「劇場版ポケットモンスター ココ」レビュー

4.0
映画

評価 ★★★★☆(70点) 全99分
https://youtu.be/m6QhMOY8Zp8

あらすじ ポケモンマスターを目指して旅を続けている少年・サトシとピカチュウはオコヤの森でポケモン・ザルードに育てられた少年・ココと出会う。
引用- Wikipedia

ポケモン版もののけ姫

本作品はポケットモンスターの劇場映画作品。
ポケモンとしては23作品目の作品となる。
監督は矢嶋哲生、制作はOLM,Inc. OLM Digital,Inc.

ここ2,3年のポケモン映画の特徴として、
TVシリーズとは関係のないストーリーの作品が多いが、
この作品も同じくサトシが主人公でありピカチュウも出るものの、
TVシリーズとは関係がないストーリーだ。

人とポケモン

冒頭から印象的だ。描きこまれた背景と水の描写、
ポケモンたちが暮らす自然の描写に思わず目が行く。
ここ数年のアニメ映画の背景のクォリティは「君の名は」のせいで
必要以上に上がっているが、この作品もまた背景のクォリティが高い。

そんな自然の中で生きるのはポケモンだけではない。
なぜか森の中に放置された「赤ん坊」、
そんな赤ん坊とポケモンである「ザルード」が出会うところから物語が始まる。

このあらすじの時点で察する人は多いだろう。
狼に人間の子供が育てられて狼のように育った人間、
いわゆる「狼に育てられた少女」ネタ、この嘘か真かわからないような
逸話をもとに様々な作品が作られた。

この作品はポケットモンスターという題材で
そんな逸話を描こうとしている作品だ。
いや、もっとわかりやすく言おう。
この作品はポケットモンスター版「もののけ姫」だ。

自然

ザルードという種族は自然を愛し、自然とともに暮らす種族だ。
自らを自然の一部のように認識し、他の種族を入れることは
自分たちが「枯れる」とまで思っているほどだ。
だが、1匹のザルードだけは幼い人間の子供を見捨てることができず、
裏切り者と言われ、群れから追い出されても「親」を見つけようとする。

オープニング曲が流れるなかでさりげなく、
ザルードと拾われた人間である「ココ」の数年の日々が描かれる。
不慣れな子育ての模様、ココの親の手がかりは見つかるものの、
親の行方はわからずに二人は共に暮らしている。

ポケモンは自然の中に生きる動物だ。
我々が生きる世界に住む動物よりも知能を持つ彼らだからこそ、
自らのテリトリーである「自然」を愛し、自然にいかされている。

だが、そんな自然が人間によって脅かされようとしている。
彼らが住む森にはありとあらゆる怪我や病気が治る泉があり、
それを狙っている奴らもいる。

掟の中で生き、自然の中で暮らすポケモンたち。
そんな中で育った「ココ」は自分自身に迷っている。
自分もポケモンのはずだが、彼は技の1つも使えない。
同族のはずの父と見た目も違う。

そんな疑問がある中で人間である
「サトシ」と出会うところから物語が動き出す。

同族

サトシと出会ったことでココは人とそして街を知る。
初めて出会った同族、言葉もまともにつたわらない存在ではあるものの
本来ならばココが暮らすはずだった人間の世界。
そこに自然はない、だが、ポケモンと人が協力し暮らす世界がある。

ザルードが自分の父親がずっと隠していた真実。
自分自身が「人間」であるということに気づく。
ポケモンの世界で、自然の掟の中で暮らす彼らとの世界、
人間とポケモンが笑顔で暮らす世界。

その狭間にいる「ココ」の悩みと葛藤、血の繋がりのないポケモンの父。
「親子」とは何を持って親子なのか。
それは血の繋がりなのか、一緒に暮らした時間なのか。
父であるザルード自身にも親が居なかった。
だからこそ別種族であるココを同情し、拾い、育て上げた。

真実を隠し続けたままの中の仮初の親子の暮らし。
偽りであることは分かっている、
エゴであることもザルード自身がよく分かっている。
だからこそココに「選択」させる。
森でポケモンと暮らすのか、人と暮らすのか。

脅威

だが、同じ人同士でも争うことはある。
ポケモン同士でさえ争うこともある。
同族だから仲良く幸せに暮らせるとは限らない。
ココが人の世界に踏み入ったせいで、ココの世界に踏み込んできてしまう。

今回の敵はポケモンを使わない。機械だ。
敵のパートナーポケモンすらでてこないうえに殺人まで犯している。
そういった意味でもポケモン映画の中でもこの作品が異質であることを感じる。
彼は治癒の泉を求め、
自分自身の野心と欲望のために森を壊し、ポケモンたちの住処に入り込んでくる。
科学技術を駆使し、自身のために、人類だけに利益があればいいと思っている。

そのためになら自然が壊れようと、ポケモンの住処を壊そうとも、
彼は利己のために動く。明確な悪、自分の欲望に溺れ
他人やポケモンや自然を思わない存在。
ザルードや森で暮らすポケモンとは正反対の存在だ。

森の住民であり、ポケモンの仲間である「ココ」も彼らとともに戦う。
叶う存在ではないと分かっていても、自らがポケモンではないと分かっていても、
彼はポケモンのために立ち上がる。

本来は闘う必要なんて無い。
ポケモンも人も、同じ星でこの世界で暮らすものだ。
しかし、欲望が争いを生む。

ザルードは傷つきながらも森のポケモンたちに助けを求める。
森を守るために、なによりもココを守るために。
血の繋がりはない、種族さえ違う。だが「親子」だ。
親が子を思う気持ちを、親子とはなにかというのを
この作品はまっすぐに描いている。

血の繋がりがなくとも、種族が違っても関係がない。同じ星に暮らす生命だ。
それを証明するような「サトシ」と「ピカチュウ」の関係性、
そして「ザルード」と「ココ」の関係性。
本来はわかりあえる存在だ。

「ココが息子で良かった」

1度は離れ離れになった二人。
だが、絆は簡単には切れるものではない。

「俺はザルード、父ちゃんの息子だ」

ポケモンではない人には技は使えない。
ザルードのように森の力を借りて誰かを癒やすことはできない。

だが、ココは間違いなくザルードの息子だ。
父を助けるために父の技を息子が使う。
人がポケモンの技を使う瞬間は「親子の絆」の証明だ。
二人が抱き合い、親子の絆を噛みしめる瞬間に
思わず涙がこぼれてしまう。

独り立ち

ココがつないだポケモンと人の絆、
人間でありザルードである「ココ」の存在が導いた奇跡だ。
だからこそココは思う。
旅をするサトシと出会い、サトシを友達になったからこそ彼は思う。
一人前になったからこそ彼は独り立ちを決意する。

決して親子の絆が切れたわけではない。
成長したからこそ、大きくなったからこそ、一人前になったからこそ
動物の世界と同じように彼は巣立つ。

父にはそれが全てわかっている、親としての役目、
自分自身が親としてやるべきことを彼自身がよく分かっている。
子が父を思い、父が子を思う。

「俺はお前の自慢の息子だ」

人間でありポケモンでありザルードの息子である彼の冒険が
ここからはじまる。

総評:ポケモン映画の新機軸

全体的に見て非常に完成度の高い作品だ。
ストーリーの起承転結もさることながら、
戦闘シーンでのアニメーションはグリグリと360度舐め回すような
カメラワークでポケモンの戦いを描いており、アニメ映画だからこその
見ごたえも抜群だ。

設定としてはベタではある。
だが、そんなベタな設定だからこそ「ポケットモンスター」という
世界観の中で生き、自然の中で生きるポケモンと人間の関係性、
ポケモンに育てられたココとザルードの親子の物語が
本当に綺麗に描かれている。

ただ、その反面で主人公であるサトシの存在感がやや薄い。
その部分が気になる部分ではあるものの、
「ポケットモンスターココ」というタイトル通り
この作品はココの出会いとそして旅立ちの物語だ。

ポケットモンスター映画の1作目であるミュウツーの逆襲の
テーマでもあった存在意義への言及な、
本来は自然の中で暮らすポケモンと人間の関係性や
人の罪など似通った要素も多い。

新機軸に感じる部分もあるが同時に原点回帰をしているような作品であり、
ここ2,3年のポケモン映画の中でも代表格とも言える
作品に仕上がっていた。

個人的な感想:石塚運昇さん

映画の冒頭から少し涙腺がやばくなってしまった。
前作までは「石塚運昇」さんがオオキド博士として
おなじみのナレーションの声が入っていた。

石塚運昇さんが2018年になくなってしまい、前作は
プレスコによる事前集力のものを使っていたが、
今作では石塚運昇さんのあのナレーションはない。
オオキド博士がいなくなってしまった。
あのナレーションじゃないんだという思いが、
ガクッと体の力が抜けるような強い喪失感を生んでしまった。

気になるのは次作の情報が一切ない点だ。
この作品は2020年の作品だが、2021年には毎年やっていたポケモンの映画がないという前代未聞の事態になっており、
来年の上映予定の告知も今のところ無い。

TVアニメシリーズの方も「サトシ」の旅が終わるのでは?という
噂もあり、色々と気になるところだ

「劇場版ポケットモンスター ココ」おもしろい?つまらない?

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  1. 匿名 より:

    確かにベタですが、非常にいい映画でしたね。
    余談ですがオオキドではなくオーキドが正しい表記です!

    3.0 rating