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計算された15年前の怪物「魔法少女まどか☆マギカ」レビュー

5.0
魔法少女まどか☆マギカ ファンタジーアニメ一覧
画像引用元:©Magica Quartet/Aniplex,Madoka Project
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オタク歴25年、アニメレビュー歴13年、YouTube登録者11万人。 個人的な視点で語るアニメ批評です。

評価 ★★★★★(93点) 全12話

魔法少女まどか★マギカ PV

あらすじ 鹿目まどかが巨大な怪物に破壊された市街地で傷つきながら戦う少女暁美ほむらを目撃し、白い動物のような生き物キュゥべえから「僕と契約して、魔法少女になってよ」と告げられる夢を見る引用- Wikipedia

計算された15年前の怪物

本作品はオリジナルTVアニメ作品。
監督は新房昭之、制作はシャフト。

魔法少女

今となっては「魔法少女まどか☆マギカ」という作品について、
何の前情報もなく見ることは難しい。

可愛らしいキャラクターとは裏腹にダークな物語が描かれることも、
3話で何が起きるのかも、キュゥべえがどういう存在なのかも、
アニメをそれほど見ない人ですら知っているかもしれない。

それほどまでに本作品は有名になった。

2011年に放送された本作品は、
蒼樹うめによる可愛らしいキャラクターデザイン、
新房昭之監督とシャフトによるクセの強い映像表現、
そして虚淵玄による脚本という組み合わせで作られている。

放送当時は、この組み合わせだけでも異様だった。

放送当時はいわゆる「覇権」アニメとなり、
東日本大震災の影響によって最終2話の放送が延期され、
その結末を心待ちにしていた人も多いはずだ。

改めて全12話を見返してみると、
この作品の凄さは「可愛い魔法少女が酷い目に遭う」という
単純なギャップだけではないことがよく分かる。

むしろ本作品は、
「魔法少女になるとはどういうことなのか」
それを全12話かけて描いた作品だ。

1話冒頭、主人公である鹿目まどかは不思議な夢を見る。
見知らぬ少女が戦う姿を目にし、
謎の存在から魔法少女になることを勧められる。

そして現実でも、
夢の中で目にした不思議な生物「キュゥべえ」と遭遇する。
というところから物語は始まる。

キュゥべえは少女たちにこう持ちかける。
どんな願いでも一つ叶えてあげる。
その代わりに魔法少女となり、
魔女と戦ってほしい。

魔法少女ものでは、ある意味でお約束の導入だ。
不思議なマスコットキャラクターと出会い、
特別な力を与えられ、人知れず悪と戦う少女になる。
「カードキャプターさくら」や「美少女戦士セーラームーン」など、
戦う女の子のアニメとしては定番だ。

しかし、この作品では契約書をよく読まなければならない。

契約書の長い文章の中、
難しい言葉を使って隠された意味、
小さな文字で書かれた注意事項。

それを読まなければどうなるのか。
もっとも、契約書はないのだが(笑)

ハートフル魔法少女

1話序盤はとてもハートフルだ。
中学生である「まどか」が朝の準備をし、仲のいい友達と登校する。
明るく、可愛らしい女の子たちの日常には微笑ましいものがある。
そんな彼女のクラスに「暁美ほむら」という少女が転校してくる。

不思議な存在の少女。何かを知っている少女。
怪しげな音楽とともに、
物語も徐々に「本性」をにじませていく。
「まどか」の言動に苛立ち、「まどか」に対して何かを知っている彼女。

あなたはあなたのままでいい。

そんな当たり前の言葉を投げかけてくる。
こんなハートフル空間の中でも「シャフト」らしさは全開だ。
効果音とともに下から上へあおるようにカメラを動かしたり、
独特の角度やバストアップでキャラクターの顔を見せたり。

「シャフト」という制作だからこそ作り上げられる雰囲気が素晴らしく、
新房昭之監督だからこその演出の数々が、
個性のある世界観を作り上げる。

さらにそこに「劇団イヌカレー」による異質な世界観が加わることで、
「魔法少女まどか☆マギカ」は
「魔法少女まどか☆マギカ」たりえる。

魔女

この世界には「魔女」というものが存在する。
魔女と戦う魔法少女。
普通の少女を魔法少女にする「キュゥべえ」という存在。
1話で一気にこの世界を見せつけてくる。
「マミ」という魔法少女に出会った「まどか」と「さやか」。
キュゥべえは可愛らしい笑顔を浮かべ、彼女たちに問いかける。

「僕と契約して魔法少女になってほしいんだ」

キュゥべえと契約すれば、どんな願いでも一つ叶えてもらえる。
その代わりに魔法少女となり、魔女と戦わなければならない。
魔法少女として死と隣り合わせの存在になる。
だが、その危険を冒してでも叶えたいほどの願いがあるならば、
魔法少女になる価値はある。

しかも、同じ魔法少女同士でも魔女やグリーフシードの奪い合いになることがある。
「まどか」には、命を懸けるほどの願いはない。
それでも「まどか」は、「誰かのために戦う」マミの姿に憧れる。

魔法少女になるということが、どういう意味なのかも知らずに。
漠然と「まどか」は魔法少女になることを考える。
叶えたい願いはない。

だが、何者でもない自分が、
誰かの役に立てる特別な存在になることそのものが、
彼女の「願い」になっていく。

3話

本作品を語るうえで、どうしても外せないのが3話だ。
魔法少女として戦っていた巴マミが、
魔女との戦いの最中に命を落とす。

しかも、その死に方はかなり容赦がない。
可愛らしいキャラクターデザイン、絵本のような魔女の結界、
華麗なマスケット銃で戦うマミ。
そんな世界で突然、魔法少女があっさり死ぬ。

2011年当時、この展開の衝撃は凄まじかった。
この3話によって、

「これは普通の魔法少女アニメではない」

ということが視聴者に叩きつけられる。
魔女によって頭を丸かじりされる光景。
その衝撃を視聴者も、まどかたちも味わう。
ここで初めて、魔法少女になることの代償、
願いの代償を思い知らされる。

孤独に戦っていたマミ。
そんなマミに憧れ、ともに戦いたいと願うまどか。
だが、その程度の漠然とした願いでは、
命を懸ける「奇跡」の代償には見合わない。

それまで「夢のある存在」として描かれていた魔法少女に、
命を懸けなければならない職業としての現実を突きつけている。

願いを叶えられる。
魔法が使える。
特別な存在になれる。

しかし、その代償として死ぬ可能性がある。
この瞬間から、まどかにとって
「魔法少女になる」という選択肢の意味が変わる。
そして視聴者にとっても、

「まどかはいつ魔法少女になるのか」

という物語だったはずの作品が、
「まどかは本当に魔法少女になっていいのか」
という物語へ変わっていく。

当然、「死」を前にしたまどかは
魔法少女になることを拒む。
だが、さやかは違う。

願い

本作品で最も残酷なのは、

「願いが叶ったからといって幸せになるとは限らない」

という部分だ。
美樹さやかは、好きな相手である上条恭介の腕を治すために魔法少女になる。
結果的に願いは叶い、上条の腕は治り、
再びバイオリンを弾けるようになる。
本来なら、さやかは幸せになっていいはずだ。

しかし、そうはならない。
自分は彼のために奇跡を使った。命まで懸けた。
それなのに、彼との関係は何も変わらない。
さらに友人である仁美から、
上条に告白するつもりだと告げられる。

さやかは少しずつ壊れていく。
このキャラクターは、今見ても非常に人間臭い。
他人のために願いを使った。それは間違いなく善意と好意だ。
問題なのは、そんな善意の中にある自分自身の感情を、
さやか本人が許せないことだ。

私は正義の味方だから。
人のために魔法を使うんだから。

そうやって理想の自分を作れば作るほど、
現実の自分とのズレが大きくなっていく。
マミの犠牲。ほかの魔法少女の存在。
才能のある「まどか」の存在。
好きな人との関係性。

現実と理想のギャップが彼女を追い詰める。
さやかのそばで「まどか」は何もできない。
魔法少女ではない彼女は、「傍観者」でしかない。

だからこそ彼女は何度も迷う。
自分も魔法少女になれば、誰かを救えるのではないか。
しかし、目の前で魔法少女たちが壊れていくたびに、
「魔法少女になれば誰かを救える」
という単純な答えも否定され続ける。

契約

恐ろしいのがキュゥべえだ。
魔法少女になれば、自分の願いを一つ叶えてもらう。
一見すると非常に魅力的な条件だ。
しかし物語が進むにつれて、
その契約には次々と「聞いていない条件」が追加されていく。

魔法少女になった時点で魂は肉体から切り離され、ソウルジェムへ移される。
魔法を使えばソウルジェムは濁っていき、
絶望しきった魔法少女はやがて魔女になる。
そして、その事実をキュゥべえは積極的には説明しない。

聞かれなかったから。嘘はついていない。
確かにそうなのだが、完全に悪徳商法の理屈である(笑)
ただし、このキュゥべえが面白いのは、
人間を憎んでいるわけでも、
少女たちを苦しませたいわけでもないということだ。

キュゥべえが求めているのはエネルギーそのもの。
少女たちの感情、希望から絶望へと変わる際に生まれる
莫大なエネルギーを求めている。
そのエネルギーは、宇宙の寿命を延ばすために使われる。

キュゥべえにとっては、少数の少女たちが犠牲になることよりも、
そのエネルギーによって宇宙全体が救われるほうが重要なのだ。
人間から見れば悪魔。
しかしキュゥべえから見れば合理的。

この価値観の絶望的なまでのズレが、
単なる「悪いマスコットキャラクター」では終わらない
不気味さにつながっている。
何度も何度も「キュゥべえ」はまどかに契約を持ちかける。
最初は希望を見せ、次には争いを見せる。

「奇跡」という名の夢物語にふさわしい「現実」が、
中盤以降、容赦なく彼女たちに叩きつけられる。

杏子

さやかは嫉妬し、見返りを求め、
友人に酷い言葉を吐く。
そんな普通の人間としての感情を抱くたびに、
「私はこんな人間じゃない」
と自分自身を追い込んでいく。

彼女を魔女にした最大の原因は、上条でも仁美でもない。
自分自身が掲げた理想に、自分自身が押し潰されてしまった。
だからこそ、さやかの物語は痛々しく、人間臭い。

そんなさやかと対になる存在が佐倉杏子だ。
彼女もまた、かつて他人のために願いを使った。
父親の話を多くの人に聞いてもらうために、奇跡を願った。
しかし、その願いは結果的に家族を壊してしまう。
だから彼女は学んだ。

他人のために魔法を使ってはいけない。

自分のためだけに力を使い、食べ物を粗末にせず、
自分が生き残ることを最優先する。
さやかとは真逆だ。

だが皮肉なことに、そんな杏子だからこそ、
さやかを放っておけなくなる。
他人のために願いを使い、その結果として破滅していく少女。
そこに過去の自分を重ねてしまう。

そして最終的に、
「自分のためだけに生きる」と言っていた杏子は、
さやかのために命を捨てる。
杏子の登場話数自体は決して多くない。
それでも、登場から退場まで一本の筋が通っている。

彼女がなぜそういう思想を持つようになったのか。
そして、なぜ最後にその思想を曲げることになったのか。
短い尺の中できっちり描かれている。

それは彼女たちと直接関わる時間の少ない「まどか」にも、
確実に影響を与えていく。

ほむら

そして物語を完全にひっくり返すのが暁美ほむらだ。
物語序盤の彼女は謎だらけである。
なぜかキュゥべえを敵視している。
なぜかまどかを魔法少女にしたくない。
なぜか魔女について詳しい。

そして10話。
それまでの物語の見え方が一気に変わる。
彼女は時間を繰り返している。
まどかを救うために。
最初のほむらは、今の彼女とはまるで違う。

気弱で、自信がなく、眼鏡をかけた普通の少女だった。
そんな彼女がまどかと出会い、まどかに救われる。
だから今度は、自分がまどかを救おうとする。
そのために時間を巻き戻す。

何度も、何度も、何度も。

そのたびに仲間が死ぬ。そのたびにまどかが死ぬ。
そうした経験を繰り返した結果、
感情を表に出さない現在のほむらが完成する。

たった1話。
それまで謎だった彼女の行動が、
ほぼすべて理解できるようになる。
同時に、1話から9話までの出来事の意味まで変わる。

視聴者から見れば、ほむらは突然現れて邪魔をする少女だった。
しかし彼女から見れば、私たちが初めて見ている物語を、
彼女だけは何度も見ている。

3話の衝撃。そして10話で物語そのものをひっくり返す。
この構造こそが、
「魔法少女まどか☆マギカ」が
ここまでヒットした大きな理由の一つだと私は感じている。

そして、ここまで来ると、
ほむらはもう一人の主人公と言っていい。
彼女の視点から見れば、本作品は
「鹿目まどかを救うために何度も世界をやり直す物語」だ。

主人公

そんな作品なのに、主人公である鹿目まどかはなかなか魔法少女にならない。
1話、2話、3話。まだならない。
中盤になってもならない。
終盤になってもならない。

魔法少女アニメなのに、主人公が魔法少女にならない(笑)
普通なら主人公は1話、遅くても2話くらいまでには変身するだろう。
そこから戦い、失敗し、成長していく。
それが魔法少女ものというジャンルの定番だ。

しかし本作品は違う。まどかは11話まで、
「魔法少女になった少女たち」を見続ける。
マミの唐突な死を見る。
さやかが現実に押し潰されていく姿を見る。
杏子の自己犠牲を見る。そして、ほむらを見る。

それぞれ違う願いを持ち、
違う理由で魔法少女になり、
違う結末へ向かっていく。

本作品における11話までの物語は、
まどかが魔法少女になるための物語ではない。
「魔法少女になるということの意味を知る物語」だ。

だからこそ、最終話で彼女が魔法少女になることに意味がある。
彼女は何も知らない少女ではなくなっている。
魔法少女がどんな存在なのか。
願いにどんな代償があるのか。

そして、歴代の魔法少女たちがどれほど苦しんできたのか。
すべてを知った上で、彼女は願う。
すべての魔女を、生まれる前に消し去りたい。

過去と未来、すべての魔法少女を救う。
自分自身が消えることになっても。
彼女は「奇跡」の「代償」を知っている。

知っているのに、それでも彼女は魔法少女になることを願う。
ここでようやく、鹿目まどかが主人公になる。

概念

この作品の結末は素直なハッピーエンドとはいえない。
あまりにも願いが壮大すぎる結果、
まどか自身が世界の法則のような存在になってしまう。

魔法少女たちは魔女にならなくなった。
しかし、戦いそのものがなくなったわけではない。
世界から絶望がなくなったわけでもない。
完全なハッピーエンドではない。
かといって、バッドエンドとも言い切れない。

多くの魔法少女が救われた代わりに、
「鹿目まどか」という一人の少女が世界から失われる。

ここで面白いのが、キュゥべえとまどかの選択だ。
キュゥべえは宇宙を救うために、少数の「他人」を犠牲にする。
対してまどかは、すべての魔法少女を救うために
「自分自身」を犠牲にする。

やっていることだけを見れば、
少数の犠牲によって多数を救うという構造は似ている。
しかし、その犠牲を誰に背負わせるのか。
そこにキュゥべえとまどかの決定的な違いがある。

キュゥべえは他人に代償を支払わせる。
まどかは自分で代償を支払う。

だからこそ、同じ「合理的な選択」のように見えても、
両者がもたらす印象はまったく違う。
まどかは命だけではなく、存在そのものを失ってしまい、
家族からも忘れられる。

ただ一人、ほむらだけが彼女を覚えている。
このビターさこそが、
「魔法少女まどか☆マギカ」だ。

何かを願えば、必ず何かを失う。
最後までそのルールは変わらない。

そして残酷なのは、もう一人の主人公である「ほむら」が、
あれだけ時間を繰り返したにもかかわらず、
結局まどかと普通に一緒に暮らす未来には辿り着けなかったことだ。

救うことはできた。
でも取り戻すことはできない。
だからこそ、最後にまどかのリボンを身につけて戦うほむらの姿には、
非常に強い余韻が残る。

かつて少女たちの夢の象徴だった「魔法少女」という存在を、
願いと代償の物語として徹底的に再構築したのが、
「魔法少女まどか☆マギカ」という作品だ。

総評

総評としては、今見ても色褪せない魔法少女アニメの傑作だ。
3話の衝撃だけなら、今となっては珍しいものではない。
可愛いキャラクターが酷い目に遭う作品も、
ダークな魔法少女作品も、
この作品以降いくつも作られた。

それほどまでに、本作品が後世へ与えた影響は大きい。
「新世紀エヴァンゲリオン」以降に
多くのエヴァフォロワー作品が生まれたように、
多くの「まどマギフォロワー」と呼べる作品が生まれた。
しかし、どの作品も「魔法少女まどか☆マギカ」にはなれなかった。

魔法少女になること自体を物語の中心に据え、

「なぜ願うのか」
「願った結果どうなるのか」
「それでも願うのか」

という問いを全12話で描き切った構成は見事だ。
特に、さやかとほむら。
この二人の物語は今見ても魅力的だ。

理想と現実の間で自滅していくさやか。
一人の少女を救うために、
同じ時間を何度も繰り返すほむら。
そして、そんな彼女たちを見続けたまどかが、
最後の最後に自分自身の答えを出す。

主人公が魔法少女になるまで、全12話。
その遠回りこそが、この作品には必要だった。
「暁美ほむら」という少女が何度もやり直した意味がある。

15年以上経った今見ても、面白さは色褪せない。
シャフト特有の演出の数々。
新房昭之監督らしいレイアウトや色遣い。
蒼樹うめ先生の可愛らしいキャラクターデザイン。
虚淵玄氏の容赦ない脚本。

それぞれの強烈な個性がぶつかり合って生まれた名作だ。

個人的な感想:続編

魔法少女というジャンルの歴史に、
間違いなく大きな爪痕を残した作品だ。

ちなみに、私は2011年にこの作品を初めてレビューした際、
最後にこんなことを書いている。

「願わくば続編は作ってほしくない。
純粋な続編を作ってしまったら、それは野暮というものだろう。」

この2年後。
「魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語」が公開された(笑)。

さらにはそこから13年。さらに続編が公開されるとは、
当時は夢にも思わなかった。
もしかしたら、さらなる続編もあるかもしれない。

魔法少女たちの因果に。キュゥべえの陰謀に。
私たちもまた、とらわれているのかもしれない。

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