劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ

2016年6月29日

評価/★★★★☆(75点)

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2人がたどり着いた「シュタインズゲート」

本作品はシュタインズゲートの劇場版。
テレビアニメの最終話(正確にはSP)から1年後の話になっている。

見出して感じるのは懐かしさだろう。
宮野真守さん演ずる鳳凰院凶真こと「岡部倫太郎」のテンションの高い演技を聞くと
シュタインズゲートを楽しんだあの時の自分が蘇るかのような感覚になるほどだ
ラボメンたちの平和ないつもの会話を聞くだけで
自然とこの作品に対する期待感が上がっていく

ストーリー的にはテレビアニメの続きだ。
テレビ最終話から1年後、シュタインズゲートへとたどり着いた岡部倫太郎は
誰も死んでいない世界で平穏な日々を満喫していた
しかし、そんな彼に「シュタインズゲート」へとたどり着いた障害が襲う・・・
というところからストーリーが始まる。

序盤は日常だ。
オカリンの妙に高いテンションは彼がしゃべるだけでもはやギャグになっており、
そんな彼に対する「紅莉栖」のツンデレツッコミがキレッキレだ
「シュタインズゲート」という作品が好きならば
キャラクター同士の会話はファン目線できっちりと作られており、
各キャラクターのファンはきっちりと楽しめる序盤だ

特に紅莉栖の「酔っ払った」姿は正直たまらない(笑)
普段のツンツンな彼女からは一切想像できないデレッデレで甘えん坊な態度の数々は
テレビアニメでは感じなかった「萌え」すら感じさせる魅力だ
岡部倫太郎とのあからさまなラブコメ模様はちょっとニヤニヤしてしまう

そんな平和な日常が徐々に「ズレ」ていく。
平和な日常を謳歌しながら過去の世界戦で味わった悲劇が
岡部倫太郎をフラッシュバックとして襲う。
せっかく手に入れた平和な日常が「過去の世界線」で味わった過去が邪魔をする
そしてそれは徐々に長くなりながら彼を襲う。

この序盤のシーンは流石「宮野真守」と言いたくなる素晴らしい演技だ
見ている側が全てをわかっている、彼がしてきたこと彼が経験したことを全て見てきた
だからこそ彼の「不安」や「恐怖」が手に取るように伝わり、
そこに「宮野真守」さんの激しい感情の演技が合わさり、画面に引きつけられる
更にそこに「阿万音 鈴羽」が紅莉栖に接触することで緊迫感は最大限に高まる

Dメールの存在しない世界線で「阿万音 鈴羽」が紅莉栖に対し
「携帯電話」「電子レンジ」「SERN」というキーワードを伝える、
忘れないでという言葉とともに。
テレビアニメを見たからこそ、彼女の正体を知っているからこそ
「忘れないで」というセリフの重みが増し、同時に緊迫感が増していく。

そして「岡部倫太郎」は消える。

文字通りシュタインズゲートの世界線から彼の存在そのものが消える
その事実に気づくのは「紅莉栖」のみだ。
紅莉栖は岡部倫太郎を取り戻すべく、彼女の「シュタインズゲート」を求める

この作品でやっていることは「岡部倫太郎」がやっていたことと同じだ。
彼がやっていたこと彼の役割を「紅莉栖」が受け継ぎ
「デジャブ」を手がかりにタイムリープマシンをもう1度作る。
このデジャブの要素はこの作品からの要素だ

世界線を移動し記憶を持っているのは「岡部倫太郎」のみだった。
だが、彼以外にも「デジャブ」として断片的な違和感として、そこに存在する
岡部倫太郎が「消失」してしまう理由も良く出来ている

彼がたどり着いた「シュタインズゲート」は誰も不幸になっていない世界線だ
だがそれは多くの「不幸になった世界線」の中の中でも可能性が1番低い世界線だ
岡部倫太郎はそこにようやく辿り着いた
だからこそ、その世界線は「不安定」であり、そのゆらぎに岡部倫太郎は
タイムリープを何度も経験したからこそ自然に巻き込まれてしまう。

そして、その事実を岡部倫太郎も知る。
「自分の存在がない世界線」を岡部倫太郎は受け入れる
彼は知っている、過去を改編する意味をタイムリープをしてしまう意味を。
多くの悲劇を彼は味わったからこそ、ソレを消し去った世界線に
再びそれが存在してしまうのを拒絶する。

素晴らしいキャラクター描写だ。一見同じようなことをやっているようにも見える。
だが、同じような状況でも「岡部倫太郎」というキャラクターがいるからこそ
彼は「紅莉栖」の行動を否定する。
自分以外が全て生きている世界線を自分の存在を犠牲にすれば守れる。
それは「紅莉栖」というヒロインに対する好意であり、ラボメンに対する愛でもある。

2人のやりとりにアニメーションとしての派手さはない。
激しいアクションや激しいバトルがあるわけじゃない。
だがキャラクターの「表情」とキャラクターの「演技」が痛烈に見ている側に伝わり
キャラクターの感情と心理が痛いほどに伝わってしまう。
「岡部倫太郎」の自己犠牲のセリフも「紅莉栖」の涙もまっすぐに突き刺さる
その思いは「2人の口づけ」のシーンで余計に強まってしまう。

「岡部倫太郎」が消えるという事実を「岡部倫太郎」しか知らなければ
彼が自己犠牲をするだけで終っただろう。
だが「紅莉栖」がそれを知るというのがこの作品には大事な部分だ
女性キャラクターだからというと男女差別とか言われるかもしれない、
だが「女性」だからこそタイムリープの危険性という事実ではなく、
「岡部倫太郎が消える」という感情で行動をする。
女性キャラクターが「主人公」になることで物語が動く。

彼が消えた世界線で「彼」を必死に思い出そうとする彼女の悲痛な泣き声、
彼が消えた世界線で必死に「彼」を思い求める彼女の痛々しいまでの行動の数々、
1シーン1シーンから「紅莉栖」の女性としてのキャラクターの魅力が痛いほどに伝わる
彼女だけではない、何かが欠けて寂しさを感じるラボメンたちは
いつもどおりの日常を送れない。

この作品ははっきりいってテレビアニメとは違う印象だろう。
テレビアニメはSFと伏線を回収していく面白さと最終話のきれいなまとまり方が素晴らしかった
だが、この作品ははっきりいえば「究極のキャラ萌え」作品だ。
テレビアニメを見たからこそラボメン達に強く感情移入しており、
あの最終話を見たからこそ「平和な日常を送ってほしい」という見ている側の気持ちも強い
だが、平和な日常は送れない。

キャラクターとキャラクターの「会話」で物語が進み、
キャラクターとキャラクターの「感情」で物語が動く。
テレビアニメの本筋をタップリと味わいキャラクターに感情移入しているからこそ
キャラクター同士のやりとりだけで進むこの作品は淡々としてはいるが
その「淡々」の中にある「キャラクターの感情」を生々しく感じてしまう

伏線と呼ばれるものは薄い。
見ようによってはいきあたりばったりでダラダラとしたストーリー展開に見えるだろう
それはキャラクターが「理論」ではなく「感情」で動いてるからだ
感情で動いてるからこそ唐突にストーリーが動き、
感情で動いてるからこそダラダラとストーリーが進んでしまう。
そして感情で動いたからこそ結末はシンプルに行き着く。

全体的に見てアニメとしては確かに物足りなさを感じる
だが「シュタインズゲート」という作品の「キャラクター」が好きならば
この作品のキャラクターの生々しいまでの感情の爆発がストレートに突き刺さり
「岡部倫太郎」が導き出した方法とは違う方法で
「紅莉栖」はシュタインズゲートへとたどり着く展開は不思議な感動が生まれている。
それは理論や伏線や考えられた結果に辿り着いた「岡部倫太郎」のシュタインズゲートではなく
感情が、岡部倫太郎に対する思いが辿り着いた「紅莉栖」のシュタインズゲートだ。

この作品にはテレビアニメのシュタインズゲートとは又違う作品の魅力があった。
もちろんテレビアニメのシュタインズゲートがあったかこそのこの作品だ。
人によっては蛇足に感じてしまうかもしれないストーリーではある、
テレビアニメのほうがあれだけ綺麗に完結してしまったからこそ蛇足に感じやすいだろう。

だが、これもまた「シュタインズゲート」の選択だ
素晴らしい伏線の引き方と回収と物語の締め方で物語が終わるのも悪くはない、
しかしキャラクターが生々しく動き感情で終わる物語があってもいいじゃないか。
テレビアニメとはまた違う魅力をこの作品は感じさせ、
そして「岡部倫太郎」が救われる。
彼1人が背負って終ったテレビアニメとは違い、この作品では2人で背負っている。
私個人としてはそこが好きな部分だ。

欠点をいえば序盤から中盤までは丁寧だったのだが中盤から終盤はやけに早足になってしまい
人によっては「ん?」となる箇所もあるだろう。
90分ではなく120分の作品ならばそういった細かい点が気にならなかったかもしれない
綺麗に終わってはいるものの「余韻」を感じるような感じがないのは残念であり、
あと30分なればなと感じる部分は大きい。

色々と欠点はあるもののシュタインズゲートのキャラクターが
好きならば間違いなく楽しめる作品だ
不満点は確かにあるが、シュタインズゲートという作品の後日談としては楽しめる作品だ