評価 ★★★★★(83点) 全116分
あらすじ 鹿目まどかによって魔法少女たちが残酷な運命の連鎖から解き放たれた新たな世界で、まどかへの思いを果たせぬままに取り残された暁美ほむらは、ただひとり、再びまどかにめぐり合えることを信じて戦い続けていた。 引用- Wikipedia
最高のちゃぶ台返し
本作品は魔法少女まどか☆マギカの劇場版。
監督は新房昭之、制作はシャフト。
魔法少女まどか☆マギカ
魔法少女まどか☆マギカはいわゆる社会現象を巻き起こしたアニメだ。
2011年に放送された魔法少女まどか☆マギカは、
可愛らしいキャラクターとは裏腹にダークな世界観で物語が描かれ、
キャラクターに容赦のない展開の数々と、ビターなエンドは話題性を生んだ。
主人公である「まどか」は魔法少女たちを救うために、
魔女という概念をこの世界から取り払う代償として魔法少女になり、
そして「神」という概念になった。
その結果、彼女の存在は「ほむら」以外からは忘れられてしまった。
そんなラストからの続編だ。
見滝原市では4人の魔法少女が「ナイトメア」と常日頃から戦っており、
そんな戦いの日々の中で、同じ魔法少女である暁美ほむらが転校してくる。
そして5人の魔法少女たちが協力してナイトメアを倒す日々が始まる……。
違和感
理由が分からない状況だ(笑)
少なくとも今作の情報を何も仕入れずに上の文章を見た方は、
「え? 前作からの続きなのに4人の魔法少女? ほむらが転校してくる?
っていうかナイトメアってなんだ?」
と思ったに違いない。それは正しい認識だ。
物語が始まり、序盤の段階では前作までのストーリーを無視するかのように
「正統派魔法少女」のストーリーが描かれる。
正統派魔法少女なだけあって、誰も死なない、誰も傷つかない。
例えるならば、
「もし魔法少女まどか☆マギカの脚本家が虚淵玄ではなかったら」
というifのストーリーを見ているかのようだ。
新房監督の演出と劇団イヌカレー空間が織り交ざった、
シャフトらしい魔法少女アニメを純粋に楽しむことができる。
TVアニメ版の魔法少女まどか☆マギカの1話が放送される前に、
多くの人が想像していたかもしれない世界が、あえて描かれる。
不穏な空気など一切ない、
「蒼樹うめ」先生がデザインした可愛らしいキャラクターが彩る可愛らしい日常。
一切不穏な絵面ではないのに、見ている側としては不穏さを感じてしまう。
このハートフルな違和感はなんなんだろうかと。
おさげでメガネで可愛らしい「暁美ほむら」も、
何度もタイムリープを繰り返した彼女ですらない。
頭を食べられたはずの「マミ」も、
「お菓子の魔女」と仲良く過ごしている。
誰も傷つかず、誰も失われない。
それだけなら幸福なはずなのに、
TVアニメ版を知っているからこそ、その幸福そのものが不気味に見えてしまう。
この作品は冒頭から、
「幸せな世界だから正しいとは限らない」
という問いを観客に突きつけている。
ナイトメア
彼女たちが戦っている「ナイトメア」は、人が抱える闇のようなものだ。
最初の戦闘シーンは圧巻だ。
まず、それぞれの変身シーンからして違う。
多彩多色なイヌカレー空間の中で思わず笑ってしまうほど、
プリキュアもびっくりな魔法少女たちが、それぞれの変身シーンを繰り広げる。
いわゆる「変身バンク」だ。
新房昭之監督らしいキャラクターの体や表情の魅せ方、
そこに合わさるイヌカレー演出。
「魔法少女まどか☆マギカ」が正統派魔法少女だったら見られたかもしれない、
最高の変身シーンだ。
そこからさらに、テレビシリーズでは実現しなかった
「5人の魔法少女が一緒に戦い、合体技を使う」
という、ファンの妄想を実現したかのような華麗な戦闘シーンが描写される。
ナイトメアにとどめを刺すシーンも、
「お菓子の魔女」が仲間であることを利用した、
なんとも可愛らしいとどめの刺し方だ。
魔法少女たちが可愛らしい歌を紡ぎながら、
ナイトメアをお菓子にしてしまう。
まるで日曜朝の子供向けアニメのような世界観だ。
TVアニメでは基本的に5人が魔法少女として揃うということもなかった。
ゆえに、5人で協力して戦うシーンすらなかった。
だが、この作品は違う。
なぜか5人の魔法少女が集い、敵に挑む。
そこに「犠牲者」はいない。
魔女になる者もいない。
濁ることのないソウルジェム。
まるで、かつての「戦い」がなかったかのように、
悪夢だったかのように。
見たくない悪夢の代わりに誰かが望んだ理想の世界。
幸せな夢のような世界だ。
そして、この時点ですでに
「こんな世界なら、このままでいいんじゃないか」
と少しでも思ってしまう。
そこがこの作品の恐ろしいところだ。
ほころび
徐々に世界にほころびが生まれる。
「暁美ほむら」が感じる違和感。
何かがおかしい、何かが違う。
何も喋らないQB、明るく仲良くみんなと過ごしている「杏子」。
この世界は何かがおかしい。
このまま平和に過ごしていいのか。
このままの日常でいいのか。
自分は何かを忘れていないのかと。
それは、かつてのこの世界で「まどか」を失った彼女の感情そのものだ。
彼女だけが覚えていた「まどか」。
まどかが魔女という概念を取り払ったからこそ、
魔法少女が救われた。
彼女の覚悟と犠牲。
それを「暁美ほむら」という少女は受け入れたはずだった。
しかし、そんな魔女のような空間に自分が取り込まれていることを実感する。
この世界は「魔女が作り上げた世界」なのだと。
まどかがすべてを犠牲にして手にした世界。
大切な人が望んだ世界を壊される。
TVアニメのラストを「台無し」にされた世界だ。
だが、それは理想でもある。
誰も死なない。
誰も犠牲にならない。
5人が5人とも幸せそうに笑っている。
5人が望んだ夢のような世界。
それは間違いなく理想でもある。
偽物だから壊すべきなのか。
幸福なら偽物でもいいのか。
まどかの犠牲によって成立した現実と、
誰も犠牲にならない偽物の理想。
そのどちらが正しいのかを、単純な善悪では描いていない。
この理想の世界に浸っていたい。
違和感を感じながらも、
多くの魔法少女は「理想」という名の甘いお菓子から抜け出せない。
だが、暁美ほむらは違う。
何度もループし、何度もまどかの死を味わい、
その結果たどり着いた「まどかの選択」を台無しにされたくはない。
だから彼女は目の前にある幸福よりも、
まどかが命懸けで選んだ現実を優先する。
結果として「魔法少女同士の戦い」につながる。
巴マミ
巴マミの能力と暁美ほむらの能力。
この2つの能力がぶつかり合う様は、
思わず息をするのも忘れるほど、
画面から目が離せない激しい戦闘シーンだ。
魅せる、魅せられる、魅入られる、魅せまくる、魅せつけられる。
思わずそんな言葉が一気に頭の中に溢れかえってくるほどの
素晴らしい「ガンアクション」を、
あえて魔法少女の世界で見せてくれる。
時が止まる世界で大量の銃弾をぶつけ合い、
その果てに時間が動き出し、崩壊する。
ときに自らすら傷つける戦い方。
そんな相手の裏をかく「巴マミ」の容赦のない戦い方は本当に素晴らしい。
この戦闘は単なるファンサービスでもない。
幸せな世界を壊そうとするほむらと、
そのほむらを止めようとするマミ。
どちらも仲間を思っているからこそ戦っている。
そこに明確な悪人はいない。
だからこそ、この戦いは単なる派手な戦闘シーン以上に印象へ残る。
擬人化するお菓子の魔女、なぜか真実を知っている「さやか」。
ほむらにとって、
「まどかを覚えている」ということ自体が、
長い間、自分だけに残された特別なものでもあった。
そんな自分だけの特権すら揺らぎ始める。
真実
そして「暁美ほむら」は選択を迫られる。
「まどか」が目の前にいる。
自分だけが彼女を覚えているわけではない。
何もできなかった自分を責め続けることもない。
まどかとの対話の中で彼女には、
「どんな手を使ってでも、あのとき、私はあなたを止めなければならなかった」
という後悔が生まれる。
ここが本作の大きな転換点だ。
TVアニメ版の最後で、ほむらはまどかの選択を受け入れた。
少なくとも、受け入れようとした。
だが、もう1度まどかと接し、
まどか自身の言葉を聞いてしまったことで、
その「納得」が崩れていく。
本当にあの選択でよかったのか。
本当にまどかは、
すべてを捨てて神になることを望んでいたのか。
ほむらの中にあった小さな疑念が、
決定的な後悔へと変化する。
その後悔と、夢のような幻の世界で知った真実。
QBの計画通りにまどかに助けを求めるか、
それとも自らが「魔女」になるか。
当然のごとく「暁美ほむら」はまどかに助けなど求めない。
QBの計画通りにいってしまえば、
まどかのしたことの意味がなくなる。
そして彼女は「魔女」になる。
救われなかった彼女は、救われないことを望む。
円環の理にすら感知されず、再びまどかと会うこともなく、
永遠の呪いの中で死することを彼女は選んでしまう。
ここまでなら、ほむらは悲劇のヒロインのままだった。
だが、この作品はそこで終わらない。
ハッピーエンド
暁美ほむらの魔女は圧巻だ。
姿、演出、攻撃、そしてほむらの叫び。
彼女のそれまで抑えつけていた感情が爆発するように、彼女は暴れ回る。
潰しても潰しても現れるQBを惨殺しながら、街を破壊する。
イヌカレー空間全開の世界観は、劇場アニメになったことで大爆発しており、
比喩的な表現の数々はやや難解ではあるものの、
物語はハッピーエンドへと進んでいく。
魔女となった者を、暁美ほむらを、
「鹿目まどか」は放っておくはずがない。
彼女は概念の存在になっても、
「暁美ほむら」を救うために行動を起こす。
円環の理に導かれたはずの「さやか」やお菓子の魔女、
現実世界で生きている「巴マミ」「佐倉杏子」も協力し、
魔女である「暁美ほむら」へと立ち向かう。
「さやか」が自らを刺し「魔女」を召喚する姿、
杏子とさやかの「会話」など、エンタメ感満載のファンサービスだ。
それぞれが抱える後悔に立ち向かい、
最大の後悔を抱える「暁美ほむら」に立ち向かう。
TVアニメ版で唯一、
救われていなかった彼女を救うために、
孤独だった彼女のもとへ4人の魔法少女が駆けつける。
円環の理に導かれてまどかと再会し、孤独にならない。
ここで終わっていれば、
TVアニメ版の続編として完璧なラストだった。
完全なハッピーエンドだ。
だが、この作品は終わらない。
叛逆
なぜなら、この作品は「叛逆の物語」だからだ。
魔女が作り上げた世界で、
暁美ほむらは鹿目まどかの言葉を聞いてしまった。
それによって、それ以前に「鹿目まどか」が選んだ方法に、
「暁美ほむら」としては納得できなくなってしまう。
彼女のいない世界など意味がない。
彼女が犠牲になったままでいいはずがない。
彼女一人の犠牲によって救われた世界に「価値」を感じない。
世界が一人の犠牲の上に成り立っていいのか。
あのときの「まどか」の選択は、本当に正しかったのか。
彼女を愛しているからこそ、愛ゆえに、愛があるからこそ、
「暁美ほむら」は叛逆する。
究極のエゴイズムだ。
それはほむらという少女のわがままであり、身勝手な行動だ。
そして、この作品の凄いところは、
その身勝手さを完全には否定できないところにある。
まどかは世界中の魔法少女を救った。
それは尊い自己犠牲だ。
だが、ほむらからすれば、世界中の誰かが救われたことより、
たった一人の鹿目まどかが救われていないことの方が重要だ。
世界よりも一人。大義よりも個人。
自己犠牲よりも、自分勝手でもいいから生きていてほしいという感情。
普通の物語なら否定されてもおかしくない考えだ。
だが、ほむらがどれほどの時間を費やし、
何度まどかを失ってきたのかを知っているからこそ、
そのエゴを理解できてしまう。
神を否定し、神から「まどか」という人格を引き剥がす。
彼女を救うことは、魔法少女まどか☆マギカにおける「暁美ほむら」の目的だ。
彼女はブレていない。
まどかを助ける手段があるならば、彼女はどんな手も使う。
一度因果を書き換えたのなら、もう一度書き換えられるはず。
キュゥべえが知らない、人間の「愛」。
歪み、執念、狂った愛の物語だ。
そして彼女自身が、彼女の意思で理想の世界を作り上げる。
誰も死なない。誰も犠牲にならない。
まどかもそこにいる。
幸せな世界だ。
そんな幸せな世界を支えているのが、
たとえ「悪魔」だとしても、それを知らなければ、
人々は幸せな世界に浸っていられる。
ならば、そのまま生きていくことは
理想ではないのだろうか?
悪魔というワード、
不穏な空気が終盤に流れるものの、
これは何度ものループを経てたどり着いた
「暁美ほむら」という主人公のハッピーエンドでもある。
いつ、この世界にほころびが生まれるかは分からない。
だが、暁美ほむらという少女の「執念」が、「愛」が、
自分勝手に作り上げたこの世界のルールを維持しようとする。
この世界がいつ滅びるのか。
滅びなければ、
永遠にハッピーエンドのままだ。
総評:全てを逆転させた続編
全体的に見て、「圧巻」という言葉で言い表すのが正しいだろう。
素直なハッピーエンドにすることもできた。
魔女となったほむらがまどかに救われ、5人が再会する。
そこで終われば、多くの人が納得する続編になったはずだ。
しかし、この作品はそこで終わらない。
TVアニメ版で描かれた「まどかの自己犠牲による救済」そのものに、
もう一度疑問を突きつける。
そして、救われる側だったほむらが世界そのものを書き換え、
神であるまどかを救う側へと回る。
立場も、結末も、作品の価値観すらひっくり返す。
まさに最高のちゃぶ台返しだ。
こんな締め方をすれば、
批判の声が大きくなるのは分かっているはずだ。
実際に「蛇足」「引き伸ばし」と評価する人もいる。
確かにTVアニメ版だけで物語は一度きれいに完結している。
そこに続編を作り、あえてその結末を否定するような物語を描く。
普通なら危険な選択だ。
だが、あえて安易に「ハッピーエンド」にしない。
批判覚悟だ。
これは、この作品が人気作だからこそ許される、
続編ができるからこそ許される展開だ。
TVアニメ版で掴んだエンディング。
そのラストをひっくり返すエンディング。
この作家性は見事としか言いようがない。
ある意味でのハッピーエンドだ。
死んだはずのキャラクターが生きていて、
まどかとほむらが同じ世界にいる。
TVアニメ版と比べれば、状況だけ見れば幸せだ。
だが、トゥルーエンドではない。
むしろ、幸せだからこそ不穏だ。
この世界は「暁美ほむら」という一人の少女の感情によって成立している。
その感情が揺らいだとき、この世界がどうなるのか。
まどかが再び「円環の理」として目覚めたとき、
ほむらはどうするのか。ここからどうなるのか。
ここからどう物語を締めるのか。
それが重要だ。
あくまでこれは前編・後編でいうなら前編の部分であり、
後編があってこそ初めて完成する物語だ。
ハッピーエンドに見えるが、
実際はバッドエンドに近いノーマルエンドだったTVアニメ版。
バッドエンドに見えるが、
ほむらにとってはハッピーエンドでもある「叛逆の物語」。
そこから続編で、どんな「答え」を見せてくれるのか。
そんな後編に13年も待たされるとは思わなかったが(苦笑)
個人的な感想:13年ぶりに
およそ13年ぶりにこの作品を見返したが、素晴らしい作品だった。
新房昭之監督らしい演出、キャラクターの見せ方の数々。
そこに合わさるイヌカレー空間、そして虚淵玄氏の脚本が、
「魔法少女まどか☆マギカ」という世界観を作り上げている。
13年前、才能のある人たちがそれぞれの作家性を
ぶつけ合って作り上げた名作だったことを、
改めて実感する。
どれもこれも尖っている。
その尖りまくった部分を互いに刺し合いながら作り上げた続編は、
衝撃のラストにつながっている。
特に今見返すと面白いのは、
誰か一人の作家性だけが強すぎるわけではないところだ。
新房昭之監督の映像演出。
イヌカレーによる異質な世界観。
虚淵玄氏による物語とキャラクター。
この3つが互いに主張しながら、
ギリギリのところで一つの作品として成立している。
続編たる「ワルプルギスの廻天」を見たあとだと、
余計にこの作品の「バランス」が取れていたんだなと感じてしまう部分もある。
新房昭之監督、イヌカレー、虚淵玄氏。
この3者のバランスが13年前は取れていたからこそ、
「魔法少女まどか☆マギカ」という作品は、
名作たり得たんだなと感じてしまった。



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