評価 ★★☆☆☆(25点) 全10分
あらすじ しんのすけは外に遊びに行き、ひまわりはお昼寝をしていたある日の午後。ひろしとみさえの2人は家でくつろぎながら、他愛もない会話をしていた。。 引用- Wikipedia
スカしてんなー
本作品はクレヨンしんちゃんの1エピソード。
ダウ90000・蓮見翔が脚本を手掛けたことで話題になった。
ワンカット
このエピソードが挑戦的な部分はワンカットで描いているところだ。
主人公たる「しんのすけ」がおらず、
みさえとひろしの二人がリビングのテーブルを挟むかたちで会話をする。
それだけだ。
ワンカットで最後まで、バストアップのカットなどに変わるわけもなく、
定点で描いている。「絵変わり」というのがほぼない。
たまに心の声が吹き出しのように出てくることがあり、
そこで少しカメラが上に動くくらいだ。
しんのすけがいない夫婦だけの会話を切り取る。
クレヨンしんちゃんという30年以上の歴史のあるアニメの中では、
かなりレアなエピソードであることは間違いない。
夫婦
会話自体は何気ない会話だ。
しんのすけがいないからこその会話というより、
普通すぎる会話だ。夜ご飯を何にするのか、
床にクレヨンがあって、そのクレヨンで少し話を膨らませたり。
その中で興味深いといえるのは、
「テレビ番組」を見ての夫婦の会話だ。
人気のアニメで、子供に見せないほうが良いと言われているアニメを見て、
「親が真似しないでって言えば良いんじゃないの?」
とひろしが刺す。
かつて子供に見せたくないアニメとして1位をとったからこその
メタ的なネタだ。
この作品の面白いといえるところは、そのくらいだ。
蓮見翔
蓮見翔氏は天才と言われている人だ。
多くの舞台を手掛け、岸田國士戯曲賞をも受賞している。
29歳でありながら才能に溢れる人なのは間違いない。
そんな蓮見翔氏がクレヨンしんちゃんの脚本を手掛けるということで、
良くも悪くも話題になったが、実際に見てみると、
確かに異質なものになっている。
クレヨンしんちゃんなのに主人公であるしんのすけが出ない。
クレヨンしんちゃんなのに子供に伝わるギャグがない。
クレヨンしんちゃんなのにワンカット。
異質さが際立っているエピソードであることは間違いない。
ただ、過去にあまりやってこなかったことをやっているだけであり、
「やっていなかった」というのは、面白くないからやってこなかっただけだ。
そこをあえて突くような脚本になっていることは確かだが、
だからなんだ?という話でもある。
計算
脚本自体は計算されている部分がある。
しんのすけが部屋に落としていた「黄色い」クレヨンは、
ひろしの足を描く際に使われるものだ。
ひろしの足の臭いを表現したのが黄色であり、
それがオチにもつながっている。
途中の焼き鳥の話も、串を抜く云々の話をしており、
串を抜いたら焼き鳥ではないという流れから、
子供に見せたくないアニメのメタネタにつなげている。
つまり、子供に見せたくないと言われた、
下品なギャグをする主人公の作品であるクレヨンしんちゃんから、
「しんちゃん」という串の部分を抜き出したらどうなるのか、
というのがこの脚本で言いたいことなのだろう。
そういったメッセージ性のようなものが含まれているのはわかる。
わかるが、だから何だという話だ。
今までやってきていなかったこと、他の人ではやらないことをやる。
それは創作においてはありがちな手法ではあるが、
結果的に効果的であるとは限らない。
総評:スカしてんなー
全体的に見て微妙なエピソードだ。
一言で言えば、この作品はスカしている。
かつて劇団ひとりさんがクレヨンしんちゃんの映画の脚本を手掛けたが、
あの作品は真正面からクレヨンしんちゃんというものを描いていた。
逆にこの作品は「クレヨンしんちゃん」という作品に対し、
真正面から描くことを避け、スカしてしまっている。
10分という限られた尺の中では致し方ない部分はあるものの、
変にスカさずにもっと真正面から描いてほしかったという
気持ちのほうが強く出てしまう。
クレヨンしんちゃんのエピソードを見ているというよりは、
蓮見翔氏の手掛けるコントを見ているような感覚であり、
それ以上でもそれ以下でもない。
別にこれがドラえもんで「野比夫婦」の会話でも、
ある程度は成り立ってしまいそうな感もある。
黄色いクレヨン、ひろしの足の臭い、子供に見せたくない番組。
確かにクレヨンしんちゃんでなければ成立しないネタは散りばめられている。
ただ、それは「クレヨンしんちゃんだからこそ描ける物語」なのかと
言われると疑問が残る。
しんのすけがいないことで、普段は父親と母親として描かれている
ひろしとみさえの「夫婦としての顔」が見えるなら面白いが、
実際に描かれているのは夕飯や焼き鳥、テレビ番組といった雑談であり、
二人の意外な関係性が見えるわけでもなければ、
30年以上積み重ねてきた野原夫婦だからこそ成立する会話でもない。
キャラクターを使ったメタネタとしては成立しているが、
野原一家だからこそ見られるドラマにはなっていない。
この回を見て一番印象に残るのが物語でも会話でもなく、
「蓮見翔がクレヨンしんちゃんでこういう脚本を書いた」という事実なのが、
私がこの作品をスカしていると感じた最大の理由だ。
ワンカットも、しんのすけを出さないことも、
日常会話だけで10分持たせることも、全部狙ってやっているのはわかる。
計算されているのもわかる。
でも、計算されていることと面白いことは別だ。
だからこそ「スカしてんなー」という言葉が
強く出てしまうエピソードだった。
個人的な感想:天才とハサミは使いよう
ダウ90000・蓮見翔氏はコントや舞台で高く評価されている。
ただ、その才能がそのまま「クレヨンしんちゃん」にハマるかは別の話だ。
会話劇を得意とする蓮見氏に、
「野原夫婦だけで10分会話させる」という題材を渡せば、
当然こういう作品になる。
だから、ある意味では正解なのかもしれない。
ただ私は、蓮見翔の会話劇を見るために
クレヨンしんちゃんを見ているわけではない。
逆に映画のほうが、もう少しクレヨンしんちゃんらしさを出しつつ、
ダウ90000・蓮見翔らしさとも両立できたかもしれないが、
かといって映画で私がそれを見たいかと言うと……。
また別の話だ(苦笑)



