「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」レビュー

映画

評価 ★★★★★(88点) 全155分

あらすじ 赤く荒廃したパリ市街地に、上空のWILLEの旗艦AAA ヴンダーから「パリカチコミ艦隊」とマリの乗るEVA8号機、そしてリツコとマヤが率いる作業員たちが降下引用- Wikipedia

全ての子供達のためのエヴァ卒業式

本作品は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』全4部作の第4作目にあたる作品。
総監督は庵野秀明、制作はカラー。
なお、本レビューは随所にストーリーのネタバレがありますので、
ネタバレを避けてる方はご遠慮いただければと思います。

希望


画像引用元:ヱヴァンゲリヲン新劇場版Qより
(C)カラー

これまでエヴァンゲリオンという作品を見てきた人たちは
ヱヴァンゲリヲンQの評判についてもご存知のはずだ。
「碇シンジ」に対する周りのキャラの反応は冷たい上にきつい。

あえて彼を追い詰めることが必要な状況ではあったものの、
葛城ミサトさんに至っては「破」でシンジの背中を押していたはずなのに、
そんな行動や台詞とは真逆の態度をとってくる始末だ。
「碇シンジ」も「碇シンジ」であせるあまり人の話を聞かず、
やることなすことが悪い方向に向かってしまい、結果的に誰も救えない。

そんな「絶望」ともいえる状況がQで作られた。
序も破もどこか旧エヴァと違いキャラクターが前向きで
希望に向かって進んでいるように見えた中での絶望だからこその
世間の批判や評判だった。

だが「ヱヴァンゲリヲン」という作品は旧エヴァとは違う。
あえてのリビルド、旧エヴァとは違う。この作品は希望がある。
Qで碇シンジたちは地上に降り立ち放浪していた。
そして「シン・エヴァンゲリオン」では希望の地へとたどり着く。

鈴原トウジ


画像引用元:画像引用元:新世紀エヴァンゲリオン26話より
(C)カラー

彼が出会ったのはかつての友だ。
「碇シンジ」と違って14年という月日が彼には流れている。
彼は大人になり、医者になり、委員長と結婚し、子供まで居る。
そんな彼の姿にエヴァファンならば涙を流さずには居られないはずだ。

シン・エヴァンゲリオンではあまり存在感のあるキャラではなかった。
しかし、だからこそ旧エヴァのような悲劇に見舞われることも、
サードインパクトに巻き込まれることもなかった。
シン・エヴァンゲリオンだからこその大人になった彼の姿だ。

彼は同じく友である「ケンスケ」とともに碇シンジを迎える。
14年前と同じ姿の彼、だが、そんな彼だからこそ14年前と同じように
「友」として、そして「大人」として碇シンジに接する様に涙が出てしまう。

彼らもつらい経験をしてきた。
ニアサードインパクトを生き残ったものの、大地は赤く染まり、
住む場所も食料さえもなかったような状況から
なんとか14年間生きてきた。

「碇シンジ」が起こしたとも言える絶望的な状況から、
彼らはそんな絶望の中から希望を見出した存在だ。
14年間分の経験があるからこそシンジにも優しく接する。
だが、それを拒むのが「碇シンジ」だ。

彼は14歳の子供のままだ。目覚めたら周囲の大人がきつく、
アスカでさえ冷たく、綾波は違う綾波で、いざ自分が行動をしたら
カヲルくんが死んでしまった。
だからこそ「何もしない」という選択を取る。

アヤナミレイ(仮称)


画像引用元:『シン・エヴァンゲリオン劇場版』特報より
(C)カラー

自分の行動にいらだち、結果に苛立ち、周囲にいらだち、
自分の殻に閉じこもる。
いっそ死んでしまえば楽になれるが、死ぬことはしたくない。
そんな死ぬことすらできない自分を責め、
生きようとお腹は空くことにまた苛立ってしまう。

同じく「アヤナミレイ(仮称) 」も自身に悩んでいる。
命令もなく、ただ、彼らについてきた彼女。
そんな彼女はたどり着いた集落で人を知る、
生きることを知る、幸せを知る。

ピュアな彼女が「人として」「生きる」ことを学んでいく姿は儚く、
そんな彼女のピュアな言葉だからこそ、
どうして僕に構うんだと嘆く碇シンジの心に響く。

「貴方が好きだから」

綾波レイが人として生きることを学んだからこその言葉、
そんな言葉が彼の胸に刺さる。
もう、彼は迷わない、もう、彼は落ち込まない。
落ち込んでいても仕方ないと彼は自覚する。

相田ケンスケ


画像引用元:『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告・改より
(C)カラー

二人の友達が大人になった。そんな二人の友だち、
トウジやケンスケから14年間の間の出来事を彼は聞く。
多くの死と生まれた命と生き方。
Qでは聞かされていなかった、知らなかったことが多かったシンジだが、
今作では同世代の友達から14年間の出来事を数多くを聞かされる

自分だけが取り残された14年。
そんな14年という月日の重さ、世界の変化を知り、
そんな中でも生きている彼らの「幸せ」を見たことでシンジは立ち上がる。
「碇シンジ」は数多くの経験を経て少年から大人になった。

新世紀エヴァンゲリオンという作品は
一人の少年の自己確立の物語でもあった。
しかし、シン・エヴァンゲリオンはそこから一歩進む。少年が大人になる。

いつまでも子供では居られない、いつまでもいじけてはいられない。
いつまでも現実逃避をしていられない、もう「碇シンジ」は涙を流さない。
涙は自分のためであり他者のためではない。
自己との対立と他者との関わり合いの中で碇シンジはそれを学んだ。

自分のためではなく、自分以外の誰かのために。
自分にかまってくれる、自分を好きになってくれる誰かのために、
「碇シンジ」という少年が大人になる。
旧エヴァンゲリオンでは彼は子供のまま物語が終わった。

しかし、今作は違う。
あえてQで14年という月日を経過させたからこそ、
碇シンジという少年が大人になった。
「少年よ神話になれ」は旧エヴァのOPの歌詞だが、
今作は違う、神話ではなく、大人になった。

そんな「成長」、大人になったシンジの顔つきに
涙を流さざる得ない。

碇ゲンドウ


画像引用元:『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告・改より
(C)カラー

シンジが大人になったからこそ対話が進む。
塞ぎ込んでいたときにきつくあたってきたアスカとも、
今までほとんど交流のなかったマリとも。

自身が再度、隔離し囚われの身になっても彼は文句一つ言わない。
大人になったからだ。自分の置かれてる状況、自分に対しての
周りの評価を自覚したからこそ彼は反抗せず、ありのままを受け入れる。
ある種、碇シンジにとってそれは贖罪の行為なのかもしれない。

彼がすべてを受け入れる中でも人類補完計画は進んでいく。
彼の父親は自身のエゴのため、自身のたった一つの願いのために
「人であること」を捨てている。

そんな父親の前に堂々と碇シンジは姿を表す。恐れや迷いは一切ない。
彼はまっすぐに父親に「こんなことはもうやめよう」と訴えかける。
父との対話を彼は真っ直ぐな目線で望む。
だが、父はそれ拒み、人類補完計画を自らのためにすすめる。

葛城ミサト


画像引用元:『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告・改より
(C)カラー

彼女は破でこんな事を言っていた。

「行きなさいシンジくん! 誰かのためじゃない!
あなた自身の願いのために」

だが、Qでは、そんな言葉をかけたはずのシンジに対し

「あなたはもう何もしないで」

と吐き捨てている。この台詞の矛盾ともいうべき部分は
今やネタにすらなっている。
だが、今作ではその「矛盾」に至るまでの葛藤も描かれている。
大人として何もさせないことが彼女なりの責任のとり方だった。

恐らく、彼女がこの14年で1番変わった。
14年前に「加持リョウジ」を失っているが、新しい命を授かっている。
世界がサードインパクトの影響で変わり、
自分自身もネルフからヴィレの司令になるしかなかった。
多くの人の意思を継ぎ、彼女はそうなるしかなかった。

故に自身の「子供」にすら会わない。
それは「碇シンジ」という少年の背中を押した自分自身と、
「碇シンジ」というもうひとりの子供とも言うべき存在に対する
贖罪の意識もあったのだろう。

本来は自分が責任を負わなければなかった。
だが、「碇シンジ」という少年に責任を負わせてしまった。
それに対する後悔は贖罪の意識を生み、
彼女をQの時点のような人物に変えてしまった。

だからこそ、彼女は大人になった碇シンジの責任を取る。
14年前の自分自身の言葉に彼女はシン・エヴァンゲリオンで責任を取る。
「行きなさい」とただ言葉をかけたり、キスをするわけではない。
彼の行動に関する責任を自らが全て取るという決意だ。

彼に頼ってばかりではない、彼女も己の責務を果たす。
ヴィレの司令ではなく「葛城ミサト」として。
碇シンジの保護者であり、男の子の母である彼女の姿、
虚勢の仮面を脱ぎ捨てた彼女の姿を誰が責められようか。

全ての責任を取る彼女の姿は私達が好きな「葛城ミサト」そのものだ。

式波・アスカ・ラングレー


画像引用元:『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告・改より
(C)カラー

彼女はQからずっとシンジに苛立ち攻めている。
だが、そうはいいつつも彼女は彼を見放さず構う。
強引に口に食べ物をねじ込み、生きさせようとする。
それは自分自身を「救ってくれなかった」ことへの苛立ちだ。

彼女は碇シンジという少年が好きだった。
それはまっすぐな彼女の好意であり、彼女自身の本当の想いだった。
しかし、碇シンジは彼女を救わなかった。
一方で綾波レイは本気で救おうとした。
それが彼女のいらだちへとつながっている。

碇シンジが大人になったからこそアスカの思いも理解する。
アスカは少しだけ早く大人になってしまった。
14年という空白の期間、彼女の心の隙間を埋める存在もできた。
それに対して碇シンジは嫉妬したりはしない。

「碇シンジ」は「アスカ」も救う。これは過去の精算だ。
旧劇場版エヴァンゲリオンのラストシーン、
「気持ち悪い」というアスカの台詞はあまりにも有名だ。
しかし、シン・エヴァンゲリオンでは真逆と言ってもいい。

告白だ。旧劇場版エヴァンゲリオンと同じシチュエーションで告白をする。

「好きだった」

もう過去のことだ。14年も前のことだ。
お互いがお互いの過去に秘めていた思いをまっすぐに
同じ浜辺でぶつけることで、
「惣流アスカラングレー」も「式波・アスカ・ラングレー」も救われる。

旧劇場版で二人は結局「分かり合う」ということができなかった。
しかし、今作では二人とも大人だ。
大人になった二人だからこそ過去の思いをぶつけ分かり合うことができた。
シン・エヴァンゲリオンは「エヴァンゲリオン」という作品に囚われた
キャラクターたちの魂の救済といってもいい。

綾波レイ・渚カヲル


画像引用元:『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告・改より
(C)カラー

綾波レイは碇シンジのために14年以上もエヴァの中に居た。
全ては彼を思う故、彼をエヴァに乗せないための自らの意思だ。
そんな彼女も「碇シンジ」を好きになることをある意味で強制されていた。

綾波レイという存在、リリスの魂である彼女も
アダムの魂を持つ「渚カヲル」と同様にこのエヴァンゲリオンという
円環の理の中に囚われ続けていた。

渚カヲルは碇シンジの幸せを願ってた。
それは全てをやり直すことで彼が救われると思っていた。
しかし、今作で彼と対峙したことで
「大人になった碇シンジ」と初めて渚カヲルが対話したことで、
やり直しでは意味がないことに彼も気づく。

2本の槍を使えば確かに世界をリセットすることも可能だ。
最初から全て「なかった」ということにすることもできる。
だからこそ彼はシンジの記憶が保持されたまま
新世界を再構築しようとしていた。
それが渚カヲルが思う碇シンジの幸せだった。

しかし、それではだめだ。
それは絶望の末に生き抜いてきたトウジやケンスケの
幸せの否定、生き抜いてきたという過去の否定は駄目だと
大人になった碇シンジは思う。

槍でやり直すのではない。あくまでも
「エヴァンゲリオン」という存在が必要のない世界に書き換える。

碇シンジの強い意思と選択があったからこそ二人が開放される。
旧エヴァから続く二人の呪縛、
アダムとリリスの魂がその責務からおり、解放される。

長い間エヴァの中に居た綾波の姿、
今度こそは碇シンジを幸せにすると願っていた渚カヲルのあの姿は
全て碇シンジのためだ。

そんな思いに碇シンジも答える。
旧エヴァの碇シンジでは、子供の彼では成し得なかったことだ。
自分のためではない、誰かのために。
「自己犠牲」を覚悟する碇シンジはまさしく物語の主人公だ。

父と母


画像引用元:『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告・改より
(C)カラー

碇ゲンドウという男はエゴイズムの塊だ。
己の目的のため、シンプルに言えば
「碇ユイ」に会うためならばどんな手段もいとわない。
たとえ世界が滅びようとも碇ユイに会えればいい。

エヴァンゲリオンという作品を筆頭にした00年代前半の世界系、
そんな作品では世界を犠牲にヒロインの命を守ることは当たり前だった。
最近では同じくセカイ系作品で有名な新海誠監督が「天気の子」で
あえて令和という時代に平成なセカイ系の作品を作り上げていた。

碇ゲンドウという男はまさに平成なセカイ系アニメの主人公だ。
ヒロイン(碇ユイ)のためならば人類を、世界を滅ぼしてもいい。
彼にとってはそれが全てであり、ほかはどうでも良かった。

それは「破」までの碇シンジも同じであり、
旧エヴァンゲリオンの碇シンジとも同じだ。
碇ゲンドウという男もまたシンジと同じく親の愛を知らず、
自分の殻に閉じこ持っていた中で唯一「ユイ」という存在が
自分のすべてを受け入れてもらえる存在だった。

だからこそ彼はエゴと分かっていてもそれと貫こうとした。
それを止めるのは今の碇シンジだ。
ゲンドウにとって「息子」はどう扱っていいかわからない存在であり、
シンジに向き合うことができなかった。
自分の計画に必要なのかどうかすらも迷い、消し去ることもできない。

しかし、大人になった碇シンジがまっすぐに彼の前に現れる。
これは親子喧嘩であり、過去の自分(旧エヴァのシンジ)と
今の自分(シン・エヴァのシンジ)の対立だ。
互いがエヴァに乗り力でぶつかりあう、だが、それは無意味だ。
茶番と言ってもいい。

二人に必要なのは「対話」だ。親子の交流だ。
旧エヴァでは結局わかりあえなかった二人が少しだけわかりあえる。
そして、それを包み込むのは「母」だ。
彼女はこのときのためにずっとシンジの中に居た。

碇シンジの自己犠牲。そんな自己犠牲を両親が代わりにやり遂げる。
最後の最後で「碇シンジ」という少年が親の愛を受け
大人になり独り立ちする。親離れとも言えるシーンは愛に満ちている。

そしてシンジは彼女の手を借り
エヴァの居ない世界に足を踏み入れる。

総評:全ての子供達に、おめでとう


画像引用元:『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告・改より
(C)カラー

全体的に見て物語の幕が閉じたことに対する喪失感が凄まじい作品だ。
旧エヴァンゲリオンは一人の少年の「自己確立」の物語だった。
後悔と自己嫌悪を繰り返し、最後は自己と対話して答えを出す。
アイデンティティを確立するまでの物語と言ってもいい。
だが、それは一人で完結する物語であり身勝手なものだ。

今作はそこから一歩進んで他者を思うようになっている。
アイデンティティを確立しただけでは終わらない、
自分だけではなく、自分を好きだと言ってくれる他者を認め、
他者を思い、他者のために行動をする。
言うなれば相互理解だ。

「セカイ系」の代名詞ともいわれた本作品が
自分勝手な物語ではない。人と人とのつながり、
社会へ出る物語と言ってもいいのかもしれない。
自己確立から社会性の獲得だ。
一言で言えば碇シンジという少年が大人になった物語だ。

そして全てのエヴァの呪縛が解き放たれる。
それは「キャラクター」たちもだ。
円環の理にとらわれていた渚カヲルや綾波レイ、
過去の思いを引きずっていたアスカ、過去の後悔を引きずっていたミサト、
そんな彼らが「エヴァンゲリオン」という作品の呪縛から解き放たれる。

そしてそれは碇シンジもだ。長い間、彼は子供のままだった。
しかし、今作では精神的に大人になり
全ての「エヴァンゲリオン」を破壊したこととで
過去の否定でも、やり直しでもない、今を認め一歩前に進み、
大人になり、「エヴァンゲリオン」という作品から解放された。

もちろん今作で初めて出てくるような難解な用語や
「それってどういうこと?」と思うようなシーンや、
相変わらずの精神世界の描写や実写演出などの癖の強さはある。
ある種の茶番な終盤は演出意図であることはわかるものの、
唐突な演出なためギャグに見えてしまう部分すらある。

そういった意味でのエヴァらしさはしっかり残しつつも、
それでも「納得」のできるラストに至っており、
「エヴァンゲリオン」の呪縛に囚われた人たちを
解放できる作品に仕上がっていた。

真希波・マリ・イラストリアス


画像引用元:『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告・改より
(C)カラー

ここまで色々書いてきたが、この作品はぶっちゃけていってしまうと
「庵野監督」の強烈な自己投影物語だ。
その象徴が「真希波・マリ・イラストリアス」といってもいい。

旧エヴァには存在せず、新エヴァには居る彼女の存在。
これはもう庵野監督にとっての奥様である安野モヨコさんだ。
それに対しての「アスカ」の扱い。

旧エヴァ当時、庵野監督はアスカの声優である宮村優子さんに対して
言い寄っていた&恋をしていたなどという噂があった。
そんな噂の真意はわからないが、
シンジとアスカの二人のシーンにおける告白が過去形であり、
アスカも別の男に乗り換え、シンジも別の女に乗り換えたことを見ると
あながち間違ってはいないように感じてしまう(笑)

冒頭のシンジのふさぎ込みと、それに対するレイの言葉もそうだ。
みんなが庵野監督に期待をするのは庵野監督の作品が好きだから、
その気持ちに気づいたから、もう逃げずに庵野監督自身も
もう1度立ち上がり、この作品を作ったんだと。

アヤナミレイ(仮)の畑仕事や村のジブリ感など、
ものすごく自己投影している部分が多い。
ラストの二人がいる場所、エヴァの世界から現実の世界へ進むさまは
庵野監督自身が「エヴァンゲリオン」という作品から
「マリ」=安野モヨコさんのおかげで解放されたことを示唆している。

「真希波・マリ・イラストリアス」は魅力的なヒロインであるものの、
シンジに対する思いや、マリに対するシンジの思いも
それが「恋愛感情」なのかどうかは描写されていないものの、
今作ではほぼメインヒロイン扱いだ。
そういった「自己投影」が目立ち、鼻につくといえばつく。

それでも、それを最後まで貫き通し、エヴァンゲリオンという作品の
幕をきちんと閉じたということを最大限に評価したい。

視聴者も、監督も、制作スタッフも、声優も、
そしてキャラクターたちも
「エヴァンゲリオン」という作品から開放される。
それが「シン・エヴァンゲリオン」という作品だったのかもしれない。

だから私もこれ以上、エヴァについて記事を書くことはないと思う。
私の中のエヴァはこのレビューできれいに幕を閉じれる。
ようやく私の中の平成アニメの最後の心残りが終わった。
この作品はエヴァという作品に囚われたものの卒業式だ。
だからこそ、心の底からこの言葉でレビューを締めくくれる。

庵野監督に、ありがとう。

エヴァンゲリオンに、さようなら

全ての子供達に、おめでとう。

「」おもしろい?つまらない?

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