映画

20年待ち続けた大傑作「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」アニメレビュー

5.0
機動戦士ガンダムSEED FREEDOM 映画
(C)創通・サンライズ
スポンサーリンク

評価 ★★★★★(80点) 全124分

劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』第4弾PV

あらすじ C.E.(コズミック・イラ)75年、巻き起こる独立運動やコーディネイターの排斥を訴える団体「ブルーコスモス」による侵攻など、戦いはまだ終わらずにいた。引用- Wikipedia

20年待ち続けた大傑作

本作品はガンダムSEEDの劇場アニメ作品。
監督は福田己津央、制作はサンライズ。
制作発表自体は2006年にあったものの、
そこから放置され続け2024年に公開された。
なお、本レビューにはネタバレが含まれます。

あれから20年

ガンダムSEED自体は2002年に放送された作品だ。
2003年9月まで放送され、2004年には続編であるDESTINYが
放送された。あれから20年だ。
当時テレビの前で見ていた子供はすっかりと大人になっている。

ガンダムSEEDという作品には複雑な感情を持つ人が多いだろう。
作品として面白い部分はあるにしろ、欠点も多い。
だが、20年の月日がそんな欠点を覆い隠し、
ある種の「でんでん現象」に近いものも起こっており、
熱心なファンも多い作品だ。

2006年に劇場版の制作が発表されたときは私自身も複雑な思いで居た。
ガンダムSEEDの世界には救いがない。
ガンダムという作品は戦争を描いている作品がほとんどだ、
そんな中でこの作品の根幹にあるのは「人種差別」だ。

遺伝子操作された人間である「コーディネーター」は
遺伝子操作されてない人間である「ナチュラル」よりも
ありとあらゆる点で優れている。
だからこそ彼らに対して優越感を感じるものもおり、
そんな優越感がナチュラルの劣等感に繋がっている。

この戦争の根幹にあるのは根深いものだ。
現実の戦争は宗教問題などで起ることも多いが、
それに近い厄介な部分がある。

ガンダムSEEDでは主人公であるキラが
コーディネーターの立場でありながらナチュラル側につき、
親友と戦う中で多くの犠牲を産み、第三勢力という立場になり、
結果的に一時停戦にこぎつけた。

しかし、DESITNYでは戦争がさらに激化し、
そんな中でプラントの「ギルバート・デュランダル」は
デスティニープランというものを立案した。
すべての人類が遺伝子に基づき適正な職に付き、
差別や不平をなくそうというものだ。

だが、それは強制的な職業斡旋であり、
それに反対したのが主人公であるキラ達だった。
DESTINYの時点で敵であったデュランダルはやり方に
問題はあったにせよ、このどうしようもない世界と
どうにかしようとしていたのだが、それを「キラ」という主人公は
別の答えを提示するわけでもなく否定してしまっている。

私はそれがあまり納得行っていなかった。
キラという主人公はSEEDの序盤では流されるままに戦い、
そんな戦いの無意味さを味わったからこそ、戦いを否定し、
終わらせるために行動していた。

そこまではまだ納得していたのだが、
DESTINYでは安易に彼の考えや行動こそが正義という
形になってしまっており、
デスティニープランという人種差別でねじれまくった世界を
どうにかする答えの1つを感情で否定してしまっていた。

だからこそ、キラという主人公を好きになれなかった。
そんな思いを20年抱えてきた。
だが、現実では20年の月日がたっているが、
劇中では2年しか時が進んでいない(笑)

始まった

2年の月日が経ってもあまり世界は変わっていない。
ブルーコスモスの残党がゲリラ的に攻撃を仕掛けてきたり、
独立する国や組織も現れ、世界は混迷している。

そんな中でキラは「ラクス」を総裁とした
世界平和監視機構「コンパス」に所属している。
このコンパスは戦争を止めるための存在だ。
無意味に虐殺を、侵略をする相手を武力を持って制圧し、
小さな争いを止め、大きな争いにならないようにしている。

そんなコンパスには「シン」や「ルナマリア」も所属し、
彼の部下として共に戦っている。「シン」はかつてキラを倒した男だ。
キラたちの戦闘に巻き込まれ家族を失った彼は、
フリーダムを、キラを憎み、DESTINYではフリーダム撃墜した男だ。
DESTINY終盤では初めて彼に会い、和解の握手を交わしている。

そんな2年間でなにがあったかわからないが
シンがすっかり良い子になっている(笑)
キラという男に認められたい、そんな思いが強くなっており、
前線にイカせてくれない彼にやきもきしてる始末だ。

シンという男も可哀想な男だ。
DESTINYは主人公だったはずなのにアスランという上司に振り回され、
撃墜したはずのキラは生きて更に強い機体で帰ってきて、
最後は立ち位置的に敵側になってしまった。
シンがキラとともに戦っている姿は色々と感慨深い思いがある。

そんな戦闘シーンのクォリティは圧巻だ。
キラがライジングフリーダムにのり、
シンが「ジャスティス」にのり戦う姿、
出撃するシーンだけでちょっと感動しそうになるほどだ。

同時に流れる西川貴教さんの主題歌もあって、
「ガンダムSEED」が始まった。
そんな思いを強めてくれる演出が冒頭には強まっており、
もう作られることはないと思った劇場版ガンダムSEEDを
「いま」見ているという実感が心を震わせてくれる。

キラ・ヤマト

そんな中でキラは迷いを抱えている。
この2年で多くの戦いを経験したのだろう。
誰も失わないために、命を奪わせないために自らが最前線に立ち戦っている。
だが、そんな戦いを繰り返すうちに心は疲弊している。
いつまでたっても終わらない争い、この世界はどう救えばいいのか。

キラヤマトという男は「答え」を持ち合わせていない。
それはSEEDでもDESTINYでもそうだ。
争いは駄目だ、戦争は良くない。そういう当たり前の感情のもと、
自身が持つ力故に戦争の最前線に立たざる得なかった。

スーパーコーディネイターとして生まれた彼は優秀な
頭脳と肉体を持っている。だが、心はナチュラルもコーディネーターも、
スーパーコーディネイターであろうと関係ない。
心は遺伝子操作できない部分だ、だからこそ彼は悩み続けている。

そんな悩みの中で浮かぶのは「デュランダル議長」だ。
彼の考えたデスティニープラン。
もしかしたら、それは正しかったのではないか。
それを否定してしまった自分は間違いではないのか。
あのプランがそのまま遂行されていればここまでの犠牲はなかったのではないか。

この世界に救いはない。差別意識という同しようもないものが、
恨みと憎しみの連鎖が戦争をより複雑に深いものにしてしまっている。
強制的ではあるものの遺伝子の基づき、それぞれが適した職を得ていれば
不平不満の中での戦闘は起こらなかったのではないか。

彼の中の疑念は消え去ることはない。
だが、やってしまったことをもとには戻せない。
より大きな力を、より強い武力を持って、
犠牲者を減らすことしか彼には出来ない。

キラヤマトという男の矛盾。
戦争を一変させるだけの力を持ち得ながら、
戦争を終わらせるだけの答えを持ち合わせていない。
これは私が抱えてきたガンダムSEEDという作品への疑念点でもある。

そんな疑念をキラヤマトという男自身が向き合っている。
あれから20年、向き合ってほしかった問題に
キラヤマトという男が向き合っているだけで感動ものだ。

彼の支えは「ラクス・クライン」だ。
彼女のために、彼女が望むなら、彼女がすることは正しいから。
ある種の依存ともいえるほど、ラクスという女性に
キラヤマトという男は依存している。

SEEDでは戦いのさなかでフレイに依存していたが、
それに近い精神的状況に追い込まれてると言ってもいい。

ファウンデーション

そんな中で「ファウンデーション」という国からの要請を受けて
コンパスは出動することになる。
ファウンデーションは独立した国であり、
優秀な指導者の元、素早い復興を進めた国だ。

そんな国で出会うのが「オルフェ・ラム・タオ」という男だ。
彼がラクスの手をにぎると謎の空間が広がり、
ラクスは「催眠」にかかったようになってしまう(笑)

ガンダムSEEDという作品はどこか昼ドラのような
ドロドロとした恋愛関係が描かれている作品でもあった。
SEEDの序盤ではキラはフレイに依存をし、
フレイもまた父が死んだ悲しみから狂乱し、
彼氏である「サイ」を裏切りキラを利用していた。

そんなSEEDを彷彿とさせるドロドロとした恋愛事情も描かれている。
私はこの序盤を見てる中で浮かんだのは「催眠NTR」だ(笑)
タオは謎の力でラクスを支配しようとしており、
手を握ったり、すり寄ったり、一緒にダンスを踊ったり、
キスをしようとしたりとガンガンに迫ってくる。

そんな光景を当然「キラヤマト」もみている(笑)
ラクスは謎の力に抵抗し我を取り戻しては抵抗するのだが、
自分の恋人が他の男とイチャイチャしてる光景を
遠くから見ているキラヤマトの構図はかつてのサイを
彷彿とさせる立場になっている。

明らかにタオに思いを寄せるファウンデーションの女性キャラもおり、
キラと同様にラクスといちゃいちゃしてる光景を
涙を流しながら柱の後ろで眺めている、
更にキラを狙っている新キャラもおり、もうドロドロだ。

私達にガンダムSEEDが帰ってきた。
冒頭の出撃シーンでもそう感じたが、
序盤のこのドロドロな恋愛事情を見ると余計にそう感じさせてくれる。
20年の月日を感じないほどのガンダムSEEDらしさ全開だ。

崩壊

そんな中でブルーコスモスの残党を探すための戦闘が始まる。
ファウンデーションのパイロットたちも怪しげではあるものの、
キラたちとともに戦闘に参加している。
だが、そんな戦闘の中でキラが精神攻撃を受け操られてしまう。

キラが暴走する中、キラを止めるしか無い。
ラクスは周囲の意見に押され、彼への攻撃を許可してしまう。
眼の前で別の男とイチャイチャされ、
心の拠り所に否定されたキラは絶望に陥る。

ファウンデーションのパイロットもかなり優秀だ。
コーディネーターを上回る才能をもち、
更に「相手の心」まで読めてしまう。
もはや遺伝子操作ではありえないほどの能力を持ち得ている。
搭乗している機体も破格であり、基本的にビーム攻撃などは一切きかない。

シンも、キラもピンチの中、現れるのは「アスラン・ザラ」だ(笑)
しかも真っ赤なズゴックに乗って不機嫌な顔で現れる姿には
思わず笑ってしまう。

アスラン・ザラ

アスランといえば裏切りの代名詞のような男だ。
ザフトを裏切り、DESZTINYではオーブから
またザフトにいったかとおもえば、
終盤にはまたキラ達率いるオーブに戻っている。

シンが彼をいまもどこか毛嫌いしているのが納得できるほど、
ぶれまくりな男だった。
だが、今作のアスランは違う。私はもしかしたら、
またアスランが裏切りつのではないかと思っていたくらいだ。

ガンダムSEEDは機動戦士ガンダムを下地においており、
DESTINYでは機動戦士ガンダムZの要素もあった作品だ。
だからこそ「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」のような
展開になるのでは…?と邪推していたくらいだ。

しかし、今作の彼は違う。彼はブレない。
キラが自身の行動やラクスの行動に悩んで絶望し、
戦いを拒絶する中でアスランはまっすぐだ。
彼のひねくれた考えを「粛清」し、親友として殴り合う姿は
この2年で、現実での20年での成長を感じさせるものだ。

ラクスが自分を裏切った。
そう思い込んでしまったキラをアスランが正す。
シンが巻き込まれてしまう展開には思わず笑ってしまうものの、
キラとアスランという言葉には出来ない「友情」があるからこその
二人の喧嘩は色々な感情を呼び起こさせてくれる。

自分の中の矛盾に向き合っていなかったキラが
自身の矛盾と向き合い、ブレまくりだったアスランがブレない。
ガンダムSEED、DESTINY、空白の2年間を経て、
キラとアスランという男たちが成長している、
これだけでこの作品をみたかいがあったと思えるほどだ。

デュランダル

ファウンデーションの上層部はデュランダルの意志を継ぐものだ。
彼が考えたデスティニープランを遂行し、
邪魔者であるキラを排除する。それが彼らの考えだ。
ストーリー的には2時間という尺の都合もあるがかなりわかりやすい。

そしてラクスの真実。
後付感はあるものの、ファウンデーションの上層部、
そしてラクスは「コーディネーター」を超える「アゴート」と呼ばれる存在だ。
人類を導き存在であり、人類の上位種ともいえる。
人の心を読み、人の精神に作用する能力を持ち合わせる彼らという
人類の指導者をすえることでこの世界を平和にする。

これもある種の答えだ。
人種差別という根幹をどうにかするためには、
もはやナチュラルでもコーディネーターでもない
さらなる上位種による支配が必要という考えは正しいか正しくないかは
ともかく、この世界をなんとかするための答えの1つだ。

自分たち従わないものは粛清する。
強硬手段を持ちいらなければこの世界は救えない。
そのための手段が「レクイエム」だ(笑)

笑ってる場合ではないのだが、レクイエムという兵器が
再登場することで自ずとテンションも上がってしまう。
それどころか機体を失った彼らが新たに乗り込むのが
「フリーダム」、「デスティニー」、「インパルス」だ。

もう終盤はファンサービスの塊と言ってもいい。
シン・アスカが再びデスティニーに乗る、
これだけでワクワクしてしまう人も多いだろう。
シン自体もワクワクしている(笑)

今作のシン・アスカは純粋だ。もともと純粋だったとも言えるが、
悩むことなく、ウジウジすることもなく、好青年になっている。
彼はファウンデーション相手に負けてしまっているのだが、
それは「ジャスティス」だったからだ。
デスティニーに乗れば負けない、それを心に留めておくのではなく
口に出してしまうのが彼らしくもある。

デスティニー

そんな言葉通り、デスティニーに乗ったシンは最強だ。
多勢に無勢の中、心を読むアゴート相手に無双を繰り広げる。
相手が高速移動して分身しているかのように見せてくれば、
シンは本当にデスティニーを分身させてくる(笑)

はっきりいって終盤はツッコミどころという意味では多い。
特に兵器、MS関連の性能に関してはめちゃくちゃもいいところだ。
デスティニーのあまりの強さもそうだが、
キラが終盤でラクスとともに乗る新たなフリーダムも
ハチャメチャな強さになっており、一体どんな技術なんだ!?と
笑いながら突っ込んでしまうほどだ。

デスティニーとともにルナマリアが乗るインパルスも戦っている。
インパルスだからこその武装換装システムも使いながら、
更に忘れかけていた「デュートリオンビーム送電システム」まで出てくる。
私は思わず「あったなその設定!」と叫んで島そうになったくらいだ。

なにせ、このデュートリオンビーム送電システムは
DESTINYでも3回ほどしか出ていない。
そんな忘れかけていた設定もきちんと拾いつつ描かれる戦闘シーンは
20年前のこどもだった自分に戻ったような感覚になってしまう。

何故隠していた!

アスランもズゴックで最終戦に挑んでいる。
おそらくみていない人は「え?アスラン最後までズゴックなの…?」と
思ってしまうはずだ、私も出撃の時に最後までアスランは
ズゴックのままなのかとちょっと残念だったのだが…

ズゴックの中にはジャスティスが隠れている。

ご理解いただけただろうか。
もう1度言う。

ズゴックの中にはジャスティスが隠れている。

嘘偽りなく真実である。もはや悪ふざけのような展開だが、
敵の攻撃によってぼろぼろになったズゴックの中から
ジャスティスが飛び出てくる(笑)
サイズ感的にどう収納されていたのか本当に気になるのだが、
ズゴックに乗っているように見えて実はジャスティスに乗っていた
アスランの戦闘シーンは爆笑だ。

もはやアスランはネタ要因だ。
ズゴックの中からジャスティスだけでも大爆笑なのに、
心を読んでくる敵に対して彼は「カガリの裸」を想像する。

もう1度言う
「カガリの裸」を想像しながら戦う。

シリアスな最終決戦のはずなのにキャラは浮かれっぱなしだ。
シンはデスティニーに乗ってノリノリ、
アスランはカガリを想像しながらノリノリ、
キラはラクスとともにイチャイチャしながら超絶強いフリーダムで無双だ。

キラは作中で敵に対して「性能差が全てじゃない!」と
言い放つのだが、明らかに性能差である。
マップ攻撃、星をも砕く兵器を持ち合わせるMSに叶うわけがない。

しかし、これもキラの出した答えだ

この戦争をすぐに終わらせることは出来ない。
ましてや「キラ」一人の力でそれを成し得ることは出来ない。
キラヤマトという主人公は悩みながら模索し、
アスランとの喧嘩を経て、それに気づく。

自分一人ですべてを解決しようとしていた。
地球全体の問題を抱えることはいくらコーディネーターでも無理な話だ。
誰にでも自分を愛してくれる人が一人はいる、
そんな人を見つければ世界は平和になるかもしれない。

もちろん、この作品をもってしてもコーディネーターと
ナチュラルの問題が解決したとは言えない。
デュランダルの考えに賛同するものもザフトの中にはまだいるだろう。
憎しみの連鎖が生まれた原因も、そんな誰かへの愛だ。
だが、そんな憎しみ連鎖を止めるのも愛なのかもしれない。

そんな答えをキラヤマトはようやく20年越しに見つけ出している。
正直言えばいくらでも続編が作れる余韻が残っている(笑)

しかし、なぜかラストでふたりとも裸だった
キラとラクスのキスをもって、どこか20年の呪縛が
解き放たれたような感覚になってしまう作品だった。

総評:この気持ち、まさしく愛だ!

ガンダムSEEDという作品は複雑な感情のある作品だ。
人種差別という戦争の根幹、キラヤマトという主人公、
裏切りまくるアスラン・ザラ、可哀想なシン・アスカ。
色々と一言二言いいたくなる作品だった。

そんな作品が劇場版を発表し寝かされに寝かされ続け、
もう制作されることはないだろうと思っていたところで、
この作品が公開され、中身はとんでもないお祭り映画だ。

細かい点だけでもイザークやディアッカも
ミーティアを装備し戦場に赴いており、
砂漠の虎や、ステラまでも出てくる。
もっともステラに関してはややネタ感はあったが(苦笑)

ガンダムSEEDファンが見たいシーンがつまりにつまりまくってる。
答えを出したキラ、ブレないアスラン、まっすぐなシン。
そして多くのファンが気になっていたアスランとカガリの関係性も、
幸せな形で描かれている。

どこかすっきりとしなかったガンダムDESTINYから
約20年の時を経てようやく「ガンダムSEED」という作品を
スッキリとした気持ちで見終わった感じを味わせてくれる作品だ。

あの頃にガンダムSEEDを見た人、
ガンダムSEEDという作品が好きな人も嫌いな人も、
この作品を見れば納得できるのではないだろうか。
一言で言えばファンサービスと「愛」に溢れた映画だ。

憎しみの連鎖という愛から生まれた戦争、
そんな戦争を断ち切るのも愛なのかもしれない。
ふわっとした答えではある、現実的ではないと感じる部分もある、
だが、救いのないこの世界にとって愛は希望だ。
そんな希望をキラが、アスランが、シンが導き出している。

続編を作ろうと思えば作れる要素はまだ残りに残りまくっている。
「宇宙クジラ」に関しても特に触れることすらなかった。
ナチュラルとコーディネーターの問題は解決されることもない。
だからこそやろうとすればいくらでもやれる。

20年に渡る呪縛、そんな20年を経ての
お祭り映画だったからこそ許せる作品だ。
逆にこの映画をDESTINYから5年位の年月でやられたら
何だこれ?となったかもしれない。

20年という現実の時間がこの映画を素直に受け止めさせ、
そしてようやくガンダムSEEDという作品を受け入れられるようになる。
そんな愛に溢れた作品だった。

個人的な感想:アスラン

今作のアスランには大いに笑わされた。
裏切らずに、キラをぶん殴ったり、ズゴックで出てきたかと思えば、
中からジャスティスがでてくるなんて誰が予想しただろうか。
シリアスなストーリーのはずなのに全くシリアス感を感じさせない。

見ている間中、声を出して突っ込みたくなるシーンばかりだった。
1番気になるのはなぜラストでキラとラクスは裸だったのか。
パイロットスーツがなんか気持ち悪かったのかもしれないが、
もしかしたらDESTINYで裸のOPだった伏線を回収したのかもしれない(笑)

機体性能に関しても色々とやばい。
デスティニーはシンによる補正があるからと許せるとして、
アカツキが普通にジェネシスの攻撃を反射するのはやりすぎだ。
もっとも、終盤で出てきたストライクフリーダムガンダムの
新装備もありえない性能をしており、そのあたりは強烈な突っ込みどころだ。

その当たりは気になると言えば気になるが、
本当にシンプルに楽しかった作品だ。
ガンダムSEEDに囚われた人はぜひ劇場に訪れてほしい。

「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」に似てるアニメレビュー

「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」は面白い?つまらない?

この作品をどう思いましたか?あなたのご感想をお聞かせください

  1. GONRIKIYA より:

    昨日映画見ました。
    ここで書かれている通りでした。
    ラクスが喋る度に泣きそうになりました。
    作劇上の都合でファウンデーションが明確な悪として描かれていたのが残念でしたが、その分終盤キラ達が無双したのがスッキリしたのでエンタメとしてはアリです。
    現実もこんなに勧善懲悪なら良いのですが…