自分が持ってるおもちゃたちもこういうふうに意思があり
動くかもしれない。

そんな子供心を純粋に刺激する設定と、
そんな設定があるからこそ、おもちゃたちが自由に動くさまが
楽しくて仕方ない。
おもちゃだからこその動き、1つ1つのパーツの描写が
コミカルに動き、見ているだけで楽しい。
純粋なアニメーションとしての面白さを感じさせてくれる。

存在意義

おもちゃたちにとっては「持ち主」の子どもが全てだ。
彼らと遊ぶことが至上の喜びであり、彼らはそのために作られた。
おもちゃの「存在意義」だ。
だからこそ「捨てられる」ことや「遊ばれない」ことに
恐怖を覚えている。

彼らにとって「新しいおもちゃ」は自分の存在意義を揺るがす存在だ。
自分が子供と遊ぶ機会を奪われる、
もしかしたら遊ばれなくなって捨てられるかもしれない。
そんな彼らの前に新入りの新しいおもちゃである
「バズ・ライトイヤー」がやってくる所から物語が動きだす。

彼は最新のおもちゃだ。
この作品の主人公たる「ウッディ」のように背中にある紐を
ひかなくてもボタン1つで音声が出る。
空を飛ぶための羽だってついている。

だからこそウッディは「嫉妬」してしまう。
持ち主の子どもである「アンディ」にとって
ウッディは今まで1番のおもちゃだった。彼が大好きで
彼が特別なおもちゃだった。

だが、それが揺らいでしまう。
1番だったからこそ1番でなくなったことに
自分自身の存在意義を脅かす存在に恐怖する。
それが彼を曇らせ、バズへの嫉妬からとんでもない行動をしてしまう

バズ・ライトイヤー

新入りであるバズ・ライトイヤーは自分自身が
「おもちゃ」であることを自覚していない。
元になったバズ・ライトイヤーの設定通り、自分自身を
本物のスペースレンジャーだと思いこんでいる。
そんな思い込みとウッディの嫉妬からすれ違いが生まれてしまう。

ウッディは彼に言う

「いいかお前はおもちゃなんだ!飛べやしない!
 本物のバズ・ライトイヤーなんかじゃない!
 ただのおもちゃなんだよ、はっきりいえば子供の相手をする道具なんだよ」

ウッディの言葉は真実だ。
だが、バズ・ライトイヤーは自分がおもちゃだとは微塵も思わない。
自分の存在意義は多くの人を守り、悪を倒す正義なのだと。

ウッディ自身は自分自身がおもちゃであることは分かっている。
アンディに愛されながらも、自分自身がおもちゃだと
自覚していない彼に苛立って仕方ない。

それぞれが自分自身の「存在意義」を信じ、
それを全うしようとしてる。
例え「子どもの相手をする道具」だとしてもウッディは
それに誇りを持っている。

だからこそ、バズ・ライトイヤーに苛立ってしまう。
アンディに愛されていながら、アンディの1番になりつつあるのに
自分の居場所を奪った彼が自分と同じように存在意義を
享受していない。価値観の違いがすれ違いと仲違いを生んでいる。

そんな彼らがおもちゃを大切にしない子どもである
「シド」にとらわれてしまう。

真実

シドの家でバズ・ライトイヤーは真実を知ってしまう。
自身を宣伝する「CM」を見たことで、
ウッディの言葉の意味が真実であることを、
自分自身がレーザーを打てないことも、
自分自身が飛べないことも分かってしまう。

ウッディと同じく彼も自分自身の「存在意義」が揺らいでしまう。
彼のことを疎ましく思っていたはずなのに、
自分自身の存在を揺るがす存在のはずなのに、
自分と同じく「存在意義」が揺らいでしまったという同じ体験。

落ち込むバズにウッディは問いかける

「アンディはあんたを最高だと思っている、あんたがおもちゃだからだ。
 あんたがバズ・ライトイヤーだからだ。」

ウッディは自分自身の妬みを彼に吐露する。
自分自身が敵わない存在、そんな存在に自分の弱さと本音を見せる。
二人の脚の裏に刻まれた「ANDY」の文字。
どちらも大切なアンディのおもちゃだ、どちらが欠けてもだめだ。
そんな想いが二人に友情を生む。s

そんな、もうひとりの相棒を、友を救うために
ウッディは「おもちゃのルール」を破る。
おもちゃは大切に。そんな子どもたちへの教訓すら感じる
終盤のシーンはちょっとしたホラーだ(笑)

飛んでいるんじゃない落ちているだけだ、かっこつけてな

終盤のアクションシーンはおもちゃらしいコミカルな動きを入れつつ、
きちんと伏線を生かした展開になっている。
シドがつけたロケット、シドがウッディへした行為、
そんな中でおもちゃである彼らが「無限の彼方」へと飛ぶ姿は
清々しさすら感じるほど気持ちのいいラストに繋がっている。

「無限の彼方へ、さぁ行くぞ!」

嫌っていたはずのバズ・ライトイヤーの台詞を
ウッディが言い放ち、バズ・ライトイヤー自身は
「かっこつけけて飛んでいるだけだ」と自分自身が
おもちゃであることを自覚し自身を持った表情で
言い放つ姿は二人の成長と変化を感じさせるシーンだ。

もう二人はどんなおもちゃが来ても問題がない。
バズ・ライトイヤーが自分自身の存在意義を改め、
ウッディが自分を見つめ直す物語が
起承転結スッキリとしたストーリーで描かれていた。

総評:無限の彼方へ、さぁ行くぞ!

全体的に見てストレートな面白さを感じることのできる作品だ。
25年前とは思えないクォリティで描かれたフルCGによる
アニメーションはおもちゃたちのコミカルな動きによる
面白さ、さり気ない表情の描写が素晴らしく、
見ているだけで面白い。だからこそ子どもも大人も楽しめる。

「もしおもちゃたちが人間のみていない所で
 自分の意志を持ち勝手に動いていたら」

そんな世界観を基本に描かれるストーリーは起承転結
スッキリとした面白さが有り、
その中でおもちゃの「存在意義」を問う物語が描かれている。

子供の玩具、道具であるということを自覚し、
そんな自身の存在意義の中で「アンディ」のおもちゃで
なおかつ1番のお気に入りだったウッディと、
自身がおもちゃであると認識していないバズ。
そんな二人の変化と成長の物語が81分という尺の中で
本当にきれいに描かれている。

すっきりと、だが、真っ直ぐに突き刺さる面白さを
感じることのできるこの作品は不朽の名作だ。

個人的な感想:色褪せない

久しぶりにこの作品を見返したが本当に色褪せない作品だ。
ストーリーも台詞もほとんど頭の中に入っている、
だけど25年前に見た子供の時と同じように楽しめて、
なおかつ大人だからこその目線でこの作品を楽しむことができる。

子供の頃はシンプルにおもちゃたちが意思を持ち、
動く姿でワクワクし笑っていた。
だが、大人になってみてみるとトイストーリーという
作品の中で描かれる「存在意義」の物語は
2にも3にも、そして4にもつながる根幹の部分だ。

この作品でそんな根幹がしっかり描かれてるからこそ、
後の作品での彼らの物語に生きてくる。
子供の頃に楽しんだ作品を大人の目線でもう1度
少し違った角度でも楽しめる、本当に素晴らしい作品だ。

「トイストーリー」おもしろい?つまらない?

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