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「言の葉の庭」レビュー

4.0
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評価 ★★★★☆(72点) 全46分

『言の葉の庭』 予告篇 "The Garden of Words" Trailer

あらすじ 靴職人を目指す高校生のタカオ(秋月孝雄)は、雨の日の1限は授業をサボって庭園(モデルは新宿御苑)で靴のデザインを考えていた引用- Wikipedia

見る文学

本作品は2013年に公開された短編アニメ映画作品
秒速5センチメートルで有名な新海誠監督による作品だ

映画が始まって、たった1秒で「うおっ!?」と
声が出てしまう作品が世の中にいくつあるだろうか。
おそらくは両手で数えるくらいしか存在しないはずだ。
この作品はその1つだ。

冒頭の1シーン目、そこには地面に降りしきる雨が描写されている
地面に薄く溜まった雨に更に雨が振り、地面が水滴の波紋を描く。
これだけのシーンなのだが、まるで実写のような描写に思わず声が出てしまう。
実写なのか?間違えて違う実写映画を見始めてしまったのか?と錯覚してしまう。

この作品の作画は凄まじい。
この作品の背景はほぼ常に雨だ。
梅雨の時期の物語ということで雨が振り続いている。
透明のビニール傘、雨の降る駅、公園、
梅雨の時期の少し汗ばんだような湿気の臭いすら感じるほどの背景作画だ。

そこに「雨の音」「えんぴつを走らせる音」「歩く音」などの「梅雨の音」が
耳に心地よく響き渡り、梅雨の公園という舞台をリアルに生々しく感じさせる。
決してバンバンと銃を撃つわけでもない、何かが爆発するわけでもない。
だが、この日本の梅雨の「音」を映画館、もしくはいい音響設備で
味わってほしいと感じるほどの音へのこだわりを冒頭の2,3分で感じられる。

そんな雨の中でどこかポエミーなセリフとともに、
二人の男女の物語が紡がれる。
1人はチョコレートをつまみにビールを飲むショートカットの大人のお姉さん。
1人は学校をサボった高校生。
二人は雨の日に屋根の着いた公園の休憩所で出会う。

台詞

この作品の会話と呼べるセリフは少ない。
主人公が雨の日にサボる癖がついており、雨の日は必ず公園に行く。
そこには必ずビールを飲むお姉さんがいる。
二人だけの公園の休憩所で雨音をBGMに二人は二人の時間を過ごす。

最初は会話らしい会話など無い。
靴職人を目指す主人公はノートに鉛筆で靴や脚の絵を書く、
お姉さんはビールを何本も開ける。
話しかけるのはお姉さんからだ。

「学校は休み?」

何てことない会話だ
特別な状況だからこそ、何てことない会話から
自分の本質を語るようなセリフが、ふとこぼれる。
静かに、雨音に消されかねない「小鳥の会話」のようなさえずり。

そんな二人の間にいつからか
「雨の日に公園で会う」という約束とはまた違う決まり事が決まる。
決してそういう約束を交わした訳では無い、
幼いのこどものように指切りげんまんをしたわけでもない。

なんとなく、そういう決まり事が生まれる。
何日も、何日も。梅雨の間の雨の日に二人は公園で会話をする。
その会話の内容はほとんどセリフとして喋っていない。
バックグラウンドのBGMが流れる中、シーンが変わり
主人公の回想で物語や主人公の夢が少しずつ語られる。

母子家庭の家で育ち、子離れできない母と、
もうすぐ家を出ていく兄がいる。
言葉ではなく、少ない台詞と状況の中で見る側に
主人公の状況を察させる。

少年

そして主人公はいつからか、「雨の日」を願う。
お姉さんの事情は聞かない、なぜ仕事をサボっているのか、
何の仕事をしているのか、そんなことは聴かない。
15の少年にとってお姉さんは「大人」であり、
自分の世界とは違うところにいると彼は自覚している。

それを恋心というのはあまりにも野暮だ。
思春期の少年の、母子家庭で育った大人びた少年。
母には甘えられない、母はどこか子供じみており、
母の代わりに愚痴や甘えられる父はいない。

少し年上のお姉さんに彼は甘えつつも、憧れつつも、焦がれている。
恋というにはあまりにも未熟で、恋というにはあまりにも軽薄で、
恋というにはなにかが足りない。

前半の15分でそんな彼の心情が語られる。
大人への一歩を踏みかけて、夢と希望に溢れた少年、
だが、どこか彼は「甘える」相手を求めている。
何処の誰かも、名前も知らない「お姉さん」。
そんな「他人」だからこそ、彼は自分の夢を思いをぶつけられる。

まるで1ページ1ページ、図書館のすみにそっと置かれた
一冊の文庫を読むような感覚にさせられる。
詩的なモノローグによる心理描写を見て感じさせてくれる。
小説の1編を綴るように、1シーン1シーンがしっとりと描かれている。

お姉さん

彼女は社会人としては「駄目な大人」だ。
部屋はちらかり、ゴミだらけ、仕事のストレスのせいで味覚障害にまでなっている。
そんな彼女は仕事には行かず公園で
「高校生の男の子」との会話を楽しみにしている。
料理が下手なのに料理を頑張ってみたり、
大人の余裕を見せるかのように高い本をプレゼントしたりする。

彼の前で彼女は「大人のかっこいい女性」でありたいと思っている。
だが、本当の彼女は「かっこいい大人」では決して無い。
どこか虚勢を張るように彼と話す彼女の姿は割れそうなガラスの靴のようだ

彼女を演ずる「花澤香菜」さんの声と演技も本当に素晴らしい。
少年の前では蠱惑的に、だが、家で同世代の人と電話をするときは
弱った大人の女だ。色っぽいが、弱い。

自分がいつまでこうしていられるのか、
今の自分が大人として「駄目」であることはわかっている。
少年の前だけでは、少年の目から自分はそんな「駄目」な大人ではない。
だからこそ、彼女もまた彼に甘えている。

傷ついた心を少しずつ癒やすように、
自分が「駄目」な大人の女であることを隠し、
少年の目から見て「立派なオトナである女」でいられる状況に、
憧れられ、尊敬され、恋心のようなものを抱かれている状況に、
彼女もまた癒やされている。

触れる

そんな二人が雨の日に会話をし、すこしずつ、すこしずつ、近づいていく。
そして彼が彼女に触れる。今まで触れたことすらない。
触れ合うような関係性ではない。去勢と嘘にまみれた関係性の中で
「触れ合う」ことは心の奥底を知られるようで怖い。

しかし、触れずにはいられない。口には出さなくとも
どこかで本心で語り、隠していることを吐露したい。

彼が最初に触れるのは「右足の親指」だ。
まるでガラスの靴にでも触れるようにそっと、包み込むように足に触れ
彼女の足のサイズを入念に、丹念に、繊細に図る。
自分ですら知らないことを少年に知られる。

二人だけの空間、二人だけの時間。
なんとも「エロティシズム」を感じるシーンは鳥肌すら経ってしまう。

「この人のことをまだ何も知らない、
 それなのにどうしようもなく惹かれていく」

彼に触れられたことで彼女は少しだけ弱気を見せる。
全てをさらけ出すわけではない、本当に少しだけ漏れるように。
本音を漏らしてしまったからこそ、梅雨はあける。

二人にとって晴れの日は会えない日だ、会いたい気持ちはあるが
二人は互いの名前も知らない、二人は恋人ではない。「会う理由」がない。
連絡先すら知らない。晴れの日になんとなく公園に訪れても出会えない。

梅雨が過ぎ、夏が訪れる。
少年にとって「学校」をサボるために
訪れていた公園にすら行く理由がなくなってしまう。
少年は「会う理由」をどこかで探してしまう。

お姉さんは毎日のように、晴れの日でも公園に訪れている。
彼女は歩き出せない、まだそこにとどまったままだ。
未来を向いて歩いている少年と、今にしがみついてしまっている大人の
間には深くて広い溝がある。

そんなある日、二人は出会ってしまう。
雨の日でもない、公園でもない。
どこかで見たことがあった、どこかで出会っていたはずの二人。
運命は常にいたずらめいている。

知りたくなかった彼女の事情、彼女の口から知りたかった事情。
大人で立派な彼女の「真実」を彼は友達の口から聞いてしまう。

若さ

彼のその後の行動は若さ故の衝動だ、若さ故に抑えられない。
彼女のためになるなんてことはないのに、それを抑えることはできない。
恋人ですらない、同世代でも、クラスメイトでも、友達ですらない。
「公園」で出会った「女性」のために彼は行動する。

そして雨が降る
二人の気持ちに雨が答えたかのように、
二人が会えなかった日の分まで溢れるように。

公園以外で、晴れの日以外で会った二人にはもう「決まり事」はなくなる。
どんなに晴れていても、どんなに雨が降っていても二人は会える。
それは公園でなくてもいい、どこでもいい、
そう彼女の家でも。

「今まで生きてきて、今が1番幸せかもしれない」

二人はそんな幸せを噛み締める。
そして彼の口から「好き」という言葉が出る。
しかし、彼女は「大人」の立場で15歳の少年の好意を受け入れることはしない。
決して拒絶ではない、だが受け入れることはできない。
彼女は彼女自身の言葉を飲み込み、大人としての言葉を表に出す。

だが、そんな大人の態度は少年にとって「現実」でしかない。
彼女と自分の距離を自覚し、彼女に情けない顔を見せないように
彼はせめて駄々をこねる子供ではなく、
大人の対応をした彼女に自分も大人の対応をする。

一人の少年が「大人」を知り「大人」になる物語だ。

踏み出せ

今までの新海誠作品ならここで終わりだろう。
彼の作品はビターなエンドの作品が多い。
しかし、今回の新海誠作品は違う。

この作品はアニメだ。現実的な話ではあるがアニメだ。所詮は創作物だ。
だから「夢」があっていい、だから「現実的」じゃなくてもいい。
そんな監督の声が聞こえるかのように彼女は裸足のまま彼を追いかけ
感情をぶつけあう。

彼の前では大人であろう、彼の前では強くあろう。
そんな思いが彼女の中にはあった。だが、そんな「虚勢」を彼女は振りほどく。
歩くことができなくなった彼女が、一歩を踏み出せなくなった彼女が、
一歩を踏み出す。

少年また本音を吐き出す。彼には夢がある。
「靴職人」になりたいという夢、それは兄にもクラスメイトにも
教師にもどこかバカにされるような夢だ。
それは「お姉さんへの恋」と同じ夢だ。

叶わぬ思い、叶わぬ夢。現実を知った少年。
だが新しい「夢」を彼は得て、再び進み出す。
そして静かに虹がかかる。

総評:まるで読む映像作品、これが新海誠クォリティ

全体的に見て質のいい短編小説を「見て」味わったかのような作品だ。
徹底的にこだわった雨の描写と雨の街並みがあるからこそ
少ない会話と主人公とヒロインのモノローグだけで物語がゆっくり進めることができ
雨が止むととたんに現実に帰ったかのように一気にストーリーが進み
そし雨が降るとまた夢のようになる。

現実と夢物語と交互に味わうかのように、まるでページをめくるように
雨の日の恋の物語が、傘に残った水滴のように
物語の余韻を少し残して終わる

声優さんの演技も本当に素晴らしい。
入野自由さんの声は、夢は見ているが現実を知っている高校生の彼にとてもあい
最後の彼の感情の叫びは名演だ。
中途半端な演技ならあそこのシーンは生きない。

花澤香菜さんの声は序盤は大人の女性、中盤は駄目な大人、
最後は弱い女性を演じており、この3つの声の微妙な演じ分けが
「大人の女性」をリアルに感じさせ魅力的に感じる。
素晴らしい配役といえるだろう。

この作品はアニメだからこその面白さがある。
本当の雨、本当の人間なら短編の少年とお姉さんの恋なんてのはありきたりだ。
しかし、アニメだからこそ短編恋愛ものなんてめったになく、
リアルな表現の雨、リアルな人間描写だからこそ「ありきたりな恋物語」が
非現実的な話でありながら、現実的に感じさせる魅力がある。

3次元という描写では伝わらない、2次元だからこそ魅力を感じる内容だ
短編だからこその魅力もある。それは語りすぎないことだ。
語りすぎないことで見ている側にまるで
小説を読んでいるかのように想像力を働かせ彼女の事情を頭のなかで考えながら見る。

本当は知りたい彼の代わりに見ている側が本当の彼女を知りたくなる。
そこで「駄目な大人」である彼だけではなく彼女が描写されることで
彼女にも感情移入できる。
45分という短編のストーリー構成が物語に良いスパイスを与えている。

作品全体でどこかもどかしさを感じるストーリーではある。
ポエミーなモノローグは人によっては好みが分かれるところだ。
決定的なシーンもほとんどない。
それこそキスをするシーンや、テーマになっている靴を
履かせるようなシーンはない。

このあたりが新海誠の作品は「童貞臭」がすると言われる所以だ(笑)
しかし、そういった決定的なシーンを描かないからこそ、
二人の今後の「関係性」も含めて、想像できる余韻が
残る作品だった。

個人的な感想:視聴者層

本作品は男性でも女性でも楽しめる作品だろう。
男性ならば「大人のお姉さん」に憧れる時期があったはずだ、
女性なら「年下の男の子」との恋愛を妄想することもあるはずだ。
そんな憧れや妄想をアニメという媒体で味わせてくれる作品だ。

個人的には足を図るシーンに妙なフェチズムめいたものを感じた
脚ではなく、足、足ではなく足の指という具合に
ピンポイントなフェチズムといえばわかりやすいのかもしれないが
そういったピンポイントな部分が好きな方も楽しめる作品かもしれない(笑)

この作品のあとの「君の名は」で国民的アニメ映画監督の
仲間入りを果たした新海誠ではあるものの、
個人的には今のところ、新海誠監督作品の中で1番好きな作品だ。
この作品を超える作品が今後生まれることを期待したい。

「言の葉の庭」は面白い?つまらない?

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