「約束のネバーランド Season 2」レビュー

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ファンタジー

評価 ☆☆☆☆☆(3点) 全11話

あらすじ

エマ達はミネルヴァのペンから映し出された【B06-32】地点を目指す 引用- Wikipedia

ご都合主義の権化

本作品は「約束のネバーランド」の2期。
1期から監督や制作会社に変更はないものの、
2期にあたってシリーズ構成に原作者の白井、
脚本にノベライズ版著者の七緒が参加している。

自由とは美しく過酷


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE1より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

1話早々に謎の怪物から逃げているところから始まる。
彼女達は1期の最終話で脱走を成功させる。
だが、それで終わりではない、そこからがスタート地点だ。

残してきた幼い子供たち、まだ見ぬ他の孤児院の子供達、
主人公である「エマ」は「全員」を助けるということを決めた。
彼女は現実を知りつつも理想を叶えようとする主人公だ。
だからこそ脱走がゴールではない、ここからがスタートだ。

何が居るか分からない森、何処に向かえばいいのか。
限られた食料と水を消費しながら彼女達は希望へ向かって走り出す。
「気負う」彼女を支えるのはレイだ。
ノーマンが居ないからこそ、二人は強固な絆で結ばれている。

レイは1度は自分の命を犠牲にしようとした。
そんな彼だからこそ、救われた命だからこそ
「何があっても二度と切り捨てたりしない」
と宣言する。切り捨てないのは自分自身もだ。

1話から「約束のネバーランド」という作品の面白さを
しっかりと感じさせてくれる、
2期も1期のような面白さを感じさせてくれるに違いない。
そんな期待感が強まる。

絶望と希望


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE2より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

この作品は1期から絶望と希望を繰り返すことで物語が進む。
2期も同じように「絶望」と「希望」を繰り返す。
ようやく脱出し、行き先も分かっている。
だが、彼女達に追手が追いつく。
子供と「鬼」では力の差は圧倒的だ。真正面から戦うことは出来ない。

そんな中で「協力者」という希望に出会う。
子供たちだけでは外は生き抜けない、そんな現実に立ち向かってた中での
希望という名の協力者。

だが、そんな「協力者」は「鬼」だ。
子供たちを食べてきた存在、彼女らにとっては敵であり、
自分たちの家族を食べてきた鬼と同類。
絶望、希望、そしてまた絶望。

1期以上はじっくりとキャラクターを魅せていた印象だが、
2期はかなりスピーディーに展開する物語を見せており、
絶望と希望の繰り返しがより激しいものになっている。
1期でメインキャラの掘り下げがすんでるからこそ、
物語をテンポよく見せている。

協力者


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE2より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

彼らは鬼の中では異端者だ、鬼は普通ならば人間と見れば
よだれを垂らしかぶりつく。鬼にとっては人間は嗜好品だ。
しかし、協力者の二人は人間を食べない。

こういった場合の協力者は政治的な対立だったり、
何らかの思惑があったりするのが定番だが、
この作品の場合は違う。「信仰」だ。
協力者はヴィーガンや宗教の決まりのごとく「人間」を食べない。

政治的な対立や何らかの思惑ではなく「信仰」というのがミソだ。
鬼たちの世界では人間を食べることは当たり前であり、罪にもならない。
人間を養殖し、それを食べることは彼らにとって普通だ。
だが、「普通」だからこそ、それを禁止する宗教もある。

まるで現実世界の私達の社会を反映するかのような鬼の社会だ。
「人間の養殖」が当たり前に行われ、
それが鬼と人間が争ったがゆえの世界の分断と互いに不干渉の約束が
定められたからこその社会。

1000年以上前に鬼と人間でかわされた不干渉の約束から生まれた
歴史の中で作り上げられた社会と、その中で生きている鬼たちの思想。
この作品の「世界観」のしっかりとした作り込みに感嘆としてしまう。

カゴの中の鳥だった「エマ」たちもそれを協力者から聞く。
自分たちが知り得なかった、本来はしる必要もなかった
鬼と人間の関係性と歴史。だが、それには希望にもつながる。

「人間の世界」があり「鬼の居ない世界」がある。
本来は不干渉で鬼の世界から人間の世界へいってはいけない、
だが、「人間の世界」という最大限の希望を
エマたちが手に入れることで物語のゴールも見えてくる。

鬼と人間が交わした約束、その先にある理想郷。
約束のネバーランドはある。
理想でしかなかった希望が現実的な大きな希望へと変わっていく。
彼女達は、今度は「鬼たちの世界」からの脱走をくわだてる。

協力者が彼女達に協力するのは信仰があるが故だ。

「狩猟という形で神が作り出した命を頂くのなら
 神への反逆には当たらない」

養殖である「エマ」を食べるのは彼らの信仰に反する。
しかし、エマたちが生き延び、繁殖すれば別だ。
「天然物の人間」が食べられるかもしれない。
ご都合主義で鬼に助けられるのではない、
きちんと考えられた思想のもとにたまたまエマたちは助けられただけだ。

イザベラ


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE4より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

子供たちが希望の形を見出したと同時に
彼女達の母である「イザベラ」もまた希望を見出す。
子供たちを逃してしまった責任を問われ食われる運命にあった彼女が
「生き抜く希望」と「囁かれた希望」。
そのためにイザベラは再び、彼女達の前にたつ。

この辺りの展開は原作と展開が全く違っており、
いわゆる「アニオリ」展開だ。
どうやら原作におけるGP編と呼ばれるエピソードが連載当時不評であり、
それもあってアニメではオリジナル展開にすることで、
GP編をカットしストーリー展開を早めている。

コレに関しては調べるとかなり原作ファンからは不評であり、
本来ならば出てくるキャラクターが出てこなくなったりと
色々と受け入れがたい原作改変がされているようだ。

ただ、私個人の見解としては「面白ければ」アニオリ展開は
ありだと考えている。面白ければ。

5話で脱走から1年の時間が一気に経過する。

生きること


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE5より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

この1年、彼女達は逃げているだけだ。
自分たちの日々の食料すらもギリギリであり、
生活はどんどんと困窮していく。
自由とは美しく過酷だと1話のエマの台詞が、彼女達に降り掛かってくる。

いつか鬼に見つかり食われるかもしれない、
いつか孤児院に置いてきた子供たちが出荷されるかもしれない、
いつか食料が尽きる日が来るかもしれない。

外の世界で生き抜く覚悟はあった。
だが、状況を打開するすべもない現実に打ちひしがれる。
極限の生活の中では「鬼の街」にも潜入しなければならない。

協力者もおらず、極限状態だからこそ彼女達が
必死に生きる姿が強調されている。
そんな中で再会するのが「ノーマン」だ。

死んだはずの彼と偶然の再会。
本来は物語的な衝撃や再会の感動などが見ている側にも
感じられてもおかしくないのだが、脱走してから
「1年」の間の出来事が原作とは違い改変され描かれていないため
見ている側がその時間経過を感じておらず、再会の感動が味わえない。

原作通りにやれば本来はノーマンとの再会までには至れない。
原作通りにやるならば3期で
ようやく再会できるようなストーリーの尺を使ってしまう。
展開を早めるためにカットしたのは分かるものの、
カットしたせいで「積み重ね」が減ってしまっている。

2期は1期と違い、わかりやすくストーリー進行に焦りが見えている。
1期は非常に丁寧な作品だった、原作に対する愛と
アニメとしての「約束のネバーランド」を面白くしようという
制作側の愛も感じた。

しかし、2期ではそれを感じない。
制作側が「上から決められた」何かに縛られて作っているような、
原作や作品に対する愛よりも義務を取ったような感覚に
見ているうちに囚われてしまう。

物語とは積み重ねるものだ。積み重ねてこそ面白さの高みも増していく。
1期は1つずつ、丁寧に丁寧に積み重なった美しい建築物だった。
しかし、2期は突貫工事で美しさは感じない、スケジュール優先の
商業的産物のなにかだ。

ただでさえ尺が足りてない状況なのに
「総集編」が間に挟まるのも意味不明だ。
1クールで総集編など必要ない。

死んでたと思ってた人物が実は生きていた。
積み重ねがあれば感動できたかもしれないシーンが
積み重ねがないせいで何の感動にも至れない。

演出


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE6より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

1期はストーリーも素晴らしかったが、演出も光る作品だった。
ホラー映画的なカメラワーク、恐怖を煽る演出の数々は
本当に素晴らしかった。「アニメーション」という媒体だからこその
原作の漫画という媒体では表現できない演出で
この作品を盛り上げていた。

しかし、2期ではそんな演出の面白さは一切ない。
とにかく常に画面が暗く、見えづらい。状況的に仕方ない部分はあるものの
同じ暗いシーンでも1期と2期では光の演出がまるで違う。
1シーン1シーンのこだわりを一切感じない。

本当に同じ制作人なのか?演出家や監督が変わっていないのか!?と
Wikipediaをもう1度見直したが、1期からの変更はない。
別の制作会社が作りましたと言われた、下請けに丸投げしましたと
言われたほうが納得するほど作品のクォリティが段違いだ。

全部説明してくれるノーマン


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE5より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

唐突に再会したノーマンが何から何まで説明してくれる。
鬼たちがなぜ人間を食べるのか、自分が別の孤児院で
どういうふうに生きててここまでやってきたのか。
回想ですらない、全部口で説明される。

更にノーマンは「鬼の知能」を退化させる薬も作っており、
ある程度の量産体制まで作り上げている。
主人公であるエマたちが知らぬ間に鬼に対する最終兵器が
知らぬ間に出来上がってしまってる。

何の面白みもない。知能戦でもなければ努力も友情もない。
死んでたはずの仲間がじつは生きてて鬼に対する最終兵器の
開発も全部済ませておきましたと言われても
「すごい!」「おお!」という感情は湧き上がらず、
「え…そうなの?」と呆れてしまう。

トントン拍子のノーマンがお膳立てしすぎだ。
ご都合主義というよりは手際が良すぎて面白さが感じられない。
ストーリー進行が早いだけならまだいい。
しかし、雑だ。

1期の丁寧さはどこへやら、ストーリーを進めることに必死で
アニメとしての面白さ、この作品を面白くしようという
気概が失われている。

しかも、この6話でのノーマンの説明した過去の出来事が
7話で描かれる。ならば6話のノーマンの口による説明の時点で
7話のシーンを入れればいいだけだ。
先に説明されたことを改めて映像で見せられるのは二度手間でしかなく、
ストーリーを進めることに必死で尺も足りていないのに
妙な二度手間をしており、このあたりでも雑さが伺える。

ブレ


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE7より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

そんな雑に描かれる中で主人公であるエマもブレる。
彼女は協力者の鬼と知り合い、会話をし、
鬼の街でも鬼と会話をしている。
そのせいで「鬼」という存在に情が湧いてしまっているう。

それゆえにノーマンが立てた鬼全滅作戦に心から賛成できない。
共存の道があるのではないかと。
だが、鬼たちは人間を食わなければ知能が退化し
互いの殺し合い絶滅するような存在だ。

鬼にとっては嗜好品であり、
同時に自我を保つためにも人間を食べることは必要だ。
そんな鬼との共存をエマは望んでしまう。かなりのエゴだ。
そんなエゴをつらぬけば、守りたかった家族も危険に晒すかもしれない、
守りたかったものも守れないかもしれない。

そんな危険性よりも「鬼の絶滅」を心配するエマの
エゴイズムに見ている側が賛同しきれない。
本来はエマのこの考えも、カットされた1年間の間の
出来事をしっかりと見ていれば違ったのだろう。

ストーリー進行を早めるためにカットしてしまった弊害が
もろに出てしまっている。
積み重ねと過程がない物語は見入ることができない。

エマの提案があまりにも理想論すぎるうえに、
ノーマンがそれに反論しても彼女は聞き入れない。

1期はエマ、ノーマン、レイの3人がそれぞれの考えをぶつけあい、
理想的で現実的で堅実的な洗濯を求めるのが面白かった。
だが、2期は考えのぶつけ合いはされど、
結局はエマの理想論に引っ張られてしまう。

そんなエマの理想論が叶うように物語が展開される。

はぁ?


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE9より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

ノーマンがエマの考えに従ってしまうと、
ノーマンの下で鬼の殲滅に動いていた部下も急に態度を変える。
彼らはエマやレイ、ノーマン以上に鬼に対して恨みがあったはずだ。
人体実験をされ、薬を飲まなければ激しい頭痛を抑えることも出来ない。
エマやレイの甘い考えに対しても強く否定していた。

しかし、ノーマンがエマに影響され考えを変えると
彼女達もまた考えを変えてしまう。
彼女達には「命」そのものの時間もない。
本来はエマの甘っちょろい考えより復讐心を優先するのが自然だ。

だが、ノーマンの言葉を聞くとあっさりと改心する。
あまりにも早い手のひら返しになにか裏があるのではと思うほどだ。
直前まで彼女は「鬼の肉」を食べていたほどだ。

それほど恨みが強かったはずなのにあっさりと手のひらを返す。
過程や積み重ねが描かれず、雑なキャラクターの
心理描写にまるでついていけない。

ものすごく都合よく「人間を食べなくても、たとえ知能を失っても
特殊な鬼の血を飲めば知能を保てる」という要素も出てくる。
特殊な鬼の血もまるで街で配るエナジードリンクのごとく
鬼たちに配りまくりだ。

エマにとって都合のいい要素と展開ばかりが巻き起る。

ご都合主義


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE11より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

ご都合主義という言葉がこれほど似合う作品はない。
たまたま主人公が知り合った鬼のおじいさんの孫が
たまたまエマという名前でそのせいでノーマンに迷いが生じる。
そんなおじいさんは、たまたま特別な血の持ち主で
もうひとりの特別な血の持ち主も連れてきてノーマンの作戦は無駄になる。

おじいさんはたまたま行き倒れた人間がもっていたものを
15年間も何故か持ち続けており、その中には
エマ達が求めていた農園の警備情報(15年前)と
人体実験されていた子供たちの治療薬のデータまで入っている。

ご都合主義もここまで行けばギャグだ。
いや、もしかしたらギャグとしてやっているのかもしれない。
そもそも15年前のデータの警備情報や治療薬が役に立つのか?
という最大限のツッコミどころが生まれており、
本作品の最大の笑いどころだ。

いいかげんにしろと思うほどエマにとって都合のいいものが
降って湧いて出てくる。
本来はエマたちの前に再度敵として立ちふさがる
「イザベラ」もあっさりと味方になってくれる。

本来は盛り上がるシーン、感情を揺さぶられるようなシーンの数々が
ご都合主義と雑な描写と強引なストーリー展開によって台無しだ。

え?


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE11より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

最終話は本当にひどい。もうひどすぎて逆に笑えるくらいだ。
鬼側についている人間の過去回想がいきなり語られるがどうでもよく、
勝手に死んでしまう。

エマたちは「人間の世界」への門を見つけ、
イザベラやママたち、そして幼い子供達を人間の世界へと送る。
「エマ」たちはやり残したことがあると鬼の世界に残る。
まだ各地の農園に居る子供達も救わないといけないうえに
エマは「鬼の世界」を変えたいと宣言する。

レイは言う。
「人間の世界に逃げたとして、その後に農園や上の奴らが
 追ってくるかもしれない、誰かがこっちに残らないといけない。
 残るとなったら俺らを狙う敵も今までのような相手じゃなくなる」

ちなみにこの時点で残りの尺は10分もない。
本来なら「私達の戦いはこれからだ」と3期につなげてもおかしくない。
しかし、この作品は強引に完結させる。

ダイジェストの1枚絵をつなげ、エマたちがなんか何処かを旅し、
各地の人間を解放し、なんかドラゴンみたいなのと出会い、
なんか色々あったふうな絵をつなげ、人間の世界に帰ってきて
なんかハッピーエンドで終わる。

まるで意味がわからない。
鬼の王や貴族たちとは一体どんな交渉や戦いをしたのか、
そもそも描くべきはずの鬼の王は最終話の冒頭に
チラ見せした程度で終わってしまい、ドラゴンもなんだったのか。

あまりにも尺が足りないせいでナレーションで説明することすら
放棄している。強引な幕引きに乾いた笑いしか出ない作品だった。

総評:どうしてこうなった


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE11より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

全体的に、1期は大人に子供たちが立ち向かう話だったが、
2期では大人の都合に振り回されまくっている作品だ。
おそらくは制作陣は偉い人たちにこう言われたのだろう。
1クールで原作の最終巻までストーリーを進めて完結させてくださいと。
実写映画も上映されており、相乗効果なども狙ったのだろう。

1期の段階から配信の売り上げは不明だが
円盤の売上はあまりよくなく、
2期も実写映画があったからこそできたのかもしれない。
限られた予算と尺、その中で原作の最後までやらないといけない。

制作陣の気苦労はとんでもなかっただろう。
最低限の整合性をなんとか取り繕うために原作者を
シリーズ構成に読んで、なんとか、本当になんとか最後まで描いている。
確かに完結はしている。そういった意味では制作陣の仕事ぶりに
拍手を送るべきなのかもしれない。

しかしながら、出来栄え自体はひどいものだ。
作画自体はやや息切れしている部分もあり、
1期のような演出へのこだわり、表情の描写のこだわり、
カメラワークやライティングなどのこだわりもない。
そんな余裕はなかったのだろう。

ストーリー構成も原作の話をカットしまくることで
強引に完結させるまでストーリーを進めているものの、
ご都合主義が目立ちまくり、ツッコミどころもあまりにも多い。
原作由来の欠点もあるかもしれなが、
そんな欠点がより強調されてしまっているような感覚だ。

特にキャラクター描写はひどく、手のひらを返しがあまりにも早く、
1期のような心理戦はまるで無い。
あれだけ1期では魅力あふれるキャラクターたちだったのに、
「エマ」は理想論に甘え、「レイ」の影は薄く、
「ノーマン」はあっさりとエマの考えに従う。

1期の良さ、面白さはまるで無い。
もはや無かったことにしたいと思えるほどの2期でしかない。
本当になんでこんな事になってしまったのだろうか。

色々と大人の事情はあったかもしれないが、
もう少し「約束のネバーランド」という作品を
丁寧に扱ってほしかったと嘆かざる得ない作品だった。

個人的な感想:いつか


画像引用元:約束のネバーランド Season 2 EPISODE11より
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会

いつか約束のネバーランドが原作通りに
きちんとした尺と予算でリメイクされることを期待したい。
本当にもったいなさすぎる。

原作は1基の部分の話がピークと言われることはあるものの、
こんな扱いを受けていい理由にはならない。
こんな扱いを受けているのは見ていて心苦しさのほうが勝ってしまい、
作品を見ていていろいろな意味で辛くなってしまった作品だった。

いつか、約束のネバーランドが報われる日が来ることを祈りたい。

「」おもしろい?つまらない?

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