評価 ★★★★☆(70点) 全77分
あらすじ 1960年代、神戸。外交官の家に生まれたベルギー人の女の子アメリは、2歳半までは無反応状態だったが、あるきっかけから無敵の子ども時代に突入し、自らを「神」だと信じて魔法のような世界を生きるようになる引用- Wikipedia
天上天下唯我独尊
原作はベルギーの小説家アメリー・ノートンによる自伝的小説。
監督はマイリス・バラード、リアン=チョー・ハン。
フランスのアニメ映画として上映され、
2026年に日本でも上映された作品だ。
天上天下唯我独尊
映画冒頭からどこかポエミーだ。
モノローグでは「花澤香菜」さんがセリフを読み上げており、
赤ちゃんの視点で、そんな赤ちゃんのモノローグを紡いでいる。
本当に神のように下界のことに反応を示さない。
主人公である「アメリ」は天上天下唯我独尊状態だ。
外交官の子どもに生まれた彼女は裕福な家庭で育ち、成長していく。
何事にも反応を示さず、笑いもしない。
しかし「自我」は生まれた瞬間からあり、神を自称する。
自分こそが世界の中心であり、
周囲の人間は自分のために存在しているかのような感覚だ。
とんでもない癖の強さだ(笑)
成長していくに従ってアメリは周囲をより見下し、
ろくに言葉も喋らず、家族の手に負えなくなってしまう。
だが、そんな「神」に転機が訪れる。
チョコ
そんな神が人になる。
まるで禁断の果実を手にしたアダムとイヴのように、
チョコレートを食べた彼女は一気に大人しくなる。
2歳の少女の視点、2歳の少女に見えている「世界」。
通常のアニメと違って意図的にカメラの位置が低く、
2歳の少女の視点というものをかなり意識しており、
色彩も鮮やかだ。
大人になった私たちには味わえない、
「新鮮」で「斬新」な色鮮やかな世界。
神を自称する少女が人間になり、人間の子どもとして
「知識」を収集していく姿がたまらない。
たかが「掃除機」1つ。
そんな掃除機でさえ、2歳の少女にとっては未知の存在だ。
私たち大人にとっては当たり前になってしまったものが、
アメリの目を通すことで、もう一度「初めて見るもの」に変わっていく。
チョコを食べて世界の見え方が変わった彼女は、
多くのものを知り、家族を知り、自分を知っていく。
世界は自分だけのものではない。
そんな当たり前のことを、彼女は少しずつ知っていく。
自我
「自我」の確立の過程を描いている作品だ。
赤ちゃんのときは意思の疎通ができない。
そのもどかしさは泣き声になり、
周囲への八つ当たりに変わり、
言葉を覚えても自分が納得できないことがあれば暴れ回る。
その中でチョコを食べて喜びを知り、
他者との関わり合いの中で寂しさや「恐怖」を知っていく。
日々の1つ1つの出来事、
大人にとっては何でもないちょっとした出来事が、
2歳の子どもにとっては全て新鮮なことだ。
彼女の吐息1つで「春」が訪れ、
花が開き、草花が喜びに満ちていく。
子どもの「想像の世界」と、現実で子どもに見えている世界。
それを交互にファンタジックに映しながらも、
時に現実的に見せている。
ファンタジックな視点では大胆な演出とカメラワークを使い、
逆に現実的なシーンでは徹底的に子どもの視線にこだわったカメラワークだ。
大人を見上げるようなカメラワークは頻繁に使われており、
子どもの視点で子どもの「疑問」を丁寧に描いていく。
大人になれば当たり前になってしまう世界を、
もう一度、子どもの目線から見つめ直す。
この作品のアニメーションとしての面白さは、
そんなところにもある。
日本
アメリの父は外交官であり、そんな父とともに日本で暮らしている。
四季のある日本で日々を過ごしながら、
彼女は日本の文化にも触れていく。
なぜ「こどもの日」に鯉を空に上げるのか。
彼女にとっては新鮮な疑問だ。
1つ1つを知り、1つ1つを吸収していく。
アメリの世界はどんどん広がっていく。
家の中で過ごしていた彼女が外に出て、
色々なものを知っていく。
知らなかったものを知ることは楽しい。
世界が広がっていくことは嬉しい。
だが、それは必ずしも「嬉しい」ことばかりではない。
世界を知るということは、
この世界に存在する悲しみや理不尽さも知るということだ。
死
そんな中でアメリは「死」を知る。
彼女の祖母が亡くなり、
また会えるはずだったのに会えなくなってしまう。
死ぬという言葉の意味はなんとなく理解できたが、
その本質を彼女は理解しきれていない。
そんな彼女はお手伝いさんであるニシオさんに、
彼女は素朴な疑問をぶつける。
「ニシオさん、なぜ人は死ぬの?」
大人でさえ、その疑問にすらすらと答えるのは難しい。
寿命で死ぬもの、病気で死ぬもの、戦争で亡くなるもの。
命は時に理不尽に、時に自然に失われる。
ニシオさんは言葉を選びながら彼女に答えを与えようとするが、
それが正解とはいえない。
「長く生きていると人はどうしても疲れてしまう、だから眠りにつくの。
それはいいことよ」
そんな言葉にアメリは、
「若い人も?」
と、さらに疑問をぶつけてくる。
年を取ったから死ぬ。疲れたから眠りにつく。
そんな説明だけでは、
この世界に存在する「理不尽な死」を説明することはできない。
戦争を経験したニシオさんは、
戦争で多くの命が奪われたことを語り、
命が紡がれていくことを、輪廻転生という概念を通して
優しく伝えてくれる。
それが100%正解の答えではない。
彼女自身も完全に理解したわけではない。
そもそも「なぜ人は死ぬのか」という疑問に、
誰もが納得できる正解など存在しないのかもしれない。
子どもに「死」を問われた時、
私はどう答えれば良いのだろうか。
思わずそんなことまで考えてしまうシーンだ。
ニシオさん
そして「死」は、アメリにとって他人事ではなくなる。
アメリは夏の海で事故に遭い、溺れてしまう。
もし助けられていなかったら「死んでいた」。
その事実が彼女に「死」をより明確に意識させる。
「死」の記憶を抱えているのは、アメリだけではない。
戦後の日本では外国人に対して思うところも多く、
20年以上経っていても戦争と「死」の記憶は色褪せない。
だが、ニシオさんは日本人ではあるものの、
そんな偏見なく彼女たちに接している。
大人たちの間には国籍があり、
戦争の記憶があり、立場があり、偏見がある。
しかし、そんなものは子どもには一切関係のないことだ。
アメリにとってニシオさんは「日本人」なのではない。
自分を愛してくれた大切な「ニシオさん」だ。
そこに国籍も戦争も関係ない。
だが、子どもはそんな大人の事情に巻き込まれてしまう。
3歳になり、アメリのもとからニシオさんが去ってしまう。
たった1年の出来事だ。
2歳の時の1年間の記憶。
2歳のときにしか会わなかった人の記憶は、
大人になったら忘れてしまうかもしれない。
そして、いつかアメリはベルギーに戻らないといけない。
だが、アメリにとってベルギーは知らない国だ。
自分は日本人という自覚があり、
生まれて3年、日本で過ごしてきた。
彼女にとって「故郷」はベルギーではなく日本だ。
だからこそ「大人の事情」に納得できない。
世界が自分の思い通りにならない。
大切な人は死ぬ。
大切な人とは別れなければならない。
大好きな場所からも、いつか離れなければならない。
最初のアメリならば、
そんな世界そのものを許せなかったかもしれない。
だが、多くのものを失い、そこに絶望を覚えながらも、
彼女は「失っても覚えておく」ことの大切さを知る。
たとえ別れてしまっても、
たとえいつか記憶が薄れてしまっても、
一緒に過ごした時間まで消えてしまうわけではない。
大人の事情、大人の偏見があっても、
子どもたちが育んだ関係まで否定することはできない。
「子どもに罪はない」と言わんばかりのラストの展開には、
思わず涙腺を刺激されてしまった。
そして最後にアメリは言う。
「私は神じゃなかった」
世界は自分のためだけに存在しているわけではない。
自分の願いが全て叶うわけでもない。
失いたくないものを失うこともある。
それでも人は誰かを好きになり、
何かを覚え、何かを失いながら生きていく。
神だった少女が、ようやく「人間」になった瞬間だ。
総評:神だけど神じゃなかった
全体的に見て素晴らしい作品だ。
フランスのアニメ映画ではあるものの日本を舞台にし、
外交官の娘として生まれた主人公が最初は自らを「神」と自称しながら、
徐々に人になっていく物語になっている。
それは同時に、子どもの「自我」が形成されていく物語でもある。
最初のアメリにとって、世界の中心は自分だった。
自分が1番偉く、
何もかもが思い通りになり、
世界そのものが自分のために存在している。
まさに「天上天下唯我独尊」だ。
しかし、チョコレートを食べて喜びを知り、
家族を知り、日本を知り、
他者を知り、死を知り、別れを知る。
世界を知れば知るほど、
自分が世界の中心ではないことを知っていく。
その過程を子どもの視点で描きながら、
時にリアルに、時にファンタジックに表現しているのが面白い。
モノローグでの「花澤香菜」さんの語りも素晴らしく、
翻訳の都合か、やや難解な台詞回しではあるものの、
彼女の柔らかな声のおかげで、そのセリフがすとんと
頭に入ってくるような感覚だ。
そして、この作品を見終わると
「天上天下唯我独尊」という言葉の印象そのものが変わってくる。
一般的には、
「自分だけが一番偉いとうぬぼれている」
というような意味合いで使われがちな言葉だ。
序盤のアメリはまさにその意味での「天上天下唯我独尊」だった。
だが、物語が進むにつれて、
「この世に代わるもののない、一人ひとりの命が尊い」
という仏教的な意味へと、その言葉の印象が変わっていく。
自分だけが特別なのではない。
ニシオさんも、家族も、
戦争で失われた人々も、
そしてアメリ自身も、
それぞれが代わりの存在しない1人の人間だ。
だからこそ、
「私は神じゃなかった」
という最後の言葉の意味が強くなる。
神ではないからこそ、
人を愛し、失うことを恐れ、
別れを悲しみ、それでも誰かを覚えている。
そんな「人間になるまで」の物語として、
非常に美しい作品だった。
個人的な感想:フランス
これがフランスのアニメ映画として描かれているのが非常に興味深く、
近年、日本でも多く上映されるようになったフランスのアニメ映画から
ますます目が離せなくなってしまう作品だった。
フランスのアニメ映画特有のキャラクターデザインの癖はあれど、
日本のアニメ映画にはない色彩とセンスを感じられる作品が多く、
この作品はまさにそんな作品だ。
特に日本という見慣れた場所を、
海外のクリエイターが描き、
さらに2歳の少女の視点から見せることで、
こちらまで日本を初めて見るような感覚になる。
日本人が描く「日本」とは少し違うからこその面白さもある作品だ。
ただ、劇場公開規模がもう少し広がってほしいところで、
この作品も上映当時、私はスケジュール的に行けず、
配信待ちをするしかなかった。
こういう作品がもっと気軽に劇場で見られるようになれば嬉しい。
もっと日本でフランスのアニメ映画が流行ってくれることも期待したいところだ。


