評価 ★★★☆☆(17点) 全120分
あらすじ 見滝原市の女の子たちの間では、この世の呪いと戦うことと引き換えに「トカゲさん電話」が願いをかなえてくれるという噂話がささやかれていた 引用- Wikipedia
終わらせる事から逃げるな
本作品は「魔法少女まどか☆マギカ」の続編となる劇場アニメ作品。
総監督は新房昭之、制作はシャフト。
なお、本レビューはネタバレありの内容となっている。
ここからはネタバレありのレビューとなるので、ご注意いただきたい。
ほむら
本作は、前作「叛逆の物語」から続く正式な続編となっている。
「まどか」を救うため、「ほむら」は彼女を円環の理から無理やり引き剥がした。
その結果、ほむらは「悪魔」を名乗り、因果を書き換え、仲間たちの記憶まで改変してしまう。
まさに、神となった「まどか」に「ほむら」が叛逆する物語だった。
本作品は、そんな「叛逆の物語」の直後から始まる。
相変わらず街の雰囲気は不穏だ。
イヌカレー空間全開で描かれる世界は「魔法少女まどか☆マギカ」らしさに
あふれており、13年ぶりに味わう「まどマギ」の成分がたまらない。
特に序盤は状況がよく分からないからこそ、
TVアニメ版の第1話を見たときに近い感覚がある。
ほむらが支配する街では、「トカゲ電話」という噂が広まっている。
電話に出れば願いを叶えてもらえる。
ただし、その代償として少女たちは呪いと戦わなければならない。
これは、ほむらが擬似的に魔法少女のシステムを再現したものだ。
まどかが世界を改変したことで、魔女という存在は消滅した。
しかし「呪い」と「魔法少女」は残り、その代わりに魔獣が現れている。
本来ならば魔獣に対処するのは魔法少女だ。
だが、ほむらの世界では、新たな魔法少女を生み出していない。
そこで彼女は、キュゥべえのシステムを擬似的に再現する。
願いを叶えたい少女の「思い」を利用し、一晩だけ魔法少女にして戦わせる。
戦いが終われば、少女たちには何の記憶も残らない。
まるで、幸せな夢を見ていたかのように。
そのおかげで、新たな少女が魔法少女として戦い続ける運命を背負うこともない。
すでに魔法少女となっているマミ、さやか、杏子が戦う必要すらなくなっている。
そして、まどかは魔法少女の存在さえ知らず、普通の少女として暮らしている。
これが「叛逆の物語」でほむらが手に入れた、彼女にとっての理想の世界だ。
ただし、このあたりの説明は劇中でほとんど行われない。
「トカゲ電話」にしても、登場するのは序盤と終盤も終盤くらいだ。
トカゲ電話が何を目的としたものなのか、観客側が映像から察しなければならず、序盤から難解さが際立っている。
日常
ほむらが作り出した世界の日常は、平和そのものだ。
誰も死なず、誰も傷つかない。
まどかは魔女や魔法少女の存在すら知らず、普通の少女として平穏に暮らしている。
この平和がいつまでも続けばいい。
それこそが、ほむらの願いだ。しかし、そこへほむらの知らない少女が現れる。
しかも、その少女はほむらと瓜二つだ。
さらに、ほむらの知らない三人の魔法少女が現れ、
彼女たちは徐々にほむらの日常を侵食していく。
魔獣との戦いも、ほむらがトカゲ電話によって
ジェネリック魔法少女を生み出す前に、三人が片付けてしまう。
新たな三人は、さやか、マミ、杏子たちとも親しくなっていく。
この日常シーンには、強い期待感があった。
イヌカレー空間が常に展開していることで画面の見づらさは生まれているものの、過去の場面のパロディーと思えるようなシーンもいくつかある。
ほむらにそっくりな少女は何者なのか。
三人はどこから現れ、何を目的としているのか。
序盤10分ほどは非常に面白く、どんな物語が始まるのかと期待は膨らんでいった。
しかし、30分ほど経過すると少しずつ違和感が生まれ、
50分ほどで本作の抱えている問題が見え始めてしまう。
魔女
希望には代償が伴う。
それが「魔法少女まどか☆マギカ」におけるルールと言ってもいい。
TVアニメ版では、まどかが魔法少女たちを救うため、
魔女という概念を消し去ることを願った。
その代償として、まどか自身が人間として存在できなくなった。
一方、「叛逆の物語」では、ほむらがまどかを救うために自ら悪魔となった。
しかし、その時点では、ほむらは大きな代償を支払っていなかった。
今作で描かれるのは、「叛逆の物語」でほむらが手に入れた希望の代償だ。
ほむらは、まどかが死なない世界を願い、彼女を円環の理という概念から引き剥がした。
魔女という概念そのものは消えたままだ。
その代わりに魔獣が存在し、魔法少女たちは魔獣と戦っている。
しかし、まどかを引き剥がしたことで、
円環の理というシステムそのものにほころびが生まれてしまった。
それが、ほむらの世界に現れた三人の少女。
かつて魔女だった者たちだ。
彼女たちは、円環の理から引き剥がされたまどかを取り戻そうとしている。
この設定そのものは悪くない。
むしろ「叛逆の物語」の続編として非常に自然であり、
まどマギらしい希望と代償の物語になっている。
問題は、それを見せるための物語があまりにも回りくどいことだ。
テンポ
設定やシチュエーションは悪くないのだが、
本作は致命的なまでにテンポが悪い。
例えば、ほむらがさやかと共に三人の正体を探ろうとする場面がある。
ようやく話が動き始めるかと思いきや、
ほむらは途中で「今日はここまでね」と捜索をやめ、普通に帰ってしまう。
見ている側としては意味が分からない。
とっとと話を進めてほしいのに、回りくどい展開や妙に間延びした場面がかなり多い。
さまざまな場面で、いわゆる「イヌカレー空間」を見せたいのは分かる。
だが、こちらが見たいのは背景ではなく、物語とキャラクターだ。
今作は、常にイヌカレー空間がストーリーや
キャラクターよりも画面の前に出ているような印象がある。
新キャラ問題
このグダグダ感は作品全体に存在し、中盤になると明確な「ダレ」が生まれている。
その大きな原因が三人の新キャラクターだ。
はっきり言って、多い。
最大のネタバレをしてしまうと、三人のうちの一人、
ほむらにそっくりな少女は、あの「ワルプルギスの夜」そのものだ。
ワルプルギスの夜という魔女が、どのようにして生まれたのか。
なぜ、何人もの魔法少女が立ち向かっても勝てないほどの存在となったのか。
本作では、そのバックボーンが描かれる。
この掘り下げに関しては「魔法少女まどか☆マギカ」の続編だからこそ必要な部分であり、物語としても興味深い。
だが、残り二人の扱いには疑問が残る。
この世界にはさまざまな魔法少女がいた。
彼女たちも希望を抱き、願いを叶え、
その代償によって絶望し、魔女になっていった。
それ自体は分かる。
しかし、そんな「魔法少女まどか☆マギカ」では当たり前ともいえる事実を改めて描くために、二人もの新キャラクターを追加する必要があったのだろうか。
「魔法少女まどか☆マギカ」は、
基本的に五人の魔法少女と一匹で物語が成立していた作品だ。
「叛逆の物語」では、お菓子の魔女であるなぎさが加わったものの、
既存のキャラクターを押しのけるような存在ではなかった。
しかし、本作ではいきなり三人もの新キャラクターが加わり、
サブキャラクターどころか物語の中心にまで入り込んでくる。
その結果、新キャラクターの掘り下げや、
既存キャラクターとの関係性を構築することに時間を使いすぎてしまっている。
ジャンプ
このあたりから、感覚的には
「平成のジャンプアニメ映画」を見ているような気分になってくる。
平成のジャンプアニメ映画には、劇場版オリジナルの敵が何人も登場し、
既存のキャラクターがそれぞれの相手と戦って終わる作品が多かった。
本作は、まさにそれだ。
三人の新キャラクターが現れ、既存のキャラクターがそれぞれと戦う。
戦いの途中には敵側の「かわいそうな過去」が描かれる。
その構成には「鬼滅の刃」っぽさすら漂っている。
ワルプルギスの夜はTVアニメ版から存在していた敵であり、
彼女の過去や回想そのものは面白い。
なぜ魔女という存在が生まれたのかという部分にまで踏み込んでおり、
「魔法少女まどか☆マギカ」という作品の設定を掘り下げる要素として悪くない。
しかし、残り二人は既存キャラクターに
戦う相手を用意するために登場したという印象が強い。
せめて三人ではなく二人なら、
テンポの悪さも多少は和らいだのではないだろうか。
三人の掘り下げに必死になった結果、
マミはほとんどサービスシーンのような出番しかなく、存在感が薄い。
杏子とさやかも出番自体は多いものの、
こちらが見たい二人の関係性をほとんど見せてくれない。
五人の魔法少女を描いてきたシリーズなのに、
新キャラクター三人のために既存キャラクターが割を食っている。
そこが大きな問題だ。
新キャラクターがかわいくないわけでも、設定がつまらないわけでもない。
ただ、私はそこを見に来たのではない。
13年待って見たかったのは、まどかとほむらの続きだった。
終盤
終盤、新キャラクターたちの介入によって、まどかが魔女になってしまう。
まどかが魔女になるという、TVアニメ版では
想像もつかなかった展開を見せてくれること自体は素晴らしい。
しかし、この終盤はとにかくゴチャゴチャしている。
ワルプルギスの夜は、あくまで魔法少女の姿で、ほむらたちと共闘する。
彼女自身が抱えていた問題も、いつの間にかふわっと解決してしまう。
私は、ワルプルギスの夜と五人の魔法少女が本気でぶつかる姿を見たかった。
ワルプルギスの過去を知り、それでも戦わなければならない。
あるいは、彼女を救うために五人が力を合わせる。
そんなストレートな展開は「まどマギらしくない」のかもしれない。
だが、タイトルにまでなっている存在が、
ふわっと共闘して、ふわっと問題を解決してしまう展開よりは、
よほど見応えがあったはずだ。
途中で、さやかがこのゴチャゴチャした状況にブチ切れ、
「アタシたち、何と戦ってるの?」
と言い放つ。
まさに、見ている私たちも同じように感じてしまう部分だろう。
そこから、さやかが唐突に戦線を離脱し、そのまま帰宅。
ベッドに寝転んでいたかと思えば、なぎさに説得されて戦線へ復帰する。
この一連の流れが異様なテンポで描かれるため、
即帰宅からの即復帰という、妙なギャグのような雰囲気すら生まれている。
そもそも、さやかは序盤から包帯でグルグル巻きにされている。
それにも何か大きな意味があるのかと思えば、いつの間にか包帯は減り、
最終的には首元に残っている程度だ。
今作のさやかは、あまりにもネタキャラクターとして扱われすぎている。
そんな戦闘のなかで、まどかは円環の理に導かれてしまう。
爽やか
この終盤には「魔法少女まどか☆マギカ」らしくない爽やかさがある。
円環の理へ帰ろうとするまどか。
それを前にして、ほむらはまどかを引き留めることを諦めようとする。
そんなほむらを励ますのが、さやかだ。
「まどかの名前と存在を覚えているのは、あなただけだ」
他のキャラクターたちからも応援を受け、ほむらは立ち上がる。
まるで元気玉のように仲間たちの思いを受け取り、
超絶パワーを解放して円環の理へ挑む。
非常に素晴らしい盛り上がりだ。
神である円環の理に、悪魔であるほむらが仲間たちの応援を受けて立ち向かう。
展開だけを見れば、驚くほど王道で爽やかだ。
しかし、ほむらはワンパンで負ける(苦笑)
ドラゴンボールで言えば、
みんなの思いを集めた元気玉が不発に終わったようなものだ。
せっかく積み上げた盛り上がりが一瞬で消滅し、
そのまま本作はラストを迎えてしまう。
エンディング
このラストは、非常に解釈が分かれるものになっている。
ベンチに横たわり、眠ったまま笑顔を浮かべるほむら。
最初はまどかがそんなほむらを膝枕しているのだが、
まどかはいつの間にか消えてしまう。
エンドロールでは、二人分の足跡が近づき、やがて離れていく。
さらに最後には、宇宙の外側に存在する、
魔女たちのアカシックレコードのような場所で電話が鳴り響く。
その電話を、巨大な円環の理が取る。
そこにはキュゥべえも存在し、また何かを企んでいることが示唆されて終わる。
どうだろうか(苦笑)
TVアニメ版の「魔法少女まどか☆マギカ」や「叛逆の物語」は、
展開自体は分かりやすかった。
まどかが円環の理となり、魔女という概念を消し去って終わる。
ほむらがまどかを円環の理から引き剥がし、自らの世界を作り上げて終わる。
結末で何が起きたのかは、どちらも明快だった。
しかし、今作のラストは、そのようにはっきりと言葉で表すことができない。
まどかは円環の理へ帰ったのか。人間として残ったのか。
ほむらは悪魔の力を失ったのか。まどかの記憶まで失ったのか。
考察はいくらでもできる。
しかし、作品の中にそれを確定させる答えがない。
考察
私なりの考察を言えば、最後に鳴っていた電話は、
冒頭に登場した「トカゲ電話」なのだと思う。
この電話を受けた少女は、一時的に魔法少女となり、
自分の願いが叶ったかのような幸福な夢を見る。
しかし、目を覚ましたときには何も覚えていない。
ほむらとまどかは現実では別れてしまった。
それでも、このトカゲ電話を介して、夢の中では再会できるのではないだろうか。
だからこそ、ほむらは眠ったまま笑顔を浮かべていた。
ほむらは悪魔の力を失い、
目を覚ませばまどかのことすら覚えていないのかもしれない。
それでも夢の中だけでは、まどかと会うことができる。
それが、私なりに受け取った本作のわずかな救いだ。
しかし、これさえ制作側が提示した明確な答えではなく、一つの解釈にすぎない。
実際、SNSでは本作の結末について、さまざまな解釈が語られている。
トカゲ電話についても、私とはまったく逆の考察をしている人がいる。
こうした状況そのものは、制作側が意図したものなのだろう。
あえて明確な結末を作らず、観客に解釈を委ねる。
さらに、最後にキュゥべえが何かを企んでいる姿を見せることで、
この先もいくらでも続編を作れるようにしている。
答え
TVアニメ版にも「叛逆の物語」にも、考察の余地はあった。
だが、そこで描かれた結末は明快だった。
まどかは魔法少女を救うために、自分を犠牲にして円環の理となった。
ほむらはそんなまどかを救うために、世界の理に背いて悪魔となった。
何が起きたのかをはっきりと描いたうえで、
その選択は正しかったのかを観客に考えさせていた。
しかし、本作は違う。
今回は「その選択が正しかったのか」以前に、
「結局、何が起きたのか」さえ確定しない。
考察させることと、答えを出さないことは別だ。
制作側が提示した答えについて観客同士が語り合うのではなく、
制作側が提示しなかった答えを観客がそれぞれ補完している。
それを「考察の余地」と呼んでいいのだろうか。
「叛逆の物語」によって上がりきったハードルを、
本作は飛び越えることができなかった。
飛び越えられないなら、くぐる。
あるいは、ハードルそのものを壊す。
何かしらの答えを見せてくれればよかった。
ところが本作は、ハードルを飛び越えられたのかどうか分からない、
その瞬間で映像を止めてしまった。
観客は、ほむらの表情がこうだったから飛び越えたのではないか、
足跡の向きがこうだから失敗したのではないかと、
止められた映像を見ながら考え続けるしかない。
私には、これは結末を観客に委ねたというより、
結末を描くことから逃げたように感じられた。
煮込みすぎたイヌカレー
映像は間違いなく美しい。
作画のクオリティーも高く、実写素材やコラージュ、
抽象的な背景を組み合わせた画面は、劇場で見るだけの価値がある。
冒頭のほむらとワルプルギスの戦いも、映像としては非常に面白かった。
だが、あまりにもイヌカレー空間が多すぎる。
イヌカレー、イヌカレー、イヌカレー。
最初は楽しいが、それが最初から最後まで続くと、
次第に見づらさと疲労へ変わっていく。
新房監督の演出を象徴する「シャフ度」も、
ここぞという場面でキャラクターが首を傾けるから印象に残る。
もし登場人物全員が、最初から最後まで首を傾けたまま会話していたら、
「一回、首を戻そうか」
と思うだろう。
本作のイヌカレー空間は、それに近い。
「魔法少女まどか☆マギカ」は、新房昭之、虚淵玄、劇団イヌカレーという
強烈な作家性がぶつかり合い、その三者のバランスによって成立していた作品だ。
虚淵玄による物語を、新房昭之が映像として制御し、
そこへ劇団イヌカレーの異物感が加わる。
ところが本作では、劇団イヌカレーの作家性だけがあまりにも前へ出すぎている。
イヌカレーが頑張っているのは分かる。
ただ、頑張りすぎている。
映像は豪華なのに、何を見せたい場面なのか分からない。
画面には大量の情報があるのに、物語はなかなか前へ進まない。
クオリティーは上がっているはずなのに、
「まどマギ」としてのバランスは崩れてしまっている。
さらに、本シリーズを象徴するClariSの楽曲がないことも含め、
13年前の「まどマギ」とは何かが違う。
その違和感が、最初から最後まで拭えなかった。
0.5歩
本作は、物語をまったく進めていないわけではない。
ワルプルギスの夜の正体が明かされ、魔女という存在の始まりが描かれ、
円環の理に生じたほころびも示された。
だから、一歩も進んでいないとは言わない。
0.5歩くらいは進んでいる。
だが、13年待たせた作品で、0.5歩はあまりにも少ない。
「叛逆の物語」から三年ほどで公開されていたなら、
この結末でも次を待つことができた。
しかし、実際には13年待った。
そのうえ、本作は三度も公開延期を繰り返している。
ようやく公開された続編が、結末を濁し、
最後にキュゥべえを登場させ、さらなる続編の可能性を匂わせて終わる。
また三年待てばいいのか。
五年なのか。
それとも、もう一度13年待つのか。
本作の直後に「続編、来年公開」と発表されるなら、まだ納得できる。
だが、現時点では次回作があるのかどうかさえ分からない。
終わるなら終わる。
続くなら続く。
せめて、どちらかは示してほしかった。
あえて曖昧な結末にすることで
「魔法少女まどか☆マギカ」というコンテンツを終わらせたくない。
そんな制作側の商業的な意図すら感じてしまったのが
なんとも言えない歯がゆさが残ってしまう作品になってしまった
総評:13年ごしの期待外れ
全体的にみて駄作ではない、しかし同時に名作でもない。
映像は美しく、作画のクオリティーも高い。
ワルプルギスの過去や、ほむらが作り出した世界の設定など、
興味深い部分も数多くある。
まどかが魔女になるという衝撃的な展開もあり、いいシーンもきちんと存在する。
安易に「クソ」や「駄作」という言葉だけで片付けられる作品ではない。
これだけああだこうだと語れるのも、
それだけ「魔法少女まどか☆マギカ」という作品に魅力があるからだ。
だが、いいシーンをうまくつなぎ、爽快感やカタルシスのある結末へ
持っていくことができていない。
「叛逆の物語」は、見終わったあとに素直に、「面白かったから見て」
と言うことができた。
今作は、それが言えない。
面白くなかったわけではない。
しかし、人に勧めようとすると、
「いや、面白かったんだけど……うーん」
となってしまう。
さまざまな映像や設定を次々に食べさせられ、
お腹いっぱいになる作品ならまだいい。
本作は、映像に酔い、展開に酔い、結末にも酔わされる。
見終わったあとに残るのは、満腹感ではなく悪酔いしたような気持ち悪さだ。
面白くは有るのだが、13年待った答えとしては、あまりにも物足りない。
「魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉」は、
13年間上がり続けたハードルを飛び越えるでも、くぐるでもなく、
飛んでいる途中で映像を止めてしまった作品だ。
終わらせることから逃げ、答えを観客に丸投げし、
さらに次の物語へ続けられる余地だけを残した。
13年越しに見たかったのは、こんな「続き」ではない。
私が見たかったのは、
シン・エヴァンゲリオンが大人になって卒業したように、
ガンダムSEED FREEDOMが愛に帰結するように、
そんなまどかとほむらの物語の、
魔法少女まどか★マギカという作品の「答え」を求めていた。
その答えが濁されてしまったのが残念だ。
個人的な感想:イヌカレー
実にイヌカレーは作品だった(苦笑)
脚本もイヌカレー氏のアイデアを元に虚淵玄氏が組み立てたものを、
更にイヌカレー氏が色々いじってるらしく、
特に後半からはもともとの虚淵玄氏の脚本とは大きく違うようだ。
それが見ていてわかりやすい。
映像に関しても「新房昭之」監督の作品というよりは
「イヌカレー」監督の作品といったほうがわかりやすく、
魔法少女まどか★マギカというより外伝のマギアレコードを
見ているような感覚に近い。
作画もきれいになり、キャラクターデザインも変わっている。
13年という月日で変わったものが大きすぎた印象だ。
13年という月日の中で、作画もキャラクターデザインも、
「魔法少女まどか☆マギカ」を作る人たちの関係性も変わってしまった。
果たして、ここから本当に続編は作られるのだろうか。
これで終わりだと言われれば、そう解釈することもできる。
しかし、最後にキュゥべえを出した以上、
制作側にも完全に終わらせるつもりはないのだろう。
だが、ここからさらに13年待つのは、
さすがに厳しい。 次を作るのであれば、せめて次こそは、
「魔法少女まどか☆マギカ」という物語を終わらせる覚悟を持って作ってほしい。
果たしてここから続編というのは有るのか、
これで終わりならば終わりで解釈もできるが……
ここから13年となると色々と厳しそうだ。



