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規格外すぎる特級呪物アニメ「呪術廻戦 渋谷事変編」レビュー

4.0
呪術廻戦 渋谷事変編 ファンタジー
©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会
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評価 ★★★★☆(70点) 全17話

TVアニメ『呪術廻戦』第2期「渋谷事変」ノンクレジットOPムービー/OPテーマ:King Gnu「SPECIALZ」|毎週木曜夜11時56分~MBS/TBS系列全国28局にて放送中!!

あらすじ 、2018年10月31日。ハロウィンで賑わう渋谷駅周辺に突如“帳”が降ろされ大勢の一般人が閉じ込められる。引用- Wikipedia

規格外すぎる特級呪物アニメ

本作品は呪術廻戦の2期の渋谷事変編。
監督は1期から変更され御所園翔太になったものの、
制作はMAPPAで変更はない。

本来は2期まとめてレビューする予定だったものの、
2期は懐玉・玉折編と渋谷事変と別れているため、
本サイトでも分けてレビューすることにした。

日常

渋谷事変編の1話は平和な日常だ。
特級呪物を取り込んだままの虎杖悠仁ではあるものの、
クラスメイトの二人とともに平和な日常を過ごしている。
嵐の前の静けさ、そんな静けさはコミカルに描かれている。

主人公である虎杖悠仁は日常を楽しむように映画に行こうとしている。
ベタベタなホラー映画な作品の「あらすじ」を丁寧に釘崎野薔薇に
語る様子は高校生らしい姿であり、微笑ましくすらある。

その一方で虎杖悠仁たちを一級呪術師に推薦する動きが生まれている。
1期で虎杖を「ブラザー」と認識した彼は、一級呪術師に虎杖悠仁がなることで
ともに任務に参加することを楽しみにしながら卓球に勤しんでいる(笑)

そんな虎杖悠仁を町中で見かけたかつての同級生、彼に恋をしていた少女だ。
何気ない日常、嵐の前の静けさを渋谷事変の1話、30話で描くことによって、
この後に始まる「嵐」の前の静けさを描いている。

そんな日常の裏で呪詛師たちも動き出す。
呪術師の情報を流していたスパイ、そんなスパイの正体も明らかになる。

メカ丸

彼は体が不自由な呪術師だ。
傀儡を呪術で動かし呪術師として活躍していたが、
彼は「健康な体」を手に入れるために呪詛師と縛りを結び、
情報を流す代わりに健康な体を手に入れようとしていた。
縛り通り彼は健康な体を手に入れる。それと同時に彼は敵を倒そうと動き出す。

裏切りったことはわかっている、彼自身も裏切り者としての自覚がある。
だからこそ、せめて敵を屠る。触れられたら肉体を崩壊させられてしまう
敵を相手に、彼は「巨大な機械な体」で戦い出す(笑)
渋谷事変編の序盤、渋谷事変編のはじまりなのに
いきなり「ロボットアニメ」になる。

今まで動けなかった分、溜め込んだ呪力で動き出す巨大なメカ丸は
どこの「エヴァンゲリオン」だと言いたくなる姿だ。
呪術廻戦はもともと、相当エヴァを意識している。
特に映画「呪術廻戦0」はそれが露骨だったが、原作者がいかに
エヴァが好きかがこの序盤で露骨に感じられるシーンだ。

それをアニメ制作側もわかっている。
露骨にエヴァを意識した構図、もはやパロディだ(笑)
巨大なメカ丸は咆哮をあげ、機体の重さをしっかりと感じられる
鈍重な重さの描写はMAPPAだからこそのアニメーションのクォリティであり、
令和のエヴァと言っても過言ではないくらいエヴァエヴァしている。

相手はただの呪詛師だ。巨大なメカ丸と人間のサイズ感の違いは
まるで特撮映画を見ているかのようなアングルで描かれており、
そうかと思えば、まるで「グレンラガン」のTRIGERのような
熱く迫力のあるエフェクトによる戦闘シーンも描かれる。

17年分溜め込んだ呪力が彼を「五条悟」クラスの特級呪術師にしている。
ひと目でも彼女に自分の姿を見せたい、ひと目でも自分の目で彼女を見たい。みんなに生身の体で会いたい。彼の原動力はひとえに「愛」だ。

相手の「領域展開」すら破り、想い人の技すら受け継ぎ、彼は自分の夢をなそうとする。
だが、勝てると思った、会えると思った、その一歩の手前で彼の
命は儚くも散りゆく。

MAPPAらしいハイスピードなアニメーション、更にそこに漫画のような
「荒削りな線」をあえて取り入れることで、よりアニメーションに
とんでもない迫力が生まれている。
令和のアニメなのにどこか昭和のアニメっぽさすら感じるような、
色々な時代のアニメのテイストをあえて取り込んでいるような印象だ。

ちなみにこの31話に関しては「TRIGER」が制作に協力している(笑)
ロボットアニメの金字塔であるTRIGERが制作協力しているからこその、
MAPPAとTRIGERらしさの詰まったロボットによる戦闘シーンは
思わず称賛の拍手を送りたくなる。

渋谷

動き出した呪詛師は渋谷を帳で包んでしまう。彼らの要求は「五条悟」だ。
多くの一般人を助けるために、呪詛師を倒すために呪術師たちが動き出す。
そこには虎杖悠仁の因縁の相手である「真人」もいる。
真人を倒すためにも虎杖悠仁も動き出す。

彼が最初に相まみえるのは「バッタの呪い」だ。
駅構内という狭い場所で「立体的」な動きを多角的なカメラアングルで
映しながらハイスピードなアニメーションで描いている。

相手はシンプルに力の強い相手だ。
ろくな術式を持たない虎杖悠仁にとっては真っ向勝負を仕掛けられる
相手でもある。
だが、相手は無視であるがゆえに「4本」の腕を持っている。
それなのに虎杖悠仁は恐るべき力とスピードで圧倒する。

まるでドラゴンボールでも見ているかのような殴り合い、
小細工なしの実力勝負が爽快感あふれる作画で描かれている。

最強

最強である五条悟もまた敵と相まみえている。
普通の呪詛師なら、普通の呪いなら彼の相手にすらならない。
だが、彼の周囲には「一般人」がいる。五条悟にとって守るべき相手だ。
彼が持つ術式は強力だ、強力ゆえにその範囲も威力もとてつもない。

だからこそ、そこに隙がある。最強を殺すための小細工だ。
守るべき人がいる中で、一般人がいる中で「五条悟」もまた、
そんな小細工に対抗していく。

呪術廻戦はそれぞれが強烈な「エゴイズム」を持っている。
そんな作品だからこそ、最強である五条悟のエゴイズムは最強だ。
ある程度の「一般人」の被害は共用しつつ、だが、最低限の被害に収める。
それが彼のベスト、エゴだ。

目の前で多くの一般人の命が敵によって奪われていく。
だが、それで動揺する彼ではない。最強ゆえの傲慢、
己がなすことが正しいというエゴだ。
全員は助けられない、そのかわりに敵は倒す。それが彼の生き方だ。

多くの一般人が彼の前で命を散らす、大量に溢れ出る血、失われていく命、
そんな命を目の前にして彼は「一瞬」の本気で敵を一掃する。
たった0.2秒、一般人に被害が出ないギリギリの0.2秒だ。
圧倒的な0.2秒の描写は思わずにやけてしまう。

そんな最強を簡単に殺すことは出来ないからこそ、
敵もまた彼を「封印する」という手段を取る。
かつての「友人」の姿、殺したはずの「親友」の姿を表すことで、
彼に「17年分」の記憶を呼び起こさせる。
ほんの少しの静止、それが彼の封印につながる。

最強もまた人だ、思い出に、過去に抗うことは出来ない。
かつての親友「夏油傑」の肉体をのっとった黒幕が動き出す。

アニメーター

序盤のメカ丸戦、バッタ戦、五条悟戦とどれも、
いい意味でも悪い意味でも「統一感」というものがない。
メカ丸戦はTRIGERらしさとエヴァらしさを全開にしたロボットアニメ、
バッタ戦は今までの呪術廻戦らしい戦闘シーン、
五条悟戦は更にハイスピードな演出にこだわった戦闘シーンになっている。

どれもこれも同じ制作会社が手掛けたとは思えないほど
統一感というものがない。
戦闘のたびに、その戦闘シーンに合った絵コンテと演出を切り替えており、
だからこそ、戦闘シーンごとに違った味わいが生まれている。

戦闘シーンが多い2期だからこそ、渋谷事変だからこそ、
戦闘シーンごとに演出を変え、絵コンテに有名なアニメーターを呼び、
飽きさせない戦闘シーンを作り上げている。

だからこそ毎回の、毎話の戦闘シーンに思わず釘付けになってしまう。
NARUTO,BLEACH、HUNTERHUNTER、ドラゴンボールetc…
数々のジャンプアニメを彷彿とさせるような戦闘シーンの数々、
十人十色なアニメーションがたまらない。

血液が吹き飛び、内臓がひしゃげ、骨が折れる。
時に人体欠損も起こり得る戦闘シーンをハイスピードに、
だが、キビキビと緩急をつけた戦闘シーンは素晴らしいの一言だ。

ストーリー

ストーリーはシンプルだ、呪いの世界を作ろうとする敵、
そんな敵の最大の壁が「五条悟」であり、彼を封印された
主人公たちは五条悟を助けるために敵と戦っている。

ただ、見ていると混乱する部分もある。
特に主人公である虎杖悠仁が敵である脹相と戦って負けるのだが、
とどめを刺される寸前になぜか敵が「存在しないはずの記憶」を
思い出してしまう。

虎杖悠仁は兄弟ではないはずなのに、彼とともに仲良く幸せに
暮らしている映像が脳内に蘇る。
一体どういうことなんだ?と思わず感じてしまうシーンが
ちょこちょことあり、キャラ同士の位置関係もイマイチわかりにくい。

戦闘中に能力や状況を解説するための
ナレーションも多くなっており、それもかなり気になるところだ。
ただ欠点はそれくらいだ。戦闘シーンに継ぐ戦闘シーンを
妥協なく渋谷事変編では描きまくっている。

両面宿儺

そんな混沌とした状況の中で両面宿儺も顔を見せる。
五条悟と同じく最強の名を関する彼はわがままで傲慢だ。
弱者の願いは聞き入れず、己がしたいことをしたいようにしている
暴君に過ぎない。

宿儺 と漏瑚による戦いは圧巻の一言だ。
あえて「作画を崩す」ことでアニメーションの流れを生み、
独特な癖のあるレイアウトとカメラワークでグリグリと動かしながら描いている。

最近は統一感のある作画とキャラデザの作品が多い。
少し前、「グレンラガン」の4話などは作画のクセの強さで、
作画崩壊と語られることもある。
だからこそ、最近のアニメは統一感のある作画の雰囲気と
キャラデザで作品にまとまりをうみ、作画崩壊と言われないようにしている。

だが、この作品は違う。
あえて絵コンテを手掛けるアニメーターの「癖」を強調させることで、
統一感を破壊している。見る人によっては作画崩壊に見えてしまうかもしれない。
しかし、見る人によっては癖全開の作画の連続だ。たまらない。

思わず絵コンテを手掛けた人の名前を検索してしまうほど、
各回で特徴あふれる絵コンテが切られ、そんな絵コンテを
作画監督はあえて修正しないまま癖を全開にして戦闘シーンを描いている。

絵の綺麗さではなく「動き」の豊かさを優先した作画だ。

作画枚数もとんでもないことになっている。
「ぬるぬる」なんて言葉では表せないほどの動画、
TVアニメーションでは在りえないほどの作画枚数で描かれた
癖全開の戦闘シーンに釘付けになってしまう。

この40話に関しては「3万枚」の作画枚数になっている。
意味がわからない(苦笑)
アニメの作画枚数は1話あたり3000枚か4000枚ほどだ。
通常の10倍以上の作画枚数でこの作品は描かれている。

鬼滅の刃とは違う「炎」の描き方、
人を、呪霊を、命を「殺すため」の炎の描き方は
映画を見ているような感覚にすらなる。
通常はTVアニメでここまでやらない、やりすぎだといいたくなるほど
TVアニメの器に収まりきれない作画がこの作品には詰め込まれている。

画面比率もTVサイズから映画サイズになっている。
意識的に制作側も映画のようにこの作品を作り上げている。
40話だけでなく、41話も同様だ。
式神である「摩虎羅」と「宿儺」の戦いは渋谷全体を巻き込み、
激しいものになっていく。

その結果、多くの命が失われる。
「両面宿儺」という暴君が奪った命、その命を奪ったのは「虎杖悠仁」の体だ。
物語の「主人公」を徹底的に絶望へと追い込んでいる。

「このままじゃ俺はただの人殺しだ」

誰も救えていない。自分があのとき、あの場所で死んでいれば
多くの命が奪われなかったかもしれない。
友人が、恩師が彼の命を救ってくれた、それなのに、
彼は誰も救えないどころか多くの犠牲者を生んでいる原因になっている。

大勢の人に看取られたい、誰かを救いたい。
呪いのような祖父の遺言に縛り続けられたからこその今だ。
それに従っただけなのに、彼の前で多くの命が散っていく。

七海建人

虎杖悠仁にとって「七海建人」は先生だ。
五条悟と同じく彼に色々なことを教えてくれた。
愛情を込め、愛称で呼んでいるほどだ。
それほど信頼し、尊敬していた存在だ。

だが、そんな彼も「真人」に虎杖悠仁の目の前で殺されてしまう。
満身創痍な肉体で戦い続け、最後は生徒のくさびになる言葉を残し、
彼はあっさりと散りゆく。

人間にとって正しい死を迎えること。それが彼の行動理念だ。
「呪い」による死は正しい死ではない。
魂すらも弄り回す「真人」は彼にとって合ってはならない存在だ。
だからこそ怒りをぶつける。

40話と41話は渋谷全体を巻き込んだ
広い空間での戦闘シーンだったが、
42話になると逆にとんでもなく狭い空間で戦い出す。
迫りくる肉片、狭いエレベーターの中、狭い空間だからこそ、
「寄り」ぎみのカメラワークで戦闘シーンが描かれる。

狭い空間だからこそ一手間違えれば致命傷を負う。
ギリギリで敵の攻撃を避けつつ、自らの攻撃を叩き込む。
精神的に追い詰められる中で「釘崎野薔薇」の闘いも始まる。

それを感じた「虎杖悠仁」、自分は一人ではない。
だが、僅かな希望もあっさりと砕け散る。
自分の理解者であり、友人だった彼女もまた「真人」の凶刃に倒れる。

ボロボロに砕け散りそうな精神、そんな精神を救うのは
「ブラザー」だ(笑)

絶望に叩き込まれた虎杖悠仁を「東堂」はすくい上げる。
「呪術師」はいつ命が奪われるかわからない。
それを「呪術師」になった時点で彼は覚悟を死ている。
呪術師が最後に勝てばいい、多くの犠牲を生んでも、
呪術師が最後に勝てば多くの命を救える。

「東堂」が現れただけで一気に明るくなる印象だ。
シリアス展開がつづき、息苦しいストーリーだった雰囲気が一気に崩れされる。
彼の能力は術式に位置を入れ替えるだけのものだ。
だが、そんな術式だからこそ戦闘シーンが映える。

とんでもなくハイスピードで描かれる戦闘シーン、
キャラの立ち位置でさえあっさりと入れ替わる。
まるで音楽を奏でるように、そんな音楽を称賛するように戦場に流れる手拍子。

今までの戦闘シーンとは違う「僕のヒーローアカデミア」でも
見ているかのような意味不明なきらびやかな東堂のエフェクトは
笑いすら起きるほどだ。

特に意味がわからないのは戦闘中に東堂の推しの
「アイドルソング」が流れることだ(笑)
あくまでも東堂のイメージのようだが、
意味のわからない演出に感情が追いつかない。

努力、友情、勝利。
とんでもない作画で、とんでもなくシリアスなストーリーではあるものの、
最後はジャンプの三大原則を守った展開だ。

加茂憲倫

だが、そんな勝利を掴む寸前に夏油傑の皮を被った
「加茂憲倫」が現れる。なぜ「脹相」が虎杖悠仁を弟と誤認したのか。
すべての原因は彼にある。
呪霊と人の子をなし、脹相たちをうみ、夏油傑の体を奪った男。
そんな男が多くの人を呪術師に変え、多くの呪いを解き放つ。

呪術全盛の世界が、呪いの世界が始まってしまう。
そんな世界に舞い降りるのが「乙骨裕太」だ。
「五条悟」を失った今、虎杖悠仁は両面宿儺と同一の存在であり、
呪術高専にとって「死刑」の対象だ。

それでも虎杖悠仁はくじけない。
散っていった多くの命のために、彼は「呪術師」でありつづける。

総評:血湧き肉躍るダークバトルファンタジー

全体的に見て、アニメーションのクォリティがとんでもない作品だ。
作画の雰囲気や癖、キャラクターデザインが毎話のように変わるのは
人によっては統一感がないように見えて、作画崩壊しているようにも
見えるかもしれない。

しかし、あえて、そんな批判すらあることを想定して
この作品は毎話のように、その戦闘シーンにふさわしい絵コンテと
演出をもって、作画崩壊と言われても「アニメーター」の
癖をあえて全開にした戦闘シーンは本当に素晴らしいものがある。

特に終盤はそれを如実に感じる。
両面宿儺の戦いは「映画」のようなクォリティと
画面比率で描かれており、立体的という言葉では足りない、
「空間」すらも描こうとしている戦闘シーンは圧巻だ。

更にそこから「東堂」がでてくることで、
呪術廻戦らしいキビキビとした戦闘シーンを描きつつ、
同時にギャグも忘れていない。はっきりいえば、
制作側が「やりたい放題」している作品だ。

「やりたい放題」だからこそ好き嫌いが分かれる。
特に線が細い作画に関してはスピィーディーさは出るものの、
作画崩壊しているかのように見えやすいものだ。
しかし、それでもこのクォリティのアニメーションを
TVアニメという媒体でやってのけたことを称賛したい。

ストーリー的にもかなりシリアスだ。
毎話のように戦闘しているからこそ、メインキャラの命も
あっさりと奪われていく。
「虎杖悠仁」という主人公を絶望に叩き込み、それでも仲間とともに
折れずに強敵に立ち向かう、その姿はまさにジャンプアニメの主人公だ。

惜しむべきはナレーションの多さだ。
能力解説もナレーションベースで行われるものもあり、
それがやや物語のテンポ感が崩れている部分もある。
場面転換も多く、あっちこっちで戦っており、
「今はどういう状況なんだ?」と一瞬混乱してしまうことも少なくない。

それでもダークな世界観で描かれるストーリーは
容赦がなく、最後に現れるもう一人の主人公「乙骨裕太」の存在も
素晴らしく、つづきが気になってしまう。

早く3期が見たい。シンプルにそう感じさせる作品だった。

個人的な感想:えげつない…

呪術廻戦2期放送中にMAPPAのアニメーターの状況が
海外で色々と話題になっていた。
スケジュールの問題や賃金の問題など、MAPPAだけでなく、
日本のアニメ業界全体が抱えてる問題だ。

ただ実際、呪術廻戦2期を見てしまうと、
アニメーターさんたちが嘆くのもわかるほどのクォリティだ。
シンプルにえげつないクォリティをしている。
本来TVアニメでやるクォリティじゃない、
毎話劇場アニメを作ろうとしているようなものだ。

この制作スタイルが3期でも持続されるのかは気になるところだ。
ただ、1視聴者としてはこれだけ素晴らしい戦闘シーンを
見てしまうと、3期にも自ずと期待してしまう。

ただ、MAPPAはアニメーターさんに少しでも利益を還元してほしいところだ。

「呪術廻戦 渋谷事変編」に似てるアニメレビュー

「呪術廻戦 渋谷事変編」は面白い?つまらない?

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