評価 ★★★☆☆(50点) 全120分
あらすじ 見滝原市の女の子たちの間では、この世の呪いと戦うことと引き換えに「トカゲさん電話」が願いをかなえてくれるという噂話がささやかれていた。 引用- Wikipedia
13年越しの賛否両論
本作品は魔法少女まどか☆マギカの続編映画作品。
総監督は新房昭之、制作はシャフト。
なお、本レビューは公式の通達通り「ネタバレなし」のものになっているが、
あくまで私個人の判断でのネタバレなしでのレビューになるので、
少しでも作品の情報を仕入れたくないという人は
ブラウザバックをおすすめする。
13年
叛逆の物語からもう13年も月日が経っている。
あの衝撃のラストから、我々は13年も年を取ってしまった。
制作も難航していたようで、脚本を務めている虚淵玄さんいわく、
脚本自体は早い段階で出来上がっていたようだが、
シャフトは本作を3度も延期している(苦笑)
ある意味、シャフトのお家芸。
魔法少女まどか☆マギカらしいともいえるのだが、
さすがに待たされすぎた感は否めない部分がある。
この段階で私を含め、多くの人は「ハードル」を上げすぎてしまった印象だ。
3度も延期され、公開されるかどうかもわからないまま待った13年。
その月日の経過は重い。
シン・エヴァンゲリオンやガンダムSEED FREEDOMなど、
10年以上続編を待たされる作品はあるが、
そこに「魔法少女まどか☆マギカ」も加わった。
この2作品と同じくハードルが上がり、誰もが「エンディング」を
求めていたように感じる。
賛否両論
しかし、公開初日からSNSやレビューサイトなどでは賛否両論の渦が
巻き起こっている。
公式から、2026年9月12日までは「ふせったー」や「ネタバレあり」などの
表記をしなければネタバレしてはならないことになっている。
だからこそ、SNSやレビューサイトでは「ゴニョゴニョ」とした感想が多い。
そのゴニョゴニョ感が余計にネガティブな印象を増幅させており、
私個人としてもゴニョゴニョとしたレビューを書かざるを得ない印象だ。
おそらく私を含め、見た人は「賛否両論」になるのも納得することだろう。
この作品は非常に評価が難しい。
イヌカレー
13年も待っただけあって、作画のクオリティ自体は高い。
魔法少女まどか☆マギカ特有の、いわゆる「イヌカレー」空間も全開で、
常にキャラクターの背景では意味があるのかないのかわからないような
ありとあらゆる造形が並んでいる。
実写演出なども今回は多用しており、「比喩表現」的なモチーフも多く、
1度見ただけではそのあたりを汲み取れない部分もある。
キャラクターがただ会話しているだけなのに謎空間が連発し、
キャラクターの移動も唐突かつ、場面が飛ぶような感覚になることもある。
それこそまさに魔法少女まどか☆マギカではあるものの、
今回はそこがくどすぎる。
イヌカレーが監督を務めた「マギアレコード」のTVアニメもクセが強かったが、
今作はそれ以上だ。
TVアニメ、叛逆の物語、マギアレコードと、
どんどんイヌカレーっぽさが増し、今回はその極地ともいえる。
制作の「シャフト」らしい表現を感じる部分はあるものの、
そのシャフト感よりもイヌカレー度が強すぎる印象だ。
これがTVアニメで1話1話見るならくどく感じなかったかもしれないが、
約2時間ずっとイヌカレー空間に閉じ込められると、
さすがにくどさを感じてしまう部分もある。
このくどさ、比喩表現も相まって、
作品全体のとっつきにくさやわかりにくさも生まれてしまっている。
本来、魔法少女まどか☆マギカは難解な作品ではないのに、
独特な難解さも生まれてしまっているのは厄介だ。
戦闘シーン
冒頭の戦闘シーンなどは本当に素晴らしく、ニヤニヤしてしまい、
それぞれのキャラクターらしい戦闘シーンも多い。
ただ、前作の叛逆の物語と比べるとインパクトは薄い。
戦闘シーンよりもイヌカレー空間が前に来てしまっており、
本来は背景なはずのイヌカレー要素が前面に出すぎてしまっている。
各キャラそれぞれの見せ場がしっかりあるものの、
終盤はやや拍子抜けしてしまう展開も含めて、
中盤以降はあまり戦闘シーンでワクワクしないのも致命的だ。
3度の延期、13年ぶりの続編。
どこに時間をかけたかはわからないが、
この13年でシャフトも大きく変わったのだろう。
総監督である「新房昭之」らしさというのもいまいち感じにくく、
イヌカレーが監督だと言われたほうが納得できるほどだ。
TVアニメ版
今作の脚本は虚淵玄氏ではあるものの、
イヌカレー氏が脚本協力に入っている。
パンフレットなどでは虚淵玄氏が
「物語を作ったというより、すでにある材料を並べ替えた」と
おっしゃっており、それもわかるストーリーだ。
この作品は虚淵玄氏らしくない。
彼はキャラクターに容赦がない。
唐突な死が描かれることも多いが、
同時に理不尽ではなく、因果応報な結末と、
物語として素直にはハッピーエンドとはいえない展開が多い。
TVアニメの魔法少女まどか☆マギカはまさにそうだ。
願いを叶えるために魔法少女になった少女たち。
しかし願いが叶っても、彼女たちは幸せを掴むことはできない。
美樹さやかは幼馴染の腕を治すために魔法少女になるが、
その「恋心」は成就せず、結果的に魔女になり死んでしまう。
暁美ほむらも「まどか」を救うために魔法少女になり、
何度も時間を巻き戻すが、結果的に彼女を救うことはできていない。
魔法少女まどか☆マギカは因果の物語だ。
最終的に「魔女」と「魔法少女」という歪んだ因果を
主人公である「まどか」が因果律を調整したことで、
魔女の概念が消え、魔法少女の概念は残り、
救われる命、魔女になる運命をなくすことに成功したが、
彼女自身の存在は「暁美ほむら」以外には忘れられ、概念になってしまう。
TVアニメは多くのものが救われるが、主人公が犠牲になるという
素直にはハッピーエンドとはいえない、ハッピーエンド風なバッドエンド。
よく言えばノーマルエンドだ。
実に虚淵玄氏らしい脚本といえる。
叛逆の物語
叛逆の物語では、その調律した因果を「暁美ほむら」が否定した物語だ。
最終的に「暁美ほむら」が己の願いを叶えるために、
円環の理という概念となった「まどか」を無理矢理、円環の理から引き剥がし、
世界を書き換え、自らだけが真実を知り、悪魔となって
この世界を維持するというラストで終わった。
このラストの不気味さも相まって「バッドエンド」に見えるが、
主人公も他のキャラも救われており、命がある。
暁美ほむら自身も概念になっておらず、記憶もあり、
バッドエンドに見えるが「ハッピーエンド」だ。
だが、どこか不穏さが残りモヤモヤとする。
これも虚淵玄氏らしい。
本作
では本作はどうだっただろうか。
実に虚淵玄氏らしくない。
この本作のストーリー部分はボカして解説するしかないが、
本作はハッピーエンド風バッドエンドでも、
バッドエンド風ハッピーエンドでもない。
TVアニメで1歩進み、叛逆の物語で1歩進んだ物語。
本作では1歩下がって、0.5歩だけ進んでいる。
0.5歩だ。
13年待って、3度延期して、0.5歩しか進んでいない。
ここが賛否両論を生むところだ。
話が進んでいるようで進んでいない。
色々と明かされた謎というのはあるものの、
そこに関しては「補足」的な部分が多く、
そこがなくとも物語は成立してしまうのが厄介なところだ。
答え
私は、作品は提示した問いに対する答えを示すべきだと感じている。
例えば「新世紀エヴァンゲリオン」は子どもの物語だ。
あの物語に出てくる大人でさえ大人になりきれておらず、
TVアニメ版では子どもが自己確立するまでの物語を描いていた。
そこから時間をかけ、子供たちが大人になるまでの物語を描いている。
避けていた親子同士のぶつかり合いを経て、親が親になり、
子供は大人になった。
大人になることに対する恐怖心を描き、そこを乗り越え、
大人になり、社会という名の現実に帰る。
それがエヴァンゲリオンの答えだ。
ガンダムSEEDは憎しみの連鎖で殺し合う世界だ。
憎しみが憎しみを生み、戦いが終わらない世界。
遺伝子操作された人間とそうではない人間という根本的な、
どうしようもない人種差別がある世界で、戦い続けてきた。
DNAという名の運命で決められた世界を作ろうとする敵に対し、
主人公たちは互いを知ろうとし、手を取り合って生きていく。
個を確立し、「愛」を持って他者を信じることで
より良い世界ができるはずだという答えを、
ガンダムSEED FREEDOMでは描いていた。
魔法少女まどか☆マギカ
では本作ではどうだろうか?
魔法少女まどか☆マギカはずっと「因果」に巻き込まれている。
人ではどうしようもない奇跡を願った少女たちが代償を払い、
魔女になり、それが次の魔法少女を生み、また魔女を生み、
永遠にその因果の中から抜け出せない。
TVアニメではその因果そのものを書き換えたが、
叛逆の物語ではさらにその因果を書き換えた。
「人ではどうしようもない奇跡を願った少女たち」が
不相応の願いを叶えた代わりに、その代償を支払わされる。
それが魔法少女まどか☆マギカという作品の根底にある構造だ。
純粋な願いが大きければ大きいほど、同じだけの絶望が返ってくる。
希望と絶望が差し引きゼロになる。
それがキュゥべえの作った、この世界のルールだ。
だからTVアニメのまどかは、そのルールの中で幸せになることを諦め、
ルールそのものを書き換えた。
魔法少女が願ったことを後悔しなくていい世界を作る。
たとえ最後に消えてしまうとしても、
その願いが絶望へと変わることだけは否定する。
それが鹿目まどかの出した答えだった。
しかし「叛逆の物語」で暁美ほむらは、
その答えすら受け入れなかった。
世界を救うためなら、まどか自身が犠牲になってもいいのか。
みんなを救うために一人だけが幸福を諦めることを、
本当に正しいと言っていいのか。
だから彼女は神となったまどかを引きずり下ろし、
今度は自分が罪を背負ってでも、
一人の少女として生きられる世界を作った。
救い
まどかは「みんなのために自分を犠牲にする」という答えを出し、
ほむらは「世界を敵に回してでも一人を幸せにする」という
まったく逆の答えを出した。
どちらも愛であり、どちらもエゴだ。
そして魔法少女まどか☆マギカという作品は、
ずっとこの二つの答えをぶつけ続けている。
TVアニメ版、叛逆の物語、それぞれに答えはある。
そこからの続編だからこそ、また問いが生まれる。
奇跡を願うことは罪なのか。
誰かを救うためなら、自分を犠牲にしてもいいのか。
誰かを救うためなら、世界を犠牲にしてもいいのか。
そして何より、人は「願ったこと」の責任を
どこまで背負わなければならないのか。
実際に示されたのは、ほんの少しの救いだ。
TVアニメ版と叛逆の物語を乗り越えた先の答えとしては弱く、
作品としての答えになりきれていない。
その救いを答えと解釈することはできるものの、
13年も待った答えとしては、私個人としては物足りなさが残ってしまった。
総評:コンテンツの終焉
全体的に見て、物足りなさが凄まじい作品だ。
面白いか面白くないかで言えば「面白い」作品ではある。
魔法少女まどか☆マギカのあの世界観、キャラクターたちを
13年ぶりに味わう感動があり、ニヤニヤしてしまう要素も多い。
しかし、13年という「ハードル」を超えるほどではなかった。
その13年の間に魔法少女まどか☆マギカ自体も
ソーシャルゲームを展開したり、色々なことをしており、
シャフト自身も大きく変わったのだろう。
その結果、「魔法少女まどか☆マギカ」というコンテンツの終焉を感じてしまった。
物語が終わったというよりは「コンテンツ」としての終焉だ。
今作の物語の中でキャラクターたちが何かを失うほどの決断をしたり、
その選択に大きな代償を支払ったりするような場面は少ない。
魔法少女まどか☆マギカという作品は、願えば何かを失い、
選べばその代償を背負わされる物語だった。
しかし本作では、そこまでの重さを感じる瞬間があまりない。
新たにメインとなるキャラクターも3人ほど登場するが、
その3人の掘り下げや回想にかなりの尺を使っている。
もちろん、新キャラクターを描くこと自体が悪いわけではない。
ただ、13年ぶりの続編として
私が見たかったものは本当にそこだったのか。
見ていて何度も、「そこは別にいいんだけどな」と感じてしまった。
叛逆の物語で終わっていても良かった。
そう思ってしまう作品だ。
本作は13年ぶりの待望の続編というより、
私には「蛇足」に近いものに感じられてしまった。
もちろん、このあと続編が作られてもおかしくはない。
物語として続きを作れる余地はいくらでも残っている。
だが、叛逆の物語を見終わった13年前の私は、
この続きを見たいと思った。
しかし本作を見終わった今、
もし続編制作が発表されたとしても、
「あー、やるんだ」くらいにしか思えない気がする。
それが何より悲しい。
つまらなかったからではない。
嫌いになったからでもない。
むしろ映画としてはそこそこ面白かった。
それなのに、13年間持ち続けていた
「魔法少女まどか☆マギカの続きを見たい」という気持ちだけが、
綺麗になくなってしまった。
それが本当に残念なところだ。
個人的な感想:アタシたち、何と戦ってるの?
本作の中で、さやかがこんな言葉を口にする。
「アタシたち、何と戦ってるの?」
まさにそれだ。
この言葉は劇中の状況に対する疑問であると同時に、
本作そのものを象徴しているように感じた。
本作では、キャラクターたちは確かに動いている。
戦っている。苦しんでもいる。
それなのに、その先で「何を乗り越えようとしているのか」が
最後まで掴みにくい。
敵が誰なのか、という意味ではない。
この物語が一体、何に対して答えを出そうとしているのかが見えてこない。
願いと絶望なのか。自己犠牲なのか。
ほむらの愛なのか。まどかの選択なのか。
13年前に叛逆の物語が残した問いに対して、
本作が何と戦い、何を否定し、
何を肯定しようとしているのか。
それが最後まで曖昧なままだった。
「アタシたち、何と戦ってるの?」
映画を見終えたとき、
私もまったく同じことを思っていた。
続編というものがあるかはわからないが、
また13年待たされるとなると「もういいか」となる作品だ(苦笑)



