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「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」レビュー

4.0
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評価 ★★★★☆(60点) 全140分

『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』予告3 6月16日(金)全国の映画館で公開<字幕版/日本語吹替版> #スパイダーマン #スパイダーバース

あらすじ 亡きピーター・パーカーのあとを継ぎ、新たなスパイダーマンとなったマイルズ・モラレスの別次元の親友であるスパイダーウーマンことグウェン・ステイシーは、彼に壊滅的な災害を異次元に引き起こす可能性のある新しいヴィラン;スポットからスパイダー・ピープルの全ての多元宇宙(マルチバース)を救う任務を完了するよう依頼される。引用- Wikipedia

まさかのセカイ系

本作品はスパイダーマン:スパイダーバースの続編。
本来は2022年に公開予定だったが、コロナウイルスの影響もあり、
2023年6月に延期された。

グウェン・ステイシー

映画冒頭からある種のセルフオマージュから始まる。
前作では新しいスパイダーマンが出るたびに自己紹介映像的なのが
流れていたが、今作でもそのシステムは採用されいる。
しかも、今作では前作の主人公である「マイルス」ではなく、
ヒロイン的な立場にいる「グウェン」の自己紹介だ。

マイルスの次元での事件を経て、彼女は孤独でないことを知った。
しかし、逆に言えば「孤独ではない」という状態を
味わってしまったからこそ「今」の孤独な自分が、
以前よりも孤独に感じてしまっている。
1度味わった甘い蜜を、もう1度味わいたいと思ってしまっている。

だが、手段はない。
いくらスパイダーマンといえど「次元の壁」を超えることは困難だ。
そんなことは彼女も分かってる。
前作以上に彼女のバックボーンはかなり掘り下げられている。

前作では断片的にしか描かれていなかった彼女の物語、
彼女がどうして彼女の世界での「ピーター・パーカー」を失ったのか、
スパイダーマンが背負う「運命」を丁寧に描くことで、
前作以上に「グウェン・ステイシー 」という
キャラクターに愛着を持つことができる。

警察官である父に自分の正体を言えず、
しかもあろうことかスパイダーウーマンが
この世界のピーター・パーカーを殺してると父は思い込んでいる。
彼女は追い詰められてしまっている。

それでも彼女はヒーローとして戦わなければならない。
「スパイダーマン」として背負っている運命に
彼女も立ち向かっている。
そんな中でなぜか別次元から敵がやってきるところから物語は動き出す。

マルチバース

この作品は所謂マルチバースの作品だ。
ありとあらゆる媒体のスパイダーマンが存在し、
そんなスパイダーマンが次元の壁はあれど繋がっている。
だが、前作での事件のせいでそんな壁に「ほころび」が生まれてしまっている。

大きな穴はマイルスたちの活躍もあり閉じたものの、
そのほころびのせいで時折、別次元のヴィランが迷い込んでしまっている。
そんな敵にグウェンが苦戦しているところに
別次元のスパイダーマンがやってくる。

一人ではない、二人もだ。
一人はミゲル・オハラ、未来のスパイダーマンだ。
そしてもうひとりは妊娠しているスパイダーウーマン。

彼らは次元のほころびからやってくるヴィランを元の世界に戻し、
マルチバースが崩壊しないように行動している。
次元を超えたヒーローだ。

そんな存在を、次元の壁を超える「手段」をグウェンは知る。
だが同時に彼女の正体が父にバレてしまう。
しかも、彼は彼女を逮捕しようとする始末だ。
現状から彼女は逃げるように彼らの仲間になり、
再び「マイルス」の元に訪れる。

ヒーローとして

前作でスパイダーマンになった彼の日常は多忙だ。
学生として生活しながらも、スパイダーマンとして悪をやっつけないといけない。
そんな二重生活を両親に言えるはずもなく、
二重生活を必死にこなしている。

そんな孤独で戦う中で二重生活を送っているがゆえに
別次元のスパイダーマンを、「グウェン」を思い出してしまう。
彼女へのほのかな恋心をつのらせながらも、彼女に会う手段はない。

ヒーローとしてやらなけらばならないことを成すために、
私生活を犠牲にし、両親を傷つけてしまう。
ヒーローであり、スパイダーマンではある。
その覚悟もしたはずだが、現実は厳しい。
スパイダーマンは孤独だ。

だが、そんな孤独な彼のもとに「グウェン」がやってくる。
次元の壁を超える可能性のあるヴィラン、「スポット」を捕まえるために。
自分の心を、悩みを、スパイダーマンとしての思いを理解してくれるのは
同じスパイダーマンだけだ。彼女の存在は彼にとって救いだ。

微笑ましい二人のデートのような日常、
スパイダーマンだからこそ、同じ力を持ってるからこそ
見れる二人だけの景色に浸る様をみて、
見ている側もどこか感傷的な気持ちになってしまう

スパイダー・ソサエティ

別次元に存在する「スパイダー・ソサエティ」は
スパイダーマンだけが来れる場所だ。
そんな場所にマイルスもグウェンを追ってやってくる。

この光景は思わず笑ってしまうほどだ。
画面の端から端までありとあらゆるスパイダーマンで溢れかえっている(笑)
多くのスパイダーマンが存在し、多くのピーター・パーカーが存在する。
マルチバースの壁が崩れたからこそ、マルチバースを守るために、
「スパイダーマン」という存在を守るためにスパイダーマンが存在している。

スパイダーマンに詳しければ詳しいほど思わずにやりとさせられる。
前作はあくまでアニメや漫画だけの媒体のスパイダーマンだったが、
今作にはなんと「実写」も取り込まれている。
だからこそ、あのスパイダーマンや、あのヴィランも出てくる。

スパイダーマンという様々な媒体で描かれた作品だからこそ、
「マルチバース」ではお祭りどころかパレードのような
スパイダーマンの数々をこの作品では見ることができる。

真実

だが、真実はいつも残酷だ。
マイルスはおじさんが悪であることを前作で知り、
そんなおじさんの死を、スパイダーマンの死を乗り越えて
スパイダーマンになった。

しかし、真実は残酷だ。
マイルスは本来は「スパイダーマン」にはならなかった存在だ。
前作でマイルスが「蜘蛛」に噛まれたからこそスパイダーマンになったものの、
その「蜘蛛」自体がマルチバースのほころびから生まれたものだ。

前作のレビューで私は
「世界がこの世界のスパイダーマンは一人であると調整するかのように」
と表現していたが、
本当に世界が、運命が「調整」するためにマイルスの世界のスパイダーマンを殺している。

本来はあの時、マイルスの世界のスパイダーマンは死ぬはずではなかった。
だが、マイルスがスパイダーマンになってしまったからこそ、
彼の世界のスパイダーマンは調整されるように死んでしまっている。

もちろん、彼のせいではない。
だが、自分がスパイダーマンになったからこそ、
スパイダーマンが死んだことは事実だ。

スパイダーマンには背負うべき運命がある。
大切な人の死を何度も経験し、そして戦い続ける。
それがスパイダーマンだ。それは決められた運命であり、時間軸だ。
それを変えることは「スパイダーマン」という存在自体を、
世界自体を壊しかねない出来事だ。

だが、マイルスはそれを知らなかった。
別次元のスパイダーマンの大切な人を彼は助けてしまった。
そのせいで別次元の世界が壊れようとしている。

運命

マイルスにも「スパイダーマンとしての運命」がのしかかっている。
親しい警察署長が子供を助けようとして死ぬ、
それはスパイダーマンにとっての「運命」だ。
グウェンの父、そしてマイルスの父もまた署長に昇進しようとしている。
遠くない未来に彼、そしてグウェンの父はなくなる「運命」だ。

そんな運命に逆らった結果、世界が崩壊したのを
「ミゲル・オハラ」も眼の前で見ている。
もう二度と世界を崩壊させないために彼は戦っている。
それが彼の正義だ。

だが、マイルスにそれを受けいられるわけはない。
大切な人が死ぬとわかっていても、彼は「運命」に抗おうとする。
スパイダーマンとしての宿命、スパイダーマンとして通る道、
それを変えることはできるのか。

たとえ世界が崩壊しても大切な人を救うのか、
それとも「世界」を助けるために大切な人を見殺しにするのか。
スパイダーマンという作品で、この作品は「セカイ系」を描こうとしている。
マイルスが父を助ければ世界が壊れるかもしれない、
マイルスが世界を助けようとすれば父が死ぬかもしれない。

エヴァ以降から、そして新海誠監督まで
ありとあらゆる作品で描かれてきた「セカイ系」というものを
スパイダーマンとして描いているのがこの作品だ。
日本のオタクとしてこれほどニヤニヤさせられるものはない。

アート

前作では演出として日本ではあまり見かけない演出が多々ある作品だった。
今作でも文字演出なども当然のようにあり、
上映開始前からそんな演出でニヤっとさせられる。
「遊び心」に溢れた部分がスパイダーマンらしい演出だ。

前作は所謂アメコミ的な的な演出も多かったが、
今作はそこにさらに「アーティスティック」な表現が多い。
キャラクターたちの心理描写のあるシーンで
単純にキャラクターを映すのではなく、背景をまるで油絵のようにしたり、
アメリカのストリートにあるような落書きのようにしたり。

1シーン1シーンで背景美術でかなりこだわりをもって描かれており、
場面ごとにシーンに合った絵画的な背景描写や演出が
印象に残る作品だ。

ただ、そのせいもあってか「癖」も同時に生まれている。
わかりやすく一言で言えば「濃ゆい」感じだ。
キャラクターデザイン自体も前作よりも濃いめになっており、
ヒロインである「グウェン」のデザインも可愛い感じが薄まっている。
この良い意味でも悪い意味でも癖の強さは好みが分かれるところだ。

アクションシーンは流石であり、
大量のスパイダーマンが所狭しと蜘蛛の糸を伸ばす中で、
そんなスパイダーマンたちをかき分けるように逃げるマイルスの描写や、
次元に穴を開けて移動する「スポット」との戦闘シーン、
個性的なスパイダーマンたちの技の数々にニヤニヤさせられてしまう。

to be continued….

ただ、この作品の最大の問題はこの作品一本で
ストーリーが全く終わらないことだ。
前後編として制作されており、後編は来年を予定している。

1本でまとめられる内容ではないのは分かっているものの、
良いところで物語が切られた感じが強く、
しかも続編の公開までの期間もあいてしまっており、
そのあたりも色々ともったいなさを感じてしまう。

今作はマイルスだけでなくグウェンも主人公だ。
二人の問題を二人の視点で描いて物語が展開しており、
色々と問題を解決するために動くところで物語が終わる。
早く続きが見たいという気持ちは当然ながら生まれるものの、
前後編構成はやや萎えてしまうポイントだった。

総評:運命に抗え

全体的に見て高評価だった前作の期待を裏切らない作品であり、
更に広がった世界、繋がったマルチバースの描写を拡大しつつ、
アメコミ的な文字演出とともにアーティスティックな背景で
彩られた世界と戦闘シーンのごちゃごちゃ感が
アニメーションとしての面白さを更に感じさせてくれている。

ストーリー的にも「スパイダーマン」としての運命、宿命のようなものを描いている。
どのスパイダーマンも抱えている悲しい過去、
それはスパイダーマンにとっての宿命であり、通らなければならない物語だ。
そんな物語を変えてしまえばスパイダーマンが、世界が消える。

マルチバースという概念をうまく使ったストーリーから、
世界か愛する人かという選択肢をマイルスやグウェンに
取らせようとしている流れはまさにセカイ系であり、
シンプルに続きが気になってしまう物語になっている。

しかしながら同時にアーティスティックにしてしまったからこその
癖の強さや、前後編というストーリー構成だからこその、
中途半端さが生まれてしまっており、
前作が1本で完結していたからこそ、そこが気になってしまう。

マルチバースだからこそありとあらゆる作品のスパイダーマンが
所狭しと登場し、しかも、今回は「実写」の作品も取り込んでいる。
そういった面白さもあるものの、スパイダーマンという作品を
ある程度知っていたほうが楽しめる部分も強くなっている。

2作目で色々ときになる部分は出てきているものの、
面白い作品であることは間違いなく、
3作品目でどのようなラストを魅せてくれるのか、
期待したい作品だ。

個人的な感想:早く続きを!

実はこの作品を見る前に事前情報をろくに仕入れなかったため、
「前後編」であることを知らなかった(笑)
物語がまだ途中なのになんか終わるみたいな感じになってるけど
アレ…?と思ったら前後編構成なのをしり、本当に驚いてしまった…

色々と気になる部分はあるが、続きが気になってしまう。
まさかスパイダーマンでセカイ系をやるとは予想打にしておらず、
それだけに本当に続編が気になって仕方ない作品だ。

コロナの影響で本作は若干延期していたが、
後編は延期せずに公開されることを願いたい…

「スパイダーマン: スパイダーバース」レビュー
評価 (83点) 全117分 あらすじ ブルックリンに住む高校生のマイルス・モラレスは、叔父のアーロンと高架下でグラフィティをしている時、突然変異したクモに噛まれ、特殊な能力を得る。引用- Wikipedia

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