「映画大好きポンポさん」レビュー

5.0
映画
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評価 ★★★★★(97点) 全90分

あらすじ 映画の都「ニャリウッド」にある「ペーターゼンフィルム」で映画をプロデュースしているポンポネット、通称ポンポ引用- Wikipedia

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社会不適合者のあなたへ

原作は「pixiv」に投稿されている漫画作品。
監督は平尾隆之、制作はCLAP

インタビュー


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

この作品の冒頭、キャラクターへのインタビューから始まる。
名俳優、新人女優、そして目に光のない新人監督。
彼らがそういう職についているのは分るものの、
唐突に始まるインタビュー、そしてミュージカル調なOPと、
この作品がどういう作品なのか、誰が主人公なのか、
舞台はどこなのかすらわからない。

しかし、この冒頭のシーンは意味がある。
この作品に決して無駄なシーンはない、無駄なキャラも一人も居ない。
1秒の尺すらこの作品は無駄にしていない。
完成された「90分」の映画の幕が上がる。

映画撮影


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

この作品は「映画作り」をテーマにした作品だ。
「ジョエル・ダヴィドヴィッチ・ポンポネット」通称ポンポさんは
若いながらも敏腕映画プロデューサーとして活躍しているが、
彼女が手掛ける映画は「分かりやすい」B級映画ばかりだ。

セクシーな女優が巨大なモンスターに襲われるパニック映画、
そんな日本では深夜2時にやっていそうな、
いわゆる「お馬鹿な映画」ばかりを手掛けている。

だが、彼女には彼女の矜持がある。

「映画は女優さえ綺麗に撮れてればOK、軸さえ決まればいい」
「おバカ映画で感動させる」

彼女の口から出てくる言葉は全てが名言だ。
絶対的な自信、そんな自信を裏付ける実績が彼女にはある。
名監督を祖父に持ち、幼い頃からそんな祖父につきあわされ
何本もの映画を見てきた彼女だからこその言葉だ。

映画に余計な肉付けは要らない、脂肪まみれの映画は駄目。
彼女は長い映画を嫌い、90分の映画こそ至高だと考えている。
客に2時間もの集中を強いるのは現代的ではない。

彼女のセリフには見ているこちら側も思わず納得してしまい、
説得力のあるセリフだからこそ、この映画の「90分」という
尺の中でポンポさんの凄さと存在感を醸し出している。

そんな彼女のアシスタントが今作の主人公だ。

映画監督見習い


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

「ジーン・フィニ」は映画を撮りたいとは思っているが、
まだ1作品も手掛けたことがない青年だ。彼の目は死んでおり、
そんな死んだ魚のような目を見てポンポさんは
彼をアシスタントにしている。

ポンポさんのアシスタントとして映画撮影の現場に足を運び、
彼は自身のノートに映画のアイデアや手法をずっと書き込んでいる。
それは今に始まったことではない、彼はずっと、
「ジーン・フィニ」という青年の人生はずっと映画を作るためにある。
そのために彼はずっと自身のノートを暗記するほど映画作りに
全てを掛けている

そんな彼が「15秒の予告映像」の制作を任されるところから
ストーリーが動き出す。
死んだ魚の目をもつ青年はいかにして監督になるのか。
この作品の物語の主軸だ。

15秒の獣


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

予告映像は映画本編よりも見られるものだ。
90分や2時間の映画を15秒にまとめる、責任は重大だ。
どのシーンを切り取り、どう見せ、どう煽るのか。
それによって映画の興行収入も変わるかもしれない。

普段私達が何気なく見ている「予告映像」。
そんな予告映像を作るということの凄さを
「ジーン・フィニ」という主人公を通して痛いほどに伝わってくる。
編集という作業は地味だ、パソコンに向かい、マウスとキーボードで
カチカチとやる。

普通に描いてしまえばとんでもなく地味なシーンだ。
しかし、この作品はそんな地味なシーンを大胆に描く。
「ジーン・フィニ」にはこうう見えている、まるで宙に無数の
シーンが浮かび、それを自らが持つ巨大な剣で
「切る」「切る」「切る」

シーンを「カット」するという単純な作業を
まるでバトルシーンのように大胆に描くことで
地味な編集作業がとんでもなく面白い迫力のあるシーンに仕上げることで
「目」で見ている側に編集というものの凄さというのを
観客に見せ付けている。

演出


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

やや大げさとも言えるリアクションや映像、音楽、演出をすることで
「分かりやすい」面白さをダイレクトにぶつけられているような感覚だ。
目が離せない、いや、離すスキすらこの作品は与えてくれない。

90分というこの作品の「尺」に無駄はない。
1コマ1コマが全てが計算しつくされたシーンの連続だ。
常に殴られ続けるようなそんな感覚にすらなる。

特に「演出」の優秀さが郡を抜いている。
私は「スロー」という演出が嫌いだ、大抵の作品において
「スロー」演出を多用する監督は作品作りにおけるセンスがかけており
単純な尺稼ぎとしてしか使っていない。
なぜ、そのシーンをスローにするのか、スローにする意味はあるのか。
スローになるシーンを見るたびに私は常にそう感じている。

しかし、この作品は違う。こんなにも効果的にスローを使う作品は
無いと断言したくなるほどに「スロー」にする意味が生まれている。
例えばキャラクターとすれちがう一瞬、本来ならば一瞬でしかないシーンを
スローにすることによってすれ違ったキャラを印象づけ、表情も見せる。

ダラダラとしたスローではない、一瞬のスローが
作品自体に「緩急」を生んでおり、少女とすれ違うというシーンだけなのに
強烈に印章に残るシーンに仕上げている。

「ジーン・フィニ」の目は監督の目だ、映画監督の目を持っている。
日常のさりげないシーンも彼にとっては映画のワンシーンに切り替わる。
そんな彼を通して「横断歩道を渡る少女」の一瞬をスローで
まるで映画のワンシーンのよう見せる。
「すれ違った少女」と「横断歩道を渡る少女」、これは同一人物だ。

彼女はまだデビューもしていない夢をもった新人女優だ。

映画撮影


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

ポンポさんは人を見る目をもつ人だ。
いや、正確に言えば「創作に向いている」人を見出すのがうまい。
彼女のお眼鏡にかなう人物は才能を秘めている。
彼女は言う、幸福は創作の敵だと。

不幸な人間ほど、現実逃避して逃げた人間ほど
精神世界が深く広がっており、そんな人物だからこそ創作に活かされる。
社会不適合者こそ創作をやるべきだ。

まさに「ジーン・フィニ」がそれだ。
彼は全てを映画に注いできた。友人も家族も恋愛も、彼には不要だ。
それを逃げたと表現する人もいるだろう、だが、
彼は「切り捨てた」だけだ。まるで映画を編集するように
自分自身にとって、自分がやりたいもの以外を全て切り捨てた。

だからこそ彼は名監督になれる才能がある。
彼には後がない、映画しか無い、それを取り上げてしまえば彼には
何も残らない。生きる意味すら無い。
全てを「映画」というものに捧げたジーンフィニの初監督作品の
撮影が始まる。

脚本を手掛けるのは「ポンポさん」だ。
今まで彼女が手掛けてきたB級映画とは違う、
確実に「ニャカデミー賞(アカデミー賞)」を取りに行く、
名作映画を彼は撮ろうとしている。

主役に選ばれたのは引退していた名優と、
演技経験もろくにない新人女優だ。
なぜ、ポンポさんは彼女を選んだのか。

時間は巻き戻る。

時間


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

この作品は「時間」そのものを見せている。
時間の経過やときにはその時間が巻き戻ったりする。
その時間の流れをときには朝と夜という景色の変化で見せ、
時にはシーンを巻き戻す演出で見せ、
時には画面を分割して一気に進める。

単純にカットして場面転換をするのではない。
きちんと「時間」そのものをアニメーショとして見せることで
「間」がない。見ている側が目を離すスキも息をつかせるスキもなく
常に画面では何かを表現し、何かを伝えようとしている。
この作品はノンストップだ。

ポンポさんの言葉を借りるならばこの作品には脂肪と呼べる部分がない。
極限までに削ぎ落とされた完璧なるボディービルダーの肉体のごとく、
スピーディーにストーリーが展開していく。
アクセルフルスロットルで突き進みながら、急に猛烈な勢いでバックし
時間を進めたり戻したりを強烈に行っている。

ちょっと船酔いしそうなくらいのストーリー構成だ(笑)
だが、わからないということはない。
極限までに削ぎ落とされている内容を畳み掛けるように、
シンプルな内容であるがゆえに直接脳内に焼き付けるかのように
物語が描かれる。

ナタリー・ウッドワード


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

彼女は夢見る少女だ。
小さい頃から女優になることを夢見て、田舎から出てきた少女。
バイトに明け暮れ、日々の食事もままならない。
だが、彼女は女優になることを諦めなかった。
彼女もまた「己の全て」を女優に捧げてきた。
女優になれないなら死ぬ、そんな覚悟で彼女は生きている。

そんな彼女にチャンスが訪れる。
「ポンポさん」は彼女を見て思わず当て書きするほど
彼女に何かを見る。自らが想像した世界の人物に
彼女がふさわしかったからなのか、それとも、
ジーンと同じように彼女に何かを見出したのか。

あの時、あの瞬間、彼女は「ジーン」の目に止まっていた。
何気ない彼女の日常を思わず彼が切り取るほど、
彼女は天性の女優としての質があった。
あの時、あの瞬間、彼女は名監督と名プロデューサーの目に止まっていた。

夢を叶えるチャンスを得た少女はきらびやかだ。
だが演技力がクソである(笑)
2週間に1回しかレッスンをせず、他の時間はバイトをするしかなかった。
そうでなければ生きられなかった彼女にポンポさんは芝居に
集中できる環境を用意する。

時間を巻き戻し彼女のエピソードを描いた後に
時間を一気に進めることで彼女の成長を描く。

新人女優と新人監督、二人の映画作りがいよいよ始まる。
夢のスタート地点だ。だが不安はある、
自分でいいのか?私でいいのか?だが、そんな不安よりも、
彼と彼女には「ここ」しかない。

色々なものを投げ捨ててきた、逃げてきた。
もう逃げ場所もない、投げ捨てるものは後は命くらいしか無い。
映画をとるか、死ぬか。
女優になるか、死ぬか。

追い詰められた二人だからこそ互いが互いを励まし支え合う。
決して安っぽい恋愛展開になるわけじゃない。
恋愛感情なんて二人にはない、そんな余裕なんてありはしない。
そんなものはもう、二人は捨ててきたのだ。

後がないからこそ彼らは死ぬ物狂いで映画というものに取り組む。

撮影


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

いざ撮影が始まると「名俳優」の圧にやられる。
彼は普段、明るく女好きなおじさんだ。
しかし、撮影が始まった瞬間に彼は一気に役になりきる、
憑依したと言ってもいいくらいだ。

そんな「圧」の表現。やや大げさとも言えるリアクションをすることで
より俳優の凄さが見ている側にも伝わる。
この作品は「見せて」伝えるというのが本当にうまい。
故に目が離せない、いや、離したくない。
網膜に1シーン1シーンを焼き付けたくなるほどの作品としての圧がある。

そんな圧に負けてないのが「ナタリー・ウッドワード」だ。
名俳優に決して臆せず、遅れを取らない。
彼女もカメラが回れば女優になる。新人であることを感じさせない圧、
そんな圧を名俳優を同じように表現することによって
彼女の成長と凄さを感じさせる。

撮影にはトラブルがつきものだ。
だが、そんなトラブルさえも「ジーン」は映画の中に取り込む。
撮影に使うヤギの数が足りなくなったら足りないことを活かし、
雨が降れば、その雨を活かす。

むしろトラブルが合ったからこそ映画がより良いものなっていく。
「ジーン」が映画監督として覚醒し、どんどんとシーンを撮っていく中で
見ている側が彼らが作っている映画がどんな映画なのか、
どんなストーリーなのかが見ている側にも断片的に伝わってくる。

中盤からは2本の映画を同時に見ているような感覚になる。
「映画大好きポンポさん」と、
その劇中作である「MEISTER」。
名作を1度の映画で2本、一気に味わっているような感覚だ。

楽しそうに映画を作る光景はこの作品に参加している制作スタッフも
作中のキャラクヤーも全て「創作」というものを好きなんだという
気持ちが伝わってくる。「映画愛」にあふれていると言ってもいい。

アラン・ガードナー


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

鑑賞後にwikipediaを見て驚いたというよりは震えたのだが、
「アラン・ガードナー」は映画オリジナルキャラクターだ。
本来は原作には登場しない。

彼は「ジーン」のハイスクール時代のクラスメイトだ。
ただ、友人と呼べるほど仲が良かったわけではない。
ジーンが映画が好きなことは知っていたが、どちらかといえば
ジーンのことを見下していたと言ってもいい。
彼は何事もそつなくこなすリア充だ。

時間は流れ彼も就職した。彼は銀行マンだ。
だが彼は別に半沢直樹のように銀行マンになりたくてなったわけではない。
なんとなく銀行マンになっただけだ。
なにか目的もなく、やりがいがあるわけでもない、だが、
他にやりたいと思えるなにかがあるわけでもない。
それなのに上司には叱られる。そんな日々の中で彼の目は死に始めていた。

そんな中でジーンと再会する。
かつて下に見ていたクラスメイトが夢を叶え映画監督になっている。
過去の自分の考えを彼は改める。

「お前はずっと前を向いてたんだな」

何者にもなれなかった彼は映画監督になったジーンに対して
尊敬の念すら見せている。
そんな「彼」が物語にどう関わるのか。

映画の撮影は終わる。だが、ここで終わりではない。
取った映像を編集する時間だ。
本来は映像の編集は別に任せるのが多いようだが、
「ジーン」はそれでは自分の作品ではなくなると考え自ら編集を手掛ける。

編集


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

ジーンには自信があった。彼はかつてポンポさんが手掛けた作品を
編集した経験という名の実績があり編集作業を楽しいものだと思っていた。
しかし、今回は大きな違いがある。
他人が撮ったものと、自分が撮ったもの。この違いは大きい。

客観的に自分のとったものを見ないといけない。
このシーンは大事だ、このシーンには思い出がある、だが、
本当に映画の中でそのシーンは必要なのか?
無くても成立するのではないか?
自分が撮ったものをカットする、切り捨てることの苦悩がつきまとう。

このシーンを見せたい、このシーンも見せたい。
そんな思いがどんどんと尺を伸ばす。
だが、映画は限られた時間の中に収めなければならない。
どんなに長くても3時間、普通なら2時間の範囲に収めなければいけない。

しかし、収めきれない。
無駄な脂肪のない作品は優秀だ、だがそれゆえに、難しい。
無駄を削ぎ落とすことの難しさがジーンを通してひしひしと
見ている側に伝わる。見ていて胃が痛くなるほどだ。

彼は生きてきた人生の中でありとあらゆるものを切り捨てて
映画に挑んでいる。だが、
そんな大好きで人生をかけて撮った映画ですら切り捨てなければならない。
まるで自分自身を切り裂くように彼は編集を続ける。

だが答えが見えない。何が正解なのか。どうすればいいのか。
何度も繰り返される編集を何度も観客にも見せることで
編集による違いを見せられるが、見ている側にもその答えはわからない。
ジーンと同じように苦悩してしまう。

答え


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

答えは映画の中にある。
ポンポさんは「リリー」というキャラクターを作る上で
ナタリーを当て書きしている。
それと同じように「ジルベール」という主役もまた当て書きされている。
ジーンだ。

「ジルベール」は孤高の天才だ。音楽にすべてを捧げてきた。
だが、迷う中で己を見失い、田舎の街にひっそりとやってきた。
そこで出会うのが「リリー」だ。

音楽は誰のためにあるのか。なぜ音楽が好きになったのか。
ジルベールの苦悩とジーンの苦悩が重なる。
作品とは自己投影と自己否定のたわものだ。
ジーンはジルベールに自己を投影し、自己否定を繰り返しながら
作品を作り上げていく。

だからこそ彼は気づく。「シーン」が足りない。
自分が過去を切り捨てたからこそ今があるように、
「ジルベール」にも過去を切り捨てるシーンがなければ駄目なのだと。
ポンポさんが手掛けた脚本にはないシーンを彼は求めた。

しかし、お金がない。本来は予定にはないシーンの撮影は
途方も無いお金がかかってしまう。

作品の中に自分を見た


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

立ち上がるのは「アラン」だ。彼は銀行マンをやめようと思っていた。
だが、追加予算のための融資を友が求めていることを知った。
「自分」にしかできない、「自分」だからこそできることを彼は見出す。

彼は知っている。ジーンという人間が映画に全てを賭けていることを。
自分が若いときに女のことを遊んでいたときもジーンは映画のことだけを
考えていた。そんなジーンが作る映画がつまらないわけがない。
なんとなく銀行マンをやっていた彼の目に光が宿る、
彼は全てを失う覚悟で仕事に挑む。

もう何者にもなれなかったアランではない。
そこには「銀行マン」としての彼が居る。
映画作りも銀行マンも変わらない、本気でなにかに、
すべてを失う覚悟で挑むものには物語が生まれる。

私はこの作品で彼に1番感情移入してしまった。
何者にもなれなかった私、そんな私がこの作品の中にはいた。

作中の巨匠は言う。

「なぜ映画が好きなのか?作品の中に自分を見つけたからではないのか?」

なぜ映画を作るのか


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

ここで冒頭のインタビューへとつながる。
このインタビューはアランが世界中の人に問うためのものだ。
彼はクラウドファンディングを行い、予算を集めようとしている。

ジーンの作る映画に関わる人へのインタビューで
なぜ役者をしているのか、なぜ映画を作っているのかを問う。
そんなインタビューを全世界に見せることで
彼は全世界の人たちに問う。この人達が作り上げた映画を見たいかと。

そんなインタビューの中でジーンは答える。
彼は映画が好きだった、そんな彼が映画を作りたいと思ったきっかけ。
名前も顔も知らないあの子、エンドロールの前にいつも席を立ち上がり
帰ってしまうあの子、そんなあの子もエンドロールまで立ち上がらない、
満足できる映画を自分が作りたい。

そう思ったからこそ彼は映画監督になった。
そんなあの子。

ジョエル・ダヴィドヴィッチ・ポンポネット


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

ポンポさんは映画で感動したことがなかった。
巨匠の祖父に付き合い、幼い頃から映画を見せられていた。
長くて難しい映画は子供にとって退屈で、
短くて楽しい映画が彼女は好きだった。
どんな映画を見ても彼女はエンドロールの前には立ち上がっていた。

いつか自分が満足できる映画が見たい、いつかエンドロールの
最後の一瞬まで立ち上げれないほど感動できる作品が見たい。
映画の中に自分を見つけたい。
そんな思いが彼女を映画の世界へと走らせた。

そんな思いを託されたのは「ジーン」だ。
作品を作るということは自己投影そのものだ。
ポンポさんもまた自分が脚本から手掛けた作品に自己を投影していた。
映画では些細な脇役な彼に、ぽんぽさん自身が当て書きされている。

生きることは選択の連続だ。それは映画作りも変わらない。
彼らは色々なものを切り捨ててきた、自ら作る作品すらも切り捨てた。
彼らに後はない、これ以外にはない。

そんな作品が「完成」する。
ポンポさんはエンドロールまで立ち上がらない。
そして彼に告げる。

「君の映画大好きだぞ」

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総評:90分の意味


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

全体的に見てとんでもない作品だった。
この作品をシンプルに「面白い」とは言えない、
そんな言葉で片付けたくないと感じてしまうほど強烈な作品だ。
1シーン1シーン、1コマ1コマで殴りかかってくる。
見終わったあとに私の感情と涙腺はボロボロだった。

「映画を作る」
この作品はシンプルにそれだけだ。余計なストーリーはない。
映画における俳優、役者、監督、プロデューサー、銀行マン、
そんな彼らの映画に掛ける思いが90分にこれでもかと詰め込まれている。

計算しつくされた90分だ。
作中でもポンポさんは映画が「90分がいい」と言っている。
この作品も90分だ(笑)
映画の尺自体にもきちんと意味があり、それが「オチ」にもなっている。
これほどまでに計算しつくされた作品を私は知らない。

計算しつくされたストーリー構成、
決して尺稼ぎではない演出の数々、声優の演技、
全てにおいて計算がされている。完璧な90分だ。

ただこの作品は決して万人受けはしないだろう。
この作品は
「なにかに逃げた」人へ送る作品だ。
「社会不適合者」に送る作品だ
「切り捨ててきた」人へ送る作品だ。

万人受けする作品を狙わなかった。
ターゲットを絞ったからこそ、そんなターゲットに深く突き刺さる。
全ての社会不適合者に、この作品を贈りたい。

個人的な感想:名作はふいに訪れる


画像引用元:劇場アニメ『映画大好きポンポさん』公開直前PVより
(C)2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

Twitterで面白いと噂になり、事前情報ほぼ0で映画館に訪れたら
とんでもない作品に出会ってしまった。
あまりにも強烈なインパクト、玄関開けたらアントニオ猪木に
いきなり90分ずっとビンタされてるような感覚に陥る。

もし自宅でこの作品を見ていたなら私は漏らしていたかもしれない(笑)
それほどまでに目が離せず、1シーン1シーンに面白さがある。
もう1度みたい。見終わった直後にそう感じさせる面白さがある。

ぜひ、劇場で見てほしい。きっと「貴方」にもこの作品は突き刺さる。
惜しむべきは興行収入がふるわないという点だ。
私も5日ほど前にこの作品を知ったくらいで知名度があるとは言えず、
今はTwitterで少し話題にはなっているが、
もう少し宣伝されて広まることを期待したい。

「」おもしろい?つまらない?


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