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「文豪とアルケミスト 〜審判ノ歯車〜」レビュー

4.0
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評価 (62点) 全13話

あらすじ 近代風情の続く日本である時、文学書が全項黒く染まる異常事態が発生し、同時にそれらの文学書が始めからなかったかのように人々の記憶からも消えていった。引用- Wikipedia

この時の作者の気持ちを答えなさい

原作はソーシャルゲームな本作品。
監督は渡部穏寛、制作はOLM TEAM KOJIMA

走れ、メロス


画像引用元:文豪とアルケミスト 〜審判ノ歯車〜 1話より
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京

1話は1話のタイトル通り「走れ、メロス」を基盤に物語が展開する。
だが、走っているメロスのそばにはなぜか「芥川龍之介」が居る。
彼は「走れ、メロス」の物語にケチを付けつつ、
彼の道中を馬車で同行する。

しかし、物語は改変されている。
本来の「走れ、メロス」とは違う展開がいきなり描写される。
見てる側としては「コレは一体どういうことなんだろうか?」と
思ったところに芥川龍之介が現れ、物語の改変を否定する。

作品の世界には「侵食者」という存在が紛れており、
彼らは文豪の魂を本の中に閉じ込め、本来の物語を改変しており、
そんな改変から物語を守るために様々な「文豪」たちが
作品の世界に入り込んでいるのがこの作品だ。

この手の設定は珍しくなく、同じソーシャルゲームのアニメ化でも
「グリムノーツ」という作品でもやってる手法であり、
漫画で言えば「月光条例」という作品でも同じようなことをやっている。

グリムノーツは月光条例のパクリでしかなかったが、
この作品は物語の「作者」が物語の世界に
入るというのが大きなポイントだ。

文豪の気持ち


画像引用元:文豪とアルケミスト 〜審判ノ歯車〜 1話より
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京

毎話、文豪たちの名著のストーリーを紹介しつつ、
そんなストーリーから改変したストーリーにつなげ、
文豪たちが執筆してるときの心情、置かれている立場、
その文豪がどんな事情を抱え、
どんな気持ちでその本を書いていたのがが描かれる。

文豪たちの生前エピソードを上手く混ぜつつ、
同時に有名な作品のストーリーをざっくりと紹介し、
物語の改変をすることで各キャラクターの掘り下げと
元になってる文豪本来のエピソードや人物像と、
彼らが手掛けた作品の面白さとわかりやすく描写している。

例えば1話ならばメロスは太宰治自身であり、
囚われてる友人のセリヌンティウスは佐藤春夫になっている。
太宰の師である佐藤春夫との関係性をうまくメロスの物語や
キャラクターの立場に置き換え、物語の改変を絡めることで
文豪たちのキャラクターの印象付けと掘り下げにつなげている。

地味さ


画像引用元:文豪とアルケミスト 〜審判ノ歯車〜 1話より
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京

2話で一気にキャラクターが増え、会話をしているだけのシーンも多い。
戦闘シーンもそこまで激しく動くわけではなく、
どこか「淡々」と文豪と名著を描写している部分があり、
作品全体として地味で、言葉が悪いが辛気臭さのようなものを感じる。

文豪たちの日常会話の中にも「文豪ネタ」をいわんばかりの
各文豪のエピソードをうまくからめてギャグにしており、
元となった文豪や作品を読んでいれば分かるようなネタも多い。
例えば芥川龍之介は「犬嫌い」として有名だ。
そんな彼の犬嫌いをさりげなく表すような台詞もある。

逆に言えば元ネタがわからない人にとってはどこが
笑いどころなのかわかりにくい。
他にもさり気なく色々な作品の小ネタのようなものが混ざっており、
色々な作品を読んでるかどうかで、その小ネタを楽しめるものの
視聴者の教養を求めている部分もある作品だ。

文豪たちによる「作品の解釈」談義などもあり、
絵的な派手さより、淡々とした会話劇で見せることも多い。
「5話」は最もそれが顕著であり「詩」の解釈を文豪たちが考える。
詩という短い文章から文豪たちが想像しうるストーリー、
何度もループしながら答えを求める。

それ故に地味で淡々として辛気臭い印象を受ける人も多いはずだ。
しかし、あの時代の文豪は辛気臭い(笑)
文豪の多くは精神的に不安定で面倒くさく、
そんな彼らの性格や人生が作品に影響し陰気で辛気臭い作品ばかりだ。
そういった意味で「文豪」を扱う上で辛気臭さは切り離せないものだ。

現実


画像引用元:文豪とアルケミスト 〜審判ノ歯車〜 4話より
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京

4話では「現実の世界」の人間が主人公だ。
普通の高校生であるヨージと本好きな高校生であるハルカが出会い、
普通の高校生だったヨージがいろいろな本を読むようになり、
ハルカと語り合う中で文豪達の姿が彼だけに何故か見える。

そんな中で「作品」が消えていく。
何がなくなったのかも思い出せず、だが喪失感だけがつきまとう。
ハルカにとって本は生きる希望であり、
そんな生きる希望が亡くなったことにより自死へと繋がる。

文豪が見た夢でしかない現実は、
もしかしたら現実世界で起きてることかもしれない。
現実の存在であり文豪たちを呼び出した「アルケミスト」が
感じている夢。アルケミストが戦う理由を描写している。

モブである先生のキャラクターの台詞がある意味、
この作品で伝えたいことだ。

「文学とはなにか、生きていく上でそれは必ずしも
必要なものとは言えないだろう。しかし、ぼくはこう思う。
世に放たれた作品はきっと誰かの心を豊かにしているはずだと。
文学は必需品ではない、だが、文学のない世界はきっと途方もなく
つまらないんじゃないかと思う。その閉塞感はやがて世界を緩やかに
壊していく他にはらない」

文学だけではない、アニメや漫画やゲームと言った「娯楽」全てに
当てはまることだ。創作という虚の本質をつくような台詞を
名前すらない先生に言わせるにくさを感じさせる。

だからこそ彼らはそれを奪うものと戦っている。

批評と否定


画像引用元:文豪とアルケミスト 〜審判ノ歯車〜 6話より
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京

6話と7話の題材になっているのは「地獄変」だ。
この作品は「狂気的な芸術家の心」を描いている。
芸術のためにならばどんな犠牲が出ても構わない。
そんな「芥川龍之介」の心を描いているような作品だ。

だが、そんな作品を批判する文豪たちも居る。
「志賀直哉」と「谷崎潤一郎」は地獄変を批評している。
批判を受けたこもあり芥川龍之介は「自分の作品を否定」する。
そんな地獄変に芥川龍之介がとらわれる。
本の世界には「志賀直哉」と「太宰治」が入り込む。

作品を否定した本人である「志賀直哉」自身が
地獄変の世界で地獄変のストーリーを改変させず
進めさせようとする。地獄変の物語通り
娘が焼かれる姿を主人公に見せなければならない。

「志賀直哉」による作品の批評と否定の違い。
芥川龍之介の作品が好きだからこそ彼は作品におけるツッコミどころ、
矛盾点、問題点を批評している。愛があるからこそ
批評しようとも作品が亡くなってほしいと否定したわけではない。
だからこそ、彼は「命」を賭してまで作品を芥川龍之介を救う。

文豪たちが文豪同士で作品を批評していた時代背景を描きつつ、
作品の批評とはなにかという部分をきちんと描いている。
そこから8話で「芥川龍之介」による「人間失格」の否定につながる。
批評と否定の違いを描いた後に「否定」をみせるという
ストーリー構成の上手さを感じさせる。

芥川龍之介


画像引用元:文豪とアルケミスト 〜審判ノ歯車〜 12話より
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京

芥川龍之介という作家は前期と後期で作品の印象や方向性が違う。
有名な作品の多くは前期であり、後期の作品の知名度は低い。
作風の変化がわかりやすい。前期は「古典文学」をオマージュしており、晩年はオリジナルの作品であり、いわゆる私小説が多い。

そんな彼の作風の変化をこの作品では彼の「二面性」から
「偽物」という設定に落とし込んでいる。
終盤では「もうひとりの芥川龍之介」が現れ、
二人の芥川龍之介の存在は彼の前期と後期の作風の変化に対する
オマージュと解釈になっており、この作品の文豪に対する解釈と
それをこの作品の世界に落とし込んでいるのが素直に面白い。

文豪自身の葛藤と、文豪の世間からの評判や声、
「自分らしく」とは何なのかという自己との対立、
自らが追い求める自分の理想と、現実の自分との違い。
あの頃の文豪らしさを感じさせる葛藤の描写は
芥川龍之介の晩年の私小説を思わせる。

もうひとりの芥川龍之介の存在から
「文学」を滅ぼそうとする侵略者の意思、
文学への憎悪の理由もきちんと描かれている。
自死を選ぶことの多い文豪を「救う」という目的の描写は
彼らを愛するがゆえのものだ。

文学さえなければ彼らは自らの意思で死を選ばなかったかもしれない。


画像引用元:文豪とアルケミスト 〜審判ノ歯車〜 13話より
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京

終盤、ほとんどのキャラクターが殺される。
驚くほどあっさりと9割のキャラクターが死ぬ。
彼にとってこの世界にいる文学に囚われ死した
文豪の存在に意味などない。

全ての作品を侵食し、文学がなかったことにしてしまえば
殺した彼らの運命も変わり、救いになると信じている。
文学に囚われた文豪を文学から解放するために戦う敵は
単純に悪とは言い切れない部分がある。

しかし、芥川龍之介自身が作家というもの生き様を吐露する。
「死ぬほど苦しいだろう、けれどもそれが作家というものだから」

芥川龍之介の「歯車」という作品は芥川龍之介を死をもって
完成するように、この作品ももう一人の芥川龍之介の死をもって
物語の幕が閉じる。

総評:文豪たちの生き様


画像引用元:文豪とアルケミスト 〜審判ノ歯車〜 5話より
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京

全体的に見てストーリー構成と文豪に対する解釈が
うまく重なり合っている作品だ。
様々な文豪たちが改変された作品の世界に入り、改変を防ぎ
文学の喪失を防ぐというファンタジーな世界観を描写しつつ、
この作品の根幹にあるのは名著と文豪の人生だ。

1話ないし2話完結で様々な作品の流れとあらすじに触れつつ、
その作品を書いた文豪のエピソードをうまくからめることで
一人ひとりのキャラクターの描写が深まり、
序盤はキャラを出しつついろいろな作品を見せ、
中盤ではこの作品でやりたいことをみせ、
終盤でこの作品なりの文学と文豪の解釈を魅せてくれる。

アニメーションという意味では序盤から中盤まであまり激しく動く
シーンがなく、終盤は作画のクォリティは上がっているものの、
どちらかと言うと基本的に「会話劇」であり、
そんな会話劇を盛り上げる実力派の男性声優さんたちの演技も光っている

ある程度、色々な本や文豪に対する知識があったほうが
楽しめる部分があり、見る人の教養を求められている部分はあるものの、
わからなくても楽しめるようにわかりやすいストーリーになっており、
この作品をきっかけに太宰治や芥川龍之介の作品になるかもしれないと
感じるようなストーリーになっている。

1クールというストーリー構成をきちんと意識し、
ソシャゲ原作アニメにありがちなキャラの多さは目立つものの
メインキャラとサブキャラをきちんと分けることで、その問題点を
上手く濁し、「俺たちの戦いはこれからだ」なストーリーだが
1クールですっきりと話がまとまっている。

文学とはなにか、文豪とはなにか。
きちんとした「テーマ」と、それをきちんと魅せている作品だった。

個人的な感想:谷崎は!?


画像引用元:文豪とアルケミスト 〜審判ノ歯車〜 13話より
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京

個人的には私が大好きな谷崎潤一郎が
殆ど出てこなかったのが悔やまれる。
彼の作品の世界に入り込んでしまうと放送倫理的にやばいのは分かるが
ぜひそこは踏み込んでほしかったところだ(笑)

他にも森鴎外や江戸川乱歩や梶井基次郎など
私が好きな作家に限ってアニメに出ていないのが残念ではある。
どうせなら2クールくらいでもっと多くの作家と作品を
扱ってほしかったと感じる部分もあり、
それだけこの作品を楽しんで見ていた自分がいる。

原作のゲームはやっていないためアニメだけの判断になるが、
少なくともただイケメン化の道具として文豪を扱うのではなく、
文豪や名著に対する「リスペクト」を感じられる作品だった。

「」は面白い?つまらない?

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  1. より:

    12話で文豪の9割がアレして、13話でアレした展開の話ですが、
    ゲーム文アルのメインキャッチが「たとひ魂は砕けても、想いは砕けない」なんです。

    だからアニメスタッフが「彼等の想いが砕けない事を証明する為に、まず一回魂を砕きます!」(バキャッ)ってしたんじゃね?って推測を見かけました。

    13話の太宰治の台詞にもメインキャッチが使われてました。
    彼等はある意味本に込めた想いの強さを武器に戦っているので、12話でバキャッってやる事でこの台詞を言わせたかったのかもしれません。

    ちなみにこのアニメは昨今の事情から延期されたんですが、延期されていなければ12話の本来の放送日は6/19だったそうです。
    太宰治の誕生日兼、入水した彼の遺体が発見された日です。

    おまけコーナーでも太宰の誕生日を描くことで、間接的に太宰の魂まで砕くのほんと…ほんと…って思いました。