「トイ・ストーリー2」レビュー

映画
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評価 ★★★★☆(75点) 全92分

あらすじ ある日、ウッディの右肩の糸がほつれて綿がはみ出してしまった。カウボーイ・キャンプにウッディを連れて行こうとしていたアンディは落胆し、ひとりでキャンプに出かけるが、ウッディは連れていってもらえなかったことを深く落ち込む。
引用- Wikipedia

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君はただのオモチャだ

本作品は劇場オリジナルアニメであり、
トイ・ストーリーの続編作品。
制作はピクサー、ジョン・ラセター

無限の彼方へ

本作品の冒頭は「バズ・ライトイヤー」の大活躍から始まる(笑)
前作で自身が「おもちゃ」であることを自覚し、
ウッディとともにアンディの特別なおもちゃとなったバズ、
そんなバズが「自分のゲーム」でレックスと遊んでいるシーンから始まる。

前作では仲違いし、色々あったウッディとバズ。
そんな2人はもはや親友、相棒と呼べる存在となっており、
おもちゃたちのほほえましい光景がところ狭しと描かれる。
可愛らしい一人ひとりのキャラクターのおもちゃらしい動きの数々、
コミカルに、カタカタと動き回るさまがなんとも可愛らしい。

ウッディはアンディにとって特別なおもちゃだ。
同時にアンディはウッディにとっても特別な存在だ。
多くのおもちゃが居る中で「二人きり」になれる時間は少ない。
二人きりになれる「キャンプ」の時間を心待ちにしている。

アンディにとっての「特別」。
それは他のおもちゃにはないウッディにとってのアイデンティティだ。
前作ではバズの登場によってそれがゆらいだことが騒動のきっかけにもなった。
トイ・ストーリーという作品はずっと4にいたるまで、
「存在意義」の物語だ。

「遊ばれない」ということはウッディにっても、おもちゃにとっても
自身の存在意義を失うことと同義だ。
そんな中でアンディが遊んでいる最中にウッディの腕が「壊れてしまう」
ところから物語は始まる。

喪失感

アンディの母は残酷だが現実なことをさらっとアンディに投げかける。

「しょうがないわ、どんなおもちゃもいつかは壊れてしまうのだから」

彼らはものだ。
人間たちは彼らに意思があり、自由に動けることは知らない。
だからこその残酷な言葉だ。
壊れたおもちゃはどうなるのだろうか。
普通なら「直す」か、もしくは「捨てる」かだ。

それはおもちゃたちにとっては「死」を意味していると言ってもいい。
壊れてしまえば子供とは遊ばれない、
それどころかゴミに捨てられ、燃やされてしまう。
「死の概念」がない彼らにとっての死は子供と遊ばれないことだ。
悪夢だ。

アンディの母は平気でアンディの遊ばなくなったおもちゃを
「フリーマーケット」に出そうとする始末だ。
子供の心も、おもちゃの心も知らずに。
モノとして売ってしまう。それは大人にとっては当たり前だ。

前作は子供にとっては「おもちゃ」は大切にしようねという
テーマのある作品だった。
映画を見た後に思わず自分の持ってるおもちゃを抱きしめ、大切にしようと思える。

今作は子供にさらに残酷さを突きつける。
子どもたちが大切にせず、壊れてしまったおもちゃ、
捨ててしまったおもちゃがどう思っているのか。
そんな中で「ウッディ」がコレクターに盗まれてしまうところから
物語が動き出す。

特別

ウッディは盗まれた先で「自分自身」を知る。
バズは最初から自分自身の「設定」や自分が何者なのかをわかっていたが、
ウッディは自分自身の「設定」を知らずに居た。
盗まれた先にあるのは自分自身のポスター、ステッカー、
白黒映像で作られた「人形劇」だ。

仲間とともに大人気の番組が作られていた過去。
自分自身が「特別」であることを彼は初めて知った。
それは彼にとってのもう1つの可能性であり、存在意義だ。
今までの彼にとっての存在意義は「アンディのおもちゃ」だ、
だが、そこにもう1つの可能性が示唆される。

特別な、価値のある「おもちゃ」として博物館に飾られ
多くの人に見てもらう。
アンディのおもちゃ以外の行き方をしったウッディは
何をおもい、どう判断するのか。

捨てられた

コレクターのもとにはウッディの番組に出ていた
おもちゃたちもいる。その一人が「ジェシー」だ。
彼女もかつてはウッディのように「大切」に子供と
一緒に遊ばれていたおもちゃだった。だが、捨てられてしまった。
彼女は子供に、特別な人に裏切られ、アイデンティを喪失してしまったおもちゃだ。

ウッディが一緒に博物館に行ってくれなければ、
彼女はまた倉庫の奥深くの暗闇に閉じ込められてしまう。
同じおもちゃである「プロスペクター」は彼に投げかける。

「いつまで続くと思う?アンディがお前を大学に連れて行くか?
 新婚旅行に。アンディは大人になる、それを止めることはできない」

辛い現実だ。
これを見ている「子どもたち」にはわからない、
だが、一緒に見ている「大人」には心を抉るような一言だ。
私達が子供の頃、遊んでいたおもちゃはいまそばには無い。
あのころ遊んだ仮面ライダー人形、バービー人形、
いろいろな玩具たちはいつのまにかどこかへいってしまった。

プロスペクターの言葉は真実だ。
それゆえに彼らが提案する「博物館で何世代の子供に愛される」という
生き方も1つの手段だ。
子供たちにいずれ飽きられて捨てられるくらいなら、珍しいおもちゃとして
博物館に飾られて一生過ごす方がましなのかもしれない。

バズ

悩み、彼らとともに博物館へと行くことを決めていたウッディに
バズは投げかける。

「君はコレクターズアイテムじゃない、子どもの遊び相手なんだ。
 君はただのおもちゃだ
 おもちゃは子供に愛されてこそ価値がある。」

これは前作でウッディがバズに対して言っていた言葉だ
前作で自身がおもちゃであることを、自身の「スペースレンジャー」ではない
自分に対し、ウッディは存在意義を与えてくれた。
だからこそ、そんな彼への思いと苛立ちが、
彼に自身の心を震わせた言葉を同じように投げかける。

そんな言葉が彼を奮い立たせる。

「確かにアンディがおとなになることは止められないさ、
 それでも構わない」

彼は自分自身の意志で、2つの生き方から1つを選んだ。
それが自分であり、自分の幸せだと彼は自覚している。
実際、子供たちの成長は止められない。
それをウッディが痛いほどわかっている。

映画のエンディングでウッディとバズは語る、
今を楽しもう、もし、「その時」が来ても仲間がいれば大丈夫だと。
遊ばれてこそのおもちゃ、だけど、捨てられる恐怖が彼らには常にある。

「その時」の話は10年後トイ・ストーリー3で描かれている。

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総評:貴方が子供の頃遊んでいたおもちゃ、どこにありますか?

全体的にみて前作以上にテーマは重くなっている。
さらわれたウッディを助けに行くバズたちのコミカルな行動を描きつつも、
ウッディが「もう1つの生き方」を提示されたことで、
一作目以上におもちゃと人間の関係性を掘り下げており、
おもちゃが「捨てられる」ことへの恐怖を描いている作品だ。

前作よりも映像のクォリティが上がっており、
おもちゃの質感、人間のテイスト、動きetc….
前作ではいかにも3D的なテイストだったが、
今作ではかなり自然な3DCGになっており、おもちゃの質感と
コミカルな動きがピクサーらしい映像表現になっている。

特にウッディの修繕シーンは印象に残ってる人が多いだろう。
腕がとれ、アンディと遊んだことにより少しボロくなったウッディが
綺麗に修繕されるシーンはワクワクしてしまう。

もう一人の「バズ」の存在はスター・ウォーズ的な展開や、
「自身をおもちゃ」と自覚していない彼の存在が
作品全体のコミカルな要素を担っている。

この作品はあくまでも3へのつなぎだ。
1があり、2があり、そして3がある。
そんな3に紡ぐための2は3を見たあとだとより
心に残る台詞のある作品だった。

個人的な感想:久しぶりに

数年ぶりに2を見返したら意外と忘れているシーンも多く、
まるで初回のごとく素直な気持ちで楽しめた一方で、
3をみたあとだと「あぁ…」となってしまう台詞も多かった。

また今作ではエンディング中にNGシーンが描かれている。
このシーンはおまけ的な要素ではあるものの、
非常にユニークで、最初から最後までしっかりと楽しめる味のある作品だ。

「トイ・ストーリー2」は面白い?つまらない?

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