「犬王」レビュー

5.0
映画
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評価 ★★★★★(93点) 全96分

あらすじ 乗用車が行きかう現代の交差点で、琵琶を弾き語る男がいる。時がさかのぼり、三代将軍足利義満が南北朝の統一(北朝による一統化)を目指していた室町時代初期
引用- Wikipedia

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湯浅政明集大成

原作は小説な本作品なアニメ映画作品。
監督は湯浅政明、制作はサイエンスSARU

ナレーション

この作品はナレーションから始まる。
レビューが始まって早々だが、私はこの
「1話の冒頭からナレーション」で始まるタイプの作品は余り好きではない。
言葉よりで説明するよりもキャラクター同士の自然な会話で
世界観や設定を知りたいと思ってしまうタイプだ。

しかし、この作品は「湯浅政明」監督作品だ。
私が嫌いなナレーションから始まるものの、そんなナレーションでさえ見せている。
なにせ琵琶法師による語りだ(笑)
現代の日本と思われる場所でなぜか琵琶を弾く男が、物語を語る。

それは昔々、今よりもずっと昔の日本のお話。
南北朝と呼ばれたそんな時代まで琵琶法師による語りで戻っていく。
この冒頭のシーンで一気にやられてしまう。
たかがナレーション、そんなナレーションをここまで魅せられるのかと
思うほどの描写と琵琶の音が作品の世界観に一気に引きずり込まれるような感覚に陥ってしまう。

ここまでのレビューで少しでも気になって、まだ見ていない人は
ぜひ今すぐ劇場に足を運んでほしい。
こんなど素人のレビューを読んでいる場合じゃない、
この作品を語るべき言葉を私は最大限努力し書き綴っているものの、
私にはこの作品の魅力を余すことなく、最大限に表現できる言葉は持ち合わせていない。

そんな能力があるなら小説家になっている。

友魚

この作品は「実在の能楽師・犬王」をモデルにしている作品だ。
だからこそ、序盤はまるで「能」を見ているかのような
そんな錯覚を覚えるようなシーンが多い。

二人の主人公のうちの一人である「友魚」は漁師の息子だ。
彼は父とともにとある男たちの依頼で
「三種の神器」の1つを海の底から引き上げた所、
父は真っ二つになり、「友魚」自身は目を切られたせいで視力を失ってしまう。
一族の敵を晴らすためにも彼は男たちを探すたびに出るところから物語が始まる。

この「目が見えない」という表現は芸術的だ。
彼は目が見えない、それゆえに「音」や「匂い」や「感覚」で
周囲の状況を把握している。
それを「映像」でこの作品は視聴者に見せている。

人が歩けば、その踏み鳴らしたなにかの音を強調させ、
音に近づけば匂いや想像で「色」を作り出し、触れることで「形」を認識する。
目が見えない人の頭の中ではこんな映像が広がっているのかもしれないと
感じさせるほどの「盲目」の人物から見た視線の表現に飲み込まれてしまう。

この作品の原作は小説だ、「文字」で想像するしか無い。
しかし、この作品はアニメだ。
絵と、動きと、音、それが重なり合って初めて「アニメ」になりうる。
そんな「アニメ」だからこその盲目の人物の視点の描き方への
こだわりに「湯浅政明」監督のこの作品にかける本気度を感じてしまう。

友魚は旅の中で琵琶法師に出会い、彼自身も琵琶法師になる。
出会った琵琶法師の「座」では名前を変えなければならず、
彼は「友一」と名乗るようになる。
この作品で彼には3つの名前がある、親からもらった名前である
友魚、琵琶法師からもらった友一、そして自ら名乗る「友有」だ。

彼自身は自分の意志で復讐をしに行こうと思ったのではない、
琵琶法師もなりたくてなったわけではない。
そんな中で彼は3つの名前の中で唯一、自ら名乗りを上げる名が
「友有」だ。

彼は「友」を持って初めて自分がここに有る、自分らしいと自覚できた。
彼とならばやっていける、彼とともにいることが
彼にとっての存在証明、生きる意味でもあった。

それが「犬王」だ。

犬王

彼の初登場シーンのインパクトは凄まじい。
一言でいえば「化け物」だ。
犬のように4つ足で歩行し、顔は面で隠している。
右腕だけが異様に長く、人でもなければ犬でもない。
そんな姿故に父からは目もくれてもらえない。

彼がこんな姿をしているのは一種の呪いだ。
作品としての関連性はないのだが「どろろ」における百鬼丸の
設定と近いものがある。
父のせいでこんな姿になり、呪いをかけられている。

しかし、その血は争えない。
彼の父は猿楽、「能楽師 」だ。
そんな父の血を継いでいるせいか、はたまた天性のものか。
彼も踊り、歌うことが自分を表現する唯一のものだ。

彼の踊りが上達すればするほど、なぜか彼の「呪い」はとけ、
異型の存在だった姿が徐々に人に近いものになっていく。
そんな中で彼はたまたま「友一」に出会い共鳴する。

運命の出会いだ。
友一の奏でる琵琶の音に合わせ、彼が踊り、天まで舞い上がるような
共鳴を体験した彼らは無二の絆で結ばれる。

見えないモノ

友一は普通の人が見えるものが見えない、しかし、そのかわりに
普通の人が見えないものを見ることも出来る。
それは「霊」といっていいのか、はたまた怨念といっていいのか。
彼の目を通すと最初は「犬王」の姿はただの丸いなにかだ。

しかし、とあるできごとをきっかけに彼の周りに、
無数の霊魂、無数の呪いのようなものをまとっていることに気づく。
それは彼らの無念であり「声」だ。
父が猿楽でより高みを目指すために手に入れようとした
「平家の魂」というべき存在たちが犬王にはまとわりつき呪いになっている。

そんな「声」が友一と犬王には聞こえる。
魂の叫びだ、そんな魂の叫びを彼らは「歌」にする。

見届けよ!

序盤をすぎると中盤からはほぼライブシーンだ(笑)
中盤まで、この作品のBGMといえるものは琵琶の音だったりと、
いわゆる「和」の楽器を使ったものだ。
しかし、中盤からは違う。

ロックだ(笑)
まだ見ていない人にとっては意味不明だろう。
だが、この作品にはロックンロールの魂がある。
普通の能楽ではない、普通の琵琶法師の奏でる音ではない。

友一がかき鳴らす琵琶はまるでエレキギターだ。
挑発的とも言えるスタイルで彼は叫ぶ。

「這いつくばって 犬とメシ、
 食らうそのツラはクソのよう」

とんでもない歌詞だ(笑)
シャウトし、琵琶をかきならし、琵琶法師ではありえない挑発と
女のものの着物で彼は歌い、かき鳴らす。

犬王の声を聞け、犬王の猿楽を見ろ、
お前らも彼を、そして俺らを見届けろ。
彼は繰り返す、「見届けろ」と。
それは観衆に叫ぶと同時にスクリーンを通して私達にも訴えかける。

さぁ手拍子をよこせ、喝采をよこせ、狂喜せよ、乱舞せよ。
彼がスクリーンから飛び出し、こちらにダイブしてくるのでは?と
錯覚させるほどの魂の叫びとロックな曲にもう震えてしまう。

マイケル!?

そんな友一のライブが終わると、今度は犬王の番だ。
そこに居たのは「マイケル・ジャクソン」だ(笑)
彼にまとわりつく呪いの声を聞き、彼は吠え、シャウトし、踊る。
もはや能楽とは…?といいたくなるようなシーンではあるものの、圧巻だ。

湯浅政明だからこその、あえて絵を崩した表現を取り込み、
自由に歌い踊り、舞う「犬王」のステージに、魅了されてしまう。
凝りに凝りまくった舞台装置、奏でられる曲、叫ぶ犬王。

映画館という場では絶対にやってはいけないのはわかっている。
だが、それでも、思わず手拍子したく鳴ってしまうほどのライブだ。
いや、「フェス」といったほうが正しい。

これが犬王の「能楽」だ、これが犬王の「叫び」だ。
震えろ、見届けろ、痺れろ。
ロックンロールの魂がそこにはある。
ブレイクダンスしまくりながら、彼が行うライブは圧倒的だ。

更に2回目のライブはそんなマイケル・ジャクソンなライブから、
「Queen」へと変わる(笑)
見ている観客が思わず足踏みし、手拍子し、彼の声にあわせて歌う。
おそらくはパロディ、いや、この場合はオマージュといったほうが正しいのだろう。

Queenのwe will rock youが流れ出すんじゃないかと思うほどの、
ライブシーンと「クジラ」の舞台装置と犬王の叫びに魂を奪われる。
私は思わず、口から言葉がこぼれてしまった。

なんてものを見せてくれるんだ、
なんてものを見せられているんだ。
こんなアニメを私は知らない、こんな映画を私は知らない。

アニメでありながら、能楽であり、同時にロックでもある。

友有

友一は友一と名乗ること辞める。
誰かに名付けられた名前ではなく、使命を背負った名前でもなく、
彼が自分自身で決めた名前だ。それが友有だ。
名前がなかった犬王が自らを犬王と名乗り、自分のしたいことをやる。
そんな姿を見て彼は彼自身もまた犬王のように名を名乗る。

ロックンロールはある種の「反対性」的なものを含んでいる。
この作品もまた反対性的だ。
犬王の父のような昔ながらの能楽でもなく、
友有の兄弟子のような琵琶でもない。

それゆえに「規制」されようとする。
だが、それでも彼らは止まらない、すべての魂の声を聞き、
彼らが開放されるためにも、自分らしくあるためにも
彼らは止まらない。

ビートルズ!?

彼らの最後のライブはそんなロックから一変する。
犬王が新体操や「バレエ」のごとく水面を踊りだしたかと思えば、
ビートルズのような曲が流れ出す(笑)

ジミ・ヘンドリックスのように琵琶をかき鳴らしたかと思えば
マイケル・ジャクソンのように踊りだし、
フレディー・マーキュリーのように叫びだしたかと思えば、
ビートルズのように歌い出す。

とんでもない作品だ。
2人のミュージシャンが出会い、反体制なロックを奏で、
魂の叫びをかき鳴らす。
そんな2人のラストは素直にはハッピーエンドとは言えない。

だが、2人の魂が共鳴し、2人が出会ったからこその、
序盤と中盤の伏線を生かしたラストはどこか救いのあるものだった。

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総評:見ろ!聞け!見届けろ!

全体的にみて素晴らしい作品だ。
序盤は盲目な主人公の映像表現にしびれ、
中盤から犬王に出会ったことで2人がロックなミュージシャンとなり、
フェスを行い、最後には魂で結ばれた関係性になる。
ストーリー的にはシンプルな物語だ。

だが、圧倒的な映像表現と和なロックな音楽に魂が震えてしまう。
映像表現だけではダメだ、曲だけではダメだ。
これは「アニメ」だからこそ表現できた、アニメだからこその「フェス」だ。

まさにロックンロール、彼らの魂の叫びが
数々のミュージシャンを彷彿とさせながらも、
彼ららしい歌と、曲と、踊りと、演奏を見せつけてくれる。
この作品には「湯浅政明」らしさが全開に詰まっている。

あえて崩した表情の表現はかっこいい顔とはいえない。
だが、そんな外面のかっこよさではなく、
彼らの魂の「かっこよさ」を見せつけるような表現の数々、
自由な犬王の舞の数々が湯浅政明という監督の凄さを見せつけてくれた。

時系列の変化の速さや、中盤からは歌詞やフェスの中で
ストーリーが進んでいくため、ついていけないひとにはついていけないかもしれない。
この時代の最低限の知識があったほうが楽しめる部分は多い。

だが、そういった欠点をすべて圧倒的な「フェス」の表現で飲み込んでいる。
源氏や平家の知識がなくとも、彼らの時系列の変化についていけずとも、
彼らの音楽が、フェスが、曲が、歌が、全てを飲み込む。

圧倒的だ。この作品はぜひ劇場で楽しんでいただきたい。
巨大なスクリーンで、大迫力のスピーカーで楽しまなければ損だ。
ライブは参加してこそ意味がある、まだフェスに参加していない
このレビューを読んでいる貴方、ぜひ今すぐ劇場に足を運んでいただきたい。

個人的な感想:湯浅政明監督

私は湯浅政明監督をなめていたのかもしれない。
すごい監督だとはわかっていた、大好きな監督だ。
だが、ここまですごいとは思ってもみなかった。

ピンポンでの動きの表現、四畳半神話大系での演出、
夜は短し歩けよ乙女でのミュージカル感、映像研には手を出すな!での
自由な映像表現、日本沈没でのリアルな人物描写etc…
この作品には「湯浅政明」らしさがつまりにつまりまくっている。

ただ、その一言を言うために私は5000字も綴っている。
だが、感想はシンプルだ。

とっても面白かった

「犬王」は面白い?つまらない?

この作品をどう思いましたか?あなたのご感想をお聞かせください

  1. 匿名 より:

    作画と音楽がマッチして無さすぎる。

    3.0 rating