評価 ★★★★☆(68点) 全85分
あらすじ 違法な遺伝子操作で凶暴な生物兵器の試作品626号(626)を生み出した悪の天才科学者・ジャンバ博士が銀河連邦に逮捕された。 引用- Wikipedia
彼こそディズニーの救世主
本作品はディズニーによるオリジナルアニメ映画作品。
監督はクリス・サンダース、ディーン・デュボア 、制作はウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、ウォルト・ディズニー・フィーチャー・アニメーション
暗黒期
2002年にアメリカで公開された本作品。
当時、ディズニーは暗黒期に突入しており、
莫大な予算を投じて製作した作品があまりヒットしない
という状況が続いていた。
この作品の前年に公開された「『アトランティス 」も
1,2億ドルの制作費を投じたものの、興行収入は1.8億ドルで終わっている。
そんな中で、本作品は8000万ドルほどで制作されおり、
興行収入は世界で27億ドルを突破している。
ディズニーの暗黒時代において異例なコスパの良さといえる作品だ。
スティッチというキャラクター自体も大人気になり、
多くの続編も生まれており、日本では独自に沖縄を舞台にした
「スティッチ!」という作品まで生まれている。
リロ&スティッチが上映される前と、そこから数年は
ディズニーに大ヒットと呼べる作品がなく、
個人的な感覚で言えばリロ&スティッチから
「塔の上のラプンツェル」までの8年間はディズニーは暗黒期と
呼ばれる時代に入ってしまっている。
もし、リロ&スティッチがなければ今のディズニーはなかったかもしれない。
そんな救世主と言ってもいい作品だ。
その一方でディズニー以外の会社がCGを用いてアニメを作り出していた時期に、
あえて手書きの作画にこだわったのもしっかりと感じ、
この時代のディズニーらしさを感じられる作品かもしれない。
スティッチ
映画の冒頭から非常にコミカルだ。
本作の主人公の一人である「スティッチ」は
悪の天才科学者に生み出された存在であり、
「悪の心」しか持たず、破壊しかできない存在だ。
そんな存在だからこそ銀河連邦によって宇宙に追放される予定だったのだが、
持ち前の知能の高さを活かし、脱出に成功し、地球のハワイへとたどり着く。
この冒頭の10分ほどのシーンで「スティッチ」がどんな存在なのかを
しっかりと感じさせ、ディズニーらしいコミカルなキャラの動きが
より、キャラの魅力を後押ししている。
エイリアンたちの見た目はエイリアンらしく、どこかおぞましい。
スティッチを作り上げたジャンバ博士は目が4つもあり、
彼とともに地球に訪れるプリークリーは目が1つしかなく、脚は3つ。
人間ではないエイリアンらしい姿ではあるのだが、
それが「怖く」感じないのがディズニーのすごいところだ。
明らか人間から逸脱した生物なのに、どこか愛らしささえ感じさせる。
それはディズニーだからこそのキャラの動きと、
ディズニーという会社が作り上げる世界観の中に生きる
キャラクターだからこそなのかもしれない。
スティッチはエイリアンの中での問題児だ。
誰も「仲間」がいない。
そんなスティッチが同じ「孤独」を抱えるリロと出会うところから
物語が動き出す。
リロ
リロはいわゆる問題児だ。
両親をなくしたばかりで、年の離れた姉が親代わりになっているものの、
彼女もまた親であろうと、家族を守ろうと必死だ。
リロ自身の性格も少し普通と違い、同じ年代の子供と馴染むことができない。
だからこそ、問題ばかり起こしている。
そんな彼女の家庭の状況を鑑み、福祉局は問題視している。
リロの姉のナニはリロと離れ離れにならないように必死に奮闘するものの、
うまく行かない日々がつづいいている。
「お姉ちゃんはママにならなくてもいいよ」
彼女なりに孤独を姉に伝えている。
そんな孤独が紛れるように「犬」を飼うことになるのだが、
そんな犬がスティッチだ(笑)
スティッチは自分を追ってきたエイリアンの追跡を逃れるために
「人間」を攻撃できない彼らに対する盾として
リロを利用している。
味方がいないエイリアンのスティッチ、友達がいないリロ。
ふたりとも「孤独」を抱えている。
リロには姉がいるが、スティッチには「家族」と呼べる存在すらいない。
オハナ
リロの両親は事があるごとに彼女たちに「オハナ」について説明していた。
「オハナは家族、いつもそばにいる」
それはナニにとってもリロにとっても絶対だ。
リロにとって「スティッチ」は新しい家族であり、オハナだ。
しかし、スティッチには家族という概念がない。
破壊のために生まれた存在、なにかを壊すことしかできない。
だが、ここには破壊すべきものがない。
本来は都市にいって巨大なものを壊すのが彼の本能だ。
ハワイにはそんなものはない。行き場を失った破壊本能を撒き散らすものの、
それを満たすことすらできない、何も彼にはない。
そんなスティッチ自身が変わっていく。
たまたま見つけた「みにくいアヒルの子」に
彼は「自己投影」し、いつか自分の仲間が、
家族が迎えに来てくれるかもしれないという希望を見出す。
二人の主人公は似たような孤独を抱えているものの、
スティッチにはリロにとってのナニのような存在がおらず、
ナニ以上に孤独だ。
崩壊
スティッチも徐々にリロやナニに心を開き、
序盤のような破壊行動をしなくなっていく。
なにもなかったスティッチの中に徐々に「なにか」が生まれてくる。
どこか恥ずかしそうに一緒にサーフィンをすることをせがんだりする姿は
とても可愛らしく、彼なりに破壊以外のナニかを求めようとしている。
だが、リロとナニが離れ離れになってしまうことが決まってしまう。
「お前がきたせいで…」
デイビットのこの一言はスティッチにとって重くのしかかる。
自分には破壊しかできない。
「家族になりたかったらずっとそばにいていいよ」
リロのそんな言葉もスティッチには響かない。
みにくいアヒルの子のように、どこかに自分の家族もいるはずだと。
「僕、迷子」
悲しそうなスティッチの声に思わず心を締め付けられてしまう。
だが、自らの親ともいえる「ジャンバ」に彼は
「家族はいない」と告げられてしまう。
家族はそばに
スティッチを追いかけてきたエイリアンに、
リロは間違えて連れされてしまう。
そんなリロを連れ戻すためにスティッチは決意する。
「オハナ」
自分を弟にしてくれる、そんなリロの言葉をスティッチは信じ、
自分の家族と認識する。家族に見つけてもらうのではない、
彼は自分で家族を見つけ出した。
自らの名前はスティッチであり、リロとナニは家族。
そんな家族に迷惑をかけないように自ら銀河連邦に身を差し出す姿には
思わず涙腺を刺激されてしまう。
福祉局の「コブラ・バブルス」の意外な正体とオチは
なんとも平和であり、幸せだ。
崩壊していた家族がスティッチと出会ったことで新しい家族になる。
「オハナ」というこの作品らしいテーマを最後まで貫き通している作品だ。
総評:居場所という名の家族
全体的に見て素晴らしい作品だ。
ディズニーらしいコミカルな描写とエイリアンの少し不気味なデザインが
マッチすることで愛くるしいキャラクター描写になっており、
そんなエイリアンである「スティッチ」と「リロ」の孤独と成長を
1時間半ほどの尺で起承転結スッキリと描いている。
アクションシーンも非常にコミカルで、
特に終盤の救出劇はスティッチのハイテンションぶりと
コミカルなアクションがマッチすることで印象深いシーンになっており、
映画だからこその見ごたえもしっかりと生まれている。
そしてストーリーのメッセージ性。家族というのは「居場所」だ。
生まれてすぐに多くの人たちが「自分が居ていい場所」という認識をする場であり、
そんな家族がいるからこその安心感、家族がいるからこそ孤独ではなくなる。
リロという家族を失った少女がスティッチという家族の居ないエイリアンと
出会うことで、新しい家族、新しい居場所を作り上げる物語になっている。
シリアスな部分とコミカルな部分が入り混じった作品であり、
福祉局や家族が離れ離れにさせられそうになるなど、
意外と重いシーンも有る作品ではあるものの、
同時にきちんとコミカルさがあるからこそ重苦しくならず、
感動もできる作品だ。
今から20年以上も前の作品だが、今見ても色褪せない魅力がきちんとあり、
実写化映画を見る前に是非見てほしい作品だ。
個人的な感想:実写化
実写化の方も先日みたが、やはりアニメとはかなり趣が違う。
やはり実写化はナニ&リロ&スティッチであり、
ナニの掘り下げを中心にするあまり、リロ&スティッチの
深い掘り下げができていないような印象だ。
特にスティッチに冠しては、やはりアニメのほうが1枚も二枚も上手だ。
彼の孤独、家族を探し、家族を求める寂しさと、
そこから自ら家族を見つける流れは本当に素晴らしく、
これは実写化映画ではあまり感じなかった魅力だ。
余談だが本作品の監督であるクリス・サンダースは
のちにドリームワークスに移り、ヒックとドラゴンや
「野生の島のロズ」を手掛けており、
この2作品もぜひ見ていただきたい作品だ。