評価 ★★★★☆(60点) 全12話
あらすじ 前橋市に住む女子高生・赤城ユイナは、突然現れた謎の生物ケロッペから魔女見習いにスカウトされた。正式な魔女になれば、どんな願いでも叶えられる。ユイナは先にスカウトされていた4人の少女達と力を合わせて、魔女になる為の修行を始める。引用- Wikipedia
これが令和の魔女っ子だ!
本作品はサンライズ制作のオリジナル作品。
監督は山元隼一 、制作はサンライズ
肘鉄
1話冒頭からとんでもない、アイドルのような格好の女の子が
「えいこちゃんのために歌ってもいいかな!」と歌おうとした瞬間に
肘鉄を食らわされる(笑)
意味不明な状況と、ぶっ飛んだ展開に度肝を抜かれる作品だ。
主人公は明るく前向きな女の子だ。
群馬県前橋市に住む女子高生であり、エモい写真を取ることが趣味だ。
そんな女子高生の前にカエルのようなマスコットが現れる
「ねぇ!君魔女になってみてよ!」
あまりにも怒涛の展開すぎてついていけないが、
このテンポ感のせいで癖になる面白さがある。
主人公が連れてこられた空間には他にも4人の女の子がいる。
謎のマスコットによってスカウトされた5人は
「魔女になるための修行」をすることになる。
悩める人たちの願いを叶える店で、願いを叶えれば魔女に慣れる。
99999までポイントが貯まれば、お店以外でも魔法が使えるようになる。
やや癖のあるキャラクターデザインではあるものの、
どこか懐かしい少女漫画原作アニメっぽいキャラデザでもある。
5人の魔女見習いは魔女になるために悩める人が訪れるお店で、
願いを叶えようとする。
このプラットフォームはどことなく
「おジャ魔女どれみ」を彷彿とする人もいるはずだ。
最近の魔法少女モノというと「バトル」要素があるものが多いのだが、
この作品は違う、古典的な魔法少女モノであると同時に
「人間」を描いている。まさしくおジャ魔女どれみだ。
令和にこの作品はおジャ魔女どれみをやろうとしている。
魔法
1話でお店に訪れる少女は進路に迷っている。
5人の少女たちはそんな彼女の背中をおそうとするのだが、
5人とも5人の意見がある。
5人の少女は一人の少女を応援するために
「歌う」
迷える少女の心を歌詞にし、それを歌にし少女の心に叩きつける。
魔法は何でもできる、だが万能ではない。
どんな魔法を使うかは5人次第だ。
5人の魔女見習いはギスギスしている。
特に主人公である「赤城 ユイナ 」に対して「新里 アズ 」は
「あんた無理」と直接的にいってくる始末だ(笑)
アズは地雷系のような見た目をしているのだが、
それはあくまで「お店」の中での話だ。
この作品は訪れるお客さんの悩みを描くと同時に、
魔女見習いの「闇」をも描いている。
アズ
アズはファッションや美容に厳しく、見た目を気にしている女の子だ。
主人公の安物のファッションを指摘する。
なりたい自分になる、誰もから羨まれる自分になる。
おしゃれになりたい、ブランド品を持ちたい、可愛い自分でありたい、
そんな思いを現代女子は抱えている。
アズの前にとあるお客さんが2話で現れる。
だが、そんなお客さんのためにアズは歌えない。
「アズ、デブ嫌い!」
とんでもないキャラクターだ(苦笑)
太ったお客さんを目の前に彼女は言葉を一切濁さず、
自分の嫌悪感をあらわにしている。
だが、その嫌悪感は「自己嫌悪」でもある。
彼女たちが魔法を使えるのはお店の中だけだ。
お店の外では魔法を使えない。
アズはお店の中だけで「理想の自分」に慣れる魔法を使っている。
現実での彼女もまた太っている。
ルッキズム
現代の子どもたちが抱えている問題は重い。
インターネットが発展し、SNSが活発になり、
芸能人やアイドルではない普通の女の子が自己表現の1つとして
SNSに自らの姿を投稿することが多い。それと同時に「見た目」の評価も伴う。
いわゆるルッキズムだ。
今の子供達はそんな見た目の評価に巻き込まれやすい。
これもまたSNSというものの弊害なのだろう、
承認欲求、ルッキズムを満たすために加工をし、
本当の自分とは違う姿でネットに自分が存在している。
それはなりたい自分でもある。
もっと顔が小さかったら、もっと痩せていたら。
そんな思いを満たすために「整形」をする子も多いが、
高校生なアズは太っている自分を魔法という名の加工で覆い隠している。
「なりたいものって自分で頑張るからエモエモ嬉しいんじゃない?」
主人公のそんな言葉がアズに突き刺さっている。
彼女は「魔法」でなりたい自分になろうとしている。
そのために魔女になる、それもまた自分で頑張っていることなのだが、
アズはどこか魔法を「ズル」と捉えているのだろう。
太っているお客さんの願い、
そんな願いを「アズ」は「痩せること」だと思っている。
かわいいのが正義、痩せていることが正解。
それが彼女の中の価値観だ。
太っているお客さんはモデルとして活躍しているが、
どこかバカにされて利用されている。
そんな彼女の本当の気持ちを「魔法」であらわにする。
等身大の今の「女の子」がこの作品では描かれている。
怒涛のセリフ量を1話の中に詰め込んでおり、
会話の「間」もなくセリフがかわされる。
これも現代的だ、ショート動画のように次から次へと、
飽きさせない脚本になっている。
承認欲求
4話になると別のキャラに焦点が当たる。
「マイ 」はクールな女の子だ、そんな子がお店に溜まったポイントを
盗んで使っていたことが明らかになる。
そんな事実が明らかになるとお店にマイの年上の幼馴染が現れる。
ミスコンに出演するほどのキラキラな承認欲求が強い女の子だ。
自撮りを乗せ、自らの可愛さ、自らの人気をフォロワーという名の数字で語る。
フォロワーの多さがその人の凄さ、そういう価値観の人はいる。
お店に訪れたマイの幼馴染も同じだ。
約1万のフォロワーがいる幼馴染は、
マイが「12万人」もフォロワーがいるインフルエンサーだと知ってしまう。
数字というわかりやすい指標が承認欲求につながり、嫉妬にもつながる。
ルッキズムに承認欲求、現代女子の悩みをこれでもかれとえぐってくる。
「マイ」には12万人ものフォロワーがいる、
だが、1番自分の存在を認めてもらいたいのは「幼馴染」だ。
12万人の顔も見えない存在より、憧れる誰かに、
身近なたった一人に認めてもらいたい。SNSの数字など空虚なものだ。
上には上がいて、求めだしたらきりがない。
SNSのフォロワーより身近な誰かに。
各キャラにスポットをあて、それぞれのキャラの悩みを描き、
魔法という心のぶつけ合いで解決していく。
魔法はなんでもできる、だが、魔法で物事が解決するわけではない。
心の問題を解きほぐすために魔法という名の歌が使われている。
家族
中盤になると「チョコ」と「キョウカ」の物語が描かれる。
二人は正反対とも言える境遇だ。
キョウカはいわゆるお金持ちな娘であり両親からの「圧」を感じている。
女の子らしくいること、自分たちが望む学校に入ること。
それにどこか歯向かっている。
チョコは逆だ。
お店にやってきたお年寄りの女性に「舌打ち」し「ババア」と蔑む。
それまでふわふわで可愛い女の子で自分の誕生日を祝ってくれることに喜び、
ケーキが2つあることに涙を流すような純粋な子に見えていたのにも
かかわらず、一気にキャラが変わる。
チョコの家は貧乏だ。
足の悪い祖母と幼い弟と妹、母は看護師として家計を一人で支えている。
そんな中でチョコは家事をし、バイトもしている。
いわゆるヤングケアラーだ。
彼女の元気なキャラ付けは彼女らしさであると同時にそうあろうとする姿だ。
そんな彼女の状況が大きく変わるわけではない。
魔法で状況をどうにかするわけでもなく、
「仲間」の一人に自らの状況を知られ、それをきっかけに
自らの苦しさを吐露できるようになる。
魔法ではなく、仲間との交流をきっかけに状況が少しだけ変わる。
キョウカとは真逆だ。
そんなキョウカは推しのVTuberがおり、心の支えにしている。
だが、そんなVTuberから「セクハラDM」がくる(苦笑)
チョコの悩みを知ったキョウカは、自らの悩みもみんなに知ってもらう。
それぞれが抱える悩み、叶えたい願い。
魔法はそれを解決するきっかけに過ぎない。
そのスタンスは変えずに序盤から中盤まで描かれている。
メインキャラの悩み、現代の少女が抱えているような問題を紐解き
キャラ描写につなげ、それを明確にスッキリと解決させるわけでもなく、
だが、少しだけ現状や考え方が変わるきっかけにはなる。
魔法はなんでもできる、だが、万能ではない。
「おジャ魔女どれみ」もまた同じような描き方だった。
魔法で全てを解決してしまうのではなく、
背中を押し、解決の糸口につなげるための魔法だ。
たとえ魔法がなくても夢は、現状は変えられる。
そんなメッセージ性が含まれている。
栄子
終盤になると1話のお客様である栄子が再登場する。
進路に悩んでいた彼女は進路を決めるものの、不安はある。
そんな彼女の願いをかなえると、彼女に「魔女の素質」があることが分かる。
しかも、5人の主人公たちより魔女の素質を持っている。
同時にアズもまた「自分の本当の姿」を4人に見せようとしている。
魔法で作り上げた自らの姿は見せの中だけのものだ。
自らの姿を晒そうとしても、一歩を踏み出せない。
悩みを安易に魔法で解決しながらこそ、キャラクターたちが悩み、成長していく。
そんな中で栄子があっさりと裏切る(笑)
ためていた全てのポイントを使い尽くし、お店を乗っ取られ、
24時間以内にお店を取り戻せないと魔女の見習いだった時間の記憶がなくなる。
ここまで築き上げた5人の絆がなくなってしまう。
10話まで丁寧に5人を掘り下げ、5人の関係性を描いたからこそ、
それが「無くなる」という展開への盛り上がりにつながる。
距離感
終盤、主人公の掘り下げも描かれる。
彼女は明るく元気だ、だが、それは同時に「ウザさ」をも感じさせる。
人と人との距離感、そんな距離感がバグっており、友だちができなかった。
だが、4人と出会ったことで初めて友達を得ることができた。
アズの見た目もあっさりと他の4人に知らされるが、特に反応はないのもこの作品らしい。
店の入口を探しながら、 お店ではない現実で5人が揃い、
5人がそれぞれ自らを吐露する。魔女見習いになり、
5人がそれぞれ抱えているものをさらけ出したからこそ今がある。
だが、それが消えてしまう。
次々と消えるライン、出かける計画、写真、そして互いの記憶すら失う。
栄子は魔女見習いとして「願いを諦めさせる」ことで願いを叶えている。
彼女たちが積み上げてきたもの、培ってきたものを
10話で完全1度リセットすることで喪失感が生まれる。
1話から10話までの積み重ねが非常にうまい。
確かに忘れてしまっている。だが「変わった」ことは残り続けている。
忘れてしまったことでなくしたものに気づき、なくしたものを少女たちは追い求める。
距離感のおかしな主人公を掘り下げるエピソードで
5人の「距離感」がリセットされ、その距離感が戻るまでのエピソード描く。
ややあっさりと記憶が戻るのは拍子抜けではあるものの、
主人公の距離感、無責任とも言える応援という名の魔法の結果が
「栄子」の闇落ちにつながっている。
受験をすることを決めたものの、うまくいかない、それゆえの闇落ちだ。
もう魔女でなくても良い
5人は気づく、魔女でいる必要性がないことに。
魔法で願いを叶えるのではなく、誰かに思いを告げ理解され、
相手を理解する。それこそが重要だ。
魔法はきっかけに過ぎない、魔法は解決の糸口にすぎない。
その結果、栄子のように選んだ道、背中を押された道が辛いこともある。
だが、それも自分で選んだ結果だ。それを受け入れ、再び道を歩きだす。
彼女たちの魔女見習いの日々はまだまだ続く。
叶えたい願いはもう無いかもしれない、しかし、
魔女見習いとしての日々があったからこそ、5人は友だちになれた。
だからこそ彼女たちの魔女の見習いの日々は続く。
1話から最終話までまっすぐブレないメッセージ性を貫いている作品だった。
総評:古典的魔法少女、そして現代少女の物語
全体的に見て1クールでスッキリとまとまっている作品だ。
1話では突拍子もない展開やシーン、怒涛のセリフ量もあって
呆気にとられてしまう部分があるが、古典的な魔法少女のスタイルで
物語が始まったかと思えば、一人ひとりの闇が暴かれていく。
一人ひとりが抱えている問題はすごく現代的だ。
そこを濁さずに描き、同時に魔法というファンタジーであっさり解決はしない。
魔法はなんでもできる、でも、万能ではない。
「おジャ魔女どれみ」でも描かれた魔法の捉え方をしつつ、
アイドル的な要素で「応援」という名の歌で魔法を描いている。
あくまで魔法はきっかけに過ぎない。それはメインキャラたちも同じだ。
自らが抱えている問題や悩み、それを打ち明け、分かち合い、
理解し、少しずつ一歩前に進んでいく。
この丁寧な過程と貫かれたメッセージ性が心地いい作品だ。
その一方で終盤の記憶喪失展開からもとに戻るまでの展開は
かなりあっさりとしており、別の魔女の登場も唐突だ。
1クールであるがゆえに詰め込まれたセリフ量と
終盤のごちゃごちゃ感は否めない。
アイドル要素に関しても、現代的ではあるものの
必要だったか?と言われると疑問ではある。
しかし、1話を気に入れば最後までまっすぐに面白さを味わえる作品だ。
個人的な感想:時代が違えば..
あの頃の魔法少女アニメを今やるとしやら、こういう形になるんだというのを
見せられているような感覚だった。
魔法少女というより「魔女っ子」というのが正しいのかもしれない。
時代が違えば1クールではなく2クール、4クールやって
もっと色々なエピソードを積み重ねて、
2期や3期やっていくような作品になっただろう。
そう感じさせる現代的魔女っ子アニメであり、
おそらく制作も「おジャ魔女どれみ」を意識していたのかもしれない。
怪しげなマスコットはもちろん魔法少女まどか☆マギカからだろうが、
様々な魔法少女アニメの要素を取り込んで、
今の魔法少女アニメをやろうとしているオリジナル作品らしい挑戦作だった。
最後の展開、魔女見習いに戻ったのは2期の可能性を残しておく
という要素でもあるのだろう。
「前橋ウィッチーズ」に似てるアニメレビュー
