青春

これこそピクサー、激重作品「ウィン OR ルーズ」レビュー

4.0
ウィンORルーズ 青春
画像引用元:(C)2025 Disney/Pixar
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評価 ★★★★☆(69点) 全8話

ピクサー最新アニメーションシリーズ『ウィン or ルーズ』|本予告|『トイ・ストーリー4』の製作陣が人生の課題に立ち向かう全ての人に贈る、勝利を賭けた1週間の物語|Disney+ (ディズニープラス)

あらすじ 8人の異なるキャラクターがそれぞれ、ソフトボール選手権大会の大一番に向け、様々に関わっていく様子を描く。引用- Wikipedia

これこそピクサー、激重作品

本作品はディズニー・ピクサーによるアニメ作品。
ディズニー+限定作品として配信されている。

ローリー

この作品は中学生のソフトボールの大会の決勝戦までの
1週間を描いている作品だ。
ピクサーらしいコミカルなキャラクター描写は、
みているだけで楽しいアメリカンナイズされた表情の豊かさを感じさせる。
日本のアニメではまず見かけないような大胆な感情表現だ。

ピクサー制作ということでいつものフルCGアニメではあるものの、
今作品はどことなく「フィギュア感」というものがかなり強い。
そこにアニメ的な感情表現、「汗」などの表現を過剰なまでにいれることで
実にアニメアニメした作品とも言える。

そうかとおもえば、その「汗」が擬人化する(笑)
この表現は非常に面白い、緊張すると汗をかいてしまう
「ローリー」の父親はソフトボールチームのコーチだ。
コーチの子供な自分、そんな立場で彼は実力を出しきれず、
重圧に押しつぶされそうになっている。

必死に練習して必死にやろうとしても報われない。
すべてをセリフで表現しているわけではない、
セリフの端々から「ローリー」の父と母は離婚している。
彼女にとって「ソフトボール」は父とのつながりでもある。
だからこそ成果を出したい。

必死に練習するものの空回りしてチームメイトに怪我をさせたり、
その重圧から聞こえない父の心の声も聞けてきたりもする。
このくらいの年代の少年少女に押しかかる重圧、
それを擬人化することで言葉にせずとも見てわかるようになっている。
実にピクサーらしい表現だ。

試合の当日、緊張はマックスだ。そんな娘に父は問いかける。

「本音をきかせてくれ」

自分は監督の娘だから試合にでられたのではないか。
自分の役割はなんなのか。
実力が足りてない彼女はバッターボックスに立つ。
自らの役割を果たすために。

フランク

この作品はいわゆるオムニバス形式になっている。
決勝大会に至るまでのそれぞれの1週間を1話ずつ描いており、
1話毎に主人公が変わる。

だからこそ1話ではどういうこと?というシーンも多い。
決勝大会中の審判が挙動不審だったり、謎の少年がいたり。
1話ではわけが分からない要素も話が進んでくると、
そのシーンの意味が明らかになっていく。

2話ではそんな「審判」が主人公だ。
優秀な審判、ノリノリで審判をしている彼。
だが、スポーツの試合はときに審判へヘイトが向くこともある。
審判である「フランク」はフェアであろうとしている。

審判という立場、そして学校の先生という立場だからこそ
公平に、中立に、フェアであることが彼を彼たらしめんとしている。
だが、人である以上、難しいこともある。
特にそこに「恋愛」が絡めばなおさらだ。

恋人と別れたものの、そんな恋人への思いを引きずっている。
忘れようとマッチングアプリに手を出そうとしてたりするものの、
結局、忘れきることができない。
彼はフェアであろう正しくいようとし心に鎧を着込み、
素直な気持ちを喋ろうとしない男だ。

しかし、そんな鎧を脱ぎさり、素直な気持ちで元彼女へ思いを告げようとする。
だが、もうすでに元彼女には新しい恋人がいて
結婚しようとしていることを知ってしまう

彼の物語はここで終わりだ(苦笑)
あまりにも辛いバッドエンドに
「これが本当にディズニー、ピクサーの作品なのか…?」と
2話あたりから怪訝な顔をしてしまう。

ロシェル

3話での主人公はロシェルだ、彼女はシングルマザーな環境で育ち、
お金に苦労しつつも明るく元気にソフトボールを楽しんでいる。
子供ではあるもののシングルマザーであり、幼い弟もいる。
どこか自分が「大人にならなければならい」という思いがある。
そんな思いを擬似的に「身長が伸びる」という表現で表している。

彼女の母親は常に明るく、だが、お金の使い方は荒い。
そんなお金の使い方をするくらいなら
ソフトボールの活動費にあてたいのに、それを言えない。
彼女は「大人」であろうとしている。

序盤で描かれていたロシェルの「カンニング騒動」の
真実も明らかになる。
話が進めば進むほどパズルのピースが埋まっていくような感覚を
オムニバス形式でうまく描いている作品だ。

仕事をやめてしまう母親、お金の使い方が荒い母親、
そんな親に甘えることができない子の問題を描きつつ、
4話ではそんな母親に視点が切り替わる。
子供が知らない親の事情、苦労しつつ明るく元気だった親の
本当の姿を視点を変えることで描いている。

それぞれのキャラが抱える事情は非常に重い。
ハッピーな結末もあればハッピーではない結末もある、
しんどく重いストーリーが1話1話積み重なっていく。

アイラ

アイラはソフトボールチームメイトの一人の弟だ。
同年代の友達がおらず姉につきまとっているような男の子だ。
だがアイラの姉には彼氏ができ、以前のように自分にかまってくれず、
彼は悪い奴らと仲良くなってしまう。
悪いことをしている、そんな自覚はなく彼は万引きの手伝いをしてしまう。

自分にとって都合のいい解釈で、どこか罪深さを感じつつも、
アイラという少年はまだ子供だ、
どこか空想の世界でいきている少年にとって
ちょっとした悪いことはとても面白い行為だ。

自分にかまってくれる姉もおらず、友達もいない。
そんな彼にとって悪い奴らとの付き合いは新しい世界の
扉を開いたようなものだ。
何もかもが新鮮で、何もかもが面白い。

このくらいの等身大の少年少女を余すことなく描いている。
失敗することもある、間違えることもある、それが子供だ。
それでも正すことはできる、自分自身で、大人のアドバイスで。
しかし、正すことができないこともある。

恋が叶わぬことも、悪の道に染まってしまうことも。
重苦しいストーリーが積み重なり、
最終話へと歩みを進めだす。

カイ

7話は少し異色な回だ。
カイという女の子が引っ越しソフトボールチームに入る。
男子も女子も一緒に楽しめる、そんなソフトボールチーム。
彼女は「トランスジェンダー」の女の子だ。

ディズニーの方針の変更により、彼女のセリフが
一部カットされたようで、それを如実に感じる。
ちょっとしたセリフ、ちょっとした描写で彼女が
トランスジェンダーであることを匂わせている部分がある。

そんな経緯があるからこそ、彼女は完璧であろうとしている。
父親の望む自分でいようと彼女は必死だ。
それは父親が望まなかった自分という負い目があるからこそなのだろう。
トランスジェンダーでも父親は娘を否定せず、
逆にそんな娘が負い目を感じないように育てようとしている。

チームはボロボロだ、プレッシャーに負けそうなもの、
親子関係が危ういもの、恋愛関係でぐちゃぐちゃになってるもの、
怪我をしているもの、みんないろいろなものを背負っている。

最終話ではいよいよ試合の結末が描かれる。
最終話の主人公は1話の主人公の父親であり、
このチームの監督だ。

監督

監督はチームの監督を降ろされそうになっている。
問題を抱えた選手たちだらけだ。
試合中でもそのトラブルは続いている。
それぞれの事情、それぞれの立場は一人ひとりにしかわからない。

素直に、自分の気持ちをすべて明かせば楽になれるかもしれない。
だが、そうできないのが社会だ。
一人ひとりが心になにかを抱えている、そこに蓋をし、
ときにその蓋が壊れることもある。

思春期の少年少女、そして大人たちも
自らを見つめ直しながら、生きていく。
人生は勝つこともあれば負けることもある、勝ち続けることは難しい。
勝つことだけが正解ではない、ときに負けることで見えることもある。

総評:ディズニーがポリコレを辞めた結果

全体的に見て素晴らしい作品だ。
ピクサーらしいアニメ的かつコミカルな表現、
そんな表現でキャラの魅力を感じさせると同時に
それが大胆な心理描写にも繋がっている。

この作品はまるで思春期の少年少女の心を覗くかのようだ。
あえてセリフにはせず、映像で見せることで
キャラの現状を伝える表現がきちんとあり、
だからこそ、ダイレクトに見ている側に彼らの心の痛みが伝わってくる。

非常に重い作品だ。
父親とのつながりのために不得意な運動をやってる子、
家庭の事情から必死にお金を集めている子、
トランスジェンダーな子、不器用に恋をする子、
一人ひとりの事情は非常に重く、鬱々とした雰囲気すらある。

ピクサーだからこその表現がその重さをコミカルにしつつも、
より見ている側の心に深く突き刺さり、
見ているとしんどくなりそうな展開も多い。

だが最後まで見続けるとスッキリとする作品だ。
みんな落ち着くところに落ち着いている、
勝ったものもいれば負けたものもいる、だがそれでいい、
負けた後に再び立ち上がり、再び勝負に挑むのか、
それとも別の勝負に挑むのか、それぞれの価値観次第だ。

一歩間違えばとんでもなく重くなる作品だが、
その一歩を綱渡りで最期まで描いている作品だった。

現在ピクサーはディズニーの傘下であり、
この作品もディズニープラスで配信されており、
本来は7話でもっとトランスジェンダーという言葉が使用されて
物語が描かれていたのだろう。

子どもの性自認問題に関してはアメリカでは色々と問題になっており、
トランプ政権に変わったということも大きく、
ディズニーが方針を変えたのはわかるものの、
それでもピクサーは「言葉」や「ダイレクトな表現」で
トランスジェンダーという要素を見せないようにしつつも映像には残している。

そこにクリエイターの魂のようなものを感じた。
この作品はいろいろな少年少女と大人を描いている、
きっと全8話の中で誰かに自分を重ねてしまうはずだ。
その1つとして自らの性自認問題があってもよかったはずだ。

私はポリコレに染まった作品に関しては否定的ではあるものの、
その多くは面白くないからだ、面白くない作品が
てっどり早くメッセージ性と社会性を求めてポリコレ要素に
手を出すのが最大の原因かもしれないと最近は感じている。

しかし、この作品は違う。
親会社のディズニーからトランスジェンダー要素の排除を
求められても、ピクサーはあえてそれをまるで
江戸時代の大工のように見えないところに残している。

そんなピクサーの素晴らしさをも感じられる作品だった。
惜しむべきは配信限定というところだが、
この作品を見るためにディズニープラスに入っても
大満足かもしれない。

個人的な感想:ポリコレ

素直に面白かったと言えるディズニー・ピクサー作品だった。
たとえトランスジェンダー要素を排除しなくても
この作品は面白かった、むしろ排除される前は
どういう台詞になっていたのかがきになってしまう。

結局、ポリコレ云々は作品の面白さには影響しない。
おもしろい作品であればポリコレがあっても
面白いんだと感じる作品だった

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