評価 ★★★☆☆(50点) 全102分
あらすじ 夏休みにキャンプの行き先で意見が分かれたのび太たちは、ドラえもんの提案で海の真ん中でキャンプをすることになる。引用- Wikipedia
圧倒的解釈違いの極み
本作品はドラえもんの劇場アニメ作品。
ドラえもんとしては45作品目の作品となり、
新声優陣になってからのドラえもんとしては20作品目の作品となる。
監督は矢嶋哲生 、制作はシンエイ動画
43年前
ドラえもん映画は新ドラえもんになってから
定期的に過去の映画をリメイクしている。
リメイクに伴い変更する部分や、そのままにする部分、
時代が違うからこそのアレンジが必要な部分もあり、
そのあたりの苦労が見えることも多い。
この「海底鬼岩城」という作品は43年も前の作品だ。
昭和の時代に生まれたドラえもん映画であり、
ドラえもん映画としてもかなり初期の作品だ。
旧作は90分ほどの尺で、前半はスローテンポで、
後半からはかなり急展開な作品となっており、
それを現代で、令和という時代にどう見せるのかというのが
リメイクの見せ所にもなっている。
バギー
本作における大きな変化が「バギー」だ。
旧作を見た人ならば御存知の通り、
バギーはAIを搭載したドラえもんの未来の道具であり、
水陸両用のバギーカーだ。
旧作ではAIという言葉すら使われておらず、
話せるコンピューターで、ちょっとポンコツで海底の知識もろくにない。
機械なのにいい意味での人間臭さがあり、終盤では
恐怖のあまり身を隠してしまったかと思えば、
「しずかちゃん」のために男気を見せるようなキャラでもあった。
ただこれは旧作、昭和という時代だからこそ許されたコンピューターの描写だ。
時代は令和、多くの人がChatGPTなどのAIを使うようになったからこそ、
旧作と同じようなどこか人間臭いキャラ描写というのができなかったのだろう。
今作におけるバギーは普通に賢い。
海底の知識もきちんとあり、人間の要望に答えてくれる。
だが、AIだからこそ、プログラムだからこそ人間のことがわからず、
命令通りにしか動かない。
そういった融通の利かなさはあるものの、現代的なAIの描写になっている。
キャラ変
このキャラクターの変化は好みが分かれる点ではあるが、
個人的にはこれはこれでありだ。
旧作のバギーは基本的に「しずかちゃん」とだけ交友を深めており、
のび太やジャイアン、スネ夫、ドラえもんとの関係性は希薄だった。
だが、今作ではかなりオリジナルのシーンを追加している。
特にのび太との絡みは厚くしており、
のび太といっしょに寝たり、小さくなってのび太の頭の上にいて、
旧作以上に一緒の時間を過ごしている。
AIであるバギーが本来は理解できない人間の心、
正解でも正しいとも言えない理不尽な行動をする人間というものに接し、
彼の中にも自我、心が芽生えていく。
この展開はベタではあるものの、旧作以上にそこに厚みを持たせており、
関係性も深めているからこそ最後の「行動」の重みも増している。
時代の変化に伴うAIというものの描写の変化を感じることができ、
好みはあるだろうが、バギーの描写に関しては
旧作には旧作の、新作には新作の良さがきちんと生まれているものの、
旧作が恋心なら新作は友情ゆえの行動になっている。
この解釈の違いはかなり大きい。
改変
バギー以外の改変ポイントがかなり多い。
旧作を見ていなければ気にならないと思うが、
リメイクという都合上、旧作との比較は避けられない。
例えば冒頭でドラえもんとのび太がキャンプ先の海底に
バギーとともに下見にいっていたり、
旧作では多かった食事のシーンが減らされていたり、
旧作には居なかった「新キャラ」も追加されている。
この新キャラは海底人であり、50年前にポセイドンと
接触したことがあるキャラクターだ。
旧作では海底人すらポセイドンにあっておらず、
未知の存在として扱われ、終盤は急に鬼岩城に行く流れになっていたが
この新キャラが追加されたことで視線な流れになっている。
他にもしずかちゃんが水中で手を洗うシーンがなかったり、
細かく気になる点はあるものの、あくまでも旧作を見ていると
気になってしまう細かいポイントでしか無い。
問題は道具の扱い方だ。
道具
今作では「エラチューブ」という道具がでてくる。
簡単に言えば水中で呼吸できるアイテムだ。
ドラえもんとのび太は最初、このエラチューブを使って
海の中に入るのだが、深海ではそのエラチューブだけでは難しく、
ドラえもんはテキオー灯を取り出して深海に適応させる。
このエラチューブを使う意味がない(苦笑)
海底の暗さというものを表現したかったのかもしれないが、
旧作ではエラチューブそのものが出てこず、
旧作を見ていなくてもなんでわざわざエラチューブを
一回使うことにしたのかが意味不明だ。
これは私はなにかの伏線と最初は感じたくらいだ。
物語の中盤でジャイアントスネ夫のテキオー灯の効果が切れかけて
死にそうになるという展開があるが、
その描写を軽くするためにエラチューブを使ったりするのかと思いきや、
特になんの伏線でもなかった。
おそらく演出意図であり、エラチューブで暗い状態から
テキオー灯で明るい状態に切り替わることで
アニメーションとしての派手さが生まれている、
このシーンを作り出すために二度手間にしたのだろう。
意味なし
ポセイドンと会ったことのある新キャラが、
どうやってポセイドンのところから逃げてきたのかという説明がある。
旧作と同様に鬼岩城のまわりにはバリアが貼られており、
新キャラはそのバリアの隙間であるチムニーの洞窟を抜けたと語られる。
ドラえもんたちも当然、そのチムニーの洞窟を探し、そこから
侵入するのだが、結局、バリアをくぐる手段は
旧作と同じように「カメレオン帽子」を使って地下から潜入している。
このくだりに意味がない(苦笑)
旧作ではバリアの前にたどり着き、カメレオン帽子で地下をくぐり抜けている。
だが、リメイクではそこに「チムニーの洞窟」のくだりを挟んでいる。
わざわざ挟んだ意味がなく、今のシーンは必要だったのか?と
映画の途中で考えてしまうほど意味がないシーンだ
女の情報がない!
鬼岩城の場所を探すためにしずかちゃんがわざと攫われるという
シーンが旧作にもリメイクにもある。
旧作ではしずかちゃんが「若い女の子」だからという理由だったが、
リメイクでは新キャラも女性で、しずかちゃんも女性だから
大丈夫という理由になっている。
男女平等的な価値観が培った現代において若い女の子という
理由だけでは難しく、過去の前例というものを追加したのはわかる。
旧作ではポセイドンは生贄として若い女の子を利用しようとしているのだが、
リメイクではポセイドンが「女の情報が足りない」からという
謎の理由もたされている(苦笑)
ちょっと意味がわからない、旧世代のAIであり、
色々な問題があるからこそ、海底火山の噴火を
攻撃と勘違いし核ミサイルをぶっ放すAIだから仕方ないのかもしれないが、
そんなAIが「女の情報がない」というのはどういうことなのか。
そのあたりの裏付けもなく、それならば旧作のように
生贄という理由のほうが旧世代のAIっぽい理由になっている。
総評:令和のリメイクは難しい
全体的に見てリメイクの難しさというのを感じてしまった。
バギーというAIの描写は昭和と令和という時代の違いを考えれば、
私個人としてはアリな改変だとは思うが、その一方で、
ポセイドンに女の情報が少ないという謎の設定や、
「核兵器」という設定そのものも無くなってしまっている。
旧作では放射能や核兵器という言葉が出てきたが、
今作ではそのあたりは濁されて描かれてしまっている。
そのかわり旧作ではふわっと触れられただけの
「人間による海の汚染」も、リメイクではわかりやすく
ドラえもんたちが海底でタイヤやプラごみなどを発見している。
現代的なアレンジがかなり目立っており、
そのアレンジが気になってしまう人もかなり多いだろう。
旧作と比較しなければ引っかからない部分もあることにはあるが、
それでも、道具の扱いや意味なしなシーンなど、
よくわからないポイントも残りまくっており、変な引っ掛かりが生まれる作品だ。
海底の美しさや描写、深海魚の詳細な描写など
旧作にはない魅力もあるが、
個人的には旧作のほうがシンプルに楽しめる面白さがあり、
リメイクは制作側の「苦肉の先」が見えてしまう作品だった。
個人的な感想:心
旧作はラスト30分くらいから怒涛の展開であり、
それゆえのテンポ感とあっさりとした感じもある作品だった。
しかし、リメイクは結構しつこい。
前半と後半でしっかりわけて描いているからこそ、
旧作のような急展開感は薄くなっているが、
その分、ラストの海底人への演説が
エルたちがのび太たちに恩赦を求めるセリフなど
「心」を強調したものがあまりにも多い。
AIの自我、心の目覚めを強調したかったのはわかるが、
バギー自身の行動原理ものび太との交流を追加したせいもあって
「友情」というものに重きをおいているような感じがあった。
旧作では友情ではなく、どちらかといえばしずかちゃんに対する
「恋心」のようにも見える描写だ。
雑に扱われ、ポンコツと言われてきたバギーを認め、優しくしてくれた。
そんな大好きなしずかちゃんを助けるために恐怖心を捨て去り、
男を見せた、それがバギーだった。
しかしリメイクでは性別という概念すら薄くなり、
友情ゆえの特攻になっている。
このあたりは「解釈」や「現代」の価値観ゆえの描き方もあるのだろうが、
個人的には引っかかってしまった作品だった。



