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王道の先にある古典作品「パリに咲くエトワール」レビュー

4.0
パリに咲くエトワール 映画
画像引用元:(C)「パリに咲くエトワール」製作委員会
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評価 ★★★★☆(71点) 全119分

劇場アニメ『パリに咲くエトワール』長尺予告| 3月13日(金)全国公開

あらすじ 1900年代初頭のパリに、それぞれ日本からやって来たふたりの少女が暮らしていた。ひとりは、夫を支えるよき妻となる将来を望まれながらも画家を夢みるフジコ。もうひとりは、武家に生まれナギナタの名手だがバレエに心惹かれる千鶴 引用- Wikipedia

王道の先にある古典作品

本作品はオリジナルアニメ映画作品。
監督は谷口悟朗、制作はアルボアニメーション

オリジナルアニメ映画

近年、オリジナルアニメ映画というのは苦境に立たされている。
鬼滅の刃やチェンソーマンといった「原作付き」の作品が
大ヒットし、アニメ映画バブルといわれながら、
同時に多くのオリジナルアニメ映画が公開されているものの、
興行収入的にはかなり厳しいものになっている。

最近でいえば「この本を盗むものは」や「花群青が明ける日に」、
「迷宮のしおり」に「数分間のエールを」など
様々なオリジナルアニメ映画が公開されているものの、
どれも興行収入的にはかなり厳しいものになっている。

原作のある、すでにTVアニメ化されたものの映画化や、
「新海誠」監督作品や「ガンダム」というような
ある程度の知名度「ブランド」がなければヒットしない現状だ。

そんな現状に、あえてロボットも、異世界転生も、チートもない、
作品を谷口監督は作り上げようとしている。
そういったオタク的な要素がないほうが
多くの人に、より広い人たちに楽しんでもらうために
あえて最近の流行の要素を抜いた作品を作り上げている。

時代

本作品の舞台はタイトルにある通り「パリ」だ。
20世紀初頭のパリ、文明開化によって外国の文化が
日本にも流れ込んできた時代に二人の少女はバレエを見る。

この時代の日本ではありえない「足」や「肌」を出した女性たちが
踊るバレエは旧態依然とした考えを持つ多くの大人は
いぶかしげな眼でみている、裸踊りなんていうひともいるくらいだ。

しかし、二人の少女はそんなバレエに魅せられてしまう。
日本の文化の中では味わえない「女性の踊り」に
美と自由を見出した二人の少女はパリにあこがれる。

非常に丁寧な始まりだ。
この時代の文化というものをきちんと前提に置いており、
二人の主人公は頻繁にこの時代の「女性」だからこその圧力、
境遇に悩まされる。

女性は自由に仕事をすることもできず、結婚し跡取りを生む。
それが当たり前だ、絵が好きで画家を目指している少女も、
薙刀道場の一人娘も、今は自分の好きなことをさせてもらっているが、
両親は「跡取り」、「結婚相手」のことばかり考えている。

それは差別ではなく、この時代の常識だ。
好きなことをしているだけで幸せともいえる、
二人の少女の家は明らかに裕福だ、裕福だからこそ自由に絵をかき、
薙刀をふるうことができる。
子供の時から働かなくていいというだけでこの時代においては幸せともいえる。

そんな時代の中で二人の少女は「チャンス」をつかむ

パリ

序盤を過ぎるとあっさりと二人ともパリにいる。
この流れ自体はやや拍子抜け感はあるものの、
画家を目指す少女はパリで仕事をする叔父についてきて、
薙刀少女は薙刀を海外に広めようとする両親についてきている。

このパリの街並みの描写は素晴らしいものがある。
20世紀初頭のパリは多くの人にとっては見たことがないものだ、
1900年代のパリに行ったことがあるなんて人は
今の時代にはいない、資料として残っているものはあるかもしれないが、
実際に目にした者はいない、ある意味で「ファンタジー」だ。

しかし、そのファンタジーをリアルに描いている。
パリに住む人々一人一人が生きている、
このパリという町に住んでいる姿をさりげなく描いており、
引きの絵で多くの人物が描写され、その一人ひとりが「動いて」いる
姿はかつてのジブリが作り上げていた世界観づくりそのものだ。

映像としての派手さという意味では薄いものの、
スクリーンを通してみると、細かい描写の1つ1つに
思わず目を奪われてしまうほど気合の入った背景描写になっている。

昨今のアニメ映画はどれも作画がすごいのは当たり前だ、
ド派手なエフェクトや細かい描写も当たり前のように盛り込んでる、
そんな中でこの作品はあくなきこだわりを盛り込み、
パリという街並みに魂を吹き込んでいるかのようだ。

道楽

パリについても二人の主人公にすぐ何かが起こるわけではない。
漠然と日々を過ごしている、画家を目指す少女「フジコ」は
絵の師匠や先生がいるわけでもなく、絵を描き続けている。
バレエにあこがれバレエをやりたいと思っている薙刀少女である
「チヅル」はパリにきたからといってバレエ団の試験を受けたりするわけでもない。

二人ともが「漠然とした夢」を抱えている。
序盤の時点で二人に明確な目標はなく、
いい方は悪いが「金持ちの娘」たちの道楽だ。

この時代に、日本人がパリにくる。
それは一部の特権階級やお金持ちや外交官にしか許されないことだ。
そんな両親たちがいるからこそ二人はここにいる、
しかし、ここにいるからといって夢をかなえるための何かをすぐにするわけでもない。

漠然と待っているだけでは夢はかなわない。
そのきっかけが二人の再会であり、フジコの前向きさだ。
チヅルがバレエをやりたいと思っていることを知った彼女は
知り合いのバレエ経験者を探し出し、彼女にレッスンをつけてもらおうとする。

チヅルが自分で探して見つけたわけではない、
探してほしいとフジコに頼んだわけでもない。
チヅルが夢をかなえるきっかけとなったのはフジコという少女の存在だ。
彼女と再会しなければチヅルは薙刀をふるうだけの人生だっただろう。

そのチャンスに彼女は自ら飛び込む。
漠然と待っているだけではなく、一歩踏み出し、挑戦し、努力しなければ
「夢」はかなわない。
この時代の日本人の少女が肌をだし、足を出す格好でバレエをやる、
ただの漠然としたあこがれ、夢に「目標」が生まれる。

挫折と失敗

チヅルは小さな挫折と失敗を繰り返しながらも、
夢に向かって突き進んでいく。
1度しか見たことがないバレエ、本で学んでいたものの、
それを実際にやるとなると話は違ってくる。

何度も何度も失敗しながらも彼女は成功を積み重ねていき、
それが自信になっていく。
この時代に東洋人がバレリーナになるということは無謀どころかあり得ない話だ。

しかし、それでも彼女は努力を積み重ね、バレリーナになろうとあがく。
東洋人であると馬鹿にされようとも、「戦争」の足音が近づいてきても、
彼女は「あきらめる」ことをしない。

この時代の日本人女性としては珍しい背の高さ、
薙刀をやっていたからこその「体幹」や「筋力」、
バレリーナとして求められる才能が彼女にはあり、
そこに環境と努力がのっかることで彼女をバレリーナへと押し上げる。

淡々と着実に1つずつ。
ド派手な展開というのはほとんどないのだが、
この堅実な積み重ねが物語の面白さそのものを
積み重ねているような感覚になる。

キャラクター

序盤からわりとドバっとキャラクターが出てくる。
二人の主人公の親族や関係者、そしてフジコが暮らしているところに
住んでいる住民たち。序盤はこの住民たちが散漫に出てきたり、フジコの叔父が
事業に失敗して失踪したり、借金取り的なヤカラに襲われたりしながら
ややごちゃごちゃとしたキャラ描写が目立つ。

しかし、そんなキャラクターたちも話が積み重なると生きてくる。
親切なおばさん、隣に住んでいる飲んだくれのお姉さん、
シングルマザーの親子、おじいさん、ダメ人間、ヤカラたち。
どのキャラクターも無駄にしていない。

2時間ほどの尺の中で無駄なキャラクターが一切いない。
一見悪そうに見えた「ヤカラ」たちでさえ、
最後まで見た人は彼らの魅力にはまっているはずだ(笑)

パリという背景に魂を吹き込んだからこそ、
そこに住む住民たち一人一人が生きている。

ただ、やや「良い人」が多すぎる感じはあり、
別のアニメならバレエシューズに画びょうとかを仕込んできそうな
パリのバレエ少女がただのツンデレ女子でいい子だったり、
ガラの悪い街のヤカラでさえ結局はいい人だ。

この作品には悪い人というのがいない。
倒すべき悪役というものがなく、
二人の日本人の少女がパリという場所で夢をかなえるという
状況そのものが苦境であり、悪役となっているからこそ、
明確な悪役がいない作品になっている。

対比

序盤の時点では「チヅル」のほうにスポットがあたり、
「フジコ」にはあまりスポットが当たっていない。
チヅルのようにパリで誰かに習うわけでもなく、
チヅルのようにパリで学べる場所に入るわけでもない。
彼女は序盤から中盤、いや終盤まで漠然としている。

パリで絵の勉強をしたい。そんな思いでパリに来たはずなのに、
叔父は失踪し、日々の暮らしすら危うくなる。
狭いところに引っ越し、バイトの日々、絵を描く時間すらなくなり、
さらには「戦争」が差し迫っている。

ロンドンには爆弾が落ち、いつ戦争がパリにも迫るかわからない状況だ。
当然、彼女の両親や知り合いは彼女を日本に戻そうとする。
それでも彼女は戻るという決断をすることができない。

せっかくパリに来たのに、何もできていない。
そんな自分とは裏腹に友達であるチヅルは夢をかなえるために
どんどんと目標を達成していく。

序盤の段階ではフジコというキャラの存在感がいまいちわからないのだが、
中盤くらいになると効果的に作用し始める。
夢をかなえるために努力し突き進む少女と、
夢をかなえられずずっと足踏みし続ける少女。

チヅルの存在は彼女にとって憧れであると同時に、嫉妬の対象でもある。
しかし、そんな嫉妬の感情を彼女は出さない、
純粋に彼女はチヅルの夢を応援している、
だが、ふとした瞬間に自分が足踏みしている現状を実感してしまう。

この「表情」をあえて見せないのも憎い演出だ。
絵の勉強をしにきたはずなのに絵を描く時間すらない、
いざ筆をとろうとしても、何を描いていいのかすらわからない。
目標が彼女には見えない。

あのとき日本でパリのバレエを見た時に感じたものを、
彼女は感じることができず、完全に挫折してしまっている。
漠然と彼女は待ち続けるだけだ、一歩を踏み出せないどころか、
その足は後ろに進んでしまっている。

失敗しても挑戦し続ける、それは経験になり自信になる。
チヅルは挑戦を積み重ねていく中で、
フジコは挑戦することすらできなくなり、自信もなくなっていく。

終盤のフジコとチヅルの対比は見事だ。
フジコの手は皿洗いのせいでよごれている、
そんな彼女はチヅルの手さえ握ることができない。
それでも、彼女はチヅルを応援する気持ちだけは変わらない。
ふとした瞬間の表情や仕草でセリフにしない感情表現をしている作品だ。

バレエに始まり、バレエに終わる

戦争はどんどんと過熱化していく、
バレエ団のなかには「疎開」するものも出てくる。
そんな戦争が皮肉にも東洋人である「チヅル」にチャンスを与える。

それは最初で最後のチャンスだ、戦争がこの先、激しくなれば
いつまたパリに戻ってこられるかわからない。
そんな「夢」を多くのものが押してくれる。

東洋人だからと偏見の目で見るものはパリにも多い、
だが、偏見であって差別ではない。
チヅルは実力と才能、努力でそれを見返し、
フジコや多くのパリの人たちに応援され彼女は舞台に立つ。

この作品はバレエに始まり、バレエに終わる作品だ。
バレエを見た二人の少女が夢をいだき、
そしてバレエを見た二人の少女はバレエで夢をかなえる。
一人は憧れの舞台に立ち、一人は「描くべきもの」を見定める。

オペラ座

この終盤のバレエのシーンも派手さというものはあまりない。
このラスト以外では手描きで描かれていたバレエのシーンが、
終盤ではCGが使われている、チヅルはあくまで舞台にたつ
バレリーナの一人でしかない、主役ではない。

だからこそ、あえて手描きの作画で繊細に描くのではなく、
CGによってほかのバレリーナと同じ動き、統一感のある動きに仕上げている。
チヅルは日本人だ、日本人だからこそ日本の曲のリズムと
バレエの曲の違いに悩み、薙刀とバレエの動きの違いに悩み、
最初に教わったロシアンバレエとパリのバレエの違いにも悩んでいる。

一人でやる薙刀と多くの人たちと踊るバレエでは違う。
目立つ動き、周囲と違う動きをすることは求められていない。
チヅルがこのパリで学んできたすべてのことが
オペラ座の舞台で描かれている、だからこそのCGだ。

彼女は別にパリのバレエにおけるトップになったわけでも、
スターになったわけでもない、バレリーナとして舞台に立っただけだ。
だが、それは彼女にとっては夢がかなった瞬間だ。
そんな夢がかなった瞬間にフジコの中にも何かが噴出してくる。

ずっと彼女が描きたかったもの、描こうとしていたものを、
彼女は友人の夢がかなう瞬間で再び感じることができる。
物語はハッピーエンドだ、だが、同時にこの先に起こる戦争というものも
匂わせており、エンドロールでの「絵」でそれを表している。

2時間、この時代を生き、夢をかなえた二人の少女の物語を
しっかりと堪能できる作品だ。

総評:10年遅かったポストジブリ作品

全体的に見てすばらしい作品だ。
パリを舞台に、ファンタジーな要素をあえて排除した物語は
「世界名作劇場」などで描かれてきた物語であり、
同時に「ジブリ」のように戦争の要素も盛り込みながら、
こだわったアニメーションの描写の数々に酔いしれることのできる作品だ。

2時間の映画でありながら、どこか4クールくらいの
TVアニメを見たような感覚にもなる作品であり、
1話1話積み重ねるような面白さ、積み重なることで面白さが
増していく感覚を味わえるものの、展開の遅さや、
展開の地味さというものは否めない。

これはかつて「国民的アニメ映画」を作り上げてきた
ジブリ作品にも同じような展開の作品は多い。
魔女の宅急便などまさにそうだ、小さな失敗と挫折を乗り越えながら、
色々な人に助けてもらい、成長する。
どこか懐かしいストーリー展開には「王道」の面白さがある。

しかし、この王道はもはや「古典」の領域だ。
世界名作劇場は50年近く前に始まったアニメシリーズであり、
ジブリも40年以上前から映画を作っている。

これが10年くらい前ならばまだ王道だったかもしれない。
しかし、今は「君の名は」や「鬼滅の刃」の大ヒットに伴い、
その王道も変わってしまった。

それでも、こういった作品が古典となっても古典の良さがある。
PVを見ても昨今のアニメ映画のようなキャッチーさというのは
薄く、見に行こうという気持ちが生まれない人もいるとは思うが、
ぜひ、試しに映画館に訪れてほしい。

きっとあなたも棒術おじさんに夢中になるはずだ(笑)

個人的な感想:ポストジブリ

細田守監督や元ジブリのスタッフたちが多くの
「ポストジブリ」作品を作り上げ失敗していたのが10年以上前だ。
あの時代にもし、この作品が制作されていれば、
興行収入もだいぶ違っただろう。

ちょうど10年前に君の名はが公開され、
その翌年「メアリと魔女の花」が公開されたことで
アニメ映画の供給側も観客も感覚が変わってしまった。

それゆえにもったいない。
この作品の初週の興行収入は5500万ほどだ。
どんなにこの先口コミで伸びても5億はいかず、
おそらくは2億か3億というところだろう。

もっと多くの人にこのかつての王道を楽しんでもらいたいところだ。

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