評価 ★☆☆☆☆(14点) 全108分
あらすじ シルバーランドの王女サファイアは、災厄ネルガルに故郷の国を滅ぼされ、絶望の果てに隣国ゴールドランドにたどり着く 引用- Wikipedia
果てスカ現象
原作は手塚治虫が手掛けた漫画「リボンの騎士」。
監督は五十嵐祐貴、制作はツインエンジン。
Netflixオリジナルアニメ映画として制作された。
リボンの騎士
「リボンの騎士」というのは当時、斬新な作品だった。
1953年、今から70年以上も前の作品であり、そんな70年以上前に
初めて描かれた「戦う少女」ものだ。
さらに主人公は天使のいたずらで、男と女のふたつの心を持っている。
今で言えばトランスジェンダーやノンバイナリーな主人公だ。
70年以上前の時点でここまで斬新な設定を思いついた
手塚治虫先生の偉大さを感じさせる部分であり、
そんな70年以上前の手塚治虫の作品をアニメ化するという意気込み自体は素晴らしい。
昨今はリメイクアニメブームであり、
様々な作品がリメイクされているが、本作品は
「リボンの騎士」ではあるものの、あくまで「原案」だ。
原作ではなく、原案。
あの「リボンの騎士」を原案に何を見せてくれるのか。
そんな期待感はある作品だった。
ネルガル
冒頭からして意味不明だ。
「ネルガル」という厄災が存在し、主人公である「サファイア」は
そんなネルガルに立ち向かう少女だ。
しかし、冒頭の時点でネルガルに敗北し片腕を失い、
家族を、国民を、国を失っている。
もうこの時点で原作からはかけ離れた作品であることが分かる。
跡形もないほどだ。
そもそもネルガルとは何なのか、なぜサファイアが戦っているのか。
そういった説明もなく、とんとん拍子に話が進んでいく。
まるでダイジェストだ。
1クールくらいのアニメがあって、その総集編映画ですと
言われたら納得できるほどの細切れなストーリー展開は呆れるほどだ。
敗北し、腕を失い、国を出て、義手を手に入れて、
旅をしながら、とある国にたどり着く。
ダイジェストに次ぐダイジェストで、見ていられない。
あっという間に冒頭から7年も経過する。
この時点で10分くらいしか時間が経っていない。
1年1分半ほどだ。
ラランドサーヤ
この作品は公開前から少し話題になっていた作品だ。
主人公である「サファイア」を芸人であるラランドのサーヤさんが演じる、
いわゆる芸能人声優だ。
芸能人声優はピンからキリまで「演技力」の差が激しいことは
皆さんご承知の上だと思うが、この作品に限っては地を這うほどの演技力だ。
本当に酷い。
「はぁはぁ」という吐息の演技でさえ、つらい状況を感じさせない
「台本を読んでます」感全開の演技で、
その「台本を読んでます」感を消そうと抑揚を無理につけ、
無駄に高い声で喋っているせいで、そこに感情が乗っていない。
芸能人声優を起用すること自体に文句はない。
演技力のある芸能人声優なら何も問題はない。
しかし、演技力が伴っていない状態で主人公に起用されてしまえば、
作品そのものより話題性を優先したキャスティングだったのではないかと
邪推したくなってしまう。
最低限の声の演技もできていない演技は、聞いているだけで
シンプルに苦痛であり、開始5分ほどで見るのをやめたくなるほどだ。
「リボンの騎士、参上」
と決めセリフとして何度も言うのだが、声の圧というものがまるでなく、
決めセリフが決めセリフとして効果的に作用していない。
終盤のラストでも一切声を張らない演技に舌打ちしてしまったほどだ。
声を張った演技ができないため、格好がつかず、
演技力のなさがひたすらに際立つ。
ハイクオリティな作画、素晴らしいキャラクターデザイン。
しかし、主人公という役目にふさわしい「演技力」がない。
見得を切る演技というものが一切できない変身ヒーローなど
変身ヒーローではない。
映像のクオリティが高いからこそ、
そこに乗る声の演技との落差が余計に目立ってしまっている。
ダイジェスト
7年間の旅の末、とある国にたどり着き、少女と出会い、
彼女はそこで働くようになる。ここもダイジェストだ。
2時間の映画であるということを制作側が忘れている。
ダイジェストを使いまくらなければまともにストーリーを描けないほど、
脚本が2時間の映画という尺から溢れてしまっている。
ネルガルというよく分からん存在が国を滅ぼしたのに、
「そんなことは忘れた!」と言わんばかりにサファイアは明るい性格で、
新しい国にたどり着いて友だちもできて、
「上流とか庶民とかそんなことなく、自分にできることがしたいんだ」
とのたまう。
そんなことはいいから、ネルガルという存在や、
国を滅ぼしたネルガルをどうにかしてほしいのに、放置である。
リボンヒーロー
唐突に何の脈絡もなくネルガルが現れる。
逃げることしかできない中で、サファイアが力に覚醒する。
作画やキャラクターデザインはかなり気合が入っており、
彼女の変身シーンなど非常に魅力的に描かれているのだが、
それがまるで効果的に作用していないのがこの作品だ。
1時間50分しか尺がないのに、主人公であるサファイアが
初めて「変身」するシーンは映画が始まって25分ほどだ。
これが4クールくらいの日朝アニメならともかく、
尺がないのに尺の使い方がおかしすぎる。
グリグリと動く戦闘シーンは本当に素晴らしいのだが、
その戦闘中の「声」の演技が死んでいるため、
戦闘シーンに集中することができない。
映像だけを切り取ればかなり格好いい。
それなのに、声が乗った瞬間に迫力が消えてしまう。
ここまで映像と演技が噛み合っていない作品も珍しい。
キャラ
この作品は尺がないのにキャラが多すぎるのも欠点だ。
出会ったばかりのキャラが、主人公が変身して戦うのを見て
涙を流して抱きしめてきたり、彼女の存在をかばってくれたりする。
メインキャラのようなキャラが多いのにメインキャラではなく、
特にいる必要性もないキャラが多すぎる。
無駄なキャラに無駄な尺を使うせいで、
中盤になってもダイジェストだ。
ダイジェストでしか話を進められない。
ネルガルは清らかな魂を欲しているらしく、
本来は主人公の魂を捧げれば国は滅びることはなかったらしいのだが、
そんな事実を知っても主人公はあっけらかんとしている。
薄っぺらいキャラの心理描写で、キャラに対する魅力も出てこない。
ダイジェストに次ぐダイジェスト、ダイジェストからのダイジェスト、
ダイジェストダイジェストダイジェスト、
ダイジェストばかりだ。
「戦っては駄目、生き抜いて」
という母の遺言が何度も流れ、絶望的な状況でも彼女は戦い続ける。
よく分からん間に新しい技を覚えたりするものの、
ネルガルの進攻を止めることはできない。
その中で一切思い入れのないキャラが死んだりするが、
主人公との交流も少なく、見ている側の思い入れもないため、
死んだところでかすり傷だ。
終盤
終盤、強大な敵が現れ、苦戦を強いられる。
なんやかんやあり、変身する力を一度失うものの、
仲間たちの協力も相まって再び変身し、戦う。
そんな中で、ネルガルの内部で唐突に精神世界にぶち込まれる。
失った者たちとの対話、死への甘い誘惑を乗り越え、
つらい現実で戦う道を選び、家族や仲間の死を受け入れる。
精神世界で唐突にクレヨンしんちゃんのような
ギャグ的な戦闘シーンになるも理解できず、締まるものも締まらない。
それまで真面目に格好いい戦闘シーンを描いてきたことが
この作品の良さだったのに、最後にはそれすら台無しにする。
唐突に実写演出も挟まったり、
リボンヒーローとしての力が「自分になるはずだったもう一つの心」という、
原作の「ふたつの心」という要素を申し訳程度に拾って、
ハッピーエンドで終わる。
本当に何もかもが酷い作品だ。
総評:手塚治虫が筆を折って殴りかかってくるレベル
全体的に見て、本当に酷い作品だ。
アニメーションのクオリティは高く、キャラクターデザインも素晴らしい。
ぬるぬると動く戦闘シーンは見ていて爽快感があり、
そこだけを見れば名作だ。
しかし、アニメというものはアニメーションが良ければ名作というわけではない。
根本的なストーリーは2時間程度の尺で収まりきるものではなく、
何もかもが溢れてしまっており、ダイジェストに次ぐダイジェストで
ストーリーを構成してしまっている。
作画は良い。
キャラクターデザインも良い。
戦闘シーンも良い。
それなのに、脚本と演技がその長所を片っ端から潰してしまっている。
この脚本と構成の時点で、どれだけアニメーションが良くても台無しだ。
さらに主人公の演技まで作品の迫力を削いでおり、
結果として「映像だけは凄い」という非常にもったいない作品になっている。
ラランドのサーヤさんの演技も、本当に酷く、お話にならない。
決めセリフが決まらず、吐息の演技もできない。
芸能人だから駄目なのではない。
単純に、この役を演じるための演技力が足りていない。
原案である「リボンの騎士」の要素は本当に申し訳程度であり、
原案ですらないレベルだ。
なぜ「リボンの騎士」を原案として、この作品をあえて作ろうとしたのか。
去年は「ハムレット」を下敷き(原案)とした果てしなきスカーレットがあったが、
「ハムレット」を下敷き、あるいは原案のように扱いながら、
実際の作品ではその要素が薄く、 圧倒的な映像クオリティに対して
脚本やキャラクター描写が追いついていなかった。
個人的にはこれを「果てスカ現象」と呼びたくなる。 映像だけを切り取れば凄い。
PVだけを見れば期待する。 しかし、本編を通して見ると、
脚本や演技の問題で映像の凄さまで虚しく見えてしまう。
もし手塚治虫さんがご存命なら、怒りで筆を折り、
殴りかかってくるレベルだろう。
もちろん、原作を大胆に改変すること自体が悪いわけではない。
原案なのだから、好きに再構築してもいい。
ただ、原作者がすでに故人だからこそ、
現代に再構築する側には原作や作者に対する敬意がより強く求められるはずだ。
少なくとも私は、この作品からその敬意を感じ取ることができなかった。
手塚治虫氏に対する敬意、作品に対する敬意が欠けている作品ほど
たちの悪いものはない。
本当に酷いものを見た。
個人的な感想:予想以上に
PV段階から演技面での不安はあったが、その想像を超える酷さだった。
映画として劇場で公開するものならば、
「宣伝」という意味で芸能人声優を起用する意味も分かるが、
今のところネトフリ限定の作品で芸能人声優を起用する意味もよく分からず、
VTuberまで声優に起用されている。
VTuberの方々は、言われないと分からないほど自然な演技をしており、
きちんとした演技ができるならば、芸能人だろうがVTuberだろうが
問題ないことを、この作品自体が証明してしまっている。
芸人の方というのは声での演技が上手い印象があったが、
そうでない場合もあるんだな……と実感してしまう作品だった。



