映画

能天気芸人映画「映画えんとつ町のプペル 約束の時計台」レビュー

2.0
映画 えんとつ町のプペ 約束の時計台 映画
画像引用元:画像引用元:(C)西野亮廣/「映画 えんとつ町のプペル 約束の時計台」製作委員会
スポンサーリンク

評価 ★★☆☆☆(25点) 全98分

『映画 えんとつ町のプペル 〜約束の時計台〜』 予告 【3月27日(金)公開】

あらすじ えんとつ町が星空に包まれた奇跡の夜から1年が過ぎた。大切な親友プペルを失った少年ルビッチは再会を信じ続けていたが、前へ進むためあきらめてしまう。ある日ルビッチは、時を支配する謎の異世界「千年砦」に迷い込む。引用- Wikipedia

能天気芸人映画

本作品は「えんとつ町のプペル」の続編映画作品。
監督は廣田裕介 、制作はSTUDIO 4℃
なお本レビューはネタバレを含みます。

前作

前作のえんとつ町のプペルはコロナ禍で公開されたものの、
興行収入が20億円を超える大ヒット作だった。

キングコングの「西野」さんが関わっているということもあって、
それゆえに先入観が生まれ、オンラインサロンなどに入ってる人は
盲目的に褒める一方で、西野さんに対する懸念がある人は
盲目的にけなす、そんな評価がされやすいのが前作だった。

私も2度ほど前作は見ているが、良くも悪くも普通のアニメ映画だ。
よく言えば王道、悪く言えばありきたりで、
「信じ続ければ夢は叶う」というテーマのもとに、
父の夢を信じた主人公ルビッチがゴミ人間であるプペルと出会い、
煙で覆われた町の煙をはらい、星を見つけるまでの話だった。

ようはラピュタだ。前作のネタバレになるが、
煙で覆われた町の外にある星を、
町の住民を誰も信じていなかったがルビッチの父親と
ルビッチ自身は信じ続け、そしてかなった。

そこで映画は終わりだった。
煙で覆われた町は「中央銀行」と呼ばれるところの
支配から恐れた人たちがたどり着いた島であり、
そんな中央銀行から隠すために煙で覆われている。

そういう設定があるものの、そのあたりは深堀りされずに、
ゴミ人間であるプペルにオーバーソウルしていた
ルビッチの父の魂が成仏し、プペルもまたゴミに戻って
前作は終わっている。

ここからいくらでも話を広げられる部分がある。
特に街の外、島の外は一体どうなっているのか、
中央銀行とはどう関わっていくのか。
プペルは復活することができるのか。

色々な意味で期待できる続編が本作品だったのだが…
そんな期待はどこへやらとなってしまった。

続編?

最初に言ってしまうとこの作品はタイトル詐欺である。
この作品のタイトルは「えんとつ町のプペル」だ。
そこは続編でも変わらず、サブタイトルに約束の時計台とついている。

しかし、えんとつ町が出てくるのが序盤と終盤だけで、
この映画の舞台ですらなく、
肝心の「プペル」に関してはルビッチの回想シーンにちらほら
出てくるのみで後はラストしか出てこない(苦笑)

前作にあった「父親」がプペルに宿っていたというような
設定自体が何処かに行ったのかよくわからないのだが、
ルビッチはプペルと再会しようと色々と試みるものの
うまくいかず、諦めかけている。

そんな中でいきなりネズミがルビッチの大切なブレスレットを奪い、
追いかけっこをしているうちに、なぜか
「黄泉の国」のような場所にたどり着いてしまう
というところから物語が動き出す。

これを読んでも意味がわからないだろう(苦笑)
こういう脈絡のない唐突な展開が本作品にはやたら多く、
理路整然としない展開が多すぎる。

千と千尋の神隠し?

前作はラピュタだったが、本作は毛色はだいぶちがうが、
ようは千と千尋の神隠しみたいな世界観だ。
現世だか、あの世だかわからない場所で、
ルビッチは「時計」を運ぶ喋る猫に出会う。

この世界に来る流れも唐突だが、その後の展開も唐突であり、
時計を送り届けた先には「閻魔大王」のような存在がおり、
ルビッチを見るなり、壊れた時計を直すクエストを課す。

なぜそれをしなければならないのか。というのは終盤で
明らかになる部分ではあるものの、
前作のように「夢を叶えるために空を覆う煙をどかす」という明確で
わかりやすい目的があったのだが、本作はそこがずーっとぼやけている。

なぜ主人公であるルビッチがそれをしなければならないのか。
それを最後までぼやかしまくるせいで、
ピントがぼやけたままストーリーがとんとん進んでいく。

時計塔

ルビッチが直すように命じられたのは巨大な時計塔だ。
街の時間を図る重要なものなのだが、
100年も前からなぜか止まっている。
ルビッチはそんな時計塔を直せる人を探すというグダグダした展開が続く。

そうかと思えば唐突に「時計師」である
ガスと謎の歌姫ナギの物語が挟まれる。
このパートがやたら長く、最初は回想シーン、過去のシーンであることが
わかりにくいため、いいからルビッチやプペル出せよと思うほど、
唐突に出てきたキャラ同士のどうでもいいラブストーリーが
グダグダグダグダ描かれる。

ガスとナギが出会い、互いに恋心に目覚めるものの、
ナギにはとある事情がある。
そんな事情をガスに隠し続けたある日、
「スルト」という存在が現れ街をめちゃくちゃにし、
ナギは亡くなってしまう。

悲しみの絶望に陥ったガスの気持ちを汲み取った時計台は
ナギとの約束の時間である12時になる1分前で
止まったままになってしまう。
これが100年前の物語だ。

これをダラダラダラと描き、主人公であるルビッチが
一切関係ないところで描かれるため、
ルビッチの存在感すら薄くなってしまう。

つっこみどころ

話が進めば進むほど脚本が崩壊してくる。
そもそもナギが亡くなった事件である「スルト襲撃事件」に関しては
一切説明がなくスルトもそのあと一切出てこない(苦笑)
名前や姿からして北欧神話に出てくる巨人であることはわかるのだが、
突然現れて火を放ち、どこかへいく。意味不明すぎるキャラだ。

そんなナギに関してもつっこみどころが凄まじい。
彼女は実は植物であり、人間と同じ時を過ごすことができない。
人間の世界に興味があり、人間の姿になって遊びに来たものの、
徐々に体に木々が生え始め隠せなくなり、
スルト襲撃に合わせて姿を消しているというのが真相だ。

そんな時計師の過去を、ご都合主義全開エリアで、
一気に知ったルビッチは実はナギが生きてるかも!?と
言い出して捜索すると、ナギが木になって見つかる。

そもそもなぜルビッチは生きていると思い込んだのか、
ルビッチがナギと関わりのあった人物に出会えたのはどうしてなのか、
など細かい部分を突っ込みだしたらきりがない。

そもそも黄泉の国へルビッチが来たのはネズミと
追いかけっこをしていたからなのだが、
そのネズミはなぜ黄泉の国から現世に来たのか。
それすらもよくわからない。

これで時計師に、木になったナギを再会させるならわかるのだが、
何故かご都合主義全開パワーによってナギが人の姿になる。
意味がわからない(苦笑)

徐々に体に木や枝が生えて人の姿を保てなくなり、
体調も悪いみたいな描写があったのに、あっさりと
人間の姿に戻る、なぜかはわからない。
そのあともその姿のままで居られるのかもよくわからないまま、
全てはハッピーエンドに至るまでの強引すぎるハッピーエンドだ。

プペル

ここから更にご都合主義は突き進んでいく。
もうツッコミどころがアリすぎて、理路整然とした
脚本にはなっていないのだが、止まっていた時計塔は実は「プペル」である。

映画を見ずにこのレビューを見てる人はわけがわからないだろう。
映画本編を見ていても意味がわからないので安心してほしい。
あまりにもネタバレ、核となる部分であるため、
詳細な説明はさけるが、時計塔とプペルがイコールでつながっていないのに、
無理矢理繋げられた感覚だ。

この2つが繋がっていないのに、時計が動き出すことで
プペルが復活するという流れになるのが意味がわからず、
強引すぎるストーリー展開になってしまっている。

大事な人が帰って来るのを待っている時計師と、
プペルという友達と再会したいルビッチを重ねているのはわかるのだが、
その両者とも超ご都合主義で「夢」を叶えている展開は
流石に飲み込みがたいものがあり一切消化できない。

スピーチ

本作品の冒頭とラストでは同じ「時計」に関する小話が
ルビッチによって紹介される。
これは我々の世界では「とある芸人」の伝説的なスピーチと呼ばれるものだ。

映画では少し違った形の台詞になっているが、
もとのスピーチはこんな感じだ。

「時計の針って面白くて、長針と短針が約1時間ごとに重なるんです。
1時5分頃に重なって、2時10分頃に重なって…毎時重なるんですけど、
でも、11時台だけは重ならないんです。
短針が逃げきっちゃう。
二つの針が再び重なるのは12時。
鐘が鳴る時です。
何が言いたいかと言うと、『鐘が鳴る前は報われない時間がありますよ』です。
僕にもありましたし、皆さんにも必ずあります。
人生における11時台が」

このスピーチの内容をルビッチが冒頭と映画のラストで呟いている。
このとある芸人とは本作品の総指揮を取られている
「西野亮廣」様御本人である(苦笑)

この伝説的なスピーチと呼ばれるものを
本作品では前提にして物語を作ったのだろう。
それが透けて見えてしまい、強引にそこにプペル要素を足した結果、
ツッコミどころの凄まじい映画になってしまっている。

このスピーチもルビッチの父親が言っていたというような
エピソードがあるわけでもなく、唐突にルビッチが喋りだし、
しかも2回もそれが紹介されるのは独特の気持ち悪さすら
感じてしまう作品だった。

総評:プペルを強引に別作品にねじこむな

全体的に見てかなりひどい映画だ。
前作は「西野さん」という部分に関する賛否両論はあったものの、
内容自体は王道、普遍的で見ればそれなりに楽しめる作品だった。
しかし、今作品はそんな作品の続編とは思えないほど、
脚本のツッコミどころとご都合主義があまりにもひどい。

色々あって離れ離れになった二人が再会するという物語ではあるものの、
その再会に足るまでの流れがどちらもご都合主義の塊で、
「どうしてそうなったのか」が理路整然としておらず、
ナギというヒロインの復活にしても、プペルの復活にしても、
どうしてそうなるのかが理解できない。

序盤から中盤のテンポの悪さも致命的であり、
アニメーションとしての面白みも前作より劣っている。
前作はHYDEさんによる挿入歌のシーンが話題になったりしたが、
今作ではそういったこともなく、アニメーションのクォリティも
前作のほうはかなり見応えがあったが、今作はない。

待つことは何もしてないということではない、
待つということは信じていることだと映画の中でも言っているのだが、
口を開けて待ち続けているだけで餌が降ってくれば苦労はしないのが人生だ。
信じ続ければやがて叶う、それを言いたいのはわかるが、
今作はそれがより宗教的なものになっている。

西野さんのスピーチをほぼそのまま映画の中で
2回も盛り込んでいるというのも、かなりの気持ち悪さを産んでおり、
プペルの続編というよりは「西野さん」の映画になりすぎている。

前作はそこがうまく抑えられていたのだが、
今作はそれが抑えきれておらず、違和感が凄まじい。
この作品は前作と同様に原作となる絵本がある。

前作は「えんとつ町のプペル」が絵本が原作だ。
しかし、今作は「チックタック 約束の時計」という絵本が原作となっている。
どちらも西野さんが手掛けたものではあるものの、
チックタック 約束の時計にはプペルとルビッチは
本来はでてこない、別作品だ(苦笑)

本来はでてこない作品の絵本を元に
強引にプペルをねじ込んだ結果が本作品だ。
意味不明になるのも当然なことをしており、
こんな結果になってしまったのも納得な作品だった

個人的な感想:布教活動

映画.comなどでは明らかにそういった方々の露骨な感想が目立っており、
ぜひご一読していただきたい(笑)
XなどのSNSではそういった方々が映画.comに積極的に
なおかつサロンメンバーであるとわからないように感想を書き込もうと
勧めているのだが、露骨すぎてバレバレだ。

前売り券は西野さんの積極的な活動による
13万枚も売れているようだが、果たして興行収入は
前作を超えることができるのか…

全ては布教活動次第かもしれない。

「映画えんとつ町のプペル 約束の時計台」に似てるアニメレビュー